あかいばつ - 第二章 悲鳴


 「キラはかみさまやねん」
 正広と同じ学校で、1年生の翔太はそう言った。
翔太は正広の家の近所に住んでいて、幼い頃からよく遊んでいた一人だった。
 「かみさま…?」
 「そうや。キラはわるいやつ消してくれるねん。そしたらええひとばっかりになるねん」
翔太のその言葉に、正広は何故か心臓の鼓動が高鳴った。
 「悪いやつが…消される…?」
正広は翔太に、しかし独り言であるようにそう言った。
翔太が「ん?」と顔を上げて正広に何か話そうとしたその時、亜希子が呼んだ。
「そろそろ行きぃよぉ〜!」

 赤穂市は山が多い。
そのため、山の上から街を見下ろすことが出来る施設は様々だが、何故か赤穂市にあるひとつの火葬所は山の上にあった。
 バスで山を登ること15分。
着いた場所はとても綺麗なベージュの建物だった。
 正広の姉の亜希子と母親のアケミと祖母の節子を先頭に、真っ黒な服を着た参列者達は次々建物に入っていく。
翔太も正広もそれに続いて入った。
 


 その時だった。
 正広の耳に、こんな声が聞こえてきたのは。

 「自業自得といえば自業自得だけど…。旦那さんより、奥さんかわいそうやねぇ」

「ほんまになぁ。旦那は立てこもりの犯罪者やからキラが殺しても当たり前や言うたら当たり前やけど…周りの人間の身ぃになってみぃ言うねん。なぁ?」

「そんなん言うたらあかん! 聞こえるで!!」

 (……)


      (…………)

 
(……………はんざいしゃ?)








( ………わるいやつ………………?)






(おれの父ちゃんは……わるいやつなん…?)

















      





 その日の夕暮れは、真っ赤だった。



  広く平らな田畑を、その赤い夕日の光が包み込む。


 家の目の前には庭があり、花壇には花がたくさん植えてあった。
あの時、花壇はアサガオでいっぱいだった。
納屋のほうには、小さな物干し竿に洗濯物が干してあって、小さな砂場があった。
 その花壇のさらに奥には田畑が広がっている。
その側に道路もあるが、そこはほとんど車が通らない。
車が通るとしたら、本当に近所に住んでいる者くらいだった。
 キャッチボールには、ぴったりの場所。
 「おーい、投げるでぇ〜!受けろよぉ〜?」
 その声の先には、父親がいた。渡辺克美。
彼は出張に行く前まで、正広とキャッチボールや虫取りなどをして遊んでいたのだ。
 「ほれ!!」
ボールが、唸る。シュンッ! と、こっちに飛んでくる。
バシッ。
グローブに、球は捕まった。
グローブで球をつかんだその手は、少し痛かった。
いつかこんな重みがある球を投げられるようになりたい、そう思った。
 そう思ってキャッチボールを繰り返していると、正広の父親は、正広にこう言った。
「お前はなぁ、男やろ。男はなぁ、父ちゃんを越えなあかん。父ちゃんより強くなって負かしてみろや」
 しかしそんなことを言われても、正広は何も言わなかった。言葉のキャッチボールは、行われることはなかった。
 ただ、ひらすら、ひたすら、父親の球を受け止め、投げ返して。

 正広は思った。
 あの時、なんという言葉を返したらよかったのか。
『父ちゃんより強くなって負かしてみろや』。
そんなことを言われても、それは無理なことだった。
 正広にとって、父親は超えられない人物だ。そう信じて疑わなかった。
きっとこの先も、この考えは変わらない。
少なくとも、本人はそう思っている。





「マサ?」
翔太に服を揺すられ、正広は現実に引き戻された。
正広の目の前にあったもの―――それは、大きな鉄の箱に入れられた、父親の骨の残骸だった。
正広の心臓が、ドクン、と唸った。
参列者は、専門家が骨を拾ってどこの骨かを解説しているのをまじまじと聞いている。
しかし正広は、周囲の人々の声が聞こえなかった。


 正広が聞いたのは、今まで接してきた克美の言葉だった。

「お前はなぁ、男やろ。男はなぁ、父ちゃんを越えなあかん。父ちゃんより強くなって負かしてみろや」

「マサぁ、お前背伸びたなぁ!」

「早よ大きぃなれ。ほれ、メシ、おかわりして来んかい」


 様々な、父親の言葉。

父親が生きていた頃に自分に投げかけられた叱咤激励。
 
 自分の父親は厳しいけれど、優しかった。
そんな父親が――――。



          ”わるいやつ”なはずがない!


「マサ?」
 正広の異変に気付いたのは亜希子だった。
翔太も、その様子をじっと見ていた。
 そして、亜希子はハッと息をのんだ。

 姉の目に飛び込んできたのは、カッと目を開き涙を流し、体を震わせ青ざめている弟の姿だったのだ。
「あんた大丈夫なん? 顔めっちゃ青いで!?」
 亜希子は正広の体を揺らす。しかし、正広は反応しなかった。
 弟のあきらかな異変に気付いた亜希子は、隣にいたアケミに知らせた。

 いや、知らせようとした。




「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 


 それは、他人が聞けばたぶん奇声だった。
しかし、亜希子も翔太もなんとなくわかっていた。


 これは奇声ではなく、”叫び”だということに。



 正広は外へ飛び出した。ひたすら走り、車があまり無い駐車場を突っ切って眺めのいい崖まで行った。
そして、正広の体は崩れ落ちた。
 本人の意志とは反対に流れる、滝のような涙。
 正広の目はカッと開いたままで、嗚咽も止まらなかった。嗚咽をこらえようとしたとき、口の中から黄色い液体が吐かれ、服は汚れた。
顔は耳まで真っ赤になり、涙と鼻水と唾液でぐしゃぐしゃになり、両手は拳を握っていて、膝の上で震えていた。

 「マサ!」
 正広のあとを追いかけた亜希子は正広の背後に近づき、両手で正広の肩を包み正広の顔をのぞき込んだ。
「大丈夫…? しっかりしぃ! あんたどないしたん!? どっか具合悪いん!?」

マサは顔を上げず、下を向いて泣いていた。

「お父ちゃんはぁ…わるくない…お父ちゃんはわるいやつじゃない…おれのお父ちゃんがわるいやつとちゃう…わるいのは…お…とうちゃんじゃ…な…いぃ…おとうちゃんは…わるくないんやぁ…!」

 その言葉に、亜希子も泣いた。

 正広に「帰ろう」と言えなかった。

 アケミが見つけにくるまで、亜希子も一緒に泣いていた。
嗚咽をこらえず、辺りに響き渡る大きな声で悲鳴をあげていた。
それは正広も同じだった。

 翔太は、誰も呼びに行かず二人と遠く離れた後ろで棒立ちしていた。
しかしその表情は二人をじっと、視線をそらさずに見ていた。



 その後、しばらくの間、亜希子と正広は学校を休んでいた。
二人とも、布団から起きあがることはなかった。亜希子はずっと泣いていたし、正広は体調を崩し、虚ろな表情で過ごしていた。
本人達こそ気付いていないが、彼らは何もやる気を起こせなかった。息をすることすら、つらい状況だった。
 アケミは葬儀の後始末が終わった2日目まで伏せていたが、その後は徐々に元気を取り戻していった。
というより、自分以上にショックを受けている子供達を見ていると、自分が母親としてしっかりせねばと思わされたのだ。
 節子はというと、毎日一時間以上、仏壇にご飯を供えて座り込み、数珠を持ってひたすら経を唱えていた。
それが気を紛らわせるためなのか、ただの習慣づけなのかそれは誰にも解らなかったが、ただいえるのは、家の中で一番気を確かにもっていたのは節子であるということだった。
 
 ある朝、いつものように節子が仏壇にご飯を供えていた時のこと。
正広は久しぶりに自分の部屋を出て仏壇の前に行き、祖母の隣に座った。
正座した姿勢はしゃんとしていたが、表情は虚ろだった。節子は驚いたが、何も言わず黙って前を向き、孫と一緒に手を合わせ、いつものように、経を唱えはじめた。
その様子を遠くからアケミは見守っていたが、彼女は息子に何も言ってやれなかった。
「大丈夫?」と声をかけても大丈夫でないことはわかっているし、ご飯ものどを通らないのでは朝食を強制しても仕方がない。

とにかく、その時は、渡辺家に言葉が無かった。
渡辺家に言葉が戻ったときは、その日の夕方だった。


「えっ、翔太くん? いいえぇ、うちには来てませんけど。どないかしはったんですか?」

 そんな母親の声をバックに、正広はぼーっとテレビを見ていた。
また、キラ事件のニュース。それも膨大な数の。

「キラはかみさまやねん」

 翔太が言った、あの言葉。

 ついさっき聞いた一言であるように、正広の心の中にずっとある言葉だった。


「おばあちゃん、翔太くん、近所で見ぃひんかった?」
散歩から帰って裏口から入ろうとする節子に気がつき、アケミは受話器を置いた。
「ええぇ? おらんかったよ? どないしたん? おらんの?」
節子の言葉に、アケミは心配そうにうなずいた。
正広は、二人の会話を聞いていた。
「今日、土曜日やろ? だから、お昼までやから今の時間やったらとっくに家に帰ってるはずやねんけど…。学校に電話してももう帰ったって先生から言われて、他の家も電話してみてるんやて翔太くんのお母さんが…」

その時だった。

まるで家が揺れそうなくらいの大きな雷の音が響いたのは。

 しばらくすると、大きな雨音がしきりに屋根や窓を打ち始めた。

 正広は驚いて、思わず玄関まで走った。
玄関を開けると、激しい雨が地を叩き、暴風が吹き荒れていた。
「翔太…!?」
正広は玄関においてある雨合羽を着て外へ出た。
自分を容赦なく吹き飛ばそうとする風と雨がつらかったが、正広はそれがつらいと思わなかった。
ただ、正広に浮かんだのはあの言葉だった。





「キラはかみさまやねん」





「翔太ァ!!!」

正広は大声で翔太を呼びながら走った。正広の目には、涙が浮かんでいた。



激しい暴風と豪雨の中、正広の頭の中にあったこと。

それは、翔太の生死のことだった。

自分の父親に死なれた上に、弟のような存在だった翔太を失うことは、正広にとって殺されることに近い痛手だと思った。
もう、誰も死んで欲しくなかった。
誰の骨も見たくなかった。
父のバラバラになった骨を見たあの時から、正広は死に対して尋常でない恐怖を感じていたのだ。




正広はがむしゃらに走っていた。





もう誰も、失わないために。








後書き

いきなり死というものを自覚し、
ショックが大きければ大きいほど落ち込みが激しいということを学んだので、それを生かして書いた気がしています。

(2006年11月29日加筆訂正)

この小説について

タイトル 第二章 悲鳴
初版 2006年11月21日
改訂 2006年12月21日
小説ID 1012
閲覧数 6156
合計★ 5
りんの写真
ぬし
作家名 ★りん
作家ID 36
投稿数 7
★の数 121
活動度 3179

コメント (3)

★シェリー コメントのみ 2006年11月21日 23時37分15秒
 僕はまだ人の死を身近で感じていません。ですからまだ人のいなくなるホントの悲しさを知りません。しかし、この小説はまるで人のいなくなる悲しさを教えてくれるかのようなそんな素晴らしい小説だなぁと思いました。……いえ、お世辞じゃないですよ(笑

 果たして翔太は無事なのか? 彼の無事を案じつつ次回を待ちたいと思います。
クッキー 2006年11月26日 13時51分14秒
人の死・・・・、どんなにその事について目をそらしても必ず訪れるんですね。
ところで、りんさんって近畿地方出身ですか?
赤穂・・・・、私が住んでるところに近すぎて驚きました;;
★ありのはながさ 2006年11月26日 16時33分55秒
 近畿地方なんですか??私は京都なんです。
人の死という悲しみをありのは四年前に祖父を亡くしたときに知りました。
この小説は全てを含めて何かを考えさせられました。
いやー、ありのもこんな高技術なの書いてみたいです。
名前 全角10文字以内
コメント 全角3000文字以内 書式タグは利用できません
[必須]

※このボタンを押すと確認画面へ進みます。