そして世界は・・・ - ゆかり

 本編にはさして関係ないが、ここで少し春原ゆかりについて説明しておこう。

 彼女は先ほども述べた通りフリーのジャーナリストである。先日の知事収賄事件の解決が1人のジャーナリストの活躍であったことはまだ記憶に新しい。報道では「フリージャーナリスト」としか名が出ていなかったがこれが彼女であることはきっと本人しか知らないだろう。
 これまでゆかりは数々の事件を解決してきたがその裏では規制ルートではない情報収集も含まれており、しかしその度にうまく方便してその場を何とかしのいできた。記事をゆかりがゆかりであるという証拠を出さずに投稿するのが彼女の数多くあるポリシーの一つだ。理由は先の通り。情報収集の仕方が規制ではない彼女は身の安全を守るためにも必要なことだった。
 ゆかりがフリージャーナリストを志すきっかけになった事件がある。事件といっても本の1人の人生を左右する地球の一事象に過ぎなかったが、ゆかりにとってそれは人生に大きな転機、分岐点だった。
 ゆかりはある新聞社に務めていた。父親が新聞記者であったことからその職業に就いた彼女だったが就いて初めてその業界に恐ろしさを知った。ゆかりの父はあまり仕事のことを彼女には話さないでいたから、それは当然といば当然だが。とにかくゆかりは父からは教えてもらえなかった世界の事情をわずか19歳で目撃した。調べれば調べるほど出てくる悪徳な人間の闇。人とはこれほど醜くなれるのだろうかと、驚いた。
 金、金、金、殺し、殺し、殺し、殺し、恨み、憎しみ、裏切りの果て。
 世界の全ての犯罪がここ日本で行われているのではないかと疑うほどに、悲惨な状況が広がっていたのだ。19歳という多感で夢や希望に満ち溢れていた年齢のゆかりにはあまりに衝撃的な事実だった。それに加えて上層部からの重圧。歳若いゆかりの書いた記事をそのまま破棄されることもあった。そして早くも、ジャーナリストという仕事を辞めてしまいたいと思うようになる。
 そんなある日、ゆかりには友達ができた。
 本条はるか。
 20歳の同業者で名前が同じ平仮名で書かれているという共通点から知り合った友人だ。彼女はゆかりの会社とはライバルにあたる会社に勤めており、あまり大胆な接触は出来なかったがゆかりにはこの世界に入って初めて気を許せる人間に出会ったことで、心は大分落ち着いていた。記事のことではなく、日常のささいな事、好きな芸能人の事、男性のタイプの事。たくさんの話をして人生について語り合ったりもした。人当たりのいい笑みでしなやかに話すはるかの姿はいつしかゆかりには目標のような存在になっていた。そして彼女達は気が合った。それこそ、不審なほどに。
 そして、事件は起こる。
 ゆかりの会社が独自に調べていた情報が他の会社によって先に報道されてしまったのだ。慌てたのは上層部。
 なぜ我々の情報が漏れたのか?
 
 ◇ ◇ ◇

「春原君!君が○×出版の人間と親しくしていたのは分ってる。君が情報を漏らしたんだろう!?」
 髭を生やした巨漢が赤い顔を更に赤くさせて怒鳴っていた。19歳の春原ゆかりに。今とは違うロングの髪をアップにまとめて小さく震えている。
「そんな・・・!あたし、そんな事言ってません!確かに○×出版の人と、お付き合いはありましたけど、そんな、そんな事する人じゃありません!」
「そうとは言い切れんぞ。○×には曲者が多い」
 冷静だが明らかに激情していることは明白な初老の男が眼鏡を拭きながら言った。
「でも・・・あたしとは・・・ともだちで・・・」
「ふん、記事の為なら情など捨てる。これが記者の基本だ。君のお父さんは記者というではないかね。君はもう少し、勉強してくるべきだったようだ」
「そうだぞ。おかげでわが社は大変な損失だ。今まで調べ上げてきた情報を奪われた上、先に報道されてはな。労力も金も水の泡だ!どうしてくれる!」
「・・・・・っ」
 大人二人に言われてゆかりは泣き出す寸前だった。だが持ち前の根性とプライドの高さで何とか涙を落とさない。
「・・・本日限りで・・・辞めさせて・・・頂きます・・」
「そうしたまえ。君にはこの仕事は向いていない。せめてその可愛い顔で水商売でもやるんだな」
「・・・!」
 初老の男の下衆な冗談にゆかりの心は大きく傷をつけられた。男の言葉はつまり彼女を顔だけで雇ったと、暗に示しているのだ。彼女は耐え切れなくなり、その部屋を出て行く。もちろん男達は、あとを追わなかった。
 ゆかりはその足で、○×出版へと向かった。ぼろぼろの髪とメイクは彼女の心を映し出している。そしてその姿のまま会社へと足を踏み入れたのだ。
「報道部・・・ここだ・・・」
 その場にいた○×出版の人間は突然入ってきたゆかりを不審な目で見ながら、しかし追い出す事はなかった。
 ドアノブを回し、扉を向こう側に開けると自分が先ほどまでいたデスクと同じような光景が広がっている。そしてその向こうに、何人かと談笑している本条はるかの姿があった。
「はるか・・・」
 弱々しい声ではるかに声をかけたゆかり。部屋の空気がすっと冷えた。飛び交っていた無数の言葉も、途切れてファックスのジーッ、という音だけが響く。
「あらゆかり。本社に来るなんて、珍しいわね。それにひどい顔よ?」
 くすくすと笑って、はるかはゆかりの近くに来た。ついこの前まで一緒にいた人物かと疑うほど様変わりしたはるかの表情と口調。ゆかりは鼓動が早くなるのを感じた。
「はるか・・・情報を・・・横取りしたって・・・嘘だよね?」
 ゆかりは泣きそうな笑い顔で前の前のはるかに言った。はるかは、指を唇に当てると、ゆかりにいつも見せる柔らかい表情を作る。ゆかりはそれにわずかに目に光を宿した。
「やっと気付いた?」
 ・・・・・・・・。
「え?」
 ・・・・・・・・。
「いや、さ。あんたがいつ気付くかと思って、皆で賭けをしてたのよ。あの子達は早いうちに気付くって言ってたけど・・・結局最後まで気付かなかったわね。おかげでホラ、こんなに稼がせてもらっちゃって。ありがとう、ゆかり」
 片手に持っていた札の束をこれ見よがしにゆかりの前で揺るがせてはるかは笑った。あの、ゆかりの好きな柔らかい笑みではなく、氷のように、炎のように、滾り、冷えた目だった。
「な・・・なんで・・・」
 ゆかりは両方の眦から涙をこぼしてはるかにすがり付いた。彼女の腕を持って、「なんで」と繰り返す。
「だって、ゆかり」
 はるかは彼女の胸の辺りに後頭部を押し付けて泣いているゆかりの耳元で呟いた。
「あんた、馬鹿なんだもの」
 ゆかりの体がビクンと震え、はるかの腕を掴む手から力が抜けていく。そしてそのままだらりと、重力に任せて膝を折った。眦からの涙は止まっている。彼女の心は、壊された。
「はい。ここは部外者立ち入り禁止です。早急に出て行ってください」
 はるかが他人行儀に言ったが、ゆかりには何も聞こえていない。自分の会社で男に言われて出来た傷よりも、もっともっと深い穴がゆかりの心を埋め尽くした。

 ◇ ◇ ◇

 その後彼女は自殺未遂や麻薬などあらゆる人間の闇を抱え込んだ。母親はそんな彼女を見て嘆き悲しみ、父親はただ黙っているだけだった。

 ◇ ◇ ◇

 友人に裏切られ、ゆかりのまだ未熟な心は閉ざされた。そしてその彼女に転機が訪れたのはそう先のことではなかった。
「ねえ君」
 如何にも胡散臭い男がゆかりに話しかけてきた。背は低く、ゆかりと同じくらいの上背で小太りの彼は黒いサングラスをかけて黒いロングコートを着込んだ怪しい者だった。
「・・・・?」
 暗い表情で買い物帰りのゆかりは男の方を振り向く。アップにまとめていた髪は艶を失い、そのまま垂らしていた。
「この前の事件について、ちょっと」
 ああ、またか。
 ゆかりはため息を隠そうともせず不機嫌を露にする。メイクの施していない浅黒い顔で思い切り睨むと、相手の男は「へへへ」と頭をかいてゆかりの前にやってきた。この所、この質問ばかりだ。先日ゆかりの家の近所で強盗殺人事件があり、その事で記者からの質問があとを絶たないのだ。
「今忙しいんです」
 手入れしていない髪をいじってゆかりは冷たく言い放つ。とても19歳の少女の表情ではなかった。
「いやいや、少しだけ。ね?」
 馴れ馴れしく言って手を合わせる男は笑う。前歯が二本とも金歯だった。何となく金歯を見ながらゆかりは黙っている。
「・・・どちらの記者の方ですか」
 ゆかりは仕方なく路肩の方へ寄り、腕を組んだ。買い物袋を下においてまっすぐに男を見る。
「ああ、ボクは柳原敏次っていうんだ。どちらの記者といわれてもねぇ・・ボクはフリージャーナリストだから」
「フリージャーナリスト?」
 ゆかりは疑問符を浮かべた。その単語に覚えがなかったから。
 フリーのジャーナリストって言うくらいだから・・・会社に勤めていない記者のことかしら・・・。
 ゆかりはそんな事を考えて、事件のことを思い出して顔色を悪くする。男、柳原はゆかりの様子には気付かず、手帳とペンを取り出した。
「で、被害者のおばあちゃんのことは知ってたの?」
 いきなりの本題にゆかりは顔を上げる。まだ自分の名前も名乗っていないにも関わらず喋りだした柳原に彼女は不審とは違った感情を持っていた。
(記事のためなら他の事はどうでもいいんだ・・・いい記事が書けるならそれで・・・すごいなあ)
 ゆかりはぼうっとしながらも柳原の質問には答えて、彼を感心の眼差しで見ていた。
「そうか・・・うーん、じゃあズバリ!君が犯人じゃない?」
「・・・は!?」
 それまでの考えが瞬時にしてかき消え、ゆかりは現実に戻った。
 この男、今、何と言ったの?
「あらら。違うみたいだね。その反応は犯人には出来ないものだ。うん」
 1人納得して柳原はうなづく。ゆかりは呆然と彼を見つめた。こんな方法を考え、そして実践してみせる柳原は一体どのような人物なのか。
「じゃあ手間取らせちゃって悪いね。今度奢るよー」
 名前も住所も聞いていない相手にどう奢るというのか。ゆかりは風のように出てきて風のように去って行った男の影に向かって、呟いた。
「フリー・・・ジャーナリスト・・・」
 何故か心臓が、早鐘を打っている。

 その日から三日後、ゆかりはテレビで信じられないものを見た。あの強盗殺人事件が、解決したというのだ。しかも解決したのは1人の新聞記者。名前や人相はでてこなかったが、ゆかりは確信していた。
 柳原敏次。
 フリージャーナリスト。
 とんでもない捜査方法。
 ゆかりの中の何かが、確かに頭をもたげた瞬間だった。

 その結果彼女は、今の仕事に就いて、事件を独自に追うフリージャーナリストの道を選んで今に至る。
 柳原が何者なのか彼女は知らないが、先ほど会ったばかりのこの男、桐崎リュウには柳原と似通った何かを彼女は感じ取ったのかもしれない。

後書き

どろどろです。
今回の話は自分も書いてて暗くなりました。
人間の闇。第二話の紹介文で書いた言葉がこの話のどこかに出てきています。

>>冬野燕(←漢字合ってますか?間違ってたらごめんなさい)さん、コメントありがとうございます。前回のゆかりの独白の説明が、今回出来たと思います。そして漫画とは・・・ノートの方です。

この小説について

タイトル ゆかり
初版 2006年12月10日
改訂 2006年12月11日
小説ID 1050
閲覧数 787
合計★ 7
トリニティの写真
作家名 ★トリニティ
作家ID 95
投稿数 123
★の数 517
活動度 25049
文と音楽と絵と食事を大事にする南部人

コメント (2)

★シェリングフォード 2006年12月10日 22時36分03秒
 ども! 初めまして!! トリニティさん同様、推理小説を書いているシェリングフォード、またはシェリーと名乗っているものです。
 最近は推理小説を書く人が増えてきて、とても嬉しい限りです。ホントはもっと早い段階でコメントを差し上げたかったのですが、遅くなってしまいました。スミマセンorz

 ですので今回は、三話分のコメントをしたいと思います。多少辛口かもしれませんが、あまり気にしないで下さい。

 まずは第一話。桐崎とゆかりが出会うシーンなのですが、ちょっと不自然かなと。弓射りさんがおっしゃるようにもうちょっとインパクトを与えるべきかなと思いました。
 
 第二話は謎の部分なのですが、これは面白いなぁと思いました。特に本のタイトルで几帳面と判断するのは、良い演出だったと思います。そして、いよいよ謎が解き明かされるな、と思った矢先のこの第三話。

 個人的にはここで持ってくるべきではなかったなぁと思います。話の内容はとても魅力的で、ゆかりの闇を垣間見えるとても重要な話だと感じましたが、だからこそ、ここでやるべき話ではなかったんじゃないかと思います。前回の話を終えてからやるか、本編で語れば、この話はよりいっそう光ったと思うので個人的に残念です。

 ただこの物語は推理マニアちしても、とても魅力ある作品だと思うので、このコメントにめげずに頑張って下さい。次の桐崎の推理を楽しみにしながら、次回を待ちたいと思います。それでは〜ノシ

 P.S. 
 僕のイメージは桐崎は「L」。ゆかりは女版「浅見光彦」ですね。浅見光彦。御存知でしょうか?
★冬野 燕 2006年12月13日 23時08分27秒
 時間帯的にこんばんわ。

 ゆかりの辛い体験、苦しい社会の仕組みに翻弄される様が強く描かれていて良かったと思います。
 きっかけとなるには十分すぎる動機ですね! 前回の失礼な発言の数々、訂正しなければ……。消しゴムで。

 タイミングがどうとかは分からないですけど、個人的に実に良い出来だと思います。
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