URGENT - 前編:「発生」

 タクシー運転手という職業は、疲れる仕事だ。来年で三十路を迎えてしまう俺もそろそろ仕事開けの風呂が板につく人間になってしまった。
 だが発見もある。毎日違う人間を後ろに乗せてると、色々悟るもんだ。この世に溢れる人間というものは本当に頭の構造が違う。
 無口な奴、とかく喋りたがる奴、酔った奴、カタギには見えない奴。
 そして、こいつ。

「だから俺はそいつの頭を巨大レンチでぶん殴ってやったんだ」
「そうなんですか」

 酔ったようには見えない。だが正気にも見えない。強いて言えば、小学生だ。小学生の子どもが自慢話を一生懸命友達に話している。
 ネクタイを締めているから社会人なのだろう。臙脂色のそれは結構な上流とみたがどうもそんな雰囲気でもない。
 妙な奴を乗せてしまったなと、思う間もなくそいつはまくし立てている。
 こちらが聞いているか否かは彼にとって問題でないのだろう。簡単な相槌程度の返事でも満足しながら喋っていた。

「そしたらその野郎、一目散に逃げやがってよ。まさに俺の大勝利というやつだ」
「そうですね」

 喧嘩の話だったのか。どこに巨大レンチがあったのやら。石油採掘場に居たのか? それとも偶然そこにレンチがあったのか。
 目の前の車のナンバーを見ながら静かに嘆息する俺は右手で帽子を被りなおす。
 バックミラーで背後の顔を見る気にもなれず、信号が変わるのを待った。

「よし」

 信号が変わった。ミッションを変換してアクセルを踏む。この動作はほとんど意識していないが、後ろのかすかな声に俺の耳は対応しなかった。
 一定速度に達したところでハンドルを握りなおす。
 目的地まであと30キロといったところだ。この進み具合なら40分で着く。

「電磁影響網を突破した。これより通常交信モードに移行する」
「は?」

 耳慣れない言葉に、思わず聞き返したが後部座席に乗る奴はその後も意味不明の単語を織り交ぜて喋っている。
 バックミラーで見てみると耳から何かが伸びていた。
 正しくは小型の通信機のようなもの。よくテレビクルーが装着してるような装置だ。そいつは、そのマイクに向かって話している。相手の声が聞こえないのはイヤホンをしているからだろう。
 
「確かに発信機は死んだんだな? ああ。ああ……オーケー。分かった」

 さっきまでの子どもはどこに行ったのか、奴の話しぶりはまるで何かの映画だ。
 困惑するしかない俺はただ車を運転しているだけだ。目的地に、向かって。

「随時交信モードに切り替えた。これから協力者に話をつける」

 協力者だと? 協力者は、この場合俺しかいない。信号がまた赤だ。仕方なくブレーキを踏もうとしたが、背後で叫び声があがる。

「やめろ止めるな! そのままのスピードでいいから走り続けてくれ」
「し、しかしお客様」
「金なら払うから。頼む」

 そう言われても、道路交通法違反は結構な罰金を取られる。事故をしたらそれこそ大事だ。前科持ちにはなりたくないし、第一この仕事をやめたくもない。
 乗せた客に信号無視しろといわれ、渋々ながら「一度やってみたかったんだ」と言うのはそれこそ映画の中だけだ。
 20代最後の年にこんな災難に巻き込まれる罰当たりなことをした覚えはないぞ。
 だが。
 
「頼む」

 他の車から注がれる視線が痛い。
 タクシーが信号無視か? そんな心の声が聞こえてきそうだ。ああ、見ないことにしよう。

「頼むから」
「私はただの……う、運転手ですよ」
「ああ。知ってるよ」

 どうする。どうする。迷っているうちにとうとう信号を超えてしまった。歩行者が驚いてこちらを見ている。目を逸らした。
 
「助かる」
「私知りませんからね!」

 半ば悲鳴のように叫んだ拍子に、前から車が走りこんでくる。すんでのところで相手がかわし、こちらは事なきを得たが相手はガードレールに突っ込んでいた。
 謝りながらそちらを見ているともう一台、前から車が来る。前から来るということはここは反対車線だ。

「う、うあぁっ」

 呻きながらハンドルを回そうとするが、正常な車線に入る隙間はない。かといってこのまま対向車線寄りに走っていても危険なだけだ。
 思い切りハンドルを切った判断は最悪なものだった。
 いつか映画で見たことのある光景。何だったかは思い出せないが、確かアニメだった気がする。
 
「あんた冴えてるな! 歩道に乗り上げればマグナも反応しない」
「マグマっ? 危な、うわっ」

 間一髪で前から飛びのいていく人々は驚きと怒りの表情でこちらを見ているが、背後の男は歓喜の声を上げていた。
 何故俺はこんなことに巻き込まれてる。さっきまでただの運転手だったのに、今や暴走車の運転手だ。
 減俸どころの話じゃない。それもこれも奴が悪い。

「あ、あんた何者なんだよ! それよりこの車、やるから俺を降ろしてくれ!」

 叫びながら運転していくが、そのうち騒ぎを知った人々が俺の運転する車の前から事前にどいていく。
 ガラガラになった歩道を50キロで走るタクシー。そのうちパトカーのサイレンが聞こえてくるはずだ。
 そうなったら俺は助かるのか? 終わるのか? 

「悪いが詳しく説明している暇はない。俺もあんたを降ろしてやりたいが、色々やることがあるんでな」
「そっちの事情だろ! 俺は一般市民なんだ」
「だから悪いと言って、うわっ」

 狭い歩道だ。どこかにぶつけるなと言うほうが難しい。車体のあちこちが削ぎ落とされるような衝撃と、あながち比喩でもない破壊が起こっている。
 このままではいつ事故を起こしてこちらが車に潰されるか分からないわけだが、今まさに壁にぶつかったところだ。
 
「マグナには捕まらないが……っ、これじゃいつ死ぬか分からないぞ」
「じゃああんたが運転しろよっ」

 俺の混乱しきった頭ではそう叫ぶのが精一杯で、マグナがどうだとか奴が誰だとかいう思考はまるで生まれない。
 これは恐らく正常な反応なのだろう。窮地に陥るほど人間は冷静になると昔聴いたことがある。俺は今冷静か? いや、多分全然違う。
 冷静ならこんな奴を乗せて歩道を50キロで走ってはいない。
 周囲を見回す余裕はないが、きっと迷惑そうな顔をしているのだろう。所々街を破壊していく暴走タクシー。
 今日の夕刊に載るだろうな。

「車道に出るのも危険だが、ここも危険だな。マグナ覚悟で戻るか……あんた、どっちがいい?」

 どっちがいいだと?

「そもそもマグナっていうのは何なんですか!」

 大憲章のこと、ではないよな。ハンドルを切って街路樹を避けた俺はマグナ・カルタを脳内から消した。
 すでに白手袋の中の素手は汗で濡れている。春先だというのに体感温度は大分高い。さもありなん、これほど切迫した状況なのだ。
 
「敵方のレーダーだ」
「なっ、そんな、走るのはこの車だけじゃ、ぁああ!」

 一瞬バックミラーを見ると、背後に車がついていた。黒塗りのセダン。ここは歩道であり、歩道とは本来車が通る場所ではないということは世界の常識であるはずだ。
 だというのに何故かこのタクシー以外にも歩道を驀進する車があるのはどういうことだろうか。
 更にはその車から身を乗り出している人物が構えているものは、映画の中で散々見てきたものだ。胃のあたりがスッと冷えるような感覚。
 俺の表情を見た後ろの男が振り返った。前を見て運転するだけで精一杯の俺は少しだけ速度を下げる。

「マグナは踏んでないはずだが」
「レーダーはあんたに反応するのか?」
「俺じゃない、いや俺ではあるんだが……」

 パァン! と乾いた音がした。一瞬、何が起こったか全く分からなかったがすぐに覚醒する。耳に残る発砲音とは少し違う気がするが、恐らく間違いはない。
 奴らは拳銃を構え、こちらに向かって撃っているのだ。

「何であいつら! 銃刀法違反だろう」
「ちっ、ここじゃ動きが取りにくいな。車道に出てくれ!」
「無茶言うなよっ」

 今車道に出るのは命知らずという次元を通り越している。幾ら日本とはいえ暴走する車が走るほど車道は平和ではないのだ。
 それなのに。車道に出ろと。

「いいから! 撃たれたいのかあんた」
「俺たちが車道に出ても追って来るでしょう! そしたら全ての車が巻き来れるだろっ」
「周りを見ろ」

 言われたとおり、横目で見ると車は一台も無い。愕然とするとはこのことだ。何故かは分からないが、確かに一台も通っていない。
 そして更には人さえもいなかった。平日の正午とはいえ、それは非常事態だといえる。人のいなくなった町並みほど異様なものはなく、こんなときでもその薄気味悪さを感じた。
 そのとき肩を叩かれ、現実に戻される。

「車道に出てくれ、とにかく」
「わ、分かった」
「出たら窓を破るが許してくれ」
「それは困りますよ! タクシーって意外に高いんですからね! その弁償させられたら俺はおろか両親は破産し」
「金は払うって言ってるだろうが!」

 押し問答を一通り繰り返し、俺は舌打ちをしてブレーキを踏む。同時にハンドルを思い切り右に切って方向転換した。
 素人のドリフトでまけるとは思えないが、重力を感じながら車道に出た。だが、予想していた窓ガラスの割れる音がしない。
 バックミラーを見ると足が見える。あの野郎、さっきの動きで転げたのか。
 FBIのくせに。いや、FBIかどうかは知らないが。

「おいあんた!」

 呼びかけても呻き声しか聞こえない。車道に出ろと言ったのはこの男なのに、何故こいつが伸びているんだ。
 音を聞く限り相手も追ってきているのが分かる。このまま逃げ続けるのか? 警察は何をしているんだと思いもしたが、今は警察にも来て欲しくない。
 器物破損罪で捕まるだろうから。
 メーターを見ると燃料は満タンに近かった。喜んでいいのか悲しんでいいのか微妙なところだが、一応まだ逃げる気力はこの車にもあるということだ。
 俺もこいつも、ただのタクシーだっていうのに。
 
「くそっ」

 悪態をつくと車外から大きな声が聞こえた。見ると追っ手の車が真横にある。しかも黒い物体を構えていた。
 間違いなくそれは拳銃で、その銃口は俺に向けられている。
 撃たれる、と思った瞬間、足が勝手にアクセルを踏んでいた。
 慣性で頭がシートに叩きつけられ、帽子が吹っ飛んだが気にせずアクセルを踏み倒す。一般の車道で100キロを超えたということはスピード違反にもなったということだ。
 暴走運転に器物破損、更にはスピード違反。立派な犯罪者になってしまった。

「車を止めろ」
「なにっ?」

 妙に冷静な声が真横から聞こえる。サングラスをかけた男で、手には銃を握っている。その向こうに車を運転している男がおり、後部座席は見えない。
 しかし真横にいながら俺を撃たないのはどうしてだ?

「車を止めるんだ」
「何だって!? 聞こえない!」
「車を! 止めろ!」
「いや、止めるんじゃない」

 やっと耳慣れた声が応答した。転げていた男が起き上がったのだ。

「そのまま走るんだ」
「でもこのままじゃ」
「おい! 聞こえてるだろ! 車を!」
「うるさい!」
「そっちの窓閉まってるでしょうっ」

 制限速度40キロの場所で100キロ出している二台の車は、風の抵抗もあり互いの声が聞こえない。
 何の影響かは知らないが他の車も人間も消えてしまった街中ではあるが、大声で話さなければ掻き消えてしまう。
 真横にいる後部の男の敵という奴らは銃を片手で持って何やらまくし立てていた。何を言っているか分からないが、恐らくは止めろだの降りろだのと叫んでいるのだろう。
 降りたら撃たれないという確信もないのに、車を止めることなどできようはずもなく俺はスピードを緩めずに車を走らせる。

「ど、どうするんだ」

 上方に見える信号機は、青が点滅した状態になっている。その先に見える信号機も、青だ。俺がメーターを見ていると、後ろで鋭い音が響く。間違いない。奴が窓ガラスを割った音だ。
 バックミラーを見ると足を車内に戻しているところ。
 俺の車が!

「車体を揺らすなよ」
「えっ」

 奴は言うと俺の返事を待たずに車中から身を乗り出していた。慌ててロックを確認し、後部座席の鍵はしっかりとかかっていることを確かめる。
 そのとき、乾いた音が二度響いた。驚いて思わず身が跳ね、ハンドルが僅かに右にずれる。
 ビタ寄せとまではいかないものの、互いの車間はそれほど長いものではない。俺のハンドル操作でそれが縮まり、奴はバランスを崩してセダンの後部窓ガラスにぶちあたった。
 音のみでそれを悟った俺はハンドルを左に切る。その連動でアクセルから徐々に足を離し、スピードを緩めた。

「大丈夫か!」
「ああ」

 60キロにまで落とすと、セダンがすぐに前方を塞ごうと近づいてくる。その際はっきりとナンバーを認め、俺はその数字を脳に焼付けた。
 何のためになるかは分からないが。奴らは少しずつスピードを落とし、こちらが必然的に止まるように仕向けてくる。俺はバックミラーを覗き、後ろの顔を見た。
 奴は冷静な中にも歯がゆさを押し出したような表情で黒塗りのセダンを見つめている。視線を前方に戻し、どうするか考えているとジャカッというポンプ音が俺の耳に届いた。
 再びバックミラーに目を戻すと、奴が一際大きな武器を構えている。
 軍でも使いそうに無い、重厚なデザイン。正式な名は知らないが、とりあえず武器狂いの革命家が持っていそうな銃だ。

「だぁっ」
「わぁあ!」

 気合の掛け声らしきものとともに奴が左の窓ガラスも破った。今回は銃を使ったらしい。そのまま乗り出し、恐らく銃を構えたのであろう。セダンが慌てて右に避けた。
 その瞬間、車体の天井部分がボワンと音を立てる。ハンドルをがっちりと握って精神的な焦りに耐えながら俺は再びスピードを上げた。
 バックミラーに移る奴のベルトのバックルに見覚えのあるマークを、ちらりと見た。何だったかを思い出す暇もなく、第二撃を打ち込んだ男は急いで車中に戻る。
 
「まだまだスピードを上げてくれ。奴らをまくんだ」
「そうは言ってもね! あいつら銃を持ってんですよ。撃たれたら終わりだっ」
「後ろにいても前にいても危険なのは同じだ! なら前にいるほうがいいだろ」
「そ、そうですかね……?」

 俺のような常人には分からない根拠を言い放ち、奴は再び右の窓から身を乗り出す。
 破るなら開ければよかったのではないかと今更のように思ったが、すでに遅い。俺は言われたままにアクセルを踏み、90キロまで上げた。
 すでにこの男が乗ってきてから大分進んだだろう。30分ほどしか経っていないが、20キロは軽く超えているはずだ。
 何だって俺は許容しているんだ。この車だって会社のもので、俺のものではない。乗り捨てて逃げればあるいは何事も無かったかのような生活が待っていたかもしれないというのに。
 後悔先に立たずとは言うが、この状況ではどうだろうか。相手もまだ撃っていない。


 逃げられる機会は、あるのではないのか。





後書き

後編で書きます。

この小説について

タイトル 前編:「発生」
初版 2008年3月23日
改訂 2008年3月23日
小説ID 1952
閲覧数 1007
合計★ 4
トリニティの写真
作家名 ★トリニティ
作家ID 95
投稿数 123
★の数 498
活動度 25049
文と音楽と絵と食事を大事にする南部人

コメント (2)

★水原ぶよよ 2008年3月24日 10時51分53秒
コメント(前編) 携帯でアクセスしたとき見つけたので読みました。
辛口コメントしちゃろとか思って(←嫌なやつ)読んだら、出だしからけっこう興味をそそられました。
パケ代がやばいので、続きはうちに帰ってから読ませて頂きました。
この変な客を乗せたのは昼なのか夜なのか、なんの描写もなく勝手に夜と想像してたのですがそうでもないようですね。
最近SFやらファンタジー、恋愛ものの投稿が多い中、非常に楽しめました。
残りのコメントは・・・・後編で書きますw
★トリニティ コメントのみ 2008年3月26日 12時45分29秒
コメントありがとうございます。

辛口コメント、ぶよよさんの辛口だったら、怖い怖いw
でも興味を抱いていただいたようで嬉しいです。
あ、そういえば昼夜の描写を書き忘れて……なんてことでしょうか。やっぱり先走る傾向があるようです。ご指摘ありがとうございます。
楽しんでいただけたようで光栄です。久しぶりに動きのあるものを書いた気がします;
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