ブルーフリクション - 第二章◆.ル

マーシーは本当に中身が見えない男だ。
 
 肌の白いスキンヘッドには一遍の皺もなく、凸凹のない丸い頭があまりに整い過ぎていることで、刺青を彫ったギャング風の男達とはまた違った特有の威圧感を持っていた。歳はおそらく三十歳くらいだろう。耳には毎日違ったピアスが二つずつ付けられている。今日は銀色だ。ぼくはマーシーに憧れ、同じくピアス穴を四つ開けたという経歴がある。まるで子供が大人の真似をするように。

 ただマーシーの場合、口にもピアスが二つ、そして左まぶたに錠を掛けているかのように赤いピアスが三つ付けられ、左目が開かない状態になっている。その顔を一瞬でも見るだけで、ぼくはいつも、自分よりはるかに格上の人間だと認識せざるを得ない。

「なあ、お前のその十字架の真ん中の宝石さ、ぺリドットか?」
「ぺリドット?」
「その黄緑の丸いやつだよ、知らねえのか?」
「ぺリドットは知ってたさ」ぼくは口ごもった。ぺリドットは知っている。この言葉に嘘はない。だけど、ぼくのペンダントに填められている宝石がそれだったというのは、今初めて知った事だった。ぼくは棚から読む気もないブックファーストのカバーがかかった本を一冊取り出し、何とはなしに眺めていた。

マーシーの読む本とは、一体どんな本があるのか気になっていた時期があったが、一度、何故か必要だった勇気を出して取ってみたら、妙に失望した事を思い出した。その時取ったのは、普通の『ダ・ヴィンチ・コード』だったのだ。今取り出した本も、何でもないただの『太陽の季節』だった。なんだまたか、とため息を吐きそうになったが、いま、ぼくが口ごもってからマーシーが一言もしゃべらないことが恐ろしくなり、喉の奥で留めた。ぼくの中の「皇帝」も、息を潜めて動かない。

 ぼくが人差し指で唇を引っ掻きながら黙っているあいだ、マーシーは延々とぺリドットの説明をしていた。上の空になっているぼくに対し、妙な抑揚もつけながら、とても詳細な講義をしていた、と思う。こんな事は口が裂けてもいえないのだが、宝石についての説明なんてゴキブリの胃袋の中と同じくらい興味がない。だから適当な相槌を打ちながら、マーシーの口から流れてくる全ての言葉を右から左へ受け流したのだった。最善の行動だとは到底思えなかったが、「皇帝」は魔王マーシーの前にひれ伏していたので、他にどうすることも出来なかった。やはり、マーシーには叶わない。

「――似合ってるよな、それ」
「え…?」

 急に我に返ったぼくの全身に電撃が走った。いまの話聞いてたか、なんて感じのことを聞かれた、つまり自分の命が危険に晒される質問でも受けたのかと思ったのだ。もし本当にそうだったなら、ぼくはきっと何も答えられない。そしてそのままマーシーの手が自分の首に回されるのを見ている…―― 一秒足らずのうちに、そんな妄想が頭を支配した。そのせいで勝手に頭が混乱し、マーシーの言葉を処理するのに数秒かかった。まるでコンピューターみたいな頭の自分が嫌になった。それと同時に、なぜかマーシーの脳に対して嫉妬が沸き起こっていた。

自分の命が助かったというのに、どうしてこうもゴミみたいな感情に振り回されるのだろう。他の人間にはこんな事は感じない。ここ数年はほとんど優越感しか感じたことがない。それは「皇帝」の独壇場だ。だが今、ここ「皇帝」が意図も簡単にひれ伏す存在がいる。人間のトップを越える存在、すなわち神。マーシーはやっぱり神なのかもしれない。

「お前はその宝石が一番似合う」
「そうかな」
「黄緑がいいよお前には」
「はあ…」
「自分ではどう思う」
「自分では…」

 思いがけない質問だった。

「よく、分からないな」
「どうしてだ?」
「オレはさ、ただテキトーにジュエリーショップうろついて、なんかこれいいなって思ったから買ってみただけで、このペンダントに関して何の感情も持っていないんだよね。もちろん宝石にもさ。これを自分のものにしたい、っていう本能的な衝動だけで首にかけている感じなんだよ」

「本当にそうか?」
「そうさ」
「本当に本能だけでそれを手に入れたのなら、お前はそれに対してなんで金を払ったんだ?」
「それは…当然じゃないのか」
「いや違うな。金を払うほど、お前にはそれを売っている相手に対してある種の敬意を持っていた。そうでなけりゃ、ガラスを突き破って取ろうとしてたはずだぜ。たとえそれが不可能でもな。本能で動くってのは、生物においてもっともバカな行動をしたって事だ。お前は人間だぞ。動物で一番頭がいい種として生まれてきたんだ。生まれてきたばっかの赤ん坊ならともかくよ、20越えた大人が、そう簡単に本能だけで動いたりするかっての。お前、家族いるか?」
「いるよ」

 両親が今も東京の外れに住んでいると思う。もう随分連絡を取っていないからよく分からないし、第一興味ない。

「まあ当然か」
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
「お前、孤児になりたくはなかったか?」

 ぼくは呆然として頭が真っ白になった。さすがマーシーだ。何もかも見透かされる。ぼくは黙りこくり、無言で肯定を示した。

「そうじゃないかと思ってたんだよ。だって、お前――」

 その時、突然一階の店のドアが開いた音がした。誰か来た。

「鍵は閉めてなかったのか」
「オレはちゃんと閉めたよ」

ちょっと前に、マーシーから店の合鍵を渡されていた。ぼくは鍵を閉めたことをいつも記憶している。閉め忘れなんて出来るはずがない。

「じゃあダチだな」
「ブラッドかな」
「あいつ今日バイトだろ。夜中まで。まだ来ねえよ」

 とりあえず、二人で一階に降りた。ドアの前に、一人の女が立っていた。
 サングラスを掛け、目立たないグレーのダッフルコートに、黒いジーンズを穿いている。分かり辛い見た目だが、口紅は塗っていて、そこだけ鮮やかな赤色なので妙に際立っている。

「ひっさしぶりね、マーシー」
「何だ、サナエじゃねえか。おどかすなよな」

 サナエと呼ばれた女はサングラスを取り、ぼくの方を向いた。

「あなたと会うのは初めてね。サナエ・グロリアよ。よろしく」

 グロリア。明らかな偽名だ。どう見ても日本人の顔だ。サナエはにこやかに微笑みながら右手を差し出した。きびきびとした動きだった。一体この女は何者だろう、疑念が渦巻いたままサナエの手をぎこちなく握った。橙色の空には少し雨雲がかかり、遠くでカラスが鳴いていた。

後書き

ご感想&アドバイスお待ちしています。

ではまた。

この小説について

タイトル 第二章◆.ル
初版 2009年1月27日
改訂 2009年2月2日
小説ID 2970
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奈津子の写真
熟練
作家名 ★奈津子
作家ID 384
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活動度 1914

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