ブルーフリクション - 第二章 ガル 2

 サナエは二階に上がるやいなや、特徴があまりないマーシーの部屋を「殺風景な部屋ね」と一蹴した。あぐらをかいて座っていたぼくははらはらした。初めて見る人殺しの瞬間に立ち会う事になるとは。
 
 ところが、マーシーはそれに答えず、冷蔵庫の方へ向かい「コーヒー飲むか?」とサナエに聞いた。どうやら勝手な妄想を膨らませただけだったらしい。思っていたより悔しさを感じて小さく唇を噛んだ。

「いいよそんなの。用が終わったらすぐ帰るからさ」

随分と砕けた口調だ。もしかしたらマーシーの女だろうか。そう思うと急に居心地が悪くなり、静かに立ち上がろうとした。すると、サナエが制してきた。

「いいよいいよ帰んなくて。あたし別にマーシーのこれじゃないよ」

 そう言うとサナエは小指を立てて笑い、マーシーと何気ない世間話を始めた。

 間に座ったぼくはさらに居心地の悪さを感じた。マーシーの前で否定するのだから、それはきっと事実なのだろう。だが、彼らの話しぶりは、砕けているが妙に穏やかで、マーシーはピアッシングをした男とは思えない雰囲気を作っている。ぼくと居るときとは全然違う、熟年の夫婦のようだった。

その途端に「皇帝」が暴れだした。嫉妬に駆られ、剣を乱暴に振り回している。瞳は怒りに燃え、殺気を漲らせてサナエに突進しようとしている。駄目だ。何とか「皇帝」を自制しようとしたが、何とか突進を止められただけで、まだジタバタしている。こんなところでお前に体を乗っ取られてたまるかよ、マーシーの神の鉄槌が下るぜ。マーシー、そう頭に浮かんだ途端、皇帝は突然青菜に塩をかけるがごとくおとなしくなった。大丈夫だ。マーシーがいる限り、ぼくは衝動が抑えられる。「皇帝」の出る幕は、家に女を連れ込んで「喰う」時以外に与えない。

「――うーんあたしは黒人より白人のほうがいいなあ。黒人って頭悪くてどうも苦手なのよね」
「おいおい、そりゃ人種差別だろーがお前、『ダヴィデ』でDJやってるボナがバカに見えるかよ」
「あいつは別格よ。黒人最高のクレバーよ。でも他の奴らはみんなダメね」
「そうでもねーよ、なあ?」

 マーシーがぼくの方に視線を向けた。とりあえず、存在は認知してくれていたらしい。サナエのは「あ、もう一人居たんだ」という感じの表情でぼくを見た。高校時代よく見たことがある表情だ。「よそ者」に対する、少し軽蔑が含まれた表情。

「ああゴメンそうだったね。勝手に引き留めて勝手に話し込んで、あんたをこのまま引き留めておくのも悪いから、さっさと本題に入りましょう」

 ぼくはさり気なく壁の時計を見た。もうすでに十分も経っている。十分に悪いことをした。

 サナエは体の中心をぼくとマーシーの間に移した。

「今回、ある人の情報収集を頼まれたのよ。マーシーは知っているけれど、あんたは初めてだから説明するわね。あたしは『情報屋』っていう世にも奇特な仕事をしていて、依頼人から金をぶんどって稼いでるのよ。」
「ぼくを引き留めたのは何故ですか」

 ぶっきらぼうに聞いた。

「何故って、そりゃ協力してもらうために決まってんじゃない」

 サナエはおどけた。ぼくが少しイラついているのを楽しんでいる風でもあった。

「誰の情報です?」

 サナエはマーシーを一瞥し、一呼吸置いて答えた。

「風俗嬢兼AV女優の、川澄亜矢子よ」

 ぼくは驚愕し、口をぽかんと開けたまま黙っていた。川澄亜矢子の情報を?何でこの女が?マーシーは特に驚かなかったようで、ポーカーフェイスを保っていた。。

「どうやら、何か知っているみたいだけど」
「当たり前です。高校の同級生でしたから」

 サナエは目を丸くした。

「あんたが?」
「そうです。それに、最近見たこともあります」

 なるべく動揺を見せないようにして話したつもりだ。だが、あまりに落ち着いていると逆に怪しまれる。加減が難しいところだ。

「どこで会ったの」
「高校の同窓会です」
「へえ。今回はマーシーよりも頼りになりそうね」

 そう言ってマーシーにウインクをすると、ぼくの方に身を乗り出して話し始めた。どうやら想像以上に面倒なことになったみたいだ。換気扇の音がブーブーとうるさく耳を攻撃する。とにかく落ち着け、ここは落ち着くしかない。ぼくは呪文のように念じ続けた。

あの女に生きてる価値なんてなかった、カメラの前で汚くて汗臭い男どもにたかられ性交され、風俗嬢にまで堕ち、この世の底辺で生きていた女だ。アンデンティティなんて微塵もない、いつ死んでもいい人間だった。ぼくがあいつの首を絞めていたときだって、全然苦しそうな顔をしていなかったじゃないか。目が死んだ魚のように虚ろで、口元が笑っているように見えた。崖の下に落ちるところまで落ち、悟りきったような顔だった。今まで殺した女の中で、一番退屈な反応をしたが、ぼくは悪い事をしたわけじゃない。むしろ善行を働いた救いの神だったはずだ。動揺する理由がどこにある。
…いや、悪い事?いったいぼくの言う「悪い事」とは何だ?人を殺すのが悪い事か?いや、ん…よく分からない。こんがらがってきた。もうそれ以上深く考えたくない。




「サンキューねガル。また何か分かったら連絡してね。これあたしの名刺」

 サナエはコートの左ポケットから一枚の紙を取り出し、ポイ捨てをするようにぼくの前に放った。

「おいサナエ、これ免許証のコピーじゃねーかよ。こんなの、渡していいのか?」
「いいよ別に。大した事じゃないし。それにあたし、誰のダチだと思ってんのよ」

 それもそうだ。

「じゃあたしこれで帰るね。これで報酬たっぷり貰えるわ」

 サナエはプレゼントを貰った子供のように愉快そうな顔で立ち上がり、コートを羽織った。ぼくは何だか嫌な予感がしていた。ぼくを止めたのは本当に情報収集だけか?情報屋なんて聞いた事がない。私服刑事じゃないだろうか。そうすると、マーシーも一枚噛んでいるかもしれない。そしたら…ぼくはどうすればいいんだ。

「お前、なんか飲むか?」

マーシーがぼくに聞いてきたが、断った。

サナエがハンドバッグを持って一階へ降りようとすると、そのバッグからケータイの着信音が響いた。サナエの顔に一瞬、影が射したように見えた。

「あ…誰よ…なんだ」

 ケータイの画面を見てホッとしたような表情を浮かべた。

「もしもし、どうしたの?………ふーんわかった、…いいよあたしの事は、外で食べてくるからさ……はあ!?なわけないでしょ。仕事帰りよただの……ヨケーなお世話ね!あんたこそさっさといい男見つけてその家出てったら?あたしも楽になるしね……ああ何でもいいわよ。肉じゃがとかの残りが冷蔵庫に入ってるからさ、それ優先に食ってね。…そうそう、んじゃ終わり?一応仕事中なのよ……しつっこいわね!」

 どうでもいい会話なのに、つい耳を傾けて聞いてしまった。この女が刑事かもしれない、そんな疑念が渦巻いていたから、だろうか。まあとにもかくにもどうでもいい会話だった。高校のときは気にも留めなかっただろう。

「妹か」
「そ。早く結婚しろ結婚しろってうるさいのよね。そんなことしたら仕事が続けられなくなるっつーの」

 何気ない会話だ。だが真意はどうだ。あの会話は全て隠語かもしれない。今のマーシーとの会話も…やめろ!落ち着け。お前の動揺が見て取れるぞ。落ち着け「皇帝」、今は黙ってくれ――

 急に、サナエが手をポン、と叩いた。

「おっと、思い出した」

 コートのポケットを探っている。まさか警察手帳じゃないかと勘ぐったが、それなら最初に出すはずだからあり得ない。情報屋だと嘘を吐いて取り調べたことにもなる。

 固い床の上に放り投げられたのは、二枚の名刺だった。両方とも同じ顔写真が映っている。痩せてすらりとした顔立ちに切れ長の目、細い鼻に色の薄い唇……花山カオリだ。顔を見ただけで殺したくなるほど「皇帝」を怒らせる女。あの女が川澄亜矢子に配っていた名刺と同じだ。

「依頼主がね、誰彼構わず配ってくれって言ってんのよ。何か困った事があったらそこに連絡してね。結構安いわよ」

「おい、お前一人で来たんだろ」
マーシーが質問した。
「そうだけど?」
 サナエが小首を傾げた。

「いやさ、最近アブねーからよここら辺、誰か連れて来るほうがいいぜ」
「あたし大丈夫だよ」
「とにかく、誰か連れて来いよ」

マーシーの顔から何かを察したらしく、サナエは納得したようだった。

「わかった」 サナエは後ろを振り向いて手を挙げた。 「そうする」

その後もマーシーとサナエは少し言葉を交わしていたが、ほとんど聞き取れなかった。「皇帝」のはらわたが煮えくり返り、ぼくの耳を塞いでいた。畜生。あの女がサナエをここに呼んだんだな。ストーカーのゲスクソアマめ!あんな奴、オレが目をくり抜いて、削いだ耳を突っ込み、両手をちぎって口にぶち込んで、臓器は全部食い散らかして、生きたまま全裸で電子レンジに詰め込んで殺してやる……。

 いつの間にかサナエは帰ったようで、マーシーが玄関から戻ってきた。ぼくは見送りにも行かなかったが、何も言われなかったようで安心した。

「面白い女だろ、あいつ」

 ぼくは黙っていた。

「そうでもなかったみたいだな」
「別に…どうでもよかったな」
「そうだろうな」

 やはり見透かされていた。

「オレが『面白い』って言う奴はすっげー少ないんだぜ」
「何人ぐらいだ?」
「そうだな…大体十人もいねえかな」

 十人か…マーシーの友達は多そうだしな、ぼくは十人も友人がいたことがない。今もそうだ。
 
いつの間にか、換気扇の音は聞こえなくなっていた。

「その中に、オレの知ってる奴はいる?」
「ああ、いる」
「誰?」
「お前だ」

 ぼくは一瞬、マーシーが日本語を間違えたのかと思った。意味が分からない。『面白い奴』の一人にぼくがいる。それはマーシーが、ぼくの事を一人前だと認めてくれたということなのだろうか。

 ぼくはマーシーに尋ねた。

「何でぼくなんだ?」
「教えてほしいか?」
「うん」少し恐いが、聞いてみたい。

「似てるんだよな」
「マーシーに?」
「違う」
「じゃあ誰」よく分からない。
「ドン・キホーテだな」

マーシーは笑っていない。

「からかってる?」
「まさか」

 心外だ、という表情をした。マーシーは立ち上がった。

後書き

ご感想&アドバイス等々お待ちしています。

ではまた。

この小説について

タイトル 第二章 ガル 2
初版 2009年2月2日
改訂 2009年2月3日
小説ID 2981
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奈津子の写真
熟練
作家名 ★奈津子
作家ID 384
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活動度 1914

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