怖い話シリーズ - 銭湯にて




    夏……喫茶店のバイトで、全身汗だく……疲れきった体……


    バイト帰り、熱気が充満した道……頭に浮かぶ妄想……


    アパートに到着……自分の部屋、冷やしておいた麦茶……扇風機……
    

    そして……熱いシャワー……熱い風呂……さっぱり……すっきり……今、それが待ち遠しい……


    アパートに到着……ふらつく足で……ドアへと向かう……


    生まれる安心感……こぼれる笑顔……そこに、張られた紙……



     −断水のお知らせ−


      近くの水道管が老朽化のため、一部破損しました。

      大変申し訳ありませんが、水道管の工事をするため、数日間水道を使用することができません。

                  ご了承くださいませ       管理人より





 アパートの壁に大きく、そう書かれている……

静寂の中……僕はその紙を見続けた……
もしかしたら、あまりの疲労と暑さで幻覚を見ているのかもしれない。

そんな馬鹿な話があってたまるか……そんな都合よく断水など……幻覚で、あってくれ!

しかし、幻覚ではなかった……断水の二文字が、大きく、赤い文字で、そこに書かれている……

疲れきった笑顔が、自然とこぼれた……

一体、どんな罰ゲームだ……こんな真夏日に、しかも……よりによって水が使えないとは……

いや、飲料はコンビニで補給すれば良い……作り置きの麦茶もある……

一人暮らしの男が、脱水症状で死ぬことはないだろう……まったく、便利な世の中になったものだ。

しかし、困った……今日は風呂に入りたかったのに……この汗まみれの体で寝るのは、中々きつい……

どこか、シャワーでも浴びれる所はないだろうか……暑さでやられかけた頭で、僕は考えた。

コインシャワーはどうだ……だめだ、この近くにはそんなものはない……

友人に風呂を借りる……無理だ、僕にはそんなことはできない……というか、図々しすぎるだろ。

八方、ふさがりか……このまま汗だくの体で、眠りにつけと言うのか……

溜息でさえ、余計に熱く感じる……麦茶でもあびるか……そんな皮肉しか出てこない。

僕は諦め、自分の部屋へと向かう……数日間、汗だくか……いやだな、何か……

バイトどうしよう……汗臭い男が、喫茶店で接客……笑えない冗談だ。

スプレーで何とかするしかないな……はぁ、不幸だな……僕は……

そう思いながら、僕は部屋のドアノブにかぎを入れる……その時、僕の記憶の中である言葉がよぎった。

それは大学のサークルの先輩から、数か月前に聞いた言葉だった。

「そういえば、知ってるか!実は大学の近くに、銭湯があるんだって。
 今の時代、銭湯とは珍しいよね……大学からスーパーの通りをずっと進むとあるらしいよ!
 だからさぁ、今度行くか!一緒に入ろう!」

「遠慮しときます。僕は家風呂の方が、落ち着くので……だいたい先輩、女性じゃないですか。
 一緒に入れるわけないですよ……勘弁して下さい!」

「大丈夫、大丈夫……私が許すから!有田なら余裕でOKだって……!
 とにかく行くぞ、銭湯に……」


 ……セントウ……せんとう……銭湯……そうだ……銭湯があった。

時間は……十時ちょうど……まだやっているだろうか……正直、微妙な時間帯だ。

しかもあの先輩からの情報だ、何か不安を感じる。

しかし、この際どうでも良い……今この時点で、唯一の希望であることは間違いない。

やっぱり明日の昼……バイト前に入る方が得策だろうか……
いや、今日汗を流して眠らないと……明日のバイトに、絶対響く。

とにかく急いで支度して行ってみよう……時間がない。

僕は部屋に入るとすぐにタオルや着替え、その他シャンプーなどの風呂セットを持ち、
落ちるように下へと降りていった……





 「良かった……まだやっているみたいだ……」

息を切らしながらも、僕は銭湯がある道までたどり着いた。

銭湯がある場所は、二十分程でつける距離に位置している。

最も、継続して走り続けたら十分程で着けたが……

しかし、何とも妙な位置に銭湯があるものだ……都会とは思えない。

回りを見渡すと現代的な建造物よりも、木造の家屋が多い……
少ないとはいえ、木々が所々に生えている。

ちょっとした田舎だな、少しそう思った。

また、銭湯自体……現代風ではなかった……簡単に言うと、
映画やドラマで見る銭湯を思い浮かべて欲しい。

それが、そのまま出てきたかのような風貌なのである……

古いが大衆受けしそうな風貌、湯のマークが大きく描かれているのぼり、
常連さんが桶を持って出てくるような……まさに銭湯という感じなのだ。

ずいぶん年代物の銭湯だな……先輩が興味を持ちそうな感じがする。

しかし、不思議と暖かい感じがした……そこから出る蒸気のせいかもしれないが、
何か自然と笑顔になってしまう……そんな感じ。

ともかく、中に入ってみるか……僕はそう思い、銭湯の扉を開けた。

「こんにちは……まだ、やってますよね?」

扉を開けると、大きな白いのれんがあった……前が見えない。

僕はそののれんをくぐり、再度なかを確認した。

「……いらっしゃい……」

「……こんばんわ、あの……ひょっとして、もう終りですか……」

角刈りで筋肉質の男が、僕のことを睨みつけていた……多分番頭の人だろう。

「……まだやってるが、あと一時間で閉めちまうよ。
 入るんだった、さっと入ってくれ……」

無愛想に番頭はそう言ってきた……

「はい、ありがとうございます……」

愛想が悪過ぎるな……目つきがカタギじゃない……コワ……

気を取り直して、中の様子を見てみる……どうやら、確かに年期は入ってるようだ。

黄色い壁のシミ、使い古された感じに色の褪せた赤いソファー、
エアコンなどない、中も昔の銭湯を思い出させる造りだった。

しかし、汚いとは感じない……むしろソファーも、壁も、天井も、
どこか昭和を感じさせる、良い味を出していた……

最も僕は平成生まれだが、もし昭和の世界に来ていたら、こういう感じなのだろう……

「……さっきから、何ジロジロ周りを見ているんだ……」

ギョッとして視線を番頭に戻す、番頭はさらに額にしわを寄せて、僕を睨んでいた。

「いえ、その……こういう昭和的な銭湯は珍しくて、興味深く眺めていました……」

「……古臭くて悪かったな……」

番頭が舌打ちをしながら、そう吐き捨てるように言った。

その瞬間、辺りが異様な圧迫感に包まれる……番頭のタカのように鋭い眼が、僕をにらみつけていた。

まずい……ここは冷静に、何とか弁解せねば……

「いえ……僕は、こういう感じの所は好きです。僕はその……実家がかなりの田舎で、
 こういう都会の空気にはどうも合わないんです……むしろこういう所の方が落ち着くというか。
 まぁ、実家にもこういう銭湯はなかったんですけどね……」

微笑みながら、僕はそうごまかした。

だが、番頭は無言のまま……以前、僕を冷ややかな目で見続けている。

静寂の中、僕は息苦しさと、恐怖から来るのどの渇きを味わっていた……

冷汗が出てくる中、僕は誰でも良いからこの状況を打開してくれないか、
と心の中で必死に思っていた。

「あらあら、また誰かを怖がらせていたんですか?いいかげんにしてくださいね」

僕の願いが伝わったのか、奥から女性の声が聞こえてきた。

その途端、辺りに漂っていた圧迫感が潮が引いたように静まっていく。

どうやら、助かったみたいだ……別に何か危険な目に遭っていたわけではないが、
とにかく、無事だった……

「ごめんなさいね、この人強面だけど実はかなり恥ずかしがり屋なんですよ。
 奥で聞いてましたけど、この銭湯のことを褒めてくれたから照れてしまっただけなの。
 悪気はないのよ、許してあげてね……」

奥から出てきた女性は、申し訳なさそうに僕にそう話しかけた。

白い割烹着を着た、とても美しい女性だった。

歳は20後半くらいだろうか……日本女性の色気というか、
一目見ただけで……大和撫子という言葉がぴたりと当てはまるような、そんな女性だ。

「いえ、僕の方こそ……誤解されるような言い方をしてしまいました。
 申し訳ありません……あの、あなたは……娘さんですか?」

「いやですわ、娘だなんて……私は、この人の妻です。私はもう三〇後半のおばさんですよ」

その女性は照れるように微笑みながら、僕にそう言った。

この人の妻……はっきり言うが、ありえない……どう考えても、年齢差が十以上は離れているように見える。

まさに美女と野獣、ひどい言い方だが……それが一番当てはまる。

世の中には、色々な夫婦がいるな……この時僕はそう思った。

「ほらあなた、せっかくのお客さんを玄関に立たせたままなんて……もう少し愛想良くできないんですか」

まるで子供を叱りつける母親のようだ……ある意味すごい光景だ。

「……すまん」

男は無言のまま、しばらく奥さんを見てこう言った。

「すまんかったな、お前も早く上がれ……」

番頭は頭を掻きながら、僕にそう言う……慌てて僕も頭を下げる。

「……原田だ……」

「へ……?」

ぼそっと一言、目の前でそう聞こえた……

「原田って言うんだ……お前は……?」

「あ……あの、有田って言います。よろしくお願いします……」

「……ああ、よろしく……」

ぎこちない笑顔で、原田はそう言った……
どうやら、悪い人ではなさそうだ……ホッとした。

「さて、どうぞごゆっくりしていって下さいね。家のお風呂は広さが自慢ですから。
 あと、私は紀子と申します。よろしくね、有田さん」

柔らかい笑顔で、紀子は僕にそう言った後、用事があると言い奥へと戻っていった。

本当に夫婦か、この人たちは……改めてそう思った。

「……家の風呂は熱いぞ、のぼせないようにしとけ」

原田の言葉で、僕は我に返った……原田さんが、タカの眼で僕を見ている。

「……はい、ありがとうございます……」

原田は精一杯の笑顔で、番台へと戻っていった……

良い人なんだろうが、やっぱり怖い……そう思いながら、僕は風呂場へと向かっていった……



 

 「おお、これはすごい……広いな……驚いた」

風呂場の扉を開けると、20畳ほどの大きさの浴槽があった。

さすがに富士山の絵は描かれていないが、なぜか大きく壁に『虎と竜の絵』が描かれていた。

原田さんの趣向なのだろうか、すごくぴったりと当てはまる……

僕は体を洗ったあと、手ぬぐいを持って浴槽へと入った……

熱い……江戸っ子が好きそうな温度だ……

だが、この温度の方が夏には良い……出た後、体がスッと涼しく感じる……

こういう風呂も、たまにはいいものだ……そう思った。

しかも、この大浴場を一人で使うとは……何とも贅沢な気分になる。

来て良かったな……心が広くなるようだ……

僕は風呂に入りながら、銭湯というものを大いに味わっていた。






 ゆっくり風呂に入っていると、入口から足音が聞こえてきた……
 
他の客が来たのだろうか……?僕が言うのもなんだが、ずいぶん遅い時間に来るな……

それに足音からして、一人……いや、もっと来ている……この時間が混むのだろうか。

そう思っていた矢先に、入口のドアが急に開いた。

「いや今日の風呂は、また一段と熱そうだわ!どれ、じゃあ先に入らしてもらおうとするかな!」

大きな声と共に、ぽっちゃりした中年の男がタオル無しで仁王立ちしていた。

男は風呂場からお湯をすくい、豪快にかけ湯をして、僕より二メートル程離れた所で風呂につかった。

「熱いねぇ……!だが、良い湯加減だ!このくらいがちょうど良い!!」

そう言い、男は大きな声で笑う。僕がそれに反応する前に、
入口からまた一段と大きな声で誰かが入ってきた。

「よっちゃん、気持よさそうだな!どれ、まずは体をきれいに洗わいと……」

単身痩躯の、これまた中年の男が目の前の椅子に座り、体を洗い始めた。

「ヨシは銭湯を分かってない!まずはかけ湯をして風呂に入らないと、
それが一番気持ちいいんじゃないか!」

よっちゃんと呼ばれる男が、大きな声でそう言った。

「何言ってるんだよ、綺麗に洗った後入った方が、絶対気持ちがいいって!」

手ぬぐいで背中を洗いながら、ヨシという男がよっちゃんにそう言った。

「そうか!じゃあ、今度やってみるかな!」

「そう言って、いつもやらんだろう!まったく、いい加減な奴だな」

そう言ったあと、今度は二人で大きな声で笑い始めた……僕はいささか、混乱している。

「ああ、よっちゃん!ヨシ!さきにやってるね!!今日も熱いかい?」

急いで入口に眼をやる……今度はあごひげを生やした男が、そこに立っていた。

「おう、先生じゃないか!今日は一段と熱くなってるぜ、早く入んな!」

よっちゃんが浴槽で、先生と呼ばれている男を手招きしている。

「そうだ、今日はテツとタカやんも来ているぞ!ほら、早く来なさい」

先生が呼ぶと、脱衣所の奥から垂れ目の男と、長身で坊主の男がやってきた。

「うい、来たぞー!入りに来たわ!元気か?」

坊主の男が、これまた大きな声で挨拶をする。

「あ、こんにちは!皆、楽しくやってるね!」

垂れ目の男が、明るく笑っている。

「おお、今日も勢ぞろいだな!ほら、そんなとこ突っ立てないで早く入れって!気持ちいいぞ!!」

皆一斉に風呂に入り出した……僕は静かに角に寄り、身を小さくする。

今まで一人だった静かな場所が、今は別の場所というくらい賑わいだした。

何なんだこれは……いきなりこんな客が来るものなのか……急に居づらくなった。

足を伸ばした男が五人も入ると、この大きな浴槽も小さく感じてしまう。

「おい、よっちゃん……また太ったんじゃないのか?腹が一段と膨れたような気がする」

「ばか言うな!俺はいつだってスマートだ、お前もまた一段と老けたんじゃないのかよ!?」

「ハッ!そんなわけないだろ!大きなお世話なんだよ、よっちゃんは!」

「まぁまぁ、せっかくの風呂なんだから……ゆっくり入らしてくれよ」

「そうだ、せっかくの風呂がむさくなってしまうわ!」

「それはテツがいるからだと思うな」

「タカやん、お前……一言余計なんだよ!」

何か、すごいうるさい……段々イライラしてきた……

銭湯ってこんな騒いでるものなのか……?いや、絶対違うだろ……

もっとこう、ゆっくり風呂に入りながら……世間話とかで静かに、盛り上がるものだろう。

ここは、少し何か言うべきだ……そう、当たり障りのない言葉を……

僕は騒いでいる中、微笑みを絶やさぬように男たちに語りかけた。

「皆さん、楽しそうですね……良くこちらの銭湯に入りに来るのですか?」

その瞬間、あれだけ騒いでた男たちが……いきなり黙ってしまった。

そして、男たちが僕に視線を向ける……何故か……呆けている。

「あの……もしかして、邪魔してしまいましたか……?」

予想外の展開に、僕は再び混乱してしまう……

ちょっと、静かになってくれさえすればよかったのだが……これでは、逆に息苦しい……

……何だか、徐々に近づいている気がする……いや、近づいてきてる……!

静けさの中、男達が僕を取り囲むように近づいてきた……ヤバい、これはヤバい……

怒らせないように、すごい微笑みながら言ったはず……それでも、駄目なのか……

水面を滑るように、男たちがこっちに向かってきた……怖い、怖すぎる……

風呂に入っているのに、冷汗がまた出てきた……もう少しで、捕まる……

そしてついに、よっちゃんと呼ばれている男がおもむろに僕の肩をつかんだ。

「ギャ……」

ゾクッと寒気がして、思わず叫びそうになった……その時だ。

「お前さんみたいなやつがいるとはなぁ、たまげたぜ!!」

「おう、若い奴がいるとはな!」

「そんなはじで小さくなってないで、俺たちと話そうじゃないか!!」

男達は、また騒ぎ始めた。むしろ余計に盛り上がっている。

びっくりした……ホントびっくりした……怖かった……

「そ、そうですね。じゃあ、お邪魔します……」

男達は妙に笑顔だ……これは断れないだろう……
銭湯に来たんだから、こういうのも良い機会と思おう。

僕はせっかく銭湯に来たので、男たちの輪に入り話すことにした。





 僕達は一通り自己紹介をし、男たちは古くからの友人の集まりだということが分かった。

自分のことをよっちゃんと言う男は、この近くで精肉店を開いているらしい。

ヨシという男は実家の酒屋を、先生という男は近くで小学生のために、塾を開いているらしい。

そして、テツとタカやんと呼ばれている男たちは、居酒屋で働いているそうだ。

「皆さんは良くこの銭湯に来られるんですか?」

「おう、毎日この時間に来てるんだよ。この時間じゃないと、他の客に迷惑をかけるからな!
 俺たちはここで、楽しくやってるのさ」

よっちゃんが、胸を張ってそう言った。なるほど、だからこの時間なのか……

「ところでよ、お前今日が初めてなんだって?この銭湯に来るの」

テツが、僕に興味深そうに聞いてきた。

「はい、家のアパートが断水してしまったので……それで、ここの風呂に入り来ました。
 この場所も知人から聞いて……」

「それは、大変だったね!……ところで、有田君はここの奥さんに会ったかい?」

今度はタカやんが、興味深そうに聞いてきた……なにやらいやらしい顔だ。

「はい、会いましたよ。とてもきれいな方で……番頭さんの奥さんとは、全然思わなかったです。
 てっきり娘さんかと……」

それを聞いて、全員が大声で笑ってしまった……僕は、何故か照れてしまう。

「それは、そうだろう!まさかあんなべっぴんさんが、あの番頭となんて思いもしないって!
 でも、まぁ娘さんですかって……それはちょっとひどいかもなぁ!」

「ヨシ……それは笑いすぎだよ。まぁ、あの番頭さんは顔は怖いけど、根は優しいやつだから」

先生がヨシをなだめながら、僕にそう言ってきた。

「はい、それは話してる間に分かりました。でも、やっぱり驚きますよ」

「それはそうだね、僕もはじめは怖くて仕方なかったよ」

「違いない……初見なら、子供は間違いなく泣いちまうだろうね」

「奥さんはかなり色っぽいよね……」

「タカやん、またその話か!このエロおやじが!」

それでまた全員笑いだす。僕もつい笑顔がこぼれる……陽気な人たちだ、僕はそう思った。

「でもよ……あの番頭、やっぱり父親にそっくりだよな……」

ふいに、よっちゃんが柔らかい声でそう言った。

「そういえば、皆さんはいつ頃からこの銭湯に通っているのですか?」

僕は何気なく、男達に質問してみた。

すると、男たちは少しさびしそうな目をしながら、静かに話し始めた。

「俺たちは、赤ん坊の頃からここには良く来てるのさ……」

「へえ!じゃあこの銭湯はすごい歴史ある場所なんですね」

「そうだぞ、俺の親父が若かったころにできたらしい……だから七十年以上は経ってるはずだ」

「もっとも、完全にリフォームしてるみたいだよ。良く見たら、このタイルも新しくなってるし」

タカやんがタイルを撫ぜながら、懐かしそうにそう言った。

「じゃあ、全部が昔のままというわけではないんですか……」

「まぁな、少しずつ現代の文化も取り入れなければいけなかったのだろう……」

テツがさみしそうに、天井を見上げてそう言った……

「だけどね、昔とまったく変わらないものもあるのさ……」

「変わらないもの、ですか?それって一体……」

先生は一点を指差す……僕はそれに従い、視線を向けた。

そこには、壁に大きく描かれている『虎と竜の絵』があった……

「そうだな……この絵は昔とちっとも変らない……」

よっちゃんはまぶしいものを見るように、手を額に当てそう言った。

「この絵ですか……確かにいい味出してますよね……あれ?
 でもこの絵七十年以上もそのままなら、色褪せるはずですよね?
 この絵近くで見ても、全く色褪せが見られないのですが……」

僕は壁に描かれた絵に触れながら、男たちのそう述べた。

「それはな……この絵がずっと、描かれ続けているのさ……」

テツが力強くそう言った。

……ずっと描かれている?どういう意味なのだろうか……

「この絵はね、代々この銭湯の番頭さんが、定期的にこの絵を描いて修正してるんだよ」

「番頭さんが……ですか」

先生は微笑んで話を続ける……

「先代が亡くなった後、全てを一新させて新しい銭湯にしようという案が出てたらしいのだけど、
 息子さん……つまり番頭さんの父親が、この絵だけは……そのまま残したんだよ」

「きっと、この絵が先代の形見だと思っていたんだろう……修理も、自分でやってたらしいしね」

「そうだったんですか……この絵にそんな過去が……」

「まぁ、描いてる絵はかなり趣味が悪いと思うがな!」

よっちゃんが鼻で笑う……確かに、すごい絵を銭湯の壁に描いたものだ。

「それでその息子も亡くなり、現在は今の番頭さんが……この絵を管理している」

先生が絵に触り、最後にこう言った。

「だから、この絵は昔から……ここの番頭さんが、自分自身で修正をする。
 つまりは、この絵を描き続けている……というわけなんだよ」

「良い話ですね……ずっと代々、残し続けるなんて……」

僕はうなずきながら、そう言った。

原田はやはり、根っからの真面目な人なのだろう……改めてそう思う。

「皆さん、きっとこの絵のことが好きなんですね」

その言葉に、全員少し驚いているようだ……何か気付かされたような……そのような感じ。

「この絵が好きか……確かに、そうかもしれないな……」

ヨシが顔を見上げて、そう呟いた……

「なぁ有田くん……どうして、僕達がこの銭湯に来るのだと思う……?」

先生が、ふと僕に質問を投げかけた……

「え?……それは、多分皆さんに会えるからじゃないですか?」

当然のことのように、僕はそう答えた……
それを聞くと、皆少し微笑み……僕にこう言う

「確かに、こいつらと一緒に入れるから……というのもある」

「だけど、少し違うのかもな……」

テツが頭を掻きながら、僕にそう言う……

「じゃあ、一体どうしてですか?」

僕は率直に、疑問をぶつけた……すると、タカやんが僕にこう言った。

「きっとね、この絵が見たいからなんだと思う……」

「この絵のため……ですか?」

僕は再び疑問をぶつける……今度はヨシが僕にこう言った。

「時代が変わっても、この絵をずっと好きでいられる……」

皆うなずきながら、男達は絵を見続ける……

「それってよ、実はかなり大切なことだと思うぜ……
 今頃になってそう思うようになっちまったけどな」

よっちゃんは諭すように僕にそう言った……

「自分が変わってしまっても、変わらないものがある……
 こういうのは、一つの証になるのかもしれないね……」

「証……ですか?何の証になるんです」

それを聞くと、先生は少し間をあけ……静かにこう言った。




     「僕たちが、あの頃を生きていた証……かな」
   



 僕にはその言葉の意味が理解できなかった……

だけど、その言葉がとても重く……大切なことだと、それだけはしっかり理解できた。

「よし、新人!歌うぞ!!今日はせっかく来たんだし、俺たちと一緒に歌え!」

「おお、いいね!おし、有田!皆で大合唱だ……いくぞ……!」

そう言うと、テツは勢いよく有名な風呂の歌を歌い出した。

皆、それに続いて歌い出す……僕は普段、こういうことは絶対にしない……

だけど、今日はとてつもなく……歌いたい気分になっていった。

良い湯だな……良い湯だな……本当に良い湯だな……






 「さて、そろそろ閉まる時間帯のはずだ。そろそろ、皆出た方が良いんじゃないのか?」

先生が騒いでいる皆にそう伝えた……そうか、もうそんなに経ってたのか……

「もうそんな時間か!?いや、今日は本当に時間が早く過ぎるな……しょうがない、上がるとするか」

皆、風呂から上がり……入口の方へと向かっていった。

僕もそれに続いて、風呂場を後にする……

脱衣所で着替えていると、よっちゃんが僕の方へやってきて僕の手をつかみ、何かを握らせた。

「今日はお前がいてくれたおかげで、いつも以上に良い体験ができた……ありがとう」

僕はそれを見てみる……それは銀色に輝く、百円玉だった。

「ここの牛乳はかなり上物だぞ、取っとけ」

「僕に、いいんですか?」

よっちゃんは取っとけ、取っとけと笑いながら僕にそう言う……

「ありがとうございます。じゃあ、早速買ってきて向こうで飲んでますから」

「おう!後で……な」

全員と笑顔で挨拶を交わした後、僕は一足早く番台の方へと向かっていった。

「おかえり、どうだった家のお風呂は?」

ロビーに出ると、紀子と原田が談笑をしながら待っててくれていた。

「すいません遅くなってしまって、でもとても良い湯加減でした!」

「気に入ってくれたみたいで、嬉しいわ!それにとっても盛り上がってたみたいで」

「はい、つい気分が乗ってしまって……でも、とても楽しかったです。

紀子は微笑みながら、僕にこう言った……

「でも、全然良いのよ。今日は有田さんの貸切だから、思う存分大声で騒いでも良いし」



    「僕の……貸切……ですか……?でも、他にも何人か後から来ましたし……」



それを聞いて、紀子はとても不思議な顔をして……僕にこう言った。


  
    「あら、変ね……今日はあなた以外、誰も来てないはずだけど……ほら、靴も無いでしょう?」



僕はそれを聞いて、下駄箱を見る……そこには、靴が一足……僕の物しか置いてなかった。

「そんなはずありません……確かに五人……風呂場に来ましたよ」

僕は風呂場に走っていく……さっきまで、普通に話していたんだ……いないはずはない!

「よっちゃんさん、先生さん!ヨシさん、テツさん、タカさん……」

そこにいるはずの人たちが、そこにはいなかった……
さっきまで、大きな声であんなに笑っていたのに。

言い様のない、さみしさが……そこにはあった……

さっきまでの出来事は、皆僕が見た……幻だったのか?

静寂の中、僕は風呂場を覗く……誰もいない……あるのは、大きな浴槽とあの絵……

まるで自分が、化かされた気分だ……力が抜ける……

奥から紀子の声が聞こえる……

「有田さん、大丈夫?誰もいないでしょ?なら、早く戻ってきて」

その声が聞こえても、僕はまだ男達を探し続けた……

どこかに隠れているのかもしれない……あの人たちならやりそうだ……

僕は風呂場を探し続けた……しかし、誰も見つからない。

再び、力が抜けていくのを感じる……諦めるしかないのか……

僕は力が抜けたまま、ロビーの方へ戻ろうとした……

その時、ふと右手が何かを握っていることに気づいた……

僕は恐る恐る……右手の力を、ゆっくりと緩める。



    そこには、錆びた百円玉があった……



幻じゃなかった……嘘じゃなかった……それがとても嬉しくて、
何度も……何度も、確認した。

やっぱりあの人たちはいた……それだけで、嬉しかった。

久しぶりだ。こんなに嬉しいと思ったことは……自然と笑顔になる。

「あの人たちに、会ったみたいだな……」

驚いて振り向くと、原田がそこに立っていた。
笑顔はぎこちないが、不思議と穏やかに感じる。

「あの人たちは、一体……」

「あの人たちはな、俺の親父が番頭になってから……
 ずっと、この時間帯に風呂場に来るようになったんだ」

原田は風呂場を眺めながら、話を続ける……

「俺も姿までは見たことはないが、親父からいつも聞かされていた。
 何で来るようになったかは知らないが、いつも親父はこう言っていたよ……」



   「あの人たちは、俺の親父の知り合いで……この銭湯を支えてくれる、
    すばらしい人たちなんだ……だから、いつも感謝しないといけないんだ」


そうか……あの人たち……だから……

「ところでお前は……その、見えたんだよな……あのな……その……」

原田はいきなりモジモジし始めた……何かとても滑稽だ……

「あの、どうしたんですか……原田さん?」

原田は覚悟を決めたのか、タカの目をさらに鋭くして、僕にこう聞いた。

「あの人たちは……その、俺に何か言ってなかったか……
 例えば……その……」

それを聞いて、僕はまた笑っていた……右手にある百円玉を握り、こう言った。

「皆、あの絵が大好きみたいです……大切に、してください」

「……ああ、当然だ」

原田はそれを聞いて、本当に嬉しそうだった……笑ってはいなくとも、
そう……感じた。


「有田さん、早くしないともう閉めてしまいますよ!誰か……いたの?」

痺れを切らした紀子がやってきて、不安そうに僕を見つめていた。

「いえ……僕の勘違いだったみたいです。すいません、行きましょう」

僕は嘘をつき、原田と紀子と一緒に風呂場を後にした。

ロビーにつき、僕は右手の百円玉を大事にしまい……財布から新品の百円玉を出す。

それを原田さんに渡し、微笑んでこう言った……



         「牛乳……一ビン、ください」







風呂上がりに飲んだ牛乳は、他のどの飲み物よりも、おいしく感じた……










後書き

本当にありがとうございます。
今回は、違った感じに書いてみました。
私は温泉が好きです。銭湯らしいところはまだですが……
いつか行ってみたいですね。
では、どうか気軽にコメントをよろしくお願いします。

この小説について

タイトル 銭湯にて
初版 2009年3月2日
改訂 2009年3月2日
小説ID 3027
閲覧数 1399
合計★ 16
みかんの写真
ぬし
作家名 ★みかん
作家ID 445
投稿数 12
★の数 171
活動度 3999
みかんです、みかんと言ったら、みかんなんです。

コメント (9)

★水原ぶよよ 2009年3月2日 11時40分30秒
水原です。
「銭湯にて」読ませていただきました。
たしかに怖くはありませんでしたが、平山夢明先生の「怖い話」に掲載されそうなほのぼのした話でした。
平山先生の「怖い話」、泣ける話笑える話も多いので、まだお読みでなければお勧めです。
若干、風呂に入るまでのシーンが判り難かったのは、私の読解力が不足しているだけかもしれません。
藤子F先生や高橋留美子先生のマンガで、銭湯だと思ったら自分が食べられるお膳立てをさせられてたってネタがありました。
「ぼくとしてはぬるめが好きです。うめてくれっていってるのに!」
「いやだな、このお湯、なんだかダシの匂いがする」
とか。
今回の話はそういう類れなのかなって思って読んでいたので、このオチには意表をつかれました。と同時に、ありがちなオチではありますがしんみりさせられました。
どうでもいい話ですが、私は物心つくまでは銭湯通いだったそうです。入った記憶はありませんが。日帰り温泉はたまぁーに行きます(←だから何?)
ババンババンバンバン〜♪
★みかん コメントのみ 2009年3月2日 12時38分34秒
水原ぶよよさん、コメントありがとうございます。
今度、平山先生の「怖い話」をぜひ拝見させていただきたいと思います。

風呂までのくだりが判り難かったのは、
私の文章力のなさでしょう。
今後、頑張って改善させていただきたいと思います。

ところで、銭湯に通っていたのですか。それはとても羨ましいですね。
そして、日帰り温泉はかなり羨ましいです。
私も今度、行ってみることにします。

家風呂も好きなのですが、こういう大きな風呂も好きです。

最後になりましたが、次回も頑張らせていただきますので、
今後ともためになるコメント、感想をよろしくお願いします。

では、本当にどうもありがとうございました。
PJ2 2009年3月2日 12時44分24秒
筒井ワールドならぬ、みかんワールドですね。
いやー良い作品だと思います。境界と比べて恐さはあまりありませんが、じーんとくる作品だと思います。
次回作、楽しみにしています。
武士つゆ 2009年3月2日 13時38分46秒
どうもこんにちは。武士つゆです。
今回も上質な作品を有り難うございます。とても楽しく読ませていただきました。
次回も楽しみにしています。
・・・と、ここで感想を終わろうかとも思ったのですが、やはり気になる事を溜めこむのは体に悪く、また、前回みかんさんからゴーサインも頂いたので、今回も一丁前にも批評してみようと思います。
まずは良かった点から
全体的な構成と、各キャラクターが作りこまれているのが素晴らしいと思います。多分、みかんさんは、しっかりプロットを立ててから小説を書いているのでしょう。それは、みかんさんの大きな武器だと思いますので大事にしてください。
次に悪かった(?)点です
個人的に、…を多用しているのが気になりました。不必要な所でも…を使っている為、妙な違和感を感じます。
他には、ラスト近くの、有田君が幽霊を皆さま方を探す場面。あそこまで焦燥感を出しながら人を探すには、有田君と幽霊の方々との関わりが薄いような気がしました。どちらかというと、キツネやタヌキに騙されたような気分になるんじゃないでしょうか?
最後に総評を
今回の作品も良作だと感じました。しかし、個人的にはみかんさんはまだまだ物書きとして成長出来ると思いますので、更なる良作を期待しています(笑)
此処で私が書いた事が、あなたが小説を書く上での一助となれば幸いです。
では、長文失礼しました。
★みかん コメントのみ 2009年3月2日 14時08分46秒
PJ2さん、コメントありがとうございます。

私の作品で、心に残るものがあるならばこれほど嬉しいことは
ありません。

これからも、頑張っていきたいと思います。

本当にどうもありがとうございました。

今後とも、よろしくおねがいします。
★みかん コメントのみ 2009年3月2日 14時17分30秒
武士つゆさん、ためになるコメントいつも感謝します。

……は個人的に好きなので、多用してますがどうやら少し使いすぎたようですね。こういうのを抑えて、描写を出せるように心がけたいと思います。

幽霊との関係も、もう少し深いものにしたら、
より良くできたかもしれません。今後の課題にしたいと思いました。

いつもありがとうございます。

次回の作品も、ためになる感想やコメントを
よろしくお願いしますね。

では、またどうぞ……
★くりっく 2009年7月2日 15時06分31秒
こんにちは、くりっくです。

最後の場面がとても感動しました!

とても良い作品だと思います

ただ打ち間違いなどがちらほらとありましたが・・・

内容は、とってもよかったです^^心に残りました〜
★みかん コメントのみ 2009年7月2日 22時04分45秒
くりっくさん、コメントどうもありがとうございます。

この話はやはり怖いだけではなく、割と柔らかい話にしたかった小説です。

褒めてくださり、本当にうれしく思いました。

打ち間違いは……申し訳ありません、
次回からは打ち間違いに注意して行きたいと思います。

心に残った……書いてる側からすれば、とてもありがたい言葉です。

再び私の小説を読んでくださるよう、頑張っていきます。

では、どうもありがとうございました。
chenjinyan コメントのみ 2017年8月31日 12時16分42秒
w^~)http://www.michael--kors.us.org
http://www.polo-ralphlaurenoutlet.in.net
http://www.coach--outlet.ca
http://www.michaelkorsoutlet70off.us.com
http://www.fitflops.us.org
http://www.michaelkorshandbags.nom.co
http://www.truereligionoutlet.eu
http://dolceandgabbana.sunglassescheap.us.com
http://www.oakleysunglassesoutletstore.us.org
http://www.louis-vuittonoutlets.us.org
http://www.grupolanda.es
http://www.clarksshoesoutlet-online.com
http://www.coachoutletsclearance.us.com
http://www.usboots.us.com
http://www.adidastrainersuk.co.uk
http://www.toryburchoutletsonline.us.com
http://www.ralphlaurenukofficial.org.uk
http://www.true-religion.me.uk
http://www.coachoutletonline.nom.co
http://www.mamiundich.ch
http://www.hermes.me.uk
http://www.poloshirt.in.net
http://www.cheapraybans.ca
http://www.uggslippers.us.org
http://www.uggoutlet.nom.co
http://www.vibramfivefingers.in.net
http://www.cheapjordansshoes.in.net
http://www.oakleyssunglasseswholesale.us.com
http://www.ralphlaurenpolouk.org.uk
http://www.kibbie.at
http://www.ferragamooutlet.us.com
http://www.villafranchi.it
http://www.coachoutlet70off.us.com
http://www.softworx.it
http://www.jaggabite.nl
http://www.louis-vuitton-borse.it
http://www.cheapnorthfacejackets.us.com
http://www.clevelandcavaliersjerseys.us.com
http://www.ugg.com.co
http://www.converseshoesoutlet.us.com
http://www.mathcad.be
http://www.mlbjerseys.org
http://www.uggclearancesale.us.com
http://www.monclerjacketsonline.us.com
http://www.montblanc.com.co
http://www.adidas-nmd.co.uk
http://www.ugg-boots.name
http://dior.sunglassescheap.us.com
http://www.uggsonclearance.com.co
http://www.generaliopen.at
20178.31chenjinyan
ހ
名前 全角10文字以内
コメント 全角3000文字以内 書式タグは利用できません
[必須]

※このボタンを押すと確認画面へ進みます。