復讐

ぼたもち
血が広がっていく。

暗い部屋の中だった。
その男は仰向けに倒れ、左胸から血を溢れさせていた。
ごぼっ、と時々音を立てながら恐ろしい量の赤が流れ出ていく。
彼女は男の足元に立って、その様子を黙って見続けていた。
震える指から、血まみれのナイフが落ちた。くぐもった音を少し立て、また室内に静寂が帰ってきた。
僕も無言でその後ろ姿をしばらく眺めていた。
数分の後ゆっくりと彼女が振り返り、その表情があらわになった。
僕は思わず顔をしかめた。不快だったからではない。
悲しかったからだ。
昔からの目標を成し遂げた彼女の表情が、その涙にまみれた笑顔が、あまりにも悲しすぎたからだった。
彼女は自分の体を抱きしめながら深呼吸を何回かした。
今自分がやり遂げたことを、現実として確かめようとしているかのように。

「‥‥‥‥‥‥‥私、やったわ‥‥‥」

呼吸の隙間から漏れ出たような言葉。
そう、彼女はたった今、人を殺した。
自分の恋人の仇を、その手で殺した。




僕は彼女とその恋人だった彼を昔からよく知っていた。
親同士の仲が良く、物心がついた頃には三人で一緒に遊んでいた。
そのときから彼女と彼は二人だけの世界を作っていて、僕だけがその間に介入できるような構図だった気がする。
今考えると気まずいことこの上ないけど、僕らにはそれが当たり前だった。
それに僕は小さい頃から誰とでも仲良くなれるタイプで、小学校に入ってからはいろんな人と遊んでいた。
だけど二人の関係は変わらず、あまり他の人とも関わろうとしなかった。
幸か不幸か小学校の間は三人揃ってずっと同じクラスで、明らかにクラスで浮いている二人のフォローを僕がすることもしばしばだった。
中学校に入ると、二人は当然のように恋人同士の関係になった。
同時に少しずつ社交性も身につけていって、それぞれの友達を作り、僕とも普通の「幼馴染で親友」の関係になった。
他の人のことはよくわからないけど、割と普通の流れだと思う。
「普通」を幸せに思える流れ。
でも、そんな「普通」はあっけなく終わった。

忘れもしない五年前、僕らが十八歳の時だった。
彼はあの男に殺された。
男はギャンブルで散財し、苛立ちと生活への不安がごっちゃになり、精神的に不安定な状態に陥っていたらしい。
そしてたまたま目に付いた彼を金とストレスのはけ口のために殺したらしい。
ナイフでメッタ刺し。心臓を刺された段階で即死だったらしい。
「らしい」としか言わないのはこの話が僕らが警察から聞かされたものだからだ。
それにそのときの僕らは喪失感の塊で人の話なんてまともに聞けなかったし、第一死因も動機もどうでも良かった。
あいつが、あの男が彼を殺した。
バカバカしい理由で、僕らは親友と恋人を失った。
僕も相当に沈んだけど、彼女はその比じゃなかった。
最初の一週間は泣き叫んで暮らし、次の一週間で物を壊し始めた。
壊れていないものが許せないとでも言いたげに。それから二ヶ月精神科に通い、その後は人形みたいになった。
誰ともコミュニケーションをとらなくなり、毎日自分の部屋に閉じこもっていた。
僕が自分の落胆から少し回復し、彼女を心配し始めた頃、彼女のほうから連絡が来た。
その段階で僕は、これから起こることを予期していたのかもしれない。




「もうついてこなくてもいいのよ?」
暗い部屋から出て歩く道すがら、彼女が振り返りながら言う。
「私達の目標は達成したし、あなたもそれをしっかり見てくれた。あとは警察に行くだけよ?」
「それは約束違反だろ。僕も一緒に捕まるまでが計画だったはずだ。」
「直接手を下したのは私よ。あなたまでわざわざ捕まることないじゃない」
「それじゃ僕も収まりがつかないんだよ」
僕の頭はまた回想に沈んだ。




五年前、彼女に呼ばれた僕は学校へ向かった。
三人で通っていた学校。あんなことになってから、彼女は一度も行っていないはずだ。
彼女は校門で待っていた。ずいぶん痩せてしまったという印象は残っている。
「来てくれてありがとう。ちょっと時間をとるけどいい?」
「そんなこと気にする仲じゃないだろ。どうしたんだよ急に?」
訊いた途端、彼女の表情が揺らいだ。
少し顔を伏せ、震え気味に言葉を発した。
「‥‥‥‥‥‥‥もう思い出したくもないのかもしれないけど、私達は大切なものを失ったでしょ?」
「ああ。毎日嫌でも思い出してるよ。」
僕らの中にはお互い確信があった。僕も彼女も、彼の死を死ぬほど悲しみ、あの男を殺してやりたいほど憎んでいた。
「‥‥‥私は、あの男を許せないの。あいつ側の事情なんて知らない。
 私から見ればとんでもなくくだらない理由で、私の一番大切な人を殺した。
 ‥‥‥‥もう、二度と会えない。二度と話せない。もう、もう二度と‥‥っ、会えない‥‥‥」
彼女はそれだけ言うと唇をかみ締めた。ぶつっ。食い込んだ歯の間から血が流れる。
「許せない、絶対に許さない。裁判なんて待ってられない。
 この手で、あいつを傷つけて、じわじわ弱らせて、彼が受けたもの以上の恐怖と苦痛を味わわせて、殺してやる‥‥‥っ!」
僕は何も言わなかった。彼女はわかっていたんだろう。
僕も同じ気持ちだった。
「そのために、私に協力してほしいの。二人であいつを追い詰めて殺すの。できれば殺す役は譲ってほしいわ。
 それで私が警察に捕まる。死刑にでもなんにでもすればいいんだわ。
 私は私のために死ぬの。あいつだってどうせ死刑になるんだから結果はかわらないわ」
しばらく、お互い何も喋らなかった。
「‥‥‥‥ダメかしら?」彼女がぼっかりあいた穴のような目で言う。
「いや、わかった。協力するよ」僕は答えた。まるで何年も前から決まっていたことみたいに。
「ただし、二つ条件がある。一つは僕も共犯として捕まることだ」
「‥‥‥どうして?」
「君と同じ理由だよ。僕も殺人に協力して、社会からしかるべき罰をうける。そして自分のしたことを確かめる。
 ‥‥‥‥自分は復讐に成功したんだって、確かめる。それで自分の悲しみを少しでも埋める。君もそのつもりで殺そうとしてんだろ?」
「‥‥‥‥‥‥わかったわ。もう一つは?」
「あいつが『釈放』されてから手を下すこと」
「今なんて言った?」
「『釈放』」
「どうしてっ!? あいつは死刑になるんじゃないのっ!?」
「多分ならないよ。最悪でも無期懲役だろ。今は一応は反省の色を見せているらしいし、最近は死刑廃止の流れも強いからね」
「‥‥‥でも、無期懲役って」
「あれは死ぬまでって意味じゃないんだ。『死ぬまで牢屋』は終身刑。日本にはないんだ」
「‥‥‥‥‥何年くらいで出てくるの?」
「二、三十年くらいらしい。で、出てきたあとにゆっくり追い詰める。そのほうが準備もしやすいだろ」
「‥‥‥わかった。待つわ。あいつを殺せればそれでいい」
「うん。判決はまだ先だろうから、それまでは様子を見る。いいな?」
「ええ。‥‥‥‥何年だって待ってやる。絶対に殺すわ‥‥っ」
このあと彼女と別れ、表向きには前と同じ生活が始まった(彼女は学校には来なかったけど)。
しかし、またもあっけなく、僕らの計画は破壊された。

学校での『計画』発案からしばらくして、彼女から電話がきた。
「ニュース見た?」挨拶もなしに刺々しい質問。ただ僕もその時は乱暴な口調だったと思う。
「見た。計画は早く実行できそうだけど、ムカつき過ぎて吐きそうだよ」
あいつは無罪になった。正確には無罪同然、か。
なんでも幼少期の精神病院への通院歴などから、責任能力の欠如が認められたらしい。
一定期間の保護観察処分のみ。法律的な不自然さなど頭から吹き飛んだ。
何か手が回ったんだ。そうに違いない。
その時の僕らは理不尽さへの怒りでいっぱいになり、冷静な判断ができなくなっていた。
構うもんか。どうせ人を殺すんだ。
正しい判断なんてできなくたっていい。
このニュースは僕らの心により醜い油を注いだ。

それからはひたすらにあいつを追い詰める計画を固めた。
保護観察がはずれたらすぐにでも殺してやるつもりだった。
幸いこちらにも保護観察中のあいつの住所が知らされたので探す手間は省けた。
単純に乗り込んで殺すだけでいい。今考えると計画とも呼べないようなものだ。
あとは殺し方。刺殺で即決定になった。
あいつと同じ殺し方。彼と同じ殺され方。
それしか選択肢はなかった。
もう、あいつを殺す以外、自分を慰める方法なんて考え付かなかった。




「‥‥‥‥‥‥‥もう、パパやママには会えないわね」
彼女は悲しそうに話しながら歩く。
「そうだな。悲しませるかもね」
「でも、パパ達ならわかってくれるよ。みんなとんでもなく泣いていたし、怒っていたじゃない」
「そうだったっけ? 君しか印象に残ってないよ」
「笑えない冗談ね」
「冗談じゃないよ。君の暴れぶりは凄まじかったよ?」
本当に。




僕らは計画を立てて準備しながら、それを回りに話して聞かせた。
僕らは復讐すると。それで悲しさや寂しさを埋めると。
僕や彼女の沈みぶりを知っていた友達や家族は、何も言わなかった。みんな悲しそうにはしていたけど。
うるさかったのは他人だ。先生とか、よくわからない団体の年寄りども。
「君達はまだ若い。もっと未来に目を向けて‥‥‥」僕らの未来は彼と一緒に続いていくはずだったんだ。第一、年は関係ない。
「復讐を繰り返していたらキリがない。どこかで耐えなくては‥‥‥」僕らにそれをしろってのか? 始まりはあいつじゃないか。
「犯人を殺して、それで君らの心は晴れるのかい?」晴れるわけないだろ。でも、何かしたって事実がないと気が狂いそうなんだよ。
「君達も犯人と同じ人種になってしまうんだぞ!」ふざけるな。お前も同じ目にあってみればいい。そんな口がきけるか?
色々言われたけど、毎回彼女が激昂し、僕が思ったのと同じことを叫んだ。
言い返せるやつなんて誰もいなかった。
特に誰だかが「そんなことをして殺された彼が喜ぶのかい? 彼は復讐を望むような人だったのかい?」とか言った時の彼女は酷かった。
彼女はそいつの髪を掴みながら、全身を震わせて叫んだ。
「そんなこと誰がわかるのよっ! あなたが彼から聞いたのっ!? ふざけんじゃないわよっ!!
 私はもう彼の気持ちなんてわかんないのよっ!? もう会えないの、だから許せないのっ!!
 それを勝手にいい人顔で知ったかぶってっ! そんなに言うならここに連れてきてみなさいよっ! 彼に言わせてみなさいよっ!
 出来ないんでしょ? ならでしゃばらないでっ!! 私は、私のためにあいつを殺すのっ!!」
その時床に落ちていった彼女の涙の美しさは、神様からの皮肉だろう。




「満足した?」僕はある意味自分にも言った。
「意地悪。わかってるくせに」彼女が笑った。彼が殺されてから、初めて。
「そうだね。ごめん」僕も笑った。
満足なんて出来る訳がない。
保護観察がはずれてすぐの今日、あいつが部屋に一人の時に乗り込んで、一通りの謝罪の言葉を聞いてから彼女は刺した。
肺を一突き。それが一番苦しい死に方だと聞いたから。
呼吸が出来なくなり、苦しみと痛みと死への恐怖を感じながらもがくあいつを、僕らは眺め続けた。
「死にたくない」とか言ったその顔を、彼女が一度蹴り飛ばした。
そして、あいつは死んだ。
僕らが、殺した。
「ちょっと後悔してるわ」しばらくして彼女が言った。
「刺すとき手元が狂って、心臓を傷つけたみたいなの。じゃなかったらあんなに血は出ないと思うし。
 もし肺だけを刺せていたらもっと苦しませられたのかしら?」
狂った言葉。でも、僕らにとっては普通のことになってしまっていた。
「そうでもないと思うよ。かれこれ15分くらいは苦しんでたんだしさ」
「そうね。十分かしら」
「うん。少なくとも僕はね」
「私もよ。ただ気になっただけ」
「‥‥‥‥‥やっと、達成できたね。」
「ええ。感無量、ってとこかしら?」
「まあね」嘘だとわかりながら、僕は同意する。
「‥‥‥‥‥‥‥悲しいわね」彼女の声が、また震えた。
「そうだね。わかっていたことだけど、気分はぜんぜん晴れないね」
「‥‥‥私達、やったのよね」
「ああ。お疲れ様」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥っ‥! ‥うっ‥‥ぅぅ〜‥‥っ!」彼女は抑えた泣き声をあげ始めた。

警察署へと歩きながら、彼女は泣き続ける。
僕らはやり遂げた。何の意味もないことを。
自分の自己満足のために、人を殺した。
もう、僕らには何も残っていなかった。

生きるっていうことが、少しだけ悲しくなった。

後書き

‥‥‥我ながら重いっ!
稚拙な文章で伝わりづらいと思いますが、皆さんは読んでどう考えましたか?

この小説について

タイトル 復讐
初版 2009年4月12日
改訂 2009年4月12日
小説ID 3099
閲覧数 717
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コメント (1)

倉ナ土 2009年4月12日 15時17分29秒
初めまして。倉ナ土と申します
では、感想を
面白かったです。読みやすかったですし、被害者心理がうまいな〜と思いました(とはいえ、僕は実際の被害者心理を知りません)。
ぼたもち様は、かの有名な「模倣犯」という本を知っているでしょうか。あくまで本の方です。
宮部みゆきさんという素晴らしい作家さんが書かれた本なのですが、この本の被害者心理の描写はとても細かい。

「もしも私がああしていたら、きっと死んでいなかった」
そんな風にして「もしも」、「もしも」ばかりが頭に浮かぶ。真犯人が別にいるなんていう「もしも」は考えられない。

そのまま抜き出したわけではないのですが、被害者の立場の悲しさが伝わってくるようです。
被害者心理というのはおそらく現代物なら簡単に書いていいものではないでしょう。何気ない言葉が、失礼にあたる場合があるからです。
といっても、この作品がどうたらということではなく、ただ、気を付けてくださいね、ってだけです。
また、この文。
>このニュースは僕らの心により醜い油を注いだ

この文はおそらく「火に油を注ぐ」という慣用表現をもじったのでしょうが、どことなく違和感が。
「より」ということはそれ以前にも油は注がれていたということです。
「火」は「彼がバカバカしい理由で殺されたこと」とすると、それ以前の油はどこに。
それとも「火」は「彼が殺されたこと」で、「油」は「バカバカしい理由だった」ということでしょうか。
どのみち、わかりにくかったです。

あと、ぼたもち様は自身の作品を「重い」と書かれていましたが、僕は多少、軽く感じました。
>「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥っ‥! ‥うっ‥‥ぅぅ〜‥‥っ!」彼女は抑えた泣き声をあげ始めた。

ここの部分なんかは悲しみが伝わって来ませんでした。これだけでなくオチが軽いような。
だから最後の一文が浮いている心地がしました。
もっと重く、これからどうしようもないのだという悲しみを伝えてほしかったです。

それと、最初に「男」が殺されているシーンがありますね。
そのあとに「彼」が出てくるのでこいつか、と思いましたが、違っていたり、
どうして「僕」が手伝う必要があったのかわかる分がなかったりで、多少混乱しました。
>そのときから彼女と彼は二人だけの世界を作っていて
この文が物語の上でたいした意味がないのも残念でした。

いろいろ書きましたが、最初に書いたようにとても面白いと思いました。
だから、未熟者の僕の意見なんかそこまで深く受け止めなくてもいいでしょう。
では、失礼します


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