殺人ジャンキー - 中編-3

 夜、呼び鈴の音が鳴り響くと、女は子供が母親に抱きつきに行くがごとく、歓喜とカタルシスに包まれ、勢いよく目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。

 多田宮が玄関に入ってくるやいなや、女は裸足で駆け寄り、彼を押すように強く抱きしめた。あまりに押しが強かったために、閉まりかけのドアが開きそうになり、慌ててバタンと閉じた。

「どうしたんだよ、いったい――」

 何とか玄関を上がっても、女はスッポンのように正面から抱きついたまま離れない。やがて何かに堪えきれなくなったのか、唐突に多田宮を押し倒した。多田宮は呆然としていたが、女が急いで服を脱いでいるのを見て、成り行きに任せようと決めたように、平然と見守っていた。

 女は床の上で全裸になると、今度は多田宮の服も脱がし始めた。クスリを欲しがっている中毒者のように焦った表情に、多田宮は戸惑った表情を見せた。全て脱がし終えると、女は一方的に多田宮の体を求めていき、ほとんど独りで性交した。理解不能な女の行動に、終始多田宮は全く不快感を見せず、あたかも自分が傍観者であるように、気味悪がるどころか愉快そうな笑みを浮かべていた。

 しかし、女はオルガスムに達すると、急に自分の行動に対し後悔の念が生じた。素早く多田宮の体から離れ、「ごめんなさい」と小さくこぼした。多田宮はまだ余韻に浸った顔を女に向けた。悲しげな顔をしていた。

「何を謝る事があるんだよ」
「いや、そうね。そう、別に何でもないの」
「はあ…?」
「もういいの。忘れて」

 女はこちらを怪訝そうに見ている多田宮を尻目に、淡々と服を着始めた。多田宮もすぐに同じ事を始めた。

 すべて着終わると、女の表情は元に戻っていた。

 この数時間、彼女は自分を見失いかけていた。温もりを求めて多田宮によがった自分が恥ずかしかった。自分が今までしてきたことは何だ。人を殺し、その温もりを奪うことではなかったのか。それなのに自分は、熱く交わる関係を求めていた。だから今多田宮とセックスした後に、こんなにも後悔と罪悪感が募っているのではないか。人を殺した後に感じるエクスタシーは…こんなものなんかじゃないわ!

(脆いのね…あたしって)

 女がずっと黙っているので、多田宮から話を切り出した。

「諍いが、あったんだ」

 女は多田宮に向き直った。

「オレの仕事、まあ運送屋の事だけど、当然、オレ一人がやってるわけじゃない。分かるよな?」
 女は頷いた。
「だけど、運送屋は独立した会社なんかじゃない。上にはちゃんと、組関係の巨大な組織があるんだ。今回、このトラブルが起きたのは、言ってみれば親会社と子会社のトラブルだな」
「あんたが起こしたの?」
「違う」多田宮は即答した。

「オレも翌日までは知らなかったんだけど、オレがあの死体を運び終わった後、仲間の何人かが結託して、他の組がやってる運送屋に移ろうとしてたんだ。そいつら、前からギャラのことで不満があったらしくて、オレにもよく愚痴ってたよ。他に仕事がなくて、毎日遊んでるような奴等だったからな……まあそんなのはいい。とにかく、その集団が、どっかで噂を聞いたんだろう、もっとギャラの高いある組の傘下に入ろうとしていた訳だ。
 だが、そいつらはそれだけじゃ物足りなかった。今まで散々こき使っておいてあんまり金もくれねえ元の組に、一つ仕返しをしてやろうと閃いたんだ」

「それで、あたしが殺した男の死体を、見つかりやすいところに捨てたのね」

「そういう事。偶然運ばれてきたばっかだったからな。そして、そこに住所と電話番号を書いた紙を置いといたらしい。元の組が公表してる住所をな。あいつら、その住所が本物かどうかも確かめないで、これで組織は壊滅だって、バカみてえに喜びながら電話してきたんだぜ。まあ、あいつらの新しい組の噂はオレでも知ってるからな。上の組だって知っているに違いない。居場所が分かり次第殺されるだろ」

「ねえ、あたし、今日殺っちゃ駄目?」
 女は心配で訊ねた。でも、答えは分かっていた。

 多田宮はタバコの煙を吐き出し、
「無理だな」
 と呟いた。
「でも、あたしは何も疑われてないでしょ?」
「確かにそうだ。でも、お前はオレと一緒に住んでいる。鞍替えした奴らの同僚であるオレとな。オレは上から問い詰められるかもしれないし、オレも同じ事を起こさないように、監視までつけてるかもしれないぜ。下っ端後時にそんなことまでしないとは思うが、念には念を入れないとな。それに距離が離れているとはいえ、ここと同じ市内で発見されたから、サツがウロウロしてるぜ」

 はあ、と女は溜息を漏らした。軽い溜息とは裏腹に、心には絶望が溢れていた。

また殺しの欲望、暖かい人間から温もりを奪う快楽に目覚められたのに、これでは意味がない。混乱し錯乱状態になった自分を戒めるために、他の法外の神罰ならいくらでも甘んじて受けるが、殺しの環境を失うことだけはご免だった。コカイン中毒者がコカインを奪われるようなものだ。普通の精神状態では生きられなくなる。自殺するか、破滅に向かって生き続けるかだ。

「オレを殺してもいいって言ったら、どうする」
「え…」

 多田宮の謎の問いが女には理解できなかった。もっとも、絶望に耳を塞がれた女には、多田宮の言う事がほとんど聞こえていなかったが。

「どういう…事?」
「そのままの意味だよ。俺を殺したいかどうかだ」
「あんたを殺したいか…」

 女はじっと考えた。多田宮は殺しにおいて、いまや女にとってかけがえのない存在となっている。この男を殺したら、自分はもう二度と人殺しはできなくなる。他の運送屋が、多田宮ほど信頼が置ける人間なのかは疑問だ。しかし、多田宮は犬でも猫でもなく、女が無数に殺してきた人間の男だ。殺してみたくはない、と言えば嘘になる。さっき抱かれている時も感じていた、自分の一番近くにいる暖かい体を凍らせて、岩のように硬直させてやりたい。だが、その機会が訪れる時は、世界中にいる男が多田宮だけになったときか、あるいは…

「もう誰も殺せなくなったらね」
 それが女の答えだった。多田宮はにやっと笑った。

「へえ、それじゃ、まだ諦めていないんだな」
「当然よ」諦められる訳ないじゃない。
「オレを殺すときも、同じように針で一発か?」
「そうね」

 そうか、そう呟くと、多田宮はベッドの脇にある小物入れを指差した。
「一度、あれの感触を感じてみたいんだよな」
「あれって、あの針の?」
「ああ。ちょっと、持ってきてくれないか」
「ふふっ」
 女は笑った。人を殺す前の、あの冷淡な目で。

「間違って殺しちゃうかもしれないわよ。それでもいい?」
「さっきのお前の言葉を信じるよ」

 その会話の間に、既に女は引き出しにあった黒っぽい血のついた太い針を持ってきた。多田宮は何か安心したように顔を綻ばせた。

 女は多田宮の首に手をかけた。そして、持っていた針を、首筋にゆっくりと持っていった。ゆっくり動かないと、衝動に駆られ、誤って突き刺してしまいそうな気がしたからだ。

 多田宮が首を突き出した。間もなく、針は多田宮の首に触れた。尖端ではなく、側面だったが、血で固まった表面はざらざらとしていて、心地良さそうに、くすぐったそうに多田宮は恍惚とした笑みを浮かべていた。

 触れている箇所が、徐々に先端に近づいていく。

 黒く光る尖端が当たろうと――

 その瞬間、女は針を遠ざけた。

「おい」

 つい一秒前まで気持ち良さそうにしていた多田宮が、急に不満げな表情に変わった。

「何で止めちまうんだよ」
 女はミステリアスに微笑んだ。

「この続きは、あなたを殺す時まで取っておくわ」

 短い沈黙が流れた。……


「ぷっ。はははははっ」

 多田宮が大声で笑った。同時に女も笑った。二人の笑いは止まらず、雲のかかった夜の空へと消えていった。

後書き

ご感想等ありましたら宜しくお願いします。 では。

この小説について

タイトル 中編-3
初版 2009年4月14日
改訂 2009年4月14日
小説ID 3107
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レッド・サイコパスの写真
熟練
作家名 ★レッド・サイコパス
作家ID 488
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活動度 1984

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