りれしょ物語 - 馬鹿者の覚悟

 そんなこんなで小一時間。せっかくの休日にわざわざ勉強することほど時間の使い方で疑念を抱かずにはいられないことなんて、世界中または銀河系を駆け巡ったとしても滅多に見つからないんじゃないかな。俺はテーブルに突っ伏していた。
「まったく。小雪の家庭教師ついでにお前の勉強を見てやっとるというのに何だその体たらくは。私のような美人の先生に教えられて集中できない気持ちは、まあ分からなくはない。だがそこは学生の本分に倣ってけじめというものを持ってだな――」
「小雪に煽ー、そろそろ休憩しよーぜー」
「この私を無視するとはな……よし。こうなれば私の目の黒いうちは、絶対休憩時間をやるわけにはいかん。剛には」
 目をキランと輝かせて不穏な言葉を吐くキリカ先生。ひどい。
「休憩時間をいかに取るかで勉強の効率は変わると聞きますが」
「効率だと? そんなの根性でコンスタントを貫け。馬鹿者め」
 それができたら口答えなんてしてません。
 ふと視線をずらせば、慣れない右手で一生懸命問題集に挑んでいる小雪が目に映った。利き腕の左が使えないのでとても不便そうにしている。
「どこを見ている本寺剛。劣等生のお前は一瞬のよそ見も命取りなんだぞ」
「これが本当の受験戦争とでも言いたげな口ぶりですね。大丈夫です。これだけ教えられたら次の試験じゃ中の下くらいには……」
「甘いッ!」
 喋っている途中での叱咤に俺はびくっと驚く。同様に驚いた小雪と煽がこちらに注目した。
「勉学をなめるな。軟弱な今のお前に、将来など無い」
 キリカ先生の眼光は、まるで本当に俺の未来が見えているかのような鋭さを備えていて、俺はそれに射竦められる。いつになく真剣で、いつになく必死な、そんな印象が見受けられた。
「……いつまで、大事な恋人に心配をかけるつもりだ。馬鹿者」
 小雪には聞こえないようにか、俺の耳に顔を近づけ、なるべくトーンを落とした声が掛けられる。その言葉には気づかされることがあった。
 俺は俺自身のためだけに勉強をするのではない。大切なものの為には、逃げずに身を削っていく覚悟が必要なんだ。その覚悟はきっと、あらゆる方面で役に立つ。どんなことにも立ち向かえる強さを備えている。
「分かりました」
 俺は、それを持たなくてはいけない。失くしてはならない。
「俺、頑張りますから!」
 でなければ小雪を守れない。絶対に守ると誓ったんだ。だから。
「うむ。その意気だぞ」
 にかっと瞬時に表情を爽快な笑みへと転換して見せるキリカ先生。いつもは嫌な予感しか与えてこない笑顔だが、今のこの時だけは妙にほっとできる。
 成長しなければ。しておかなければ。小雪との将来をつかむために。
「いいわね、恋人って。恋人かあ……私も頑張らなくっちゃ」
 俺に続き意気込む煽の様子を見て、小雪はわけが分からないという風に首を傾げている。
 これ以上小雪に心配かけるわけにはいかない。大事な人に心配なんてさせていては、絶対に守るという誓いも嘘になってしまう気がする。
 死ぬ気で頑張らねば!


「さすがに休憩を一瞬も取らないとなれば体力がもたないか。これからは体育方面でも教えてやらんといかんな、剛には」
 あれからさらに十数分。ちょっとマジな話、文字通り俺は死にそうだった。普通なら一時間ちょいぐらい休憩なんてなくても、勉強程度なら耐えられるはずなんだが……相手があのキリカ先生なのである。勉強内容が濃密かつハードなうえ度を超えて暴力的ときたもんだ。死んでまうがな。
「剛、だから一緒にソフトやろうって言ったのに。私の言うこと聞かなかったつけが回ってきたのねー、あはは」
 うるさい。女子メンバーに混じって運動なんてできるかってんだ。
「ふむ、もうこんな時間か。では須藤家のお昼ご飯に注文でもつけてくるかな」
 キリカ先生はふと腕時計に目を向け、あまり小さくない声で呟く。
「へ? それってどういうことですか先生」
「ああ、ここには小雪の授業料代わりに昼と夕の二食をご馳走になってるんだ。じゃあ行ってくるな。小雪の母さーん、私今日コロッケの気分ー」
 大声で呼びかけながら部屋を出て行く我らが先生。あんたは小雪の姉妹か。
「ふふ、楽しい人ね」
 煽が微笑む。あの人は少年と鬼と武道家の心を持った変な人だからな。一般人からすれば楽しかったりちょっと引いたりうんざりだ。
「私たちはいつまでも居座るわけにもいかないわね。さて本寺くん、そろそろお暇しましょう。お腹も空いてきたし」
 そう言って立ち上がる煽。いや、ちょっと待て。
「お暇って、もう出るのか?」
「そうよ。いくら仮退院したといっても、小雪ちゃんはまだまだ身動きが取れないの。それってつまり、怪我の具合がまだあまり良くないってことよね。だから早く治してもらうためにも、小雪ちゃんには安静にしてもらわなきゃ」
 なるほど、それもそうだな。あんまり騒がしくして傷口に影響を与えるわけにはいかない。
「そうだな。キリカ先生の鬼授業はうんざりだし、今のうちに出るか」
 煽に続いて俺も立ち上がろうとすると、小雪が俺の袖を親指と人差し指でつかみ、
「ん。小雪、どうした?」
「そういえばあんた、さっきから煽さんとずいぶん仲がいいじゃない。なんでかなー?」
 不穏かつ爆発前の時限爆弾みたいな笑顔でこちらを見上げる。黄色くなった小雪の指先を見るあたり、相当な力で俺の袖をつかんでいると見た。もし手首をつかまれていたら俺はその腕を失っていたかもしれない。
「嫉妬か。嫉妬なのか小雪」
「んなっ、違うわよ! もうどこへでも行ってればっ!」
 ふて腐れてしまった。……こいつと恋人同士として付き合い始めてから、素直に思えることが一つある。
 可愛い奴めっ!


 小雪を適当になだめて須藤家を出て行った後、俺は煽に案内され、さっき待ち合わせていた駅近くの喫茶店へと向かった。
 その扉を開けると共にカランコロンとそれらしい音色が聞こえてくる。店の中は天井でゆっくり回ってるプロペラみたいなものや、広々と横に伸びるカウンターに純白のコーヒーカップなどのアイテム諸々が、テレビドラマで見るような喫茶店らしい喫茶店を演出しているようだった。
「きれーな店だな」
「ふふ、気に入ってくれた?」
 ああ、好印象だ。掃除もちゃんと隅々まで行き届いているし、非の打ち所なんてある方がおかしいと思う。
「昼食はここで取りましょう」
「賛成」
 テーブル席もあったが、俺たちは店の人に注文しやすいようカウンターの席に腰掛ける。
 そういえば俺たち以外に客を見かけないな。ていうか店の人も居ないし。
「なあ煽、ここ誰も居ないぞ。今日は定休日とかなんじゃないのか?」
「ううん、単に今お客さんが来てなくて暇なだけ。マスターなら呼べば奥の部屋から出てくると思うけど、その前に何頼むか決めちゃいましょ。はい、これがメニュー」
 カウンターに敷かれているそのメニューに、俺と煽は肩を近づけながら目を向ける。そこにはトーストとコーヒーのセットや目玉焼きとサラダのセットなど、様々な種類のサンドイッチが一覧にされていた。結構たくさんあるな。
「サラダサンドにカツサンド……納豆サンドに豚キムチサンド、はたまたレンコンの天ぷらサンドだと?」
「変なの多いでしょ。ここの人が趣味でいろいろメニュー増やしてるからね。現実離れしたものは無視した方がいいわよ、お腹のためにも」
 だろうな。豚キムチサンドは食ってみてもいい気がするけど、そういう冒険はまた今度にしよう。
「私はこのうどんサンドとコーヒーにしよっかな」
 おいおい、変なメニューは無視した方がいいんじゃなかったのか? それともお前にとって食事はそんな食べ物がスタンダードなのか? さすが御堂を好きなだけあって、いろいろミステリーな人だ。
「本寺くんは何にする?」
「うーん、俺はとりあえず腹が膨れそうなら何でも……カツサンドにするか」
 さて、お互い注文が決まったことだし、そろそろマスターさんとやらを呼ぶとするか。ていうかカランコロン鳴ったのに気付いて出てきて欲しい。
「マスター、マスターさーん」
 俺の声を除き、店内は変わらず静寂。
「……出てこないな」
「買い物にでも行ったのかな。マスター、開店時間でもお店ほったらかして買出しにでかけたりするから……」
 自由気ままなんだな。店の状態はいいのに客が一人も来ていない理由が分かった気がする。
「無用心だなあ。店を開けっぱなしにして外出なんて」
「ほんとねえ」
 そんなことよりも腹が減った。今日はキリカ先生のせいで余計なエネルギーをたくさん使ったから、いつもの数倍はハングリーな気がする。早く帰って来いマスターさーん。
「あ、そうだ。本寺くん携帯電話持ってる? ここの人に電話してみようと思うんだけど」
「持ってるぞ。電話番号分かるのか?」
「一度聞いた電話番号はみんな頭の中に控えてるわ」
 すごい記憶力だな。探偵の素質があるかもしれない。
「じゃあ借りるね。えっと、ぴっぽっぱっぽっぱっと」
 変わらず静寂の中で、番号を打ち終えた後に鳴り出す電話の呼び出し音が、俺の耳にまでよく聞こえてくる。しばらくして『ガチャ』という音と共に通信が繋がった。
『はい、本村です』
「秋ちゃん? 私よ」
 本村? 秋ちゃん?
「今ね、あなたのお家に来てるの。お店の人が居ないみたいなんだけど、どこに言ったのか知らないかしら」
 ひょっとしてここは、最近影が薄くて軽く忘れかけていたあの人の……。
『お姉ちゃん居ないの? もう、あの人ってば。またお店番サボって……今から急いで帰るから、ちょっと待っててね』
「うん、お願い。……あれ。あなたが外に居るってことは、何か用事でもあったんじゃないの?」
『それがね、今村崎くんと遊んでる途中なんだけど……あう。やっぱりお店帰りたくない』
 ここで村崎の名前が出てくるってことは、これはもう間違いない。へー、本村さんの家は喫茶店やってるのか。
「正直ね。秋ちゃんのそういうとこって可愛いわ」
『…………』
「秋ちゃん?」
『……ん。あ、ああごめんなさい。村崎くん、これから一緒に帰ってきてくれるって。今ちょうど駅だし、すぐに帰れるよ。待っててね』
「ふふ、ありがとうね」
『うん。じゃあまたね』
 今から来るのか。村崎は別に来なくてもいいんだけど。
「秋ちゃん、今から来てくれるって」
「ああ」
 会話聞こえてたから知ってるぞ。
「秋ちゃん、村崎くんとうまくいってるようで良かったわ。彼と付き合い始めたって聞いた時には、展開があまりにも急すぎてちょっと心配だったけど」
 ふう、と安堵の色が含められた溜め息を吐く煽。分かるぞその気持ち。大事な友達が村崎なんかと付き合うだなんて、まるで銀河の終焉を見せられたかのような気持ちになっちまう……って。
「あの二人付き合ってんのか!」
「あれ、聞いてなかったの? あ、そういえば本寺くんには内緒にしとく約束だったんだっけ。うっかり」
「なんで俺には内緒なんだよ!」
 俺が混乱を絶叫にしていると、背後でカランコロンと喫茶店らしい音色が鳴り響いた。
 このこと、二人から絶対に問い質してやる。


後書き

ふっふふ。続きが楽しみですねー。どうして、いつの間に、何故にこうも早く村崎と本村さんがくっついちゃったのでしょうか。村崎め、いたいけ純情ハートを持つ可憐優雅な本村さんに何をしたっ。

次はひとり雨さん、その次が梨音さんですね。ひとりさん、よろしく頼みます!

この小説について

タイトル 馬鹿者の覚悟
初版 2009年4月29日
改訂 2009年6月20日
小説ID 3124
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