頼むから死ね - 頼むから死ね

加瀬龍太郎
 ニューシネマパラダイスみたいな雰囲気の人生を歩みたかったのに、どちらかって言うと、アメリカンビューティー寄りの人生でだんだん嫌になってきた。近頃は変わった事を自ら遠ざけるようにしていても、どうも向こうはそうもさせてくれない。EASY-Eは最近強くなってきた脅迫観念と現実との間で、どうにか自分を保たせていた。実体の無い何かに追われている気がする。EASY-E自身が興味本位に作り出した物だろうが、実体が無いからそれがなにかはEASY-Eにも判らない。EASY-E自身はそれをなにかしらの神経衰弱、躁鬱病の様な物と解釈していたが、それが周りからは鼻につく程のナルシシズムにしか見えてなかった。確かにその要素がEASY-Eには有ったが、人達の認識の内から放たれる事の無い我が身が、彼を更にうちにこもらせた。
 EASY-Eはアメリカの大学に四年程の留学をしたのち、日本に戻ってきたが金融破綻のおり就職口は見つからず、ニートと派遣社員の間を行き来していた。またEASY-E自身もどこかそんな世情を言い訳にして、そんな自分には気付かない振りをした。自分はまだ大丈夫、そう言い聞かせていれば、少なくともほとんどの時は、バンドマン、DJ、劇団員、他諸々のアーティストの派遣社員達と自分を見比べて、どうにか落ち着いていられた。客観的に外から自分が視えてしまう時の絶望感以外は、彼をどうにか保たせていた。外に対して楯突いてでもいれば、意識を外に向けてでもいれば、保てているレベルの物だから、得に問題も起こりえなかった。
 仕事口が無いのを社会のせいにしていると言っても、楽な状況ではなかった。どうにか出来ていた日雇い労働も、労働基準法の改正かなにかで打ち切られるらしい。スピーカーから“どうせ駄目なものなら殺しておくれよ、このまま生きてても仕方が無い”とバートンクレーンが歌う。きっと彼が生きていた1920年代終わり、1930年代始めも世界大恐慌のおり、そんなものだったのだろう。抜本的解決とか、テレビでローゼン麻生が言う。なんでローゼンと呼ばれているかは分からない。なんだか分からないけども21世紀の初め、世界の終わりの始まりに少なくとも左翼は沸き立った。沸き立ってはいても、もう一度終わっている彼らの運動に60年代程の勢いはなかった。すべてはもう終わっている、そんな気がEASY-Eも他のみんなもしていた。
 目的も無くふらふらとハチ公前を歩いていると宣教師が救いを説いている。きっとそこに救いはない。左翼は共謀罪の人権無視について説き、右翼は相変わらず同じメッセージを、不特定多数に訴えかけている。あのパッケージングをしていたら、どんなに的を射た事を言っても、一生受け入れられる事は無いのに。駄目だ、こんな考え方していたら、また鬱になる。だめだ。自分にはビートのウィリアムバローズだかみたいに、この文章をプリントアウトして、切り刻んで、コラージュにする勇気もない。なんだか文章が町蔵みたいになってきた。なにをしてもなにかみたいだ。だめだ、だめだ、だめだ。気を保つんだ。そうだ、旅にでも出よう。どこがいいんだ、北海道か?南方の方が温かくていいだろう。国外か?アメリカは?お前はINUか?アメリカは嫌だ。でも嫌米とか分かりやすい目で見られるのも嫌だ。でも嫌なものは嫌だ。そしたら中南米か、アフリカか?たとえ、円が高くなったと言っても、燃料にサーチャージを取られるこの時代にそう遠くへは行けない。そしたら東南アジアか。キングプミポンか・・・
 当然、この時代に普通の稼ぎ方なんてしていたら、金なんて貯まるはずも無い事は、EASY-Eにもすぐに解った。そしたら詐欺か、なんて思いついてはみたものの、振り込み詐欺なんてありきたりでどうもしっくりこない。それならばと、一万円程度の元手から、何か違うアプローチで出来る方法を画策しだした。ESかIPS細胞なんて、今話題で良いんじゃないか。この時代でも金を持っているのは、オタクぐらいか。なんていろいろ考えてみた上で、オタクとIPS細胞のセットでいく事にした。こういう事に関してEASY-Eは天才的な発想力、嗅覚を発揮する時が多々有った。やはり強迫観念に動かされている感も有るが、躁鬱病患者特有の躁の時の行動力も手伝って、次の日には秋葉原へ百均で買った保冷剤と保冷容器、そして鶏の股肉を持って向かった。
 ロータリーに降りるとすぐに気の弱そうな二人組の鴨を見つけたので、EASY-Eは鴨に鶏を持って話しかけた。対人恐怖症っぽい二人組は最初おどおどしていたが、持っていた電気屋の紙袋から出ていたうちわのお世辞にも可愛いと言えないアイドルの名前を読み上げて、その話を振るといくらか緊張が解けてきた。その頃を見計らって、EASY-Eはこう切り出した。京都大学とウィスコンシン大学が共同で研究開発している万能細胞、ESもしくはIPS細胞って聞いた事有るか?実は京都大学に知り合いがいるんだが、日本政府は金を出さないから研究費に困っている。なんとか今はウィスコンシン大学よりリードしているがこのままだと分からない。そこでアイドルに知り合いの多い、業界に努めているこの自分に声が掛かった。法律と倫理委員会の問題が有って、食用とは言えないが、実は研究費を集める為にアイドルの皮脂から肉を培養して、好きな人に買って貰っていると、カンニバリスティックな彼らの内にある心にEASY-Eは訴えかけた。生ものだから今日じゃないと難しいとか、色々言って何組かを回るうちにセールストークもうまくなっていき、すぐにある程度のまとまった金が転がり込んだ。その次の日にはポストに入っていた旅行会社のチラシと金を持ってEASY-Eは近くの代理店に行き、タイ行きの短期格安チケットを一週間の幅を取って買った。この一連の計画性のある行動すらも、第一阿房列車と被らせつつ。
 スチュワーデスが寝ていた間に置いていった入国審査書を書いている間に、もう飛行機はバンコク上空に着いたらしい。安いチケットだったから台北で乗り換えなければならなかったが、それでもあまりそこから寝ていた感じはしない。飛行機を降り、入国審査も無事に済み荷物を取って外に出るため、特に行く宛も無くふらふら旅行カバンを持ちながら、空港内を歩いていく。背の低いタイ人のオヤジが、タクシー運転手をしている知り合いがいるから案内してやると、片言の英語でEASY-Eに話しかけてきた。特に知り合いも、宛も無い旅なので、そのオヤジに荷物を任せて話をしながら付いていく。二人はタクシーが停めてあると言う外のロータリーに出た。タイの風は暖かくて心地好かった。すぐにオヤジの知り合いの、刺さるようなショッキングピンクのタクシーが停まっていて、微笑みの国、サイコーです!などと、環境による極度の躁に後押しされた微笑みで、EASY-Eはそのオヤジに礼を言い、荷物を持ってタクシーの後部座席に乗りこむ。が、予想に反してそのオヤジもタクシーに乗ってきた。
 EASY-Eは英語の通じない外国を舐めていた自分と2対1になった不幸を呪い始め、初めて死を予感した。ああこれで俺の人生もおしまいか。どっかに連れてかれてバラバラだ。銃もあり得る。短かったけどもなかなか良い人生だった。いや、金を盗られるだけで済むかも知れない。こんな東南アジアの訳分からない所で金を盗られたら、イコールそれは死だろ。など、いろいろな事がEASY-Eの頭の中を駆け巡った。が、その直後オヤジは、オレはここで降りるとアホな考えを巡らせたEASY-Eを嘲笑うかのように、空港から3分ほどの所で運転手からチップをもらい、すんなりと空港に歩きながら戻っていった。
 助かったと思って大きなため息にも似た深呼吸をEASY-Eがすると、残ったタクシー運転手も大きなため息をしてプルプルと震えだし、EASY-Eに、やはり片言の英語でこう言った。あんな奴についてきちゃ駄目だ。あいつはマフィアで毎回タクシーを紹介したと言う名目で百バーツもせがむんだと。EASY-Eは、客に対して説教かよとか、マフィアのくせにちゃんと三百円だけ貰って、律儀に空港まで歩いて帰るのかよ、とかは全く思っていないような表情と口ぶりで、うんうんと慰めるように話を聞きながら、たらたら町の方まで走ってもらっているうちに、だんだんオヤジと意気投合してきた。ホテルすら決まっていない旅なんですと、オヤジに話していると、それなら国営の旅行案内所に連れてってやるとオヤジはさらに車を走らせた。オヤジの娘の話などを聞きながら景色を見ていると、割とすぐ下品なピンクの車は停まり、EASY-Eはバンコクの町に降り立った。この気候の中なら、タクシーの卑屈になる程のピンクすらも心地いい。
 鍵を閉めるオヤジを待ち、角の案内所に入る。エアコンディショナーの効いた小綺麗にまとまった案内所内には、入り口のガラスドアから左右に、それぞれ3つずつ木製の大きな机が書類と共に奥に向かって並んでいた。すぐに派手な制服らしきシャツを着ている若い男性が右奥のデスクの肥えた、いや、溜め込んだ感じの女性の席に案内してくれた。この女性も浅黒いなとか思いながら、EASY-Eは同い年ぐらいだろうそれに、ホテルすら決まって無い旨を説明する。そのラードは流暢な英語でパンフレットや写真を見せながら、手際よく案内しだした。ホテルは幾らぐらいのランクが良いのか?行きたい場所は有るのか?など色々聞かれ、ほとんどその脂身に案内されるがままに、EASY-Eは旅行の計画をしていった。行ってみたかった隣国カンボジアのアンコールワットには、時間的に、一週間では行って来れない事が分かった。EASY-Eが言った事と言えば、写真で見せられたタイガーテンプルとかいう虎のいる寺に行きたいと言っただけだった。
 まー助かったと思いつつ、代金を支払い、色々日付と時間の書いたチケットのような紙を渡された。その日付と時間に会わせてホテルのフロントにいれば、バスが来てどうにかなるらしい。2日後にはパタヤと言う少し遠い町に行くらしい。その浅黒い流暢な英語をしゃべるトドに感謝しつつ、EASY-Eはタクシーのオヤジと共に涼しい案内所を後にした。オヤジは1000バーツで明日一日まるまる案内してやるとだけ言い残し、EASY-Eをホテル前に下ろし去っていった。
 メタボの選んだホテルは安い割にプールなんかまで付いていて割に良かった。
ホテルの感じを一通り楽しんだ後、EASY-Eは日の暮れだした街に出てみた。バンコクの街は少し細道に入るとレンガ調で全体的に道も壁もデコボコだが、都会的なガラス張りのビル群とイメージ通りの東南アジアが共存していた。少し大通りに出ると、これでもかと言う程、テイラーと宝石商が並んでいる。他に商売は思いつかないらしい。
 そのうちの一軒で立ち止まり、ショーウィンドに並んだ小銭や宝石やらを何気なく眺めていると、インドとか中近東っぽい店主が話しかけてきた。仕方なくEASY-Eは店に足を踏み入れる。店主が、何が気になる?とまくしたてるのでEASY-Eは、取りあえずショーウィンドの小銭を指差して、あれはどこの小銭か?と聞いてみた。店主はすぐにその小銭を数枚持ってきて、これは3000年前の中東辺りで交易に使われていたウンヌンカンヌンと、ただの鉄くずでは無い価値のある鉄くずであると、時に価値に変化をもたらし得るであろう説教を長々とした。EASY-Eはこれも価値のある人には価値がある物かとか、価値って主観の問題が大きいんだな、なんて思いながらもやはり買うには至らず、ありがとうと一言残して店を後にした。
 宝石商とテイラーの駄々並ぶその道を、目的も無く歩いていると、どうもこの辺りの店はタイ人ではなく、ほぼすべて中近東の人間のものらしいという小さな発見をして、心の底でEASY-Eは少し嬉しく思った。唯一見つけた東南アジアな的な顔立ちをした店の店主も、話すと中国系で、どうもタイではいわゆる漢族が今も増え続けていてバンコクでは20%ぐらいが漢族らしい。まー世界の人口もそんな比率かと、その日は漢族ついでに屋台でチャーハンを食べ、ホテルに戻り早めに寝た。ゆっくりと寝て起きた次の日も、ホテルのプール脇でほぼ一日すごし、昨日のタクシーのオヤジに連れられて、少しナイトマーケットとかをふらつきつつも、EASY-Eは次の日に備え、早めに一日を切り上げた。
 その日の朝は日本の携帯電話のブザー音で割と早い時間帯に起床し、観光案内所の固形燃料に言われていた通り、全ての荷物を持ち、ロビーでバスを待っていた。当然のようにバスは約束時間の十五分後ぐらいに現れ、フィリピン人、インド人、サウジアラビア人の既に乗っていた小型のマイクロバスにEASY-Eも言われるがまま乗り込んだ。4時間だかでパタヤという街に着くらしいので、サウジのおっちゃんにイスラム教と他諸々、国の話を暇つぶしに聞き込んだ。どうもまとめると、金は王族と関係の有る人なら稼げるが使い道は少ないらしい。テロ行為に関わったり、他二つぐらいなんかすると死刑で、豚肉はそこまでじゃないらしい。基本、割と自由が利くぜっていうおっちゃんは、やっぱ外に羽伸ばしにきたらしい、とか色んな話しつつ昼寝しつつで、一回ぐらいの休憩を入れた後、EASY-Eを乗せたバスは目的の地、パタヤに着いた。
 視界に広がるパタヤの美しさときたら、言葉に表しようが無い程だった。一面に広がる、汚い海と風俗街。バスは、ホテルでおっちゃんともう一人のフィリピン人のおばちゃんを、サウジのおっちゃんが言っていた値段の割に豪華なホテルに下ろした。案内所のアンチビーガン体型に渡したホテルの値段が、サウジのおっちゃんのホテルと同じぐらいだったのでEASY-Eが自分のホテルに期待をしていると、バスはハゲのインドのおっちゃんと一緒にEASY-Eを激しく汚い、ハウンテッドマンションって感じのビルの前で下ろして去っていった。      
 こんな汚い所でどうすれば良いんだと思いつつも、EASY-Eはチェックインを済ませ、途中で停まりそうなエレベーターには乗らずに、八階の部屋まで階段を登った。階段を登りながら、国営の案内所でぼったくんなよと思いつつも、タイ人の信用クソ喰らえと言うパンク魂に触れた事を、苦々しくもまた嬉しく思い、EASY-Eの足は踏みしめるごとに棒の様になっていった。やっとの思いでついた部屋もなかなかアナーキーな感じで、閉まりきらない開かない窓に、鳩の糞がアーティスティックな色合いを添えている。見事な逆オーシャンビューで、見渡す限り雑居ビル群しか見えない。寝るだけなら構わないと、八階分階段をまた下って文句を言いに行く事を諦めて、EASY-Eは少しして寝た。
 EASY-Eが眼を覚ますとEASY-Eには一瞬、そこがどこだかも、何故そこにいるのかも解らなかった。汚い部屋を見渡し、把握した状況に存在している自分を客観的に見ても、涙するまでには当然至らなかった。あー、そーだ。窓から見えるアートを見て、我に返る。ベッドから体を起こし、ホテルに付いていた朝飯を食べる。ホテルに居るのを癪に思い、外に出る。痛い程の日差しは躁鬱病者から無駄な考えを奪う。この気候にはEASY-Eのニヒリズムもシニシズムもペシミズムも、やはりただのナルシシズムにしか思えない。あーアツい。殺すような日差しは気を抜けば、生きる物全てを連れて行こうとするように感じる。意識的に気を持ち直しながら、街を探索する。表通りには、大きなビルが有るが、基本、この街にはどこまで行っても古ぼけたビル群があるだけだ。
 このメンタルステータスを超えても歩き続けられれば、どんな中でも誰でも何かを見出す。雑居ビル群の中を少し行けば、料理屋や、服や食材など色々おいてあるマーケットがあったりなどして、少しEASY-Eにも、パタヤの普通の生活の息吹が見えだし始めた。子供がキャッキャしながらマーケットや学校の辺りを走り回る。母親であろうか、中年の女性は豊富な食材をマーケットで買い求める。若い男性は満面の笑顔で挨拶してくれる。看板を見れば、“マッサージ・メンバイメン”。気持ちのいい挨拶すると思ったら、客引きですか。だれが金払って、男にマッサージされるかと目を逸らし、お土産屋っぽいTシャツに入ったなり、アルゼンチン人の男に、お前そっちか?と聞かれ、ヘテロアピールを盛り沢山しつつ、ホモを後ろにホテルに退却する。夜、もう一度、街をふらついても風俗店しか無い街で、金に自由の利かない派遣社員a.k.a.詐欺師に、やれる事は限られている。仕方が無いから、またマイクロバスが迎えにくるまでの間、足が擦り切れる程、五百円程度のフットマッサージを受ける。実際、足が擦り切れる。
 バンコクに戻り、ぐったりして一日休む。次の日はついにEASY-Eが自ら望んだタイガーテンプルに行く日になった。これでついにタイでの哀れな日々が報われると、また学習無くマイクロバスに乗り込む。EASY-Eのホテルから途中で何人か団体も含め旅行客を拾い、市街からバスは離れていく。イギリス人のカップル、オーストラリア人、アメリカ人の旦那と再婚相手のアルゼンチン人の中年女性とその大きな中高生ぐらいの連れ子二人と一緒に、捕虜収容所にでも連行されるような気分がしながらも、やっとの事で、この旅唯一の願いが叶うのでいい気分だ。
 途中で飯を食べ、いよいよかと思ったら、東洋のベニスと言うあまりにも豪華な看板のついた、マス商業的な施設に連れてかれる。小さい十人乗り程の船に何人かずつ乗せられ、汚い河を上る。川岸にはワニやらトカゲやらが、本当にいるが、紐のついた猿を指差してガイドが大声でルックと叫ぶ感じなんか、某ネズミ村のジャングールクルーズ真っ青。でも今日は夢が叶うんだと、虎寺が長年の夢であったかの様に、EASY-Eは自分自身を思い込まし持ち直す。
 何か買わなければ、金を落とさなければいけない様な雰囲気の売店街に船は横付けされた上、一時間弱の自由時間。あまりにも暇でEASY-Eは、オーストラリア人と互いに愚痴った上、環境の話までしだす。温暖化が原因かは解らないが、水位の下がったこの河と同じで、オーストラリアじゃ、ここ五年まともに雨が降らないらしい。取りあえず解っちゃいるけど、小麦買えなくなるから、ちゃんとやれと理不尽に言っとく。小麦買えなくなったらクジラでも主食に食うかとか思いつつ、寺を夢見る。幸せだ。
 やっとの思いでバスに戻り、ついに出発する。そして、嫌な予感は的中する。着いた先は、戦場に架ける橋のカンチェナブリ日本軍博物館。本当に捕虜みたいだなとか思いつつも、EASY-Eは、イギリス製の旧日本軍の汽車が残っている事に感動しながら、食い入るように見詰める。が、お前日本人だよな、ごめんと、日本人を強調された上で、他の連行されてきたアメリカ人、イギリス人、オーストラリア人、アルゼンチン人等の前で、日本人は無差別にアジアで大虐殺をしたと、同い年ぐらいのガイドから言われの無い叩き上げに遭う。Minor Threatの“Guilty of Being White”と言う曲を思い浮かべながら、先祖の、それもやったかどうかも解らない罪まで、人種や国籍で負う事になる理不尽さを噛み締めつつ、EASY-Eは旅行中なのにオーストラリア人に、日本はタイと同盟を組んでいて、タイの人々の人権を守ったなどの説明をした。
 オーストラリア人に、でもミャンマー人とかにはしたんだろ?と追求され、その時代を生きてないEASY-Eは何も言えなかった。よく見ると博物館内の案内の日本語と英語の訳まで違う。タイ語はさらに違うだろう。当然ながら、その日は理不尽さに打ちひしがれて、タイガーテンプルどころじゃなかった。無言になったバスの中で、“どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれ、画が出来る”と、頭の中でヒップホップ世代にありがちな、安易なサンプリングしつつも、EASY-Eは、打ちひしがれた。帰る直前に道で会った、宝石を日本に持ち込んでくれたら百万やると言う、日本語でしゃべるインド人を無視しつつ、EASY-Eは帰国した。
 何をしていてもどこにいても、足が地に着いた感じがしない。体が有っても魂がそこに無い。旅に出る前より、不安感と不安定感は増した。目的も無く、やはりEASY-Eは、渋谷の街をふらつく。ハチ公前の広場で拡声器を持ったオヤジが、被差別三親等に救いの手を!と叫んでいる。私たち政治家三親等に平等の権利は与えられないのか?と、差別をこれ以上受けないよう、三親等部落を作る為の募金を!と、呼びかけているのを見下し、横目にしながら、EASY-Eはタワーレコードの方に、吸い付けられる様に歩いた。スクランブル交差点を渡り終わると、甘栗屋の前で若い女の子に祈らせてくださいと呼び止められた。EASY-Eは言われるがまま体だけ、思考無く女の子に着いていった。
 EASY-Eは、毎日板張りの床の道場で、ご神体の壺に祈った。毎日、来る日も来る日もマンセー、マンセーと壺に祈り続けた。白い装束をまとった中年の教祖からは、祈る事で心理に近づき、肉体が死んだ後も、祈った者の魂だけが宇宙船に乗って救われるのだと、どこかで聞いた事の有る様な、ありきたりな信仰を教えられた。金を教団に入れる事で、人を教団に入れる事で徳がつくのだと言われても、今のEASY-Eに判断はできなかった。
 一ヶ月もすると詐欺で鍛えられたEASY-Eの抜群のセールルトークで、宗教法人マインドロンダリングは人材的にも金銭的にも潤った。だが心神喪失も一段落すると、やはり正気の眼のEASY-Eには、白い装束を着て女をたぶらかすこの中年男性に、疑いの気持ちが生まれだした。EASY-Eが心理について問いただしても、深みが無い。ただ君はもう幹部なのだから、良い生活がしたいだろうとしか言わない。わずかの荷物を持ち、立ち去る事を中年教祖に伝えたが、人材と富を得た教祖は、EASY-Eを止めなかった。
 円山町の雑居ビルの教団を後にしながら、そもそも自分の不安感の萌芽が、タイで受けたあの理不尽さに有るのだと、EASY-Eは、自分の心を無意識かつ意識的に誘導しだした。心神喪失の状況は抜け出しても、神経衰弱には違いなかった。外国人などいなくなれば良い、鎖国すれば良いのだと、やはり左翼右翼変わらない集団ヒステリー的なナショナリズムに、今度は身を委ねた。ただ選択した方法は右だった。
 “天皇陛下、万歳”と刀だか脇差しだかを持って叫んでみても、当然、宗教、左翼、右翼、ねずみ講、自己啓発セミナー等に関わらず、そこに答えなど有るはず無い事が、二度目の集団ヒステリーになるEASY-Eには、一ヶ月かからずに理解できた。EASY-Eが献身的に身を置き続けるには、盲目になれる魔法が足りなかった。が、それは同時に、救いが無い事を意味した。
 それからもう丸一日放心状態で過ごしていたが、EASY-Eはふと思い立った。このままだと駄目になる。人に道を聞きながら自転車を漕いで、以前誰かから話しを聞いた松陰神社へと、何かを求めるように急いだ。宮司、神主でもいれば、少し気を紛らわす話し相手ぐらいにはなるかもしれない。救いが有るかもしれない。宗教的な救いでなく、ただ一人の話し相手が欲しかった。
 十五分ぐらい漕ぐとすぐに神社前に着いたが、平日の松陰神社には誰もいなかった。逆にその静かさは少し心を和らげるが、誰も見当たらない。誰かいないか、門の中に入ってみて探していると、ゲートを入ってすぐ右手の看板が、EASY-Eのぼんやりとした、うつろな眼に留まった。漢字混じりの文で、松蔭の言葉が書いてある。“人間関係は為になる、だから私は知り合いを作らない”と言う様な意味であろう、救いの無い言葉が書いてあった。ギリギリの均衡をどうにか保っていたEASY-Eの線は切れた。少し良くなっていた躁鬱は、一つの外的要因をきっかけに底をついた。EASY-Eは、まるで壊れたおもちゃの様に、深く沈んだ泥の沼からもがき出ようとする様に、何かに取り憑かれた者の様に、正面向かって左奥の松蔭の墓に、ふらふらと向かった。
 運悪く右翼で手にしていた、バックパックの中に有った短刀がとどめとなり、松蔭の墓の前でEASY-Eは腹を切って死んだ。しかし、この世は何も変わらなかった。

この小説について

タイトル 頼むから死ね
初版 2009年6月1日
改訂 2009年6月1日
小説ID 3184
閲覧数 3488
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コメント (1)

★佐藤みつる 2009年6月1日 21時07分52秒
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