頼むから死ね - 頼むから死ね

加瀬龍太郎
             『頼むから死ね』
                           加瀬龍太郎

 ニューシネマパラダイスみたいな雰囲気の人生を歩みたかったのに、どちらかって言うと、アメリカンビューティー寄りの人生でだんだん嫌になってきた。近頃は変わった事を自ら遠ざけるようにしていても、どうも向こうはそうもさせてくれない。EASY-Eは最近強くなってきた脅迫観念と現実との間で、どうにか自分を保たせていた。実体の無い何かに追われている気がする。EASY-E自身が興味本位に作り出した物だろうが、実体が無いからそれがなにかはEASY-Eにも判らない。EASY-E自身はそれをなにかしらの神経衰弱、躁鬱病の様な物と解釈していたが、それが周りからは鼻につく程のナルシシズムにしか見えてなかった。確かにその要素がEASY-Eには有ったが、人達の認識の内から放たれる事の無い我が身が、彼を更にうちにこもらせた。
 EASY-Eはアメリカの大学に四年程の留学をしたのち、日本に戻ってきたが金融破綻のおり就職口は見つからず、ニートと派遣社員の間を行き来していた。またEASY-E自身もどこかそんな世情を言い訳にして、そんな自分には気付かない振りをした。自分はまだ大丈夫、そう言い聞かせていれば、少なくともほとんどの時は、バンドマン、DJ、劇団員、他諸々のアーティストの派遣社員達と自分を見比べて、どうにか落ち着いていられた。客観的に外から自分が視えてしまう時の絶望感以外は、彼をどうにか保たせていた。外に対して楯突いてでもいれば、意識を外に向けてでもいれば、保てているレベルの物だから、得に問題も起こりえなかった。
 仕事口が無いのを社会のせいにしていると言っても、楽な状況ではなかった。どうにか出来ていた日雇い労働も、労働基準法の改正かなにかで打ち切られるらしい。スピーカーから“どうせ駄目なものなら殺しておくれよ、このまま生きてても仕方が無い”とバートンクレーンが歌う。きっと彼が生きていた1920年代終わり、1930年代始めも世界大恐慌のおり、そんなものだったのだろう。抜本的解決とか、テレビでローゼン麻生が言う。なんでローゼンと呼ばれているかは分からない。なんだか分からないけども21世紀の初め、世界の終わりの始まりに少なくとも左翼は沸き立った。沸き立ってはいても、もう一度終わっている彼らの運動に60年代程の勢いはなかった。すべてはもう終わっている。そんな気がEASY-Eも、他のみんなもしていた。
 目的も無くふらふらとハチ公前を歩いているとどこかの宣教師が救いを説いている。きっとそこに救いはない。左翼は共謀罪の人権無視について説き、右翼は相変わらず同じメッセージを不特定多数に訴えかけている。あのパッケージングをしていたら、どんなに的を射た事を言っても、一生受け入れられる事は無いのに。
 駄目だ、こんな考え方していたら、また鬱になる。だめだ。自分にはビートのウィリアムバローズだかみたいに、この文章をプリントアウトして、切り刻んで、コラージュにする勇気もない。なんだか文章が町蔵みたいになってきた。なにをしても、なにかみたいだ。だめだ、だめだ、だめだ。気を保つんだ。そうだ、旅にでも出よう。どこがいいんだ、北海道か?南方の方が温かくていいだろう。国外か?アメリカは?お前は“INU”か?アメリカは嫌だ。でも嫌米とか分かりやすい目で見られるのも嫌だ。でも嫌なものは嫌だ。そしたら中南米か、アフリカか?たとえ、円が高くなったと言っても、燃料にサーチャージを取られるこの時代にそう遠くへは行けない。そしたら東南アジアか。キングプミポンか・・・
 当然、この時代に普通の稼ぎ方なんてしていたら、金なんて貯まるはずも無い事は、EASY-Eにもすぐに解った。そしたら詐欺か、なんて思いついてはみたものの、振り込み詐欺なんてありきたりでどうもしっくりこない。それならばと一万円程度の元手から、何か違うアプローチで出来る方法を画策しだした。ESかIPS細胞なんて、今話題で良いんじゃないか。この時代でも金を持っているのは、オタクぐらいか。なんていろいろ考えてみた上で、オタクとIPS細胞のセットでいく事にした。こういう事に関してEASY-Eは天才的な発想力、嗅覚を発揮する時が多々有った。やはり強迫観念に動かされている感も有るが、躁鬱病患者特有の躁の時の行動力も手伝って、次の日には秋葉原へ百均で買った保冷剤と保冷容器、そして鶏の股肉を持って向かった。
 ロータリーに降りるとすぐに気の弱そうな二人組の鴨を見つけたので、EASY-Eは鴨に鶏を持って話しかけた。対人恐怖症っぽい二人組は、最初おどおどしていたが、持っていた電気屋の紙袋から出ていたうちわの、お世辞にも可愛いと言えないアイドルの名前を読み上げてその話を振ると、いくらか緊張が解けてきた。その頃を見計らって、EASY-Eはこう切り出した。「京都大学とウィスコンシン大学が共同で研究開発している万能細胞、ESもしくはIPS細胞って聞いた事有るか?」「実は京都大学に知り合いがいるんだが、日本政府は金を出さないから研究費に困っている。」「なんとか今はウィスコンシン大学よりリードしているがこのままだと分からない。そこでアイドルに知り合いの多い、業界に努めているこの自分に声が掛かった。」「法律と倫理委員会の問題が有って、食用とは言えないが、実は研究費を集める為にアイドルの皮脂から肉を培養して、好きな人に買って貰っている。」と、カンニバリスティックな彼らの内にある心にEASY-Eは訴えかけた。「生ものだから今日じゃないと難しい。」とか、色々言って何組かを回るうちにセールストークもうまくなっていき、すぐにある程度のまとまった金が転がり込んだ。その次の日には、ポストに入っていた旅行会社のチラシと金を持ってEASY-Eは近くの代理店に行き、タイ行きの短期格安チケットを一週間の幅を取って買った。この一連の計画性のある行動すらも、第一阿房列車と被らせつつ。
 寝ていた間にフライトアテンダントが置いていったのであろう入国審査書を書いている間に、もう飛行機はバンコク上空に着いたらしい。安いチケットだったから台北で乗り換えなければならなかったが、それでもあまりそこから寝ていた感じはしない。飛行機を降り、入国審査も無事に済み、荷物を取ってから外に出る。ふらふらと出口に向かい空港内を歩いていく。背の低い浅黒のタイ人のオヤジが、「タクシー運転手をしている知り合いがいるから、案内してやる。」と、片言の英語でEASY-Eに話しかけてきた。特に知り合いも、宛も無い旅なので、そのオヤジに荷物を任せて話をしながら付いていく。
 二人はタクシーが停めてあると言う、外のロータリーに出た。タイの風は暖かくて心地が好かった。すぐにオヤジの知り合いの、刺さるようなショッキングピンクのタクシーが停まっていて、微笑みの国、サイコーです!などと、環境による極度の躁に後押しされた微笑みで、EASY-Eはそのオヤジに礼を言い、荷物を持ってタクシーの後部座席に乗りこんだ。
 が、予想に反して、そのオヤジもタクシーに乗ってきた。EASY-Eは英語の通じない外国を舐めていた自分と、2対1になった不幸を呪い始め、初めて死を予感した。ああこれで俺の人生もおしまいか。どっかに連れてかれてバラバラだ。銃もあり得る。短かったけどもなかなか良い人生だった。いや、金を盗られるだけで済むかも知れない。こんな東南アジアの訳分からない所で金を盗られたら、イコールそれは死だろ。など、いろいろな事がEASY-Eの頭の中を駆け巡った。が、その直後オヤジは、オレはここで降りるとアホな考えを巡らせたEASY-Eを嘲笑うかのように、空港から3分ほどの所で運転手からチップをもらい、すんなりと空港に歩きながら戻っていった。
 助かったと思って大きなため息にも似た深呼吸をEASY-Eがすると、残ったタクシー運転手も大きなため息をしてプルプルと震えだし、EASY-Eに、やはり片言の英語でこう言った。「あんな奴についてきちゃ駄目だ。あいつはマフィアで、毎回タクシーを紹介したと言う名目で百バーツもせがむんだ。」と。EASY-Eは、客に対して説教かよとか、マフィアのくせにちゃんと三百円だけ貰って、律儀に空港まで歩いて帰るのかよ、とかは全く思っていないような表情と口ぶりで、うんうんと慰めるように話を聞きながら、たらたら町の方まで走ってもらっているうちに、だんだんオヤジと意気投合してきた。ホテルすら決まっていない旅なんですと、オヤジに話していると、それなら国営の旅行案内所に連れてってやるとオヤジはさらに車を走らせた。オヤジの娘の話などを聞きながら景色を見ていると、割とすぐ下品なピンクの車は停まり、EASY-Eはバンコクの町に降り立った。この気候の中なら、タクシーの卑屈になる程のピンクすらも心地いい。
 タクシーの鍵を閉めるオヤジを待ち、角の案内所に入る。エアコンディショナーの効いた小綺麗にまとまった案内所内には、入り口のガラスドアから左右にそれぞれ3つずつ、木製の大きな机が書類と共に奥に向かって並んでいた。すぐに派手な制服らしきシャツを着ている若い男性が右奥のデスクの肥えた、いや、溜め込んだ感じの女性の席に案内してくれた。この女性も浅黒いなとか思いながら、EASY-Eは同い年ぐらいであろうそのなんかに、ホテルすら決まって無い旨を説明する。そのラードは流暢な英語でパンフレットや写真を見せながら、手際よく案内しだした。「ホテルは幾らぐらいのランクが良いのか?」「行きたい場所は有るのか?」など色々聞かれ、ほとんどその脂身に案内されるがままに、EASY-Eは旅行の計画をしていった。行ってみたかった隣国カンボジアのアンコールワットには、一週間では時間的にゆとりを持って行って来れない事が分かった。EASY-Eが言った事と言えば、写真で見せられたタイガーテンプルとかいう虎のいる寺に行きたいと言っただけだった。
 まー助かったと思いつつ、代金を支払い、色々日付と時間の書いたチケットのような紙を渡された。その日付と時間に会わせてホテルのフロントにいれば、バスが来てどうにかなるらしい。2日後にはパタヤと言う少し遠い町に行くらしい。その浅黒い流暢な英語をしゃべるトドに感謝しつつ、EASY-Eはタクシーのオヤジと共に涼しい案内所を後にした。オヤジは「1000バーツで、明日一日まるまる案内してやる。」とだけ言い残し、EASY-Eをホテル前に下ろして去っていった。
 メタボの選んだホテルは、安い割にプールなんかまで付いていて、割に良かった。ホテルの感じを一通り楽しんだ後、EASY-Eは日の暮れだした街に出てみた。バンコクの街は少し細道に入るとレンガ調で全体的に道も壁もデコボコだが、都会的なガラス張りのビル群とイメージ通りの東南アジアが共存していた。少し大通りに出ると、これでもかと言う程、テイラーと宝石商ばかりが並んでいる。他に商売は思いつかないらしい。
 そのうちの一軒で立ち止まり、ショーウィンドに並んだ小銭や宝石やらを何気なく眺めていると、インドとか中近東っぽい店主が話しかけてきた。仕方なくEASY-Eは店に足を踏み入れる。店主が、「何が気になる?」とまくしたてるのでEASY-Eは、取りあえずショーウィンドを指差して、「あれはどこの小銭?」と聞いてみた。店主はすぐにその小銭を数枚持ってきて、これは3000年前の中東辺りで交易に使われていたウンヌンカンヌンと、ただの鉄くずでは無い価値のある鉄くずであると、時に価値に変化をもたらし得るであろう説教を長々とした。EASY-Eはこれも価値のある人には価値がある物かとか、価値って主観の問題が大きいんだな、なんて思いながらもやはり買うには至らず、ありがとうと一言残して店を後にした。
 宝石商とテイラーの駄々並ぶその道を、目的も無く歩いていると、どうもこの辺りの店はタイ人ではなく、ほぼすべて中近東の人間のものらしいという小さな発見をして、心の底でEASY-Eは少し嬉しく思った。唯一見つけた東南アジアな的な顔立ちをした店の店主も、話すと中国系で、どうもタイではいわゆる漢族が今も増え続けていて、バンコクでは20%ぐらいが漢族らしい。まー、世界の人口もそんな比率かと、その日は漢族ついでに屋台でチャーハンを食べ、ホテルに戻り早めに寝た。ゆっくりと寝て起きた次の日も、ホテルのプール脇でほぼ一日すごし、昨日のタクシーのオヤジに連れられて、少し夜、ナイトマーケットとかをふらつきつつも、EASY-Eは次の日に備え、早めに一日を切り上げた。
 その日の朝は日本の携帯電話のブザー音で割と早い時間帯に起床し、案内所の固形燃料に言われていた通り、全ての荷物を持ち、ロビーでバスを待っていた。ぴったし、バスは約束時間の十五分後ぐらいに現れ、フィリピン人、インド人、サウジアラビア人の既に乗っていた小型のマイクロバスに、EASY-Eも言われるがまま乗り込んだ。4時間だかでパタヤという街に着くらしいので、サウジのおっちゃんにイスラム教と他諸々、国の話を暇つぶしに聞き込んだ。どうもまとめると、金は王族と関係の有る人なら稼げるが、使い道は少ないらしい。テロ行為に関わったり、他二つぐらいなんかすると死刑で、豚肉はそこまでじゃないらしい。「基本、割と自由が利くぜ!」って言うおっちゃんは、「国の外なら何やっても大丈夫!」とか言いながら、やっぱ外に羽伸ばしにきたらしい。外国だろうが自分の神を、少しは尊重しろとか思いつつ、色んな話しつつ、昼寝しつつで、一回ぐらいの休憩を入れた後、EASY-Eを乗せたバスは目的の地、パタヤに着いた。
 視界に広がるパタヤの美しさときたら、言葉に表しようが無い程だった。一面に広がる、汚い海と風俗街。バスは、ホテルでサウジのおっちゃんともう一人のフィリピン人のおばちゃんを、おっちゃんが言っていた値段の割に、豪華なホテルに下ろした。案内所のアンチビーガン体型に渡したホテルの値段が、サウジのおっちゃんのホテルと同じぐらいだったので、EASY-Eが自分のホテルに期待をしていると、バスはハゲのインドのおっちゃんと一緒に、EASY-Eを激しく汚いハウンテッドマンションって感じのビルの前で、下ろして去っていった。
 こんな汚い所でどうすれば良いんだと思いつつも、EASY-Eはチェックインを済ませ、途中で停まりそうなエレベーターには乗らずに、八階の部屋まで階段を登った。階段を登りながら、国営の案内所でぼったくんなよと思いつつも、タイ人の“信用クソ喰らえ”と言うパンク魂に触れた事を、苦々しくもまた嬉しく思い、EASY-Eの足は踏みしめるごとに、棒の様になっていった。やっとの思いでついた部屋もなかなかアナーキーな感じで、閉まりきらない開かない窓に、鳩の糞がアーティスティックな色合いを添えている。見事な逆オーシャンビューで、見渡す限り雑居ビル群しか見えない。寝るだけなら構わないと、八階分階段をまた下って文句を言いに行く事を諦めて、EASY-Eは少しして寝た。
 EASY-Eが眼を覚ますとEASY-Eには一瞬、そこがどこだかも、何故そこにいるのかも解らなかった。汚い部屋を見渡し、把握した状況に存在している自分を客観的に見ても、涙するまでには当然至らなかった。あー、そーだ。窓から見えるアートを見て、我に返る。ベッドから体を起こし、ホテルに付いていた朝飯を食べる。ホテルに居るのを癪に思い、外に出る。痛い程の日差しは躁鬱病者から無駄な考えを奪う。この気候にはEASY-Eのニヒリズムもシニシズムもペシミズムも、やはりただのナルシシズムにしか思えない。あーアツい。殺すような日差しは気を抜けば、生きる物全てを連れて行こうとしているかの様に感じる。意識的に気を持ち直しながら、街を探索する。表通りには、大きなビルが有るが、基本、この街にはどこまで行っても古ぼけたビル群があるだけだ。
 このメンタルステータスを超えても歩き続けられれば、どんな中でも、誰でも、何かを見出す。雑居ビル群の中を少し行けば、服や食材、雑誌など色々おいてあるマーケットや料理屋があったりなど、少しEASY-Eにも、パタヤの普通の生活の息吹が見えだした。子供がキャッキャしながら、マーケットや学校の辺りを走り回る。母親であろうか、中年の女性は豊富な食材をマーケットで買い求める。若い男性は満面の笑顔で挨拶してくれる。看板を見れば、“マッサージ・メンバイメン”。気持ちのいい挨拶すると思ったら、客引きですか。だれが金払って、男にマッサージされてたまるかと弱気に目を逸らしつつ、お土産屋っぽいTシャツ屋に入ったなり、更に追い討ちをかける様に、アルゼンチン人の男に、「お前そっちか?」と聞かれ、ヘテロアピールを盛り沢山しつつ、ホモを後ろにホテルに退却する。ホモてんこ盛り。夜、もう一度、街をふらついても風俗店しか無い街で、金に自由の利かないニートa.k.a.詐欺師に、やれる事は限られている。仕方が無いから、またマイクロバスが迎えにくるまでの間、足が擦り切れる程、五百円程度のフットマッサージを受ける。実際、足が擦り切れる。
 バンコクに戻り、ぐったりして一日休む。次の日はついにEASY-Eが自ら望んだタイガーテンプルに行く日になった。これでついにタイでの哀れな日々が報われると、また学習無くマイクロバスに乗り込む。EASY-Eのホテルから途中で何人か団体も含め旅行客を拾い、市街地からバスは離れていく。イギリス人のカップル、オーストラリア人、アメリカ人の旦那と再婚相手のアルゼンチン人の中年女性とその大きな中高生ぐらいの連れ子二人と一緒に、捕虜収容所にでも連行されるような気分がしながらも、やっとの事で、この旅唯一の願いが叶うのでいい気分だ。
 途中で飯を食べ、いよいよかと思ったら、東洋のベニスと言うあまりにも豪華な看板のついた、マス商業的な施設に連れてかれる。小さい十人乗り程の船に何人かずつ乗せられ、汚い河を上る。川岸にはワニやらトカゲやらが、本当に野生でいるが、紐のついた猿を指差してガイドが大声でルックと叫ぶ感じなんか、某ネズミ村のジャングールクルーズ真っ青。でも今日は夢が叶うんだと、虎寺が長年の夢であったかの様に、EASY-Eは自分自身を思い込まし、持ち直す。
 何か買わなければ、金を落とさなければいけない様な雰囲気の売店街に船は横付けされた上、一時間弱の自由時間。あまりにも暇でEASY-Eは、オーストラリア人と互いに愚痴った上、環境の話までしだす。温暖化が原因かは解らないが、水位の下がったこの河と同じで、オーストラリアじゃ、ここ五年まともに雨が降らないらしい。取りあえず解っちゃいるけど、小麦買えなくなるから、ちゃんとやれと理不尽に言っとく。小麦買えなくなったらクジラでも主食に食うかとか思いつつ、寺を夢見る。幸せだ。
 やっとの思いでバスに戻り、ついに出発する。そして、嫌な予感は的中する。着いた先は、戦場に架ける橋のカンチェナブリ日本軍博物館。本当に捕虜みたいだなとか思いつつも、EASY-Eは、イギリス製の旧日本軍の汽車が残っている事に感動しながら、食い入るように見詰める。が、「お前日本人だよな、ごめん。」と、日本人を強調された上で、他の連行されてきたアメリカ人、イギリス人、オーストラリア人、アルゼンチン人等の前で、「日本人は無差別にアジアで大虐殺をした。」と、同い年ぐらいのガイドから言われの無い叩き上げに遭う。Minor Threatの“Guilty of Being White”と言う曲を思い浮かべながら、先祖の、それもやったかどうかも解らない罪まで、人種や国籍で負う事になる理不尽さを噛み締めつつ、EASY-Eは旅行中なのにオーストラリア人に、「日本はタイと同盟を組んでいて、タイの人々の人権を守った。」などと説明をした。
 オーストラリア人に、「でもミャンマー人とかにはしたんだろ?」と追求され、その時代を生きてないEASY-Eは何も言えなかった。よく見ると博物館内の案内の日本語と英語の訳まで違う。タイ語はさらに違うだろう。当然ながら、その日は理不尽さに打ちひしがれて、タイガーテンプルどころじゃなかった。無言になったバスの中で、“どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれ、画が出来る”と、頭の中でヒップホップ世代にありがちな、安易なサンプリングしつつも、EASY-Eは、打ちひしがれた。帰る直前に道で会った、宝石を日本に持ち込んでくれたら百万やると言う、日本語でしゃべるインド人を無視しつつ、EASY-Eは帰国した。
 何をしていてもどこにいても、足が地に着いた感じがしない。体が有っても魂がそこに無い。旅に出る前より、不安感と不安定感は増した。目的も無く、やはりEASY-Eは、渋谷の街をふらつく。ハチ公前の広場で拡声器を持ったオヤジが、「被差別三親等に救いの手を!」と叫んでいる。「私たち政治家三親等に平等の権利は与えられないのか?」「差別をこれ以上受けないよう、三親等部落を作る為の募金を!」と、呼びかけているのを見下し、横目にしながら、EASY-Eはタワーレコードの方に、吸い付けられる様に歩いた。スクランブル交差点を渡り終わると、甘栗屋の前で若い女の子に、「祈らせてください!」と呼び止められた。EASY-Eは言われるがまま、体だけ思考無く女の子に着いていった。
 EASY-Eは、毎日板張りの床の道場で、ご神体の壺に祈った。毎日、来る日も来る日も“マンセー、マンセー”と壺に祈り続けた。白い装束をまとった中年の教祖からは、祈る事で心理に近づき、肉体が死んだ後も、祈った者の魂だけが宇宙船に乗って救われるのだと、どこかで聞いた事の有る様な、ありきたりな信仰を教えられた。金を教団に入れる事で、人を教団に入れる事で徳がつくのだと言われても、今のEASY-Eに判断はできなかった。
 一ヶ月もすると詐欺で鍛えられたEASY-Eの抜群のセールルトークで、“宗教法人マインドロンダリング”は人材的にも金銭的にも潤った。だが心神喪失も一段落すると、やはり正気の眼のEASY-Eには、白い装束を着て女をたぶらかすだけの、この中年男性に疑いの気持ちが生まれだした。EASY-Eが心理について問いただしても、深みが無い。ただ君はもう幹部なのだから、良い生活がしたいだろうとしか言わない。わずかの荷物を持ち、立ち去る事を中年教祖に伝えたが、人材と富を得た教祖は、EASY-Eを止めなかった。
 円山町の雑居ビルの教団を後にしながら、そもそも自分の不安感の萌芽が、タイで受けたあの理不尽さに有るのだと、EASY-Eは、自分の心を無意識かつ意識的に誘導しだした。心神喪失の状況は抜け出しても、神経衰弱には違いなかった。外国人などいなくなれば良い、鎖国すれば良いのだと、やはり左翼右翼変わらない集団ヒステリー的なナショナリズム、ショービニズムに今度は身を委ねた。ただ選択した方法は右だった。
 “天皇陛下、万歳”と刀だか脇差しだかを持って叫んでみても、当然、宗教、左翼、右翼、ねずみ講、自己啓発セミナーに関わらず、そこに答えなど有るはず無い事が、二度目の集団ヒステリーになるEASY-Eには、一ヶ月かからずに理解できた。EASY-Eが献身的に身を置き続けるには、盲目になれる魔法が足りなかった。が、それは同時に、それ以上の救いがEASY-Eには無い事を意味した。
 それからもう丸一日ぐらい放心状態で過ごしていたが、EASY-Eはふと思い立った。このままだと駄目になる気がした。人に道を聞きながら自転車を漕いで、以前誰かから話を聞いた事のあった松陰神社へと、何かを求めるように急いだ。宮司だか神主だかでもいれば、少し気を紛らわす話し相手ぐらいにはなるかもしれない。もしかしたらそこに救いが有るかもしれない。べつに宗教的な救いでなく、ただ一人の話し相手としての救いが欲しかった。
 十五分ぐらい自転車を漕ぐと、すぐに神社前に着いたが、平日の松陰神社には誰もいなかった。この静寂は、いわゆる普通と言われる精神状態の人の心を和らげる効果があるだろうが、今のEASY-Eには、本当に誰も見当たらないこの状態が苦痛でしかない。門の中に入ってみて、眼でゆっくりとなぞる様に誰かいないか探してみる。ゲートを入って右手の看板が、EASY-Eのぼんやりとしたうつろな眼に留まった。漢字混じりの文で、松蔭の言葉がプリントされている。“人間関係は為になる、だから私は友達を作らない”と言う様な意味であろう、今のEASY-Eには救いの無い言葉が書いてあった。ギリギリの均衡をどうにかここまで保っていたEASY-Eの線はこと切れた。少し良くなっていた躁鬱は、一つの外的要因をきっかけに底をついた。EASY-Eは、まるで壊れたおもちゃの様に、深く沈んだ泥の沼からもがき出ようとする様に、何かに取り憑かれた者の様に、正面向かって左奥の松蔭の墓に、ふらふらと向かった。初めて来た場所なはずなのに、それはまるで松蔭に導かれているようでもあった。
 運悪く右翼で手に入れていた、バックパックの短刀がとどめとなった。松蔭の墓の前でEASY-Eは腹を切って死んだ。しかし、この世は何も変わらなかった。

             第二部 愛の時代

 「CIAが責めてくる。僕の頭には盗聴器が仕掛けられているんだ。」とADHD気味に授業中騒ぎ立てる健太を、「統合失調症ぶらないの。」と奈保美は、たしなめた。「ごめん、先生。もうシゾぶらないよ。」と健太が謝った所で、漱石は目が覚めた。
 布団に寝転んだままの状態で、ずいぶんおかしな夢をみたものだと思った。自分はまるで蚊帳の外の第三者で、映画でも観ているかのようだった。漱石には健太、奈保美共々、誰だか思い当たる節が無かったし、その教室も漱石が出た中学校のものではなかった。どうも最近、このような夢をみるスパンが早くなってきている気がする。自分が自分ではなくなっていく様な感覚を覚えつつ、振り切る様に漱石は布団から起き上がった。年のせいか弱くなってきちまったと、漱石は歯を磨きながら32歳になる自分の顔を鏡越しに眺めた。こんなんじゃ、この街では生き残れない。
 漱石の住む埼玉県川口市では、出生してから10歳までの生存率がシエラレオネよりひどく、わずか15%で、生半可な精神力じゃ生き残っていけない。俺もいつかこんな街抜け出して埼京線に乗って東京に行くんだと、裏通りでいつも通りパン、パンと響く銃声を聞き流しつつ、ひげ剃り後の顔を漱石は叩いた。漱石はダンスホールのレゲエダンサーを斡旋して生計を立てているが、最近同業者が増えてきて、なかなかこの仕事も厳しくなってきている。何か新しいアプローチを考えないといけないとは思いつつ、隣町の小学校との抗争で殺された同じクルーのブラザーのR.I.P.ティーシャツを着込んで街に出た・・・
 と、原稿用紙にここまで書いてみたものの、「こいつ、埼玉ディスってねー?」とか言いながら、西海岸のメキシコ人ギャングみたいな格好の、ドゥーラグを巻いた埼玉県知事がマッチョな乗りで責めてきて、笑いこらえながらボコボコもボコボコ、フルボッコにされるのもいたたまれないだろうと、EASY-E Jr.は、時代錯誤のギャング物フィクションを諦め、筆を置いた。なにより、これでは事実無根の誹謗中傷以外の何物でもないと、埼玉県知事の影に脅えつつ、これまで一度も信じた事のない言論と出版の自由にすがった。
 EASY-E Jr.は、母アニータマンソンの一人息子としてアメリカ西海岸で生まれ、チャールズと名付けられた。アニータは小さい15人程度の規模の企業用インフラソフトウェアの会社を経営しながら、精子バンクの“超ウルトラ級エリートの精子のみ”しか扱っておりませんと言う触れ込みのもと、EASY-Eの精子で独身のまま、子を授かった。アニータが出産前に想像し得なかった、アジア人の顔をして生まれてきた自分の息子の事を公言する事で、人種差別家と見るであろう世間の眼が、アニータに精子バンクを責めるのを咎めさせた。また、提供精子で生まれた子供には、当然求めた際に父親に接見できる権利が有ったものの、会ってみたいという意思が育つ前に父親は自害していたので、チャールズに父との面識は無かった。ただそんな事を思う瞬間が無い程、マンソンファミリーは温かかった。レーシストと視られる事への反感が、ファミリーを愛に満ち溢れさせていた。
 チャールズが7歳になった頃、アニータの会社のソフトウェアは西海岸の金融業界で、ある程度のシェアを占める様になってきた。疑う余地もない度に、どんどん大手金融が株主に名を連ねた。それに伴い、M&Aによるさらなる企業規模拡大に乗り出し、何の因果か、マンソンファミリーはチャールズの父親、EASY-Eの地、東京に行く事になった。空港では“ウェルカム、マンソンファミリー。マンソンファミリーイントウキョウ”と英語でデカデカとプリントされたプラボードとサイケデリックなほど色とりどりの花束を持って、T.O.B.で買い取られたばかりの現東京支店の幹部達がチャールズ達を出迎え、地面に這いつくばる様にこれでもかと媚を売る。アニータのビジネスはうまくいっていた。
 日本でもすぐにアニータの会社のソフトウェアはシェアを伸ばしていき、潤沢に流し込まれた資金でどんどん設備投資もろもろ、企業規模を拡大していった。金融、不動産投資を含め、思いつく事は何でもやった。どんな会社にでも手を出した。買えば売れた。いつからか無記名証券、代替物、便宜でしかないはずの金は目的になり、半年でこんなに大きくなるのかと思う程、把握しきれない程、アニータの会社は膨張した。
子供の成長は早く、チャールズはすぐ転校先のインターナショナル小学校に打ち解け、片言の日本語でも友達と話せる様になってきた。ちょうどその頃、母国アメリカの低所得者向けのサブプライムローンを組み込んだ金融商品が発端となり世界経済は破綻した。自分は実力でここまできたのだから大丈夫とアニータは自分に言い聞かせてきたが、大口の株主が二、三潰れ、資金繰りはどんどん厳しくなっていき、ダウンサイジング、従業員切りでは追いつかなくなってきた。金回りはどんどん悪くなっていった。やり過ぎた設備投資が首を絞め、ついに大きな借金を抱え、アニータは一つの会社も残せず、すべての会社をたたんだ。
 全て無くなった。それだけならまだ良かった。起業当時からの右腕が、会社の持ち株制度で莫大に資産を増やし、金融破綻直前に口論になりながらも会社を辞めたうえ、持ち株を売り抜けて独立した。絶対にうまくいかないと思っていた元部下の起こした会社に、今まで長年開発してきたアニータのソフトウェアはただ同然で全て持ってかれた。アニータはいたたまれないほど悔やみ、悔やみきったあげく、一時は成功した者らしく、スマートに睡眠薬で自分の命を絶った。
 会社の元顧問弁護士のもと、若いチャールズは一切の相続を放棄したが、アニータ一人、子一人で過ごしてきたチャールズには母方の親戚を含め、アメリカにも身寄りが無かった。日本政府も、国に親がいればまだしも、身寄りの無い子供を国外に蹴りだす程の理不尽さは無く、チャールズは施設に送られる事になった。考えてみれば、若いチャールズは知らないとはいえ、この恐慌で両親を二人とも亡くしている。
 あれからもう、十年以上になるだろうか。たまたま運良くグリーンカードを得て、20歳になったチャールズは円空と名乗り、売れない作家をしながら東京の片隅にいた。世界中どこに行っても永住権では、住めると言う権利と最低限の人権しか求められないが、それが当然の事なのは円空には理解できていた。ただ帰化できる権限を持ちながら、それを行使しない上に、更なる権利を求める様な在日住民の的外れには、異常に腹が立った。
 なんでレッツ母国に送金な奴らは、自分から進んでグリーンカードに留まっているくせに、更に地方参政権とかを求める?そんなもの世界中どこでも求められないし、ノンセンスだ。そんなの許す国、オランダしか聞いた事無いし、第一あそこの国は風車とチューリップしかない。そのオランダですら、帰化出来る権限が有るのに、その権利を使わないで自分の意志でグリーンカードに留まっている奴らに、そんな権限与えないはずだ。NO NON-SENSEだ!!!
 ガッツリの白人、アニータのコーカソイド顔に、純日本人EASY-Eの東アジアのモンゴロイドの要素が少し入った顔立ちの円空は、ここ日本で青春のほとんどを育った分、アメリカ国籍のくせに、人一倍日本に対して愛国心が強かった。なんでこれだけ日本を愛している僕には帰化できる権限が与えられない?そのパラドックスは、彼を更に内にこもらせた。そしてどこかで聞いたこの文章は、著者を更に内にこもらせた。
 施設を18歳で出てから、色々物を道で売ったり、歌ったり、考えつく事には全て手を出しながら生計を立てていた。考えてみれば、施設にいた十歳ぐらいの頃から商売を始めていた。拾ってきたバッグにペンキでECOと書いて売ったのは結構売れた。今、思えばE.P.T.(エナジーペイバックタイム)に対して全く認識のない、アホの環境バカがこれエコだからと言って、エコバッグを買い漁ったり、無駄に車とか冷蔵庫とかを買い替えるのよりは、ずっとエコだったと思う。「そうゆう奴に限ってクジラを保護しろとか言って、薬品を人に投げつけたり、調査捕鯨船に船ぶつけたりするんだ。」などと言い切る極度の偏見とも言える思い込みは、しっかりEASY-Eから受け継いでいた。
 当然、それを自分なりに正当化出来るだけ、裏打ちするだけの情報を持ち得てはいたが、眼に見えている物すら認識しきれていない人間程度の分際に、自身は把握しきれなかった。「同じ食料帯にいる種類は、多い方の数を制御しながら両方を増やしていかないと、数が少ない方の種を絶滅させる手助けをする事になるだけだ。」という持論まで円空は展開した。「自国じゃ、カンガルーをあれだけ殺して、クソシーシェパード、何言ってやがるんだ?」
 時代に歪められた円空の行き場の無いナショナリズムは、外に対する必要以上の敵対心で“愛する我が日本”を擁護する事により満たされた。その考えを突き詰めてもオセアニアの地域安全保障の足しにも、日本の安全保障の足しにも成り得ない事は、円空には解らなかった。ただこの多感な時期に不必要に環境により押さえ込まれた感情は、円空が円空で在る為の糧に成り、後から思えば必然とも言えるほど沢山の情報を円空に与えた。
 最初は、本当に簡単なフリーペーパーのコラムからだった。当然、それに必要な取材と経費、労力を考えれば良い仕事では無かったけど、道で物を売っていちいち警官に職務質問を受けるのが、永住権しか無い円空にとって、堪え難いほどの恐怖だった。下手すれば強制送還される可能性だってある。もう成人してしまっている分、どうなるか分からない。無知から来る不安からかもしれないが、そうなったらただじゃ済まない。
 かれこれ八歳から英語なんてしゃべってないから、そんなもの覚えちゃいない。恐怖心はいい意味でどっぷりと円空を執筆に向かわせた。経歴上、必然的に生まれた人格か、少し変わった目線で物を見るのが反って重宝された。両親を殺したリセッションの時期に底を突いた広告関連、コラム等の執筆仕事は、一度は停滞したものの、ここ十年いい感じに増え続けた。シニカルなアナリスト、エコナチュラル風水アドバイザー、気鋭の新人文芸作家。望みさえすれば、看板さえ付ければ、何にでもなれた。少なくとも文章で見た限りでは、誰にもエコナチュラル風水アドバイザーだろうが、えせナチュラル風水アドバイザーだろうが分かるはずが無い。第一、エコナチュラル風水アドバイザーが、なんだか分からない。
 ただ正直な所、エコナチュラル風水アドバイザーと名乗った時が一番稼げた。ふざけて書いた“ハッピーエコ風水”と言う本が、ニッチな所に爆発的な大ヒット。新百合ケ丘に小さな店まで持てた。店ではいつも予約がパンパンで、新百合ケ丘じゃ今後永遠にありえないほどの人だかり。テレビの取材までドンドン来て、まさかとは思ったが人が新百合ケ丘に並んだ。人が新百合ケ丘に、新百合ケ丘に並んだんだ。やる事と言えば、少し花を並べたピンク基調の部屋の中で、おばさんの持ってきた情報に唸る様に祈るのと、トイレに花を置けなどと適当なアドバイスをするだけ。それだけで15分三万円。“でも大丈夫、セレブな方だけですから”が合い言葉。
 いい気なもので、エコ壺だの、エコペンダントだの、エコ数珠だのを、超一流DCブランドの値段設定で売り込んだ。エコと付ければなんでも売れたし、そこにさらに風水と言う、気の物の強みがあった。「気の問題です。」と言えばすべて済んだ。間違いなくバブルと言い切れるほどのインフレーションが新百合ケ丘の一角で起きた。その瞬間、黄色く塗っただけの壺は120万になった。それでも、みんなこぞって買い漁った。どんなブランドでもそうだろうが、商品自体に差があると言っても限界が有る。最終的には、その値段を出した自己満足と優越感が商品に価値を与える。エコ壺でも、おばさん達はこんなに満足そうだもの。「ちなみにクーリングオフは承っておりません。」「運気のものですので。」「オーラが変わりましたね。」などと気休め程度に言ってみる。
 当然ながら、こんなあこぎな商売がずっと続く訳無いのは明らかなので、円空は早い時点で共同オーナーに、出版物の印税以外のすべての権利を高額で譲渡した。完全なる勝ち抜けだった。ちなみに二年後、共同オーナーはエスカレートさせ過ぎて捕まった。
 やっぱり普通っぽい印税生活を望みたいと、完全なる駄目人間の発想を、円空は円空なりにエスカレートさせていった。ただもう自分では本は書きたくない。それならばと求人を出して、代わりの自分を募った。少し前の円空の様な、稼げない才能の無いライターは、うじゃうじゃと昆虫の大量発生の様に集まった。面白いので、高額の“円空エコ預金”を切り崩しながら面接と称した人間観察に勤しむ。まさか小説ひとつ、これだけの労力を使って二万円で書くバカがいるなんて。仏教徒、ヒンズー教徒、カソリック教徒の金銭拒否万歳!欲を一切排除出来るなんて、全くもって素晴らしい事です。なら僕が代わりに行き場の無い欲を承りましょう。カルマも何も信じない円空は、神様、将軍様気分で面接していった。
 「いい作品が出来たら買い取ります。無名のあなたの名前では売れませんので、全て作品は、チャールズ円空マンソン著です。作品ごとの値段は安いかもしれませんが、その代わりあなたの作品を責任持って日本中の読者に届けます。より多くの人に読まれたいでしょう?出版と言うのは大変です。」実態より聞こえは良いが、円空はこの世のどこにも存在して欲しくないほどに“ファッショ”だった。生真面目そうな文学少年、少女たちを、歌わす、踊らす、脱がす。そこは円空の“ネバーランド”だった。二週間に渡り、毎日そんな事を繰り返していた。円空からすればただ単にゲイだろうが、ヘテロだろうが、バイだろうが、男だろうが、女だろうが、裸で真剣に踊る奴は面白い。が、当然神仏的な原因でなくとも、そんな事をしていたら罰が当たる。
 その日もいつも通り、午前から三人ほど東洋のカダフィーは、集団面接をしていた。ジェンダーフリーと言う事で、男女問わず裸で互いに腹に顔を書かせて踊らせていた。みんな疑いの眼で見るものの、他のみんながそうしているし、芸術への理解度を確かめる為のテストと言う建前では、みんな何も言えなかった。
 しかし、午後一人目の杖をついたこの好青年は違った。円空は、まずじわじわ普通の質問をしながらいたぶる事にした。別に膝が悪い訳ではないそうだ。サルトルが好きなようだ。カント、ヘーゲルは、彼的には違うそうだ。円空はこの辺りで気付いておくべきだった。まさしくそうなのです。彼は左翼だったのです。
 空気を読めなかった円空は、いつも通りに演舞にスライドさせていこうとした。彼は、「それはちょっと。」と、すべて断るので少し円空もムキになってきた。きっと二週間面接を続けた間に、感覚も狂っていたのだろう。「じゃあ、脱いで踊れよ!」と円空が声を荒げた瞬間に、好青年の闘争本能に運悪く火がついた。「この腐れカントが!」と叫び、杖はゲバ棒に変わった。埼玉県知事でなかったのが幸いだが、フルボッコだった。15分間に渡り、「実存、実存!」と叫びながら好青年は、円空を魔法の杖で殴り続けた。確かに物質の力は精神に影響した。
 良いのか悪いのか、正しいのか正しくないのは分からないが、別人格が出来上がり、ファシズムは滅んだ。完全なコミュニズムの勝利だ。一切の円空の預金含め財産はゲバ棒をもったロビンフッドの手によりシェアされ、円空は一日にしてすべてを失った。一切のニヒリズム、毒気は円空から排除された。もう精神が物質に影響するなんて、円空は口が裂けても言いません。欲しがりません、勝つまでは。
 「クジラさんが悲しむよ。」円空はNPO団体に従事して、海岸でゴミを拾っていた。「道にお花さんを植えると心まで綺麗になる気がするんだ。」完全に出来上がった、一切の疑いの無い眼で円空は言った。「友愛社会を実現しないとね。」どっかで聞いた事がある様な話だが、疑いなく彼自身から発せられた、彼自身の言葉だと信じたい。彼は一切の武器のない、世界平和論を唱えだした。そんなこと不可能なのは中学生でも分かるが、愛の時代の到来だ。「道州制を実現すれば、地方間格差が無くなってみんな幸せになるんだ。」格差が広がるだけだとしか思えない。
 一切のエゴと人格を排除して、人の為にNPO団体でボランティアとして働き続けた結果、円空はこの方法では多くの人を救えないと、ありきたりに思った。彼は有志を募り、“友愛実現党”と言う新しい政党を作る画策をしだした。愛と道州制の為に戦うそうだ。共産党系も社会党系もフリーメーソンも宗教団体もゲイもヘテロもバイセクシャルも猫も杓子も、愛の力で乗り切るつもりだそうだ。まず自然を愛する為に、化学繊維で出来た服は着なくなった。てか、一切服は着なくなった。フォーク、トランス、ハウス、ワールドミュージックが好きになり、より深くに潜む実態に辿り着く為に、サイケデリックドラッグに手を出した。化学薬品の影響であまりに精神論を唱えるので、共産党系と仲が悪くなった。でもドラッグをやっている最中なので、そんな事、把握仕切れていない。次にお金の匂いがあまりにしないので、“非営利団体”のフリーメーソンが去っていった。でも幻覚しか見えてないので、そんな事、把握しきれていない。
 引っこ抜いた花の死体を耳に刺して円空は、友愛実現党から出馬を検討しだした。選挙に出る為には、供託金等々お金がかかりすぎるので、みんなから献金を集めた。一部はドラッグに消えた。必要経費だ。愛と平和と階級闘争と解放の実現を強調する事により沢山の方から、“支援を頂いた”。が、永住権しか無い外国人の円空は、当然、出馬出来ない事が分かった。さらに、経費がかかりすぎるので、支援者に返金出来なくなった。数人、党から出馬させたが、出れない円空を人は詐欺師呼ばわりだ。円空は、政治への一切の興味を自分の中に押さえ込んだ。結果、ドラッグとフリーセックスとカルト的な思想だけが残った。
 仕方が無いのでそれでも愛を唱えてくれる仲間を連れて、山奥にヒッピーのコミューンを作った。異常性欲者と言われても仕方が無いほど、不特定多数とのセックスに明け暮れた。テレビも無い田舎ではセックスしかする事がない。ヤッて、食って、クソして寝る。最高にプリミティブだ。東京郊外八王子の山奥で一時的だが、友愛社会が実現した。有言実行は大事だ。マニフェストは守らなくちゃいけない。
 そんな友愛社会も、食料が無くなり、育てていたマリファナが枯れ、ドラッグが底を突き出すと終わりが訪れた。一枚のLSDと一錠のエクスタシーを巡って大げんかが起こった。これでは完全にただのバカの集まりだ。二十一世紀に二十世紀のそれも六十年代が意図せず、再現されてしまった。
 裸の仲間達が周りからいなくなると、円空はどうして良いか分からなくなった。もうどんなにあがいても選挙に出る為の帰化権は得られないし、テレビで出ているアナリスト、コメンテーターが道州制や友愛なんて唱えようものなら堪らないので、テレビすら観られない。自分の心に押さえ込んだ政治熱も、地方分権はしたいのだが、参政権が無い。母国に帰っても、言葉がしゃべれない。どんなアホでも老人でも二年もすれば言葉はしゃべれる様になる事実には円空は心を閉ざし、気付かないフリをした。明らかに、外国で言葉しゃべれなきゃ死ぬ。飯にありつけない。でもなかなか政治出来るまでのレベルには、海外から人が行っても、シュワルツネッガーぐらい筋肉が無い限り、至らないだろう。出来たところで地方経済を破綻させるだけだ。
 別にどうせ外国人だし、出馬する奴のサポートしか出来ないし。円空は二十七歳にして、すねた後、グレた。取りあえず剃りを入れて眉毛を剃ってみた。ハーフ顔なのでなかなかいい感じに、いかつく仕上がった。“DEATH BEFORE DISHONOR”と肩にタトゥーも入れてみた。恥をさらす前に死ね。何が恥だか分からないが、いい感じだ。股間にも“THE ORIGIN OF SPECIES”とタトゥーを入れた。種の起原。ダーウィンも引くほどの超ワルの出来上がりだ。煙草も二十七歳にして、ついに吸い出した。喉と肺が痛くて堪らない。
 カツアゲはコーカソイドの体格を活かして、何も言わずともかなり高い確率で成功した。だがいくらお金が満たされても、心は満たされない。ドラッグでβエンドルフィンだかセロトニンだかなんだか、多幸感を得る脳内物質を機械的に出そうとしても、やはり逆に実態が伴わない。これまた救いが無くなってきたが、そう気付いても、入れてしまった入れ墨は、消えない。全てのパラドックスは、またカルマの様に円空に取り憑いた。
 円空はどうあがいても救われなかった。それでもそれしかないから、ドラッグは止めなかった。あまりに無気力で、外を歩く事すら出来ないし、ドラッグが無くなった時、金がなくなった時以外は、外に出る理由も無い。意識がそこに向かないから汚れていようが、ネズミが死んでいようが、屋根と壁があれば構わない。外に出れば幸せそうな人間に腹が立つ。どうして、俺の人生はこううまくいかないんだ?誰からみても生い立ち、運命の不幸さがあるが、円空の被害者意識、被害妄想はドラッグに後押しされ、更に大きくなっていった。これだけ人の為に頑張ったのに、いいカルマがあってもいいはずなのに、なんでうまくいかない?
 辛い、あまりにも彼の話は辛いので、人は彼の周りから居なくなっていった。中途半端な生い立ちで同情を引くような、片親だ、なんだって中途半端者とは明らかに違う。どんな楽天者も彼の話を一分聞けば、どん底までテンションが下がる。円空の唯一の思考は、カツアゲしないでドラッグを得る楽な方法にしか向かわない。カダフィーな日々とヒッピー生活ですべてを失った円空には、この代々木公園の掘建て小屋しか無い。山奥に居て野菜でも育てていれば、まだロハスな人生に見ようと思えば見えるものも、都会にいると余計に陰気で、不幸を演出する。
 ただ、以前円空に生まれたわずかな良心は、ドラッグをやっても、人に迷惑をかけないで金を得る方法を求め続けていた。そんな中、マリファナで、ぼーっとした遅い頭でやっと思いついたのが、この公園の掘建て小屋でできる、“不幸の館”だ。延々と今までの不幸自慢、自虐ネタを披露する。ニーズを見極めて、サラリーマンとかを泣かせたりする。不幸を見て笑いたい中高校生の連中には、ひたすら自虐で笑わせる。
 最初は千円と言う値段もあり、二日に一組来れば良かったのが、意外なヒットだった。他の浮浪者にはロケット花火を打ち込む中高校生が、円空には1CUP大関を持ってくる。そんな奴には、「俺は、実は探偵なんだ。」と嘘の武勇伝も織り交ぜつつ、ただで話してやる。仏教的な名前と、ロン毛にひげっ面の嘘くささが、逆に功を奏した。少し綺麗目の、毎日原宿の日サロでシャワーを浴びる、金の有る不思議なホームレスが出来上がった。当然シャワーを毎日浴びているので臭わないが、商売上浮浪者振る。
 ハーフの綺麗な顔立ちは、余計にアホな女の優越感と母性本能と同情を引く。今じゃ何人かが弁当を持ってくるので、今までに無いほど太った。浮浪者のくせに尿酸値が上がり、贅沢病通風になりそうになる。女が一人も来ない日も、今都内で流行のチェーン店、“BEAVER BURGER”で食べる。運動しないと本当にヤバい。家は無い上に通風になりそうだが、代々公じゃキングだ。たまにまわりに住んでいる奴に、“BEAVER BURGER”のジュースでも奢ってやろうものなら公園じゃ神様だ。みんなジュースを隅までベロベロ舐め回しながら、「最高だよ、最高だよ!」と群がってくる。もう一生、このままで良いんじゃないかとか思い始める。
 いいかげんここまでみんなに慕われたら、いつまでも意気がった高校生じゃないんだから薬やって、葉っぱばかり吸っていられない。円空は聖人の様に振る舞いだした。どうも円空には教祖的、カルトリーダー的なカリスマ性が自身が望まずとも付きまとう。まわりから望まれてそうなる様だ。祭り上げられるが、本人は極めて飽きやすい。そこそこの金があれば、それ以上は無頓着だった。すべてにおいて、達観した自分に少し満足感を覚えている様な盲目さが、良いところまで登ってもかならず円空を地上に引きずり戻した。完全な盲目ならばそこに強みがあったろうが、強みにし得るほど盲目ではいられなかった。
 少ししてから、やはりそんな生活に飽きてしまい、円空は“不幸の館”を閉じた。あまりにみんながカルトリーダーとして崇めるものだから、B型のドアホは乗せられて、いい気になってしまった。完全に仏の気分で一人、山ごもりを断行した。やはり物質では満たされない部分があるのではないか?という普段決して求めない達観を、おだてられたので求めだした。印象としては、それっぽいしね。無意識下に閉じ込めた心は、そんな程度だったのかもしれない。
 ブタは、おだてられて確かに木に登った。そして山にこもった初日に、円空はマムシにかまれたショックで転んだ。膝を擦りむいた炎症が原因で死んだ。死因と、一切マムシの毒は関係なかった。完全に白骨化するまで、遺体は誰にも見つからなかった。円空は、本当に円空仏になった。

          第三部 おまけ(The Duplication)

 そこは陸の孤島、茨城県筑波市の山奥にひっそりとたたずむ研究所だった。今は筑波エクスプレスが通り少し便が良くなったが、陸の孤島が陸の孤島で有る事には今も変わりは無い。近所の住民から廃墟と認識され、子供すらも近寄らないその建物の中では、日夜問わずマッドプロフェッサー達による研究が行われていた。その辺りでは、裏庭に行くと言ったきり、よく子供が神隠しにあった。政府は北朝鮮に因る拉致を匂わすリークをするも、子供は決して戻って来なかった。
 この研究所は、C.I.A.の出先機関で、アメリカ本土では成果を上げる事無く終わった、“OPERATION PANDORA”“ROBOTOMY”と呼ばれていた、脳に外から電子信号を与える事に因るマインドコントロールの研究の為に、戦後少ししてから設立された。当初の目的は人間を思いのままに操り、殺りく兵器にすることだった。ちなみに表出されている情報においては、昆虫で成功しているのみであるとの事だったが、戦後ドイツから連れて来られた元ナチスドイツの研究者と日本人の研究チームは、ある一定の成果を上げていた。
 「人間とシカのハイブリッドってマジ面白くない?」「いや、あまりにも染色体の数が違いすぎるから、霊長類とが限界じゃないか?」「オラウータン似のおばさんとかよくいるし、霊長類じゃ見た目がつまんないっしょ?」「どうせならコウモリか蛇ぐらいは、いきたいよね。」「蛇人間か?もしも、その姿で生まれてきて人間の知能があったら、その人の蛇人生って超不幸だよね?」「蛇人生ってマジウケるんだけど!笑」「ハーッハッハー!笑」
 そんな会話が日夜、研究者の間で繰り返されていたある日、ふと研究所の休憩室のテレビでEASY-Eのニュースが流れた。「昨日、東京都世田谷区の松陰神社で腹部に刃渡り30センチ程の短刀らしき刃物が刺さった状態で発見された男性の遺体は、世田谷区在住のEASY-E氏のものであるとの声明が、本日警視庁から出されました。なお、当局は他殺の可能性は現段階では無いとの見解を示し、今後も引き続き慎重に捜査を・・・」「うわっ」思わず日本人研究者の一人が声を荒げた。「これ知り合いなんだけど、マジウケるわ!!」「いや、それはどうかと思うわ!笑。で、何の知り合い?」「いやさー、たまたま冬に六本木の飲み屋で意気投合して番号交換したりしたんだけどさ、なんかハイブリッドとかG.F.P.とか興味あるらしくて、俺も何か混ぜたい、混ぜたい、ハルク作りたいって、ちょっと飲んだだけで酔っぱらって、わけ分かんない事をうだうだ言ってたんだよな。まー、いい感じのアホだったわ。飲み屋に忘れてった手袋、まだ家に有るんだけど。マジ縁起ワリーわ・・・」「てかさ、その手袋から皮脂とればアホのクローン作れんじゃん!!」「それ、アツくねー!?」
 トントン拍子で事が進み、次の日にはEASY-Eの手袋の皮脂から取ったD.N.A.核が、捕えられてきた二十代女性の卵子に組み込まれ、再び卵子が錯乱状態の女性の体内に戻された。一年後無事出産を終えた女性は記憶をリセットされ、無事再び野に放たれた。凄く嬉しそうにキャンキャン鳴きながら、代理母は山の方に裸で走っていった。
 「本当に出来ちゃったわ。」研究者達は、ものすごく喜んで、その生まれた子にDOLLYと名付けた。そしてその後、五分考えた上で、互いに責任を押し付けだした。「てか、お前のせいだからな。」「いや、言い出したの、お前じゃん。」「やっちまったものは仕方ないから、研究と言う建前は保とうぜ。」コンセンサスが生まれた。「てか、アホのクローンって、教育与えたらまともになるもんなの?」   
 その部署に10人いるエリート研究者達は、好みの教育をDOLLYに叩き込みだした。三歳ぐらいから超エリートに依る、超エリートの為の理系教育が行われたが、三年もするとみんな普通の子と見た目が変わらないので、飽きてほったらかした。残りは、捕えらえてきた公立高校教師のおっさんの、ガッツリの左翼日教組教育に委ねられた。当然人格はその時点でのクローン技術が原因でなく、密封された場所での左翼教育により歪んだ。
 「マルクス様は、空を飛べるんだ。」おっさんは、いつもの様にDOLLYに語りかける。疑いの無い子供は、「うん、そーなんだ。マルクス様って凄いんだね。」と大きな声で返事をする。「悪い事すると安岡正篤が、さらいに来るぞ!」わんわん鳴きながらDOLLYは見た事も無い、想像の安岡正篤に恐怖した。「天皇に悪い子は八つ裂きにされ内蔵を取られるぞ!」きっと幼いDOLLYの中では、どちらも、なまはげ的な妖怪だったのだと思う。当然他の教育と違わず、倫理観はトラウマにより植え付けられた。六歳にもなると、ひどくマテリアリズムに傾倒した「実存、実存。」が合い言葉な子が出来上がった。唯一の遊び道具がゲバ棒だった。12歳にして現資本主義システムは間違っているのをベースにして、経済の教育が与えられた。「国益よりは、世界益!レッツコスモポリタン!」と毎朝マルクスの写真に向かって唱え続け、すでに八年になる。もう、ちゃんと一人でピース缶爆弾が作れますし、街宣車で人も轢けます。
 DOLLY十五歳の時に、研究者達は完全に忘れていたDOLLYの事を思い出した。「あれっ、お前そう言えば昔クローン作ったよな?」「お前じゃなかったっけ?」「やべっ!」10人は急いでそのB棟の研究室Cに向かいドアを開けた。そこには、もうしっかり成人男性と身長的に変わらなくなったDOLLYがヘルメットを被り、タオルで顔を覆い、ゲバ棒を持って、チェゲバラのTシャツを着て、おっさんと一緒に立っていた。配給担当が食料を毎日定時に、DOLLYとおっさんに届け続けていたらしい。
 しっかりと育ったDOLLYに感動すら覚えたが、あまりの偏った教育に研究者達は愕然とした。どんな話題を振っても、DOLLYにはすべて権利闘争と階級闘争の話になってしまう。しでかした事の重大さに気付き、とりあえずおっさんを抹殺し、DOLLYを元の軌道に戻そうとするが、もう遅かった。「もうコミンテルンもコミンフォルムも、もう無いんだよ!」「そのギャグ最高ですね!笑」「だからーっ、ソ連はもう無いんだってば!」「ぎゃはははははー!笑」
 マジで対人恐怖症気味の天才研究者達には、どうしていいのかわからなかった。当然、脳に電磁波で外的刺激を与えたりなどしてみたものの、DOLLYをサルトルの本から引き離す事は出来ず、ついに「お前は一人前の男になった。」とだけ言い、DOLLYを実社会に放り出した。
 当然、すぐに若いカリスマは、六十年代権力闘争と集団ヒステリーを繰り広げてきたマルクス主義な、共産党なおじさん達に、ものすごく重宝された。アジト内には留まらず、まるでチェゲバラかレーニンの再来の様に、各地でもてはやされた。「一体どんな天才が教育をすれば、こんな神童が生まれると言うんだ?」みんなのいつもの話題はその一点だった。だれも拉致された元公立高校教師のおっさんが教育したなんて思いもしなかった。DOLLY自身も天才と噂されている事をうっすら気付いてはいたが、悪い気はしないので放っておいた。そんなことよりもっぱらの興味は、権力闘争と蟹工船の様な素晴らしいプロパガンダ作品を書き上げる事だった。
 「右翼と宗教家ボコボコにしてきましたよ。革命の日は近いですね。」などとおじさん達に言えば、「おー、さすが神童、凄く実践的だ!」ともてはやされた。だが、DOLLYはいろいろなコラムなどを機関紙に載せるだけの、おじさん達の旧来の方法では、新たな層の取り込みが出来ないのではないかと思い始めた。こんな“赤い稲妻”なんて機関紙、誰が読むんだ?DOLLYは革命の為の兵隊を増やすには、若い層を取り込まないといけないことを的確に捉えていた。その日から大手の出版社の門を、来る日も来る日も叩いて回ったが、大手出版社の受付の対応は必ず決まっていて、「申し訳ございませんが、持ち込みは受け付けていないんです。」だった。企業努力怠って潰れろと思いつつも、仕方が無いのでどんどんランクを落としていって、どんなに小さい規模の会社でも、全国的に出版する機会さえ与えられればいいと思う様になっていった。インターネットからも雑誌出版等の求人広告があったので、ライターの募集ならば、すべて応募した。給与は問わない。別に三百円でも貰えればそれでいい。そう思い始めていた矢先、運良くDOLLYの携帯が鳴り、一度面接に来いと言われた。DOLLYは、かなりしゃれた麻布のマンションの一室に、いつも通りゲバ棒を突きながら午後一番に乗り込んだ。
 ロビーに入る為のオートロックを空けてもらい、2階にエレベーターで上がる。部屋の前のチャイムを鳴らすと「よく来たね。」と、凄くきれいな顔立ちをした、流暢な日本語でしゃべる、少しアッシュっぽい茶褐色の髪色の白人男性が出てきてDOLLYを丁寧に部屋に招き入れた。
 「膝は大丈夫?」「杖のままで大丈夫だから、そこに座って。」と洒落た濃い茶の木目調のだだっ広いワンルームの真ん中に置いてあるイームズのシンプルなプラスチックの椅子にDOLLYを案内した。部屋は目黒のインテリアショップのようにさっぱりしていて、有機質な木が無機質に思えてくる。男性は、DOLLY向かいに2メーターほどの距離を置いて配置された、重厚感のある荒い作りの大きな机の後ろに座り、どれだけ今の出版業界が厳しいかについて話しだした。
 「まーそんな訳でね、生半可な事じゃ、新人が出版なんてできないんだよ。」「できてもそんなもの商業的価値なんてないんだ。」「こっちもお金が無くてね。」白人男性はDOLLYにどれだけDOLLYの置かれた状況が厳しいかについて、高圧的に認識させようとした。「まー、緊張する必要は無いんだから。」このパワハラ的な感じが少しDOLLYの勘に触るが、兵隊を増やす為なら、二万円と言う報酬も、本当はどうかと思うが、背に腹は代えられない。「どんな本が好きなの?」DOLLYは、一つ一つの質問に誠意ある対応で答えていった。どうも出版物は全てこの男性の名義で出る事になる様だが、それも革命の為なら構わない。
 少しすると男性は美術への理解について語りだした。「出版でもね、当然キーになってくるのは創造性なんだよね。美術への理解が無いとね。」笑いを自分の口内で噛み殺す様に男性は続けた。「そしたらどれだけ君に理解が有るか確かめたいから、ちょっとなんでもいいから歌ってみてくれる?」DOLLYは、「それはちょっと。」と答えた。こんなの何の関係があるんだと思い始めるが、男性の要求は終わらない。DOLLYは、当然ながら断り続けたが、次の瞬間「じゃあ、脱いで踊れよ!」と男性が怒鳴り、それを合図にDOLLYの中で何かが変わった。「この腐れカントが!」とか言ったと思う。無心で机の上から5分ぐらいだろうか、叫びながらゲバ棒で殴り続けた。やらなければ、他の労働者がまた犠牲になる。
 くそバカの腐れブルジョアは、肉の塊にしてやった。机に置いてあった通帳に一億四千万円も入っていたのに気付き、正義感に駆られた。搾取されているプロレタリアの為に、通帳と印鑑を持って銀行に走った。銀行員はこんな高額の引き出しを当然不審がったが、血だらけの棒を持って、返り血を浴び、プルプル震えている人には逆らえず、袋に全額を入れた。DOLLYはその場に印鑑通帳を残していったが、戸籍もなにも無いDOLLYが捕まる事は無く、捜査は打ち切られた。指紋が死んだEASY-Eの物で、捜査当局が一時軽いパニックにはなったらしい。金は全て労働者ユニオンに、その日のうちに寄付した。
 「少し分配の方法が社民党的だけど・・・」とは言いつつも、マルクスなおじさん達はDOLLYの行動を高く評価した。DOLLYは以前より、一層カリスマとして崇められ、機関紙などにも、顔写真が登場する様になった。今から思えば絶頂期だった。ただちょうどその頃からだろうか、DOLLYは若くして病気が頻発する様になった。
 人の寿命はテレメアで最初から決まっている。人は寿命を縮める事が出来ても、それを伸ばす事は出来ない。二十六歳頃のEASY-Eの細胞からできたクローンのDOLLYは、元々人より二十六年分、テレメアが短かかった。まあそれ以前に、EASY-Eの生きられたであろう寿命が短かった。
 当然、DOLLYがEASY-Eのクローンだという事実を人は知り得ないので、DOLLYの病弱さは、そのひたむきな執筆活動と相まって、人々の心に余計に共感を与えた。DOLLYが事切れたその後も、代わりのいない神童は、多くの人から何十年と信仰され続けた。DOLLYは、自分の思うプロパガンダ作品を描けなかったかも知れないが、DOLLY自身がプロパガンダになった。

   

後書き

またまた、お前が死ねも含めてr.kase@hotmail.co.jpまで感想くれ。

この小説について

タイトル 頼むから死ね
初版 2009年6月9日
改訂 2009年6月9日
小説ID 3204
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2017.9.13xukaimin コメントのみ 2017年9月13日 10時09分18秒
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2017.9.13xukaimin
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