二度目の指輪

二度目の指輪


携帯のアドレスも電話番号も、住む場所さえも変更したのになにも連絡なし。
全く形跡がない。
そう、恋人の麻生和馬(アソウカズマ)の足取りがつかめなくなったのは
付き合って4年目のある夏からだった。
最後に会ったのは本当にいつだったか覚えていない。

電話ならば今から二週間前に和馬の方からかけてきた。
けれどもその日は夜勤で、携帯に応えることができなかった。
折り返し連絡しても、彼が電話に出ることはなかった。
たったひとつ留守電にメッセージを残すだけ。
けれども不幸にもその携帯電話はお陀仏してしまったのだ。
仕事のさなか、疲れてトイレに入って、
勢いあまってズボンの後ろポケットから携帯電話が便器の中へ死のダイブ。
メモリーは一切合財消えたのだった。
和馬のメッセージを聞いてないまま、結局聞けず終い。
仕事用の携帯を間に合わせにしているからいいけれど、それでも連絡がとれないのは
和馬と数人。いつもならいらないのに電話がかかってきた。

「……何処行っちゃったのよ…ここまで来ちゃったじゃないのよ」

風見千瑛(カザミチエ)は文句を呟いてしまう。

連絡がとれないので和馬と千瑛の共通の大学友人である香里(カオリ)に迫り、ようやく手に入れた和馬の情報。
夏季休暇を利用して、ほとんど考えなしに来たらずいぶん遠かった。
ついた町は素朴を絵に書いたような小さな町。
面白みも欠片もない、寂れた町並みにため息をつくと、千瑛は歩きだした。

(さて…誰に聞いたらいいのかな…)

とりあえず警察を探して地図を見せてもらうのが妥当だろうけれど。
人に声をかける勇気がない。
(香里つれてこればよかった…かな)
携帯電話を取り出して、彼女の電話番号を出しそうと鞄の中に手をいれ、とりやめる。

― 会いに行くの?……無理だと思うよ。もう…千瑛でも彼に会えないよ―

冷房フル稼働の寒い喫茶店。
飲みかけのカフェオレ。ストローをかき混ぜる彼女。
コーヒーとミルクがどんどん薄茶色に溶けていく。
言いにくそうに言葉を濁す香里の表情が浮かんでくる。

嫌な予感がしたから香里には今日のことを言ってない。
一緒にいけば…最悪余計こじれると思った。

(…まあ警察くらいそのうち見つかるよね)

足取り軽く、千瑛は歩いて行く。

見知らぬ彼が今住む町の、小さな歩道を歩く。
コンクリート舗装が半端でかなり汚れ、削れている。
歩道と道路を隔てる柵も、木造でひどく頼りない。
電柱も、同じく木造で、ぼろぼろの古い選挙ポスターが貼られている。
人はまばら。多くもなく、少なくもない。
「田舎」というわけでもなければ、娯楽というものはこれと言ってない。
そんな普通の町。ただ、体感する夏の温度が今千瑛の住む街よりも
涼しい気持ちがするだけ。
良い点をひとつあげるなら、空が広く見えるというところだけだ。

(…つまらない。早く…おさらばしよう)

千瑛はそう決めると、今度すれ違った人に絶対に道を尋ねようと決めた。
向こうから、歩いてきたのは若い男。
男はスイカをぶら下げて、携帯をいじりながら歩いてくる。

「すみません、あの警察ってどこにありますか?」
「ああぁ、えっと…。そのまままっすぐ行くと信号ありますよね。
わたって右に折れたら…」
「……すみません。あなたの家教えてください」
「はぁ?」
「あなたの…………麻生和馬の家を…この私に教えてください」

男の手首を逃がさないように掴む。
彼は、麻生和馬は大きな目をしばらく見開いて驚いていたが
やがて柔和な微笑みを浮かべてはっきり話す。

「俺はあんたの言う麻生和馬じゃありませんよ」

***

「どうぞ…」
「どうも」

シンプルな黒塗りの丸い机に、氷入りの麦茶が置かれる。
部屋はクーラーがかかっておらず、それでも大きな窓はよく風を通してくれた。
風が通るたびに、耳に心地いい風鈴の音が揺れる。

部屋の中はかつて千瑛が訪れたことのある和馬の部屋とは違っていた。
だが千瑛は確信している。
この目の前で麦茶を涼しい顔で飲んでいる男は、和馬である。
染めた髪は黒に戻し、服装も地味になり、部屋の模様まで別人のように
していてもこの目の前にいる男はやはり、千瑛の彼氏であり、
連絡のとれなくなった和馬本人である。
まさか、こういう態度でくるとは思っていなかっただけに戸惑ったが千瑛だが
再び闘争本能を呼び覚まし、彼を睨む。

「……どういうつもり?はっきりしましょう?」
「そのまんまの意味だって。さっき外で言ったろ?」
「ようは私には興味無くなったってことでしょう?別れたいってことでしょう?」
「ん…あぁ…なんでそうなるの?」
「普通そうじゃん。忙しいから連絡取れなかった、とかいい加減な言い訳はいいわ。
 あたしだって連絡遅れたし。でも…でもさ、なんかなんにも言われずに
 別れられるとこっちはリスタートできないじゃん」
「…………ふーん」
「……それなりに心配してたし、不安もあったんだから。理由教えてもらいたいよ。
なんで?連絡全くくれなかったの?」

和馬なら言い訳を並べる。笑ってごまかす。
その二択。こう強く言いつのるだけでも彼は言葉を迷い、どもってしまう。
視線も左右に揺れて、困惑してやがて下を向く。

けれども彼は、視線を静かに受け止めるだけだった。

「千瑛ちゃんって、茶髪で女の子って感じの可愛い子なんだな。
 想像してた女とはちょっと違うな……」
「ばっくれるの?…やめてよ別人のふりするの。
 双子の弟でもいましたってオチだってありえないし…ってか、たしか和馬一人っ子だし」
「付け足すよ。和馬は…一人だよ…天涯孤独だ。知ってた?」
「…………えっ?」
「両親も妹も交通事故で死んじゃった。残ったから親戚に引き取られたかれどたらい回し」
「……それは…知ってるよ」
「じゃあこれは…彼自身ももう死んじゃったって…」
「はっ?だって和馬目の前にいるじゃん…何言ってるの」

彼は笑む。その笑みが、今まで和馬が浮かべたことのない冷たい
凍えるほど不気味な笑みだった。
彼は、胸を抑えて右手で銃の形を作る。
そして「バーン」と子供みたいに言った。頭を打ちぬくふりをした。

「今から一か月前くらいに、心の中で和馬は死にました。今は、俺が和馬。
 別れる理由は…俺の好みは前の和馬とは違いますから…そんだけ」

言って彼は、千瑛の傍による。
すぐさま千瑛は立ち上がり、この場を逃げようとするが彼は―和馬だった者は
腕をつかんだ。強く、爪が食い込んでくる。

「……でもさ、うるさいし…っていうかなんかムカつくし…。
 一回痛い目にあってさ、それから…俺に素敵な経験を積ませてくれる??」
「…………なによ……なんなのよあんた」
「俺、スイカ好きなんだ。なんでか知ってる?」

声もでない。先を聞きたくない。きっとなにか悪いことが起こる気がする。
怯える千瑛の表情に恍惚な笑顔を浮かべながら和馬だった者が言う。

「だって、考えたことない?スイカの中身の真っ赤。
綺麗な醜い人の中身と一緒だよな。かち割るとね、楽しいよ」

彼のもう片方の腕が千瑛の首を鷲掴み、首がどんどん圧迫されていく。
(どうして?どうしてこうなったの??)
けれど、最後に千瑛が見た和馬の表情を見て完全に…千瑛は思う。

本当に「和馬」はどこにもいない。

「…………愛してる」
優しげに言った彼の言葉を、最後に意識が真黒になった。

***

「君に、伝えたいことがある…僕にはもう一人の僕がいる」

メッセージの発信音の音がなって、和馬は話す。
けれど言葉が続かず、結局最後はとても意味不明になってしまった。

なにが言いたかったのか、きっと伝わりはしない。

仕事が嫌いだった。人に媚びへつらい、それが社会にとって役に立っているのかすら実感がない。ノルマ、目標。義務に使命。そんなもの企業の求める最大の目的はどうしようもなく利潤なんだ。わかってはいた。けれど、理解し受け入れるまではできていなかった。
辞めたくても辞めれない。
和馬には何も無かった。
両親もいない。兄弟もいないから家族もない。親類はずっと疎遠になっている。
生きていくのに必死だった。
気が疲れていくのに気づきもしないで。
追い詰められていく中、和馬は幼稚な現実逃避を無意識に生んでいた。

「働いて苦労して追い詰められている自分と、他人事のように観客とている自分」

上司に怒られて辛い時。ストレスが重なってどうしようもない時。
和馬は幽体離脱したみたいに、その怒られている和馬自身を見ている。
二重人格というわけではない。怒られている自分と、観客に徹している自分は
同一であるということを意識している。
けれど、重ねていく毎に、常に怒られている和馬側は自分から離反していった。

そのきっかけは君だった。

糸が切れたように倒れたのは仕事をはじめて半年後。
駅で貧血を起こして倒れた。
倒れている間に、意識は少し残っている。
雑踏の声が聞こえる。人が誰かなにか喋りあっている。駅員が声をかけていたように
思える。…でも最初に声をかけてきたのは男じゃない。

「大丈夫ですか?…救急車呼んだ方がいい??
ちょっと、駅員さん。見てないでなんとか助けなさいよ」

勝気な言葉、でも見つめてくる表情はうってかわって不安気だった。
「大丈夫」と言ってるけれど声もでない。
けれど、嬉しかった。家に帰っても一人。
仕事に行っても、ビジネス上以外にいたってもプライベートな付き合いはしない。
ただ、和馬はそういう交友関係しか築けなかった。

出会って、なんの絆も深めず通り過ぎていく人との関わり。
無難で、傷つかずに、楽に独りで生きる術だ。

それでも千瑛に出会ってしまった。
彼女は、よく通勤で出会った。明るく「おはよう、貧血大丈夫ですか?」といった君。
どんな顔をしていいかわからなかったけれど、会うたびに明るい千瑛に
和馬は自然と笑顔をうかべていた。

これ以上踏み込んではいけない。

きっと苦しむことになるだろうと思った。
けれど、いつのまにか彼女の笑顔にあえることを期待してる自分がいたんだ。



観念した。

千瑛に惚れてしまっていることを。
以来、彼女のことを親身に聞くようになり、時には励まし、逆に励まされたこともあった。

彼女の為に強くなろう。
せめて、彼女が辛い時、なにか力になれる強さを持っておこう。
仕事に打ち込むようになり、彼女を支えるようになり、何かに夢中になっていき、
もう和馬自身、自分がどれほど疲弊しているか意識しなくなっていった。

気がつけば、自分の中にいるストレスをやり過ごす為のもうひとりの自分が
人格をもって時々表層に出てきている現実に気がついた。
些細なことからだ。
タバコなんか買った覚えはない。気を利かせて注文なんかした覚えがない。
約束を、した覚えはない。代金を払った記憶がない。

そして、致命的なのは……となりに知らない女がいたことだった。

もう和馬は、今こうやってメッセージを入れようとしている自分すら
はたして「自分」なのか判別が曖昧だった。
それでもやらなくてはならないことがある。

もう一度彼女の携帯にかける。
留守電だった。それでも言葉が届けばいいと、思った。

「千瑛……お願いがある。
 別れてほしい。理由は……俺自身余裕がなくなった。
 君のことがうんざりなんだ……じゃあね」

もともと彼女の心に、自分がそれほど入り込めていないことは、
薄薄気が付いている。これをきっかけに別れられれば、彼女の身に害が及ぶことはない。彼女を、不幸せにはしないだろう。

守って、大切に、幸せに。
こんな三拍子、今どきドラマにもでないかもしれない。
それでもただ単純に大切だった。

家族がいないんだ。
「おかえり」の言葉がない一人の家、
このまま一人で生きていくことばかり考えていた馬鹿な自分に、
ひとりじゃ生きていけないんだよ、って教えてくれたんだ。
こんな普通のことを…それでいて大事なことを気づかせてくれたんだ。

そんな女性にはやっぱり最高に幸せになってほしい。

「おやすみ…」

電源を切った。

***

千枝は起きる。

目がさめれば、そこは病室の白い部屋で、更に言うなら個室だった。
怪我をしたのかと看護婦に聞けばただの軽傷。
個室しか空きがなかったみたいだからここに入れられたらしい。

ぼんやりと記憶を思いめぐらすと、首に手をやる。
この首を物凄い力で押さえられた覚えがある。
怖くて、吐き気がして…悪寒がした。
彼のことを千瑛は深く、深く忘れこんで置いていた。

************************

そして―

彼の想いを聞いたのは
携帯保険で頼んでおいた、好きな色の携帯が届いた時だった。

「別れの言葉」を聞きながら、千瑛はひとつの包みを受け取る。

なんの記念日でも、誕生日でもないのに届いたのは
指輪の入った箱だった。

「サイズ、ちょっとぶかぶかじゃん…」
けれどメッセージカードには確かに刻まれた言葉は自分宛だ。

―千瑛へ 愛している。これからも大切にするよ―

「…………自分…のこともっと大事にしたらいいじゃん……」

あの時―首を絞められ気を失った後。
殺されることがなかったのは、麻生和馬が窓から飛び降りた。
階がそれほど高層ではなくても、死ぬに至らなかったが
今だに彼は眼を覚まさない。昏々と眠り続けている。

「………………」



留守電を消した。
指輪は、見なかったことにして戸棚の奥にしまう





こういうのは、本人の声で聞いて、本人の手で渡してほしい。

もう一回指輪を買ってくれることを、ちょっとした楽しみに




…彼を待つことにした。


今度は支えよう。ちゃんともっと、聞いていこう。

最初に彼に「おかえり」と皮肉を言ってやろう。


過ぎゆく夏を過ごしながら。

後書き

草食系の男子はどういうものか考え、肉食系の女子ってどんなもんか
思い…とりあえずやっぱり身近な人がモデルになってしまいました。
書いていると時々無意識に、周りの人間投影されててびっくりします。

今回はすれ違う感じと、それほど甘くない感じのちょっと怖いもの
をと思って書きましたが…難しかったです。

彼女は彼のことをそれほど思っていないが、「まぁ好き」。
彼にとっては彼女を「最愛」に好きと思っている温度差のある二人です。
そんな二人に突然の別れがきたわけですが…。

もしも大好きな人の心にしんどい部分を抱えている時、
彼氏なら、はたまた彼女ならどうするのでしょう…。
支えてあげられるのか、または千瑛のように気がつかないのか…。

自分のことでもなかなかいっぱいいっぱいなのに
………難しいですね。でも…「支えてやるぞ」と思える相手に
出会えることは幸運なのかもしれません、と夏の蝉に悩まされながら
勝手に思う時任でした。

この小説について

タイトル 二度目の指輪
初版 2009年8月10日
改訂 2009年8月10日
小説ID 3411
閲覧数 848
合計★ 4
時任りょうの写真
常連
作家名 ★時任りょう
作家ID 512
投稿数 5
★の数 21
活動度 802
バファリンは半分、優しさでできてるんですか?

コメント (2)

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