韜晦する人形 - 第6章

 「はい、これ」
 香奈と一緒に小学校に行く前に家で人形を手渡した。
 「わぁ。ありがとう!」
 香奈は受け取った後、人形を抱きしめる。その姿は誰から見ても愛らしい。
 今日は小学校で人形劇が行われる。香奈は昨日の事をあまり気にしていない様子だった。特にトラウマらしき現象も今現在起きていない。
 「じゃ、行こうか」
 香奈の手を引っ張り、家を出る。お兄ちゃんは隔日の出張でまたもや遠くへ行ってしまった。祝日なのに少しかわいそうだな。
 北風が強く、今にも雨が降りそうな雰囲気が空から漂ってくる。予報によるとここ数日は雨らしい。その空を詩人のように何かを感じながら見上げる。
 「うわー。降りそうだね」
 隣で歩いている香奈も同じように空を見上げていた。
 数分後、ある場所にたどり着く。昨日野良猫が車に轢かれてしまった場所だった。今そこには何もなかった。たぶん誰かが亡骸になった猫を嫌がりながら排除したのだろう。
 そこを通り抜ける間は2人とも会話をしなかった。それが今できる私たちの罪滅ぼしであった。
 「近道していこうよ」
 そう言ったのは香奈だった。
 「うーん。そうだね、雨降りそうだから早めに着いた方が良いかな」
 近道と言うのはベットタウンの一角にある公園を通ることである。そうすれば、人通りの多い交差点を通らなくても良いし、なんと言ってもその公園は『憩いの場』と称されるほどに綺麗だった。整備は整っていて、四季折々の風情がある花がそこにはあった。
 「あっ」
 「どうしたの、おねーちゃん」
 「ほら、アジサイ」
 「えっ、どこどこ」
 「ここ」
 私が指した所を香奈は見る。そこには紫のアジサイが咲いていた。
 「綺麗だね」
 香奈がしみじみ言う。
 「ホントに。でも、アジサイって毒があるんだよ」
 「ええっ! そうなの」
 「うん。アジサイには青酸配糖体っていうのが含まれていてね、それが中毒の原因であると考えられているの。でもね、農業・食品産業技術総合研究機構動物衛生研究所によると原因物質は青酸配糖体ではなく、別の物質の可能性があるとしているらしいんだ」
 「うにゃー。香奈には全然分からないよー」
 確かに香奈には難しいと思う。実際この話はアジサイ好きの友達からさんざん聞かされたことで、私も最初に聞いたときは全然分からなかった。
 「でも、綺麗だね」
 私が感傷に浸っているとき、香奈が催促する。
 「おねーちゃん。そろそろ行こう」
 香奈はすでに公園の出口にいた。
 「ええ、分かったわ」
 私はゆっくり立ち上がり、アジサイをもう一回見て香奈の背中を追いかける。


 近道をしたので、予定より早めに着いた。しかし、小学生を連れた家族が続々と小学校に入ってくる。やはり皆、雨が降ることを懸念したのだろう。
 そこで一旦小学生は教室に行くために家族と別れる。別れた家族は人形劇の行われる体育館に次々に入場していた。
 「じゃ、おねーちゃん。バイバイ」
 純粋な笑顔を私に向けて、香奈は手を振る。恥ずかしかったので私は手を振らなかったが、変わりに笑顔で返した。
 「頑張ってね、香奈」
 香奈は私に背を向けて、校内へと向かった。途中、香奈の友達が彼女に近づいてきて一緒に歩き始めた。
 1人取り残された私は、何もすることがないので大人の人に交じって体育館に入場することにした。
 体育館の中はイスがみっちり規則的に並んでいる。後ろは保護者席で、前が学生の席だ。意外なことにそこには大人だけでなく、高校生からお年寄りまでの方々がいた。毎年恒例とは言うが、それ程有名なのかな。
 私は視線を縦横に彷徨わせながら自分の座る椅子を探す。ちょうど真ん中の良い席があったので、そこに座ることにした。
 そこに座る私は少し孤独を覚える。周りの人々がまるで私という草食動物を取り囲む肉食動物のように見えた。
 約1時間後、小学生ががやがやと入場し、それぞれの席に着いた。所々、席が空いているところがあるがそこは人形を演じる役の生徒の席なのだろう。
 それから約30分。証明が消え、いよいよ劇が始まる雰囲気になった。この張りつめた空気が私は好きだった。この暗くて、会場内にいる人々から発される二酸化炭素によって生まれたモヤモヤした空気に何か好奇心を覚えてしまう。
すると暗幕の右端から2人の生徒が現れた
 「えー、みなさん。第×回、●●小学校人形劇にお集まり頂きありがとうございます」
 最初に身長の高い子が丁寧に言う。
 「きょ、今日私たちが演劇するのは、フォ、フォレスト・オブ・エンジェルです。これは6年3組の、い、飯塚さんが創った作品です」
 男の子からマイクを渡された小さなかわいい女の子が恥ずかしがりながらも精一杯頑張って言う。その姿に私の隣に座っている20代の男が、「ぬふぉ、ぬふぉ」と息を荒らしていた。
 でも、生徒が脚本を書いたとはすごい。内容は劣悪かもしれないが、それはそれで趣があると思う。
 「では、演劇団の生徒のみなさん、よろしくお願いします」
 最後は2人一緒に合わせて大きな声で言い、左側の暗幕にかけ足で去っていく。その刹那、女の子のスカートが暗幕のせいで少し捲れ、パンツが見えてしまった。
 「かほちゃんパンツーーーーーーっ!」
 隣の男は鼻血を出して背もたれに突っ伏した。これは前のお兄ちゃんより酷い。
 ていうか、あの子の名前何で知ってるんだ? 親族って柄でもないし。
 私が彼の言動に戸惑っているとき、暗幕がちょうど開こうとしていた。
 こんな奴ほっといて人形劇に思考を向けよう。


 人形劇は1時間弱で終了した。まあ、生徒が脚本を書いたと言うことだからそんなにスケールのでかい話ではなかった。
 ただ香奈が出てきたとき、私にとってその時は宇宙並みのスケールが私を襲った。なぜだかは一目瞭然だが、あれを見た瞬間周りの空気が一気に凍ったような感覚があった。
 でも、私はすでに否定しているのだ。あの存在を。
 でもそのような感覚に見舞われるというのなら、まだ頭のどこかにインプットされているのだろう。
 体育館を後にし、校門の前で香奈を待った。今日の朝、香奈と一緒に帰る約束をしていたのだ。
 さっきまで雨が降っていたらしく、水たまりが所々に見受けられた。私の目の前にもそれがあった。私はそれを覗く。それは私を映した。ずっと見つめていると自分を映しているそれは急に波立ち、私の顔を歪ませる。それはまるで私の心と同じようだ。
 水たまりをずっと見ていたら、香奈が校舎方面からやってきた。
 「おねーちゃん。香奈の人形さばきどうだった?」
 「とってもよかったよ」
 「ホント?」
 「ええ。かっこよかった」
 香奈は無邪気に喜ぶ。ただし、顔が引きつっていた。どこかおかしい。
 それを私は見逃さなかった。
 「香奈」
 虚を突かれたように香奈はビクつきながら私を見上げる。その瞳は何故か死を物語っているようにも思えてしまう。思いたくもないのに、思えてしまう。
 「何か……あったの」
 風が私たちの間をすり抜ける。実際はそんなこと無いのに、風が私たちの間を吹き飛ばしてしまうような虚構があった。
 「……」
 香奈は答えない。
 「おかしいよ。何だか香奈じゃない気がするよ」
 その言葉は自分でも変だと感じる。それを示すように、香奈は辟易していた。
 目の前にいる存在は香奈であること。それは正解。
 では、その存在の内心は香奈と言えるモノなのか?
 私は今目の前にいる香奈をみて思う。よく見れば見るほど香奈では無いような気がした。
 「あ、そうだ! 今からクラスのみんなで集まりがあるんだ。だからごめん! おねーちゃん、1人で帰って」
 急に声を上げるので驚いた。この口調は確かに香奈のモノである。
 「う、うん。わかった」
 私が言うと、香奈はいつも通りの笑みを見せて校舎へと戻っていった。それを見守る私は、このことを『夢』であって欲しいと願うばかりだった。
 ――香奈が校舎へ向かう道がまるで天国へ続く階段のように思えたことを。


 警察の取り調べがあった後日、お兄ちゃんはふらつきながら家に帰宅した。そして私は香奈が死んだということ以外を訥々と伝えた。
 「そうか」
 お兄ちゃんはただその一言しか言わなかった。その様子に私の堪忍袋に少し亀裂が入った。
 何で、こんなに冷静にいられるのだろう。私は事の大部分を知っているからあまり驚かないが、何も知らなくて、感傷的な彼なら絶対何らかのアクションを起こすと思っていた。しかしそれはあまりにも浅はかな考えだとお兄ちゃんは物語るように、その一言を残すだけだった。
 「大変だっただろう。俺も同席しなくて大丈夫だったのか?」
 「あ、うん。家庭に関することは何も言ってなかったから」
 「そうか、警察が来たのか……」
 お兄ちゃんは何かを思案するような素振りを見せた。
 一介の女子中学生の私は立場上、警察とのやり取りを詳しく知る必要があった。それをお兄ちゃんに伝えるのがセオリーなんだと思う。しかし私は一介の女子中学生だがそれよりももっと重い、目撃者として扱われるべきだと思われる。いや、実際は目撃者ではなくもっと上の方にある立場になってくるだろう。
 私は事の大部分を知っているのだ。それ故に、警察とのやり取りを少し偽らなければ自分が疑われてしまう。
 「それでね……」
 お兄ちゃんが私を見る。その視線に少し窮してしまったが、言わなくてはならない事なので感情を押し殺しながら言う。
 「香奈は死んじゃったらしいんだ」
 自分でもしまった、と思った。重苦しい口調で言うはずだったのに、発された言葉の口調は平坦だった。
 しかし、お兄ちゃんはただ悲しそうな表情をして、
 「そうか」
 と、言うだけだった。
 その一言で私の堪忍袋の緒が完全に切れた。
 「どうして、悲しまないの」
 私はお兄ちゃんを睨む。その様子にお兄ちゃんは髪をクシャクシャと掻く。
 「悲しんだところでどうにもならない。昔の事は顧みない方が良いと俺は思う。でも、俺だって内心は悲しいよ」
 「でも……溜め込んでちゃ、いけないと思う」
 「それも正論だが、俺は胸の内に悲しみを抱えゆっくりと風化させていくことにする。何回も俺を寂寥感が襲うだろう。でも絶対に屈しない」
 その言葉を言われてしまえば、すでに私の立場は無くなってしまう。
 でも、私は一つだけ思ったことがあった。
 ――そうなれば、また昔のお兄ちゃんに戻ってしまうのではないか。
 不意に、お兄ちゃんが私の頭に手を乗せてくる。
 「心配するな。もう昔の俺にはならない」
 「ホント?」
 「ああ、約束する」
 「でも、無理はしないでね。辛いことがあったら私がいつでも捌け口になってあげる」
 自分でこんな事を言っていいのだろうか。全ては私が原因でなっている。香奈のことも、お兄ちゃんのことも。こんな私が、そんなことを言える立場にいるのか?
 「ああ、分かったよ」
 自然と涙が出てきた。
 それは、自分が情けないからだろうか。
 それとも、自分のせいでこうなっていることを改めて実感したからか。
 分からない。

後書き

最後にまとめて、謝罪を含め記します。

この小説について

タイトル 第6章
初版 2009年8月14日
改訂 2009年8月14日
小説ID 3422
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