Dメール - No.14 to:恋歌の歌姫(4)

 倉庫のドアを開けると、中は未だ微妙な異臭が漂ったままだった。その中に、鑑識の人たちと共に龍二が混ざっていた。夜一が龍二に近付こうとすると、後ろからいきなり肩を掴まれた。
 夜一をがっちりと引き止め、尚且つ自らの方に引き寄せたのは白衣を着た女性だった。青いアイシャドウに染まった瞼をぱちぱちと動かし、漆黒の目で夜一をじっと見つめてくる。
「あ、あの……何か……?」
 夜一が後ずさりながら言うと、女性は更に夜一に顔を近づけて首を傾げていた。もう少し行くと、鼻と鼻が触れ合う程の距離に達した所で女性は始めて声を発した。
「んー……ボーヤの顔、誰かと下顎骨(かがくこつ)の形がそっくりなんだけどな。誰だったかしら?」
「は、はあ……? 下顎骨?」
「下顎の骨よ。この微妙な硬さも似てるんだけど……」
 顎を触ってくる女性から顔を逸らしつつ、夜一は小さく声を出した。しかし、顔が似ているとは言うかもしれないが、下顎骨が似ているとは言われた事が無い。
 夜一が戸惑っていると、それに気がついた龍二が助け舟を出した。
「尼子さん。彼、春日刑事さんの息子なんですよ」
「ああ、ハル君の!」
「ハル君!?」
 父親に付けられた渾名に夜一は驚きつつも、目の前まで迫っている女性に挨拶した。
「春日夜一です。一応、その……探偵をやってます」
「あーら、だからそんなシャープな下顎なのね! 若い時のハル君にそっくりだわ。嗚呼、解剖したい……」
「!?」
 夜一が恐怖を感じて飛びのくと、白衣の女性は妖艶に笑って言った。
「う・そ・よ。ただの口癖よ口癖。私は尼子由利(あまこ ゆり)。一応警視なんで、宜しくね」
「警視……!?」
 夜一がすぐ傍で失礼にも驚いているのも気に留めず、尼子さんは白石さんの遺体の方へと近付いていく。それを見ながら夜一は横にいた龍二に話しかけた。
「なあ、あの人『骸姫』って呼ばれてる人か?」
「らしいね。鑑識の人たちもそう言ってた。けど、あの人そんなに変な人じゃないと思うけど」
 龍二はそう言うが、夜一にはどうも信じがたかった。『骸姫』という別名どおり、そして、先ほど警官達が言っていた通りの変な言動。燈夜が信頼しているというのも疑えてくる。それに、龍二の話によると、龍二を部下のように扱って現場に入れてくれているのだとか。普通なら、一般人を入れないのが仕事ではないのだろうか。
 そんな疑問から、夜一が尼子さんをじっと観察していると、尼子さんは龍二と夜一を手招きした。
 白石さんの遺体に近付くと更に不快な臭いが増し、夜一は思わず顔を顰めた。その顔を見て、尼子さんは言った。
「血とペンキが絶妙に混ざって独特の臭いを出しているからね。臭いのは当然よ」
「ペンキ? この赤いの、ペンキも混じっているんですか?」
「検視の結果では、背中に一撃を受けているわね。けれど、これが致命傷になったわけではないの。致命傷は、これ」
「これって……このペンキですか?」
 夜一が目を見開くと、龍二が説明を続けた。
「そう。ペンキにシンナーって言う有機溶剤が含まれてるのは言ったよね。そのシンナーが引き起こすシンナー中毒が直接の死因らしい」
 龍二は傍に転がっているペンキの缶を指差した。倒れたままの空き缶は五つ以上あり、溢れ出したペンキの量は相当なものになる。それによってシンナー中毒が起こり、白石さんは亡くなったと言うことになるのだ。
「シンナー中毒って、そんなに簡単に起こるものなのか? ペンキが零れただけで?」
 夜一がそう言うと、尼子さんが突然夜一の口を両手で塞いだ。
 後ろからいきなり口を塞がれ、動揺した夜一はすぐに両手を振りほどこうとする。その途端に、尼子さんは手を離して言った。
「シンナー中毒で最も恐ろしいのは、空気中に充満しすぎると、呼吸困難を起こして死ぬ可能性があるということなの」
「だ、だからって……」
 夜一が言い返そうとすると、尼子さんは夜一の額に指を当てて言った。
「口や鼻、目なんかを塞がれていたらどう? 人はね、五感の一つでも使えなくなると、本当に混乱してしまうの。ましてや此処は倉庫。窓なんか無いし、ドアが閉まっていれば当然、空気の通りも悪い。パニック状態の中、何らかの拍子にペンキを零してしまったとしたら?」
「…………」
 夜一は思わず尼子さんの方を見た。ただ単に、尼子さんは現場を見て、遺体を見た。夜一も龍二もそれは同じはずなのに、尼子さんには既に何かが分かっているかのようだった。
 尼子さんは、白石さんの遺体、口の周りの部分を指差した。その異変に、夜一も龍二もすぐに気がついた。成人男性であれば、必ずあるもの。それが、明らかに変化していた。
「髭が一部だけ抜けている! それに、口の周りに赤い痕が……」
 白石さんの髭は、口の周りだけが不自然に短くなっていた。下顎や頬にかけては、長々と髭が伸びきっているのに。それに、口の周りに残った赤い痕が、何が起こったのかを物語っていた。
「ガムテープ、ですか……」
「そうとしか考えられないわねえ。ほら、目と鼻にも痕がついているし。おそらく犯人は白石さんを刺した後、白石さんの目、口、鼻をガムテープで塞ぎ、ペンキを零すように仕向けてシンナー中毒で殺した、って所かしら」
「後はカードの謎と、動機だけだ……あ、ありがとうございます! 俺、もう一度皆に話聞いてきます、それじゃあ!」
 夜一はそう言って現場を飛び出して行った。
 その姿を見送りながら、尼子さんは龍二に聞いた。
「貴方は行かなくてもいいの? 龍一君に似て賢いけど、あの子は行動力もあったわよ。嗚呼、脳だけでも解剖したかったわぁ」
「流石は元科警研の方ですね。イチ兄の言っていた通りだ。法科学第一部、生物第二研究室での功績、色々聞いています。……勉強させてもらうつもりですから」
「……微妙に可愛くない所も似てるわねえ……」
 尼子さんはため息と共に悪態を吐いた。法科学第一部、生物第二研究室。それは以前尼子さんが勤めていた場所。そしてその時、彼女の助手を務めていたのが龍二の兄、龍一だったのだ。龍一から弟の存在を聞いて知っていた尼子さんは、だからこそ龍二を現場に入れていたのだ。
しかし龍二は承知していた。自分が居るべき場所は何処なのかという事を。
つくづく龍一君に似ているわね、と呟く尼子さんを尻目に、龍二は黙々と鑑識のお手伝いを始めていた。



 夜一は廊下を走りながら、携帯を開いた。勿論、今まで分かった事を渚へ報告するためだ。しかし、それよりも先に渚からメールが届いていた。
『お前が何も言わないなんて珍しいな。何か凄いことでも分かったのか?』
 夜一は思わず苦笑した。何でもお見通しというわけだった。そのメールに急いで返信する。
『ご名答。白石さんの死因が分かった。証拠も十分ある。後は、カードの謎と殺した動機だけだ。最初に、あやめさんの控え室へ行ってみる』
『そうか』
『どうかしたのか?』
 夜一は、短い返信に疑問を感じた。何時もなら、分かっているなら調べに行けとか、私も現場を見ておくなど、強気な発言が返ってくるはずなのに、今回の返信にはそれが無かった。
『段々探偵の役も様になってきたと思っただけだ。私もすぐに控え室へ向かう。この調子でな』
「ったく……」
 強気の上に、嫌味が重なっていた。すぐに携帯を閉じ、夜一はあやめさんの控え室へと走っていった。
 あやめさんの控え室には、あやめさん以外に相馬さんと渋川さんが居り、斯波も見張りとして中に居た。夜一、そして後に続いてやってきた渚を見て顔を顰めた斯波は二人に近寄ってきて言った。
「何の用だ、一般人がこれ以上警察の捜査に関わるな」
 たちまち夜一も斯波を睨み、二人は険悪な雰囲気になる。そんな二人を横目で見やり、触らぬ神に祟りなしとでも思ったのか、渚は夜一達を放っておいてあやめさん達の方へと歩いていく。
 渚が目をつけていたのは、渋川さんの一眼レフだった。物珍しそうにカメラのレンズを眺めている。
 それに気が付いた夜一は、すぐに渋川さんに話しかけた。
「そういえば渋川さん。さっき大きなスクープが手に入るかも、って言っていましたよね。もしかしてもう、そのカメラに撮ってあるんじゃないですか?」
「!?」
 渋川さんは夜一にそう言われて、手に持っていた一眼レフを握りしめた。意外に分かりやすい性格をしているらしく、先ほどの事情聴取のときとは打って変わって目を泳がせている。
 斯波がそれを怪しんで、渋川さんに声をかける。
「……渋川さん。そのカメラをこちらに渡していただけますか」
「な、何故です? これは私の……」
「重要な証拠が映っていないとも限りません。それともなんですか、見せられない訳でもあるんですか?」
「っつ……」
 渋川さんは唸りながらも一眼レフを斯波に渡した。それを見つめてから、斯波は控え室のドアの前に居た警官に渡し、鑑識に調べてもらうように言った。
 それから夜一は、あやめさんに声をかけた。
「あやめさん、大丈夫ですか? 警察の訳の分からない質問で疲れましたよね」
 その言葉に斯波が夜一の方を睨んで来ていたが、夜一は気にする風でもなくあやめさんの方を見続けている。渚は思わずため息をつくが、夜一に続いて問うた。
「お姉さん、ストーカーされているんだよね。お姉さんのファンの仕業かな? でも、カードや花を贈ったりするなんて怖くなるだけだし、意味が無いよね」
 渚の言葉は、夜一にあるひらめきをもたらした。
 普通、ストーカーといえば夜道に誰かの後をつけたり、その人の生活を全て知りたいと思って自宅に侵入したりするのが良く聞くパターンだ。
 しかし、今回の場合はあやめさんに不安を与えるだけで、全く意味のない事をしているのだ。現に、あやめさんはカードやあやめの花によって恐怖を植えつけられ、夜道に人の気配を感じたり、しかし、ストーカー犯にとってそれが目的でないとしたらどうだろうか。カードとあやめの花に、違う意味があるとしたら。
 今までのカードに欠かれていた内容は、『君だけを愛している』、『君が僕だけのものになってくれたなら』、『君は僕だけのものだ、誰にも渡さない』など、一見すればプロポーズのような言葉だらけだったが、本当はこのような言葉に意味は無く、カードとあやめの花を贈る事そのものに意味があったとしたら。
 夜一は、あやめさんに聞いた。
「あやめさん、このカードと花が届くようになってから、他のストーカー被害ってありましたか?」
「え? そういえば……他の手紙とか、変なビデオテープとかは、届かなくなってきたかもしれないわ」
 その言葉を聞いて、夜一は確信した。渚も隣で小さく頷く。そして、渚は外へ出て行く。
 後は動機だ、と夜一が渚に続いて控え室か出ると、夜一の携帯のバイブが鳴った。
『すぐに事件関係者を集めろ。謎は解けた』
 それは、渚からだった。しかし、動機が未だ判明していないのに、何故このメールを送ってきたのか。夜一はすぐさま返信した。
『何言っているんだよ、まだ動機が分かっていないじゃないか』
『何を言う。動機は分かっているさ。動機は関係者全てにあった。だが、それを実行できたのはただ一人だけだ』
『え?』
『お前にも教えてやろう。Dメールでな』
 そのメールの後、渚からのメールは途切れた。関係者を集めてからメールしろとでも言うかのように。
 渚は分かっているのだ。その自信が、彼女自身も、そして夜一をも突き動かしている。
 夜一は自らの頭を掻き毟って、小さくため息をついてから控え室の方へと戻った。


後書き

思いっきり時間が空きました……。
でも、志望校合格したので次からはきちんと書ける筈だ!(今回もグダグダですが;;)
尼子さんは今思うと「何があったんだ」ってくらい怪しげな女性ですねー;;
でも彼女は優秀ですよ。鑑識という新たな一面で活躍してくれる事間違いナシです。
こんな作品ですが、これからも読んでくださるとありがたいです。それでは。

この小説について

タイトル No.14 to:恋歌の歌姫(4)
初版 2009年11月15日
改訂 2009年11月15日
小説ID 3611
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ひとり雨の写真
作家名 ★ひとり雨
作家ID 223
投稿数 91
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