墓護り - 一章 弐ノ話

楼音
 月神が夜の帳を完全に下ろし、世界を覆う。暗黒色の中、少し遠くに橙色の灯が揺れている。墓場の空気は奇妙に冷えていて、呼吸の度に肺が冷えていくようだ。もしも彼が真の生者だったなら。
 世界に溶け込むような色をした髪は背中の半ばまで伸びている。前髪はやや目を覆っていて、風に揺れるとその瞳を垣間見せる。光る一対のそれは、炎よりも血よりも赤く紅く。目を合わせれば呪われそうな色だ。だが、その肢体は細く秀麗で、艶やかな黒髪が流れる後ろ姿は女と見紛うものだ。この付近のものとは違うつくりの衣服の袖から出される手は、とても人のものとは思えない白さを持つ。いま空にある月のような、月白の肌。それは本当に彼の姿ではあるが、この世にあるべき姿とは言えない。そもそもこの世にいるべき存在でもない。彼の<人>としての生涯は、とうの昔に幕を下ろしている。本来この世での扱いは、死者だ。
 「エイジ」の名を持つその青年は、「墓護り」としての任をその身に負っている。大罪を犯し、永遠に転生を許されぬはずの魂に課せられた唯一無二の、けれども彼にとってはただの枷にすぎない、神から与えられた尊き使命。それを受けたのは、自らの生を終えたのとほぼ同じころ。その時から一切変化のない外見。当初は我ながら気味悪く思えてならなかったのだが、人外のモノであることを受け入れ、この存在はこの世のモノではないと納得していくうちにその考えは自然消滅していった。
「……さて」
 ぽつりと呟かれた言葉は誰の耳に届くでもなく闇の中にとける。どこをみているのかわからなかった二つの紅が閉じられた。視るという感覚が閉鎖され、代わりに他の神経が精度をあげた。その神経は人間のいう五感に属するものではない。彼ら「墓護り」に与えられた探る力。気配を察する力。人のモノでも獣のモノでもないそれを察する力。
 魂魄の気を察する力。
 魂魄とは、生前残した強い念を消化しきれず、冥界に迎えなかった魂らのことだ。どうしてもあの人に会いたい、最期にもう一度だけあのばしょへ、あれだけは見届けたい。そんな思いもある。あいつが憎い、なんであいつは生きてるんだ、あいつだけは赦せない。負の感情を持つ思いもある。大概は後者だ。まず前者はない。少なくとも、二百年近くこの任に就くエイジは見たことがない。尤も、善良な思いの魂魄であろうとも、悪霊と呼ばれる質の悪いものであろうとも彼らの仕事の対象に違いはない。冥界からの指令は、この世にいる理由を浄化すること。正確にいうならば、浄化し終えた魂魄を冥界に送ることが役目だ。「墓護り」に与えられる銀の武具――エイジの場合は刀――はどんな感情、思いでもすべてその内に封じることができる。本来人を傷つける部分で霊体を貫けば、同時にそれは冥界に昇る。それで終いだ。
「……いた」
 深緋の光が夜闇に揺れた。目を開けるのが早いか否か、足が土を蹴る。人の外殻はあるが、臓器だなんだという中身に相当するものを持たないため、重さというものはないに等しい。木の葉よりも軽い身がたてる足音は虫の呼吸よりも小さい。常人からみれば、否、そこに居合わせれば、疾風が過ぎたと思うまで。
 しかし、<本当の>「墓護り」は駆けたりなどしない。一度魂魄の気配を察すれば瞬き一つでその場へと身を飛ばす。時空を超えた移動手段だ。こちらの存在を気取られぬ前に始末をつける。けれども、今この場にある痩身は地を踏みつけていく。何故か。「元」人間だからだ。生粋の同僚たちは、神の力により<つくられた>存在なのだ。力は姿を変幻自在に変えられる。だが、魂を核に外殻があるこのまがい物ともいえる「墓護り」はそうはいかないのだ。時空を超えた移動はその肉体に大きな負担がかかる。外殻が潰れる可能性がある。同時に核まで潰れれば、その瞬間この身は時空の波に呑まれていくのだ。何より、本物の「墓護り」に比べ、彼の気配読みは正確性に欠けている現実がある。遠方の魂魄の位置はどうにも曖昧にしかわからない。そんな情報で迂闊に移動すれば、己が喰われるやもしれないのだ。これもまた彼だから。外殻がある以上それは立派な入れ物。不意打ちを食らいでもしたらたまったものじゃない。故に彼は駆けるのだ。
 突如疾風が鳴りやんだ。
「近いな」
周囲の空気が今にもきれそうなほど張り詰める。本格的な気配読みだ。位置が近いならば、まがい物の彼であっても真の者に劣らない確実さが持てる。おぞましい念が肌をなでていった。悪霊だ。
「南西の方角、数えて三十の距離、数…。…!?」
氷のように微動だにしなかった表情に、焦りにも似た表情がにじみ出る。感じ取った気配は悪霊が三つ。そして、
生者が一つ。
 きりりという歯ぎしりの音が無意味になった。
「面倒だ……!」
肩にかけられていた鎖に手を翳す。ぐにゃりと姿を歪ませたと思えば、それは銀の刀へと転じていた。月光に映し出された刀身が、白い筋となり暗闇に浮かびあがる。その残像を残し、何かに弾かれたようにエイジは駆けた。
 魂魄に、物理的な行動は起こせない。それらはあくまでも感情の塊だ。悪霊らが望むのは、大概が復讐。そのためには実体が必要だ。故に生者に憑く。そして、その者の魂を喰らうのだ。それを引き剥がす手段はない。哀れな憑依者の魂ごと冥界へ送るしか――殺すしかない。
 それを防ぐために「墓護り」は在る。招かれざる魂が冥界へ来ぬように。生きるべき者の道を突き落とされぬように。冥界の使者は闇を駆ける。
「……いた……!!」


 「何……、何よコレ……」
後ずさった足に、手から滑り落ちた短槍が当たる。しかし、そんなことは今些細すぎる出来事で、シュリの脳に認識されることはなかった。認識する余裕はない。目前で揺れるほの白い、陽炎のように揺らめく、だが決してその神秘的さなどない不気味な炎。それらは人の形を成していた。
 目を逸らしたくても逸らせない。瞑りたくても瞑れない。
 その動作をした瞬間に、何かが終わると本能が警告するのだ。
 何か。意識か、命か、人か、己か。もしくは全てか。骨と皮ばかりの顔がぼんやりと浮かんでいる。こちらを凝視して動かない眼。光無しの双眸に宿るのは、復讐の力を求める醜い羨望だ。
「よこせ……」
「よこせ、……力を……」
「身体をよこせえ……!」
声そのものが怨念のよう。シュリの精神は今にも崩壊しそうだった。何故こんな目に遭わなくてはならないのだ。盗賊がでるとは聞いたが、今いるこれらは明らかにそんなモノではないだろう。ならば何だというのだ。怖い。恐い。

コワイ。

何か掴みたくて、首飾りをぎゅっとにぎりしめる。それをみて三対の眼が色をかえた。


「よこせぇえ!!!」

「いやぁあああ!!!」

 刹那。
 白銀の閃光が宙を斬った。
 短い断末魔。

 数秒の静寂。
 何も起きない身の異変。
 本能が警告を終える。

 「あ……」

 慄然とし、強張っていた身体から一気に力が抜ける。途端に膝が砕け落ち、地面に座り込んだ。安堵の息が漏れる。そして、ハッとする。先程の光は何?辺りを見回そうと顔を上げる。そこには。
「誰……?」
自分を見下げる一人の青年がいた。短槍と同時に松明を落としたため、頼りになるのは月光と僅かに利く夜目だけだ。そのはっきりとしない視覚で判断する限り、二十歳前後だろう。ひとつ明確にわかったのは、鮮やかすぎる赤の瞳。夜闇というのに、そこだけが爛々としていた。
 少しの沈黙。
 口を開いたのはその青年、エイジからだった。
「……我は、冥府からの使い也」
「冥府?」
発された言葉に問い返す。答えを求めたわけではないが。冥府といえば、死後の世界だ。そこからの使い。死に関連する者といわれて思い当たるのはひとつしかない。彼女が信じることはない類のもの。冥府だって信じていないけれど。けれどそうとしか思えない者。
「し……死神……?」
返答はない。沈黙は肯定ともいうこともあるが、まさか本当に。自分は死ぬのだろうか。消えたはずの恐怖が再度身を這い上がった。体中の神経が死んでいく気がした。既に自分は殺されているのだろうか。思考が死に集中して、その死に囚われた脳も活動が止まる。
 全ては錯覚。そう理解できたのは、目前に差し出された火の点された松明のおかげだ。青年が持つ松明の炎は白さを帯びていたが、先程の得体の知れぬモノらとはまるで違った。そもそも色もそうだが、一般のいう炎とはまるで違う。煙が出ていないし、顔のすぐ近くにあるというのに、一切の熱を感じないのだ。炎の姿形をとっているというだけで、炎というわけではないようだ。よくよく見てみるとそれは松明に点いているわけでもなく、若干ながら浮いているのだ。
「人間には、必要なのだろう?」
あまり抑揚のない声音に戸惑いながらも、そろそろと手をのばして明りを受け取る。その不思議な灯を利用して、ちらりと男の表情をうかがう。ちらり、のつもりだった。瞠目したまま、視線を外すことができなくなった。照らされた面は、容姿端麗という言葉に誰よりも相応しい。そう思わずにはいられないまでの美男だった。息も忘れてシュリは魅入った。
 あまりにも表情を変えずにいる生者にエイジは不信感を覚えた。人間には到底分らないほど僅かに、だが鋭く、シュリへの視線が険を帯びた。同時に気づく。この者には「ない」。墓を守る他の方角の者には在るモノが「ない」。いままでいた者らには必ずあったのに。それの正体を、なんとなくだがエイジは知っている。
「貴様、守護をうけていないな」
「ふぇ?」
気の抜けた声に柳眉がしかめられる。だが、その直後のはっとしたような表情からすると、心当たりはあるようだ。
「神守の呪のこと……?」
「知ったことか」
何か守護の類の術がかけられているのは知っているが、その名前などまでの知識はない。まして、この術は星宮村に限られたものだ。冥界の者らは、よほどのことがない限り人間と関わることは禁じられている。長い間この地の守護を任されているエイジも、この身に堕ちてから人間と関わるのは初めてのことだ。
「明日もここに来る気があるのなら、守護を身に宿してから来るがいい。さもなくば」
一呼吸置かれる。紅い目が底光りした。
「喰われるぞ」
 びくっ。
 光景が脳裏をかすめる。低められた声は真実を語っているに違いない。喰われる。あの異形に。震駭した身体はすっかり冷え切っていた。
 エイジにはシュリが明らかに怯えたのがわかったが、さして気にする風もなかった。遠方の山脈を一瞥する。人間にはわからないだろうが、冥界の住人の彼は日輪の気配に敏感だ。それなりに近いのが感知できた。「墓護り」の役目は、日の出と同時に終わる。陽光に弱いからだ。魂魄らもまた、日の光に弱い。日中は行動を起こさず、身を潜めているのだ。お互い動けないため、都合がいいといえば都合がいい。
「人間の娘」
「っ、はい」
 顔をあげた幼さの残る顔を睨むようにして言葉を続ける。
「我が存在は何れの事情にしても他言無用。我は死神に在らず。が、貴様の命など容易に絶てる。いいな」
銀の刀の切っ先を眉間につくかつかないまで近づけてやる。寄った目が恐怖に染まっのがわかった。
「は、はい……」
きゅっと唇を引き結び、刃に触れるのを恐れてかゆっくりと、そして真剣に頷いた。それを見届けてから、刀を引いてやり、鎖へと転身させる。
「最後に繰り返す。次の任の時には、守護をうけてから来い」
死にたくなければな。独り言のも似た小ささで呟き、エイジは目を閉じた。スッと両手の指を二本たて、胸の前で交差させる。瞬間、黒髪の男は掻き消えた。まるで最初からいなかったように。
「あっ……え……!?」
翠の瞳が大きく見開かれる。
 遥かな山脈の頂が僅かに白み始めていた。

後書き

話自体は半月ほど前に完成していたものの、時間がとれませんでした。
やっと(というほど書いてはいない)主要二人をからませることができました。次は冥界の住人がでてきます。いつになるかはわかりませんが。

この小説について

タイトル 一章 弐ノ話
初版 2010年6月6日
改訂 2010年6月6日
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