夜汽車マーチ

ぼたもち
真夜中である。特に先を急ぐというわけでもない夜行列車は乗客をまばらに抱えながらのんびりと進んでいた。
沿線の小駅にもいちいち止まっていた。まるで道に落ちている石を全部拾いながら歩いているようだった。


今、僕がわざわざ横光利一のパロディで状況を説明したのには理由がある。
ゆるやかに進む列車の中、ふとカーテンをめくって眺めた窓の外の景色が思いのほか綺麗で、僕を少し文学的な気分にさせたからだ。
胸にこみ上げた思いを洒落た言葉で呟いてみたい、と思う程度の気分であるけど。
僕には詩人の素養がないので頭の足りない感じのパロディに落ち着いてしまったが、文人とか呼ばれる人はやっぱりこの風景に似合う素敵な言い回しを即座に思いついたりするものなのだろうか。
僕の文学的知識では列車内での状況の描写なんていわれてぱっと思いつくのは横光利一と川端康成くらいだ。
トンネルを抜けるまでもなく、そこは夜であった。
これじゃあいくらなんでも素っ気なさ過ぎる。という訳で横光の出番となっていた。
あとはなんだろうな‥‥‥‥あ、宮沢賢治か。
銀河鉄道の夜。夜空が彩る描写にはぴったりじゃないか?
ただあの名作と今の状況との違うところは、この列車は日本の片田舎へ続く普通の線路を走っているだけというところと、僕の隣にはその死を知って悲しむような親友もいないというところだ。
あの二人の旅路をくるんでいたきらきらするような浮遊感も、今の僕にはない。
思わずついたため息が自分でも驚くくらい大きく響いた。
車輪と線路がぶつかって立てる音にも慣れてきている。夜はここからが長い。
静か過ぎる夜は、音と一緒に時間の流れまで忘れてしまうようだった。
もう眠ってしまおうか。別に夜を徹して外の景色の美しさに見とれていてもよかったのだけれど、その美しさを言葉にできないもどかしさも同時に感じてしまいそうであまりやりたくなかった。
たまの旅行の列車での夜は、もっとわくわくしながら過ごせると思っていたのだが。
子どもの唄も聞こえてこないし、唄を聞いて盛り上がるような連帯感はもうこの国にはないし、第一ここは個室だった。
僕は今度はため息すらつかずにベッドに入った。
毛布をかぶって目を閉じようとしたとき、僕は逆に目を見開くはめになった。

僕に割り当てられた個室のドアが当然のように開き、一人の女が入ってきたからだった。


「唄でも歌おうかしらね」
女は笑いをこらえたような顔で言った。独り言特有の明るさの見える口調だった。
僕はこのとき言葉を失って呆けていた。しょうがないだろうこれは。こんなこと予想できるわけがない。
女はすぐに気づいた。自分が入った個室のベッドに見知らぬ男が転がっていることに。
「おっと。部屋間違えたかしら。失礼っ」
女は少し目を見開いただけで、すぐに踵を返して部屋から出ていった。引き戸が音もなく閉まる。
「‥‥‥‥なんなんだよ‥‥まったく」
僕は思わず呟いた。なんだか空気を壊されたような気がした。
何しにきたんだあの女は? 間違えたんならもっと申し訳なさそうにできないのか?
さっきまで感じていたしんみりとした雰囲気はどこかへ行ってしまった。
寝ようにも今の驚きで目が冴えてしまっている。
最悪だった。この旅に感じていた思いのうち、ポジティブなものは夜に奪われ、ネガティブなものはあの女に奪われてしまった。
興ざめというレベルではない。
今すぐ窓ガラスを叩き割って外に飛び出し、そのまま歩いて家に帰ろうかとさえ思った。
個室のドアの鍵を閉めておかなかった自分を今さらながら呪う。
僕は再び盛大なため息をつき、もう自分の意識も睡魔に奪ってもらおうと毛布を頭までかぶって目を閉じた。
五つも数えないうちに、またしてもドアが開いた。今度はかなりの勢いだったようで、戸と金具が盛大な音を立てる。
飛び起きた僕が見たものは、先ほどの女が肩で息をしながら僕のほうへとずかずか歩いてくる光景だった。
軽いパニック状態でベッドの端へと逃げる僕に、女は叫んだ。
「さっきみたいなのって映画とかである感じじゃない!? ほら運命の出会い的なっ! やばい写真撮んなきゃ!!」
「おやすみなさい」
もう限界だった。
さっきまでなんだかアンニュイな気分に浸っていた自分が恥ずかしくなるくらいバカバカしさで頭がいっぱいになった。
認めよう。認めます。この胸の中には確かにほんの少し「一人旅の寂しさに黄昏ている自分カッコいい」みたいな感情がありました。
でもせっかく寂しかったんだ。せめてカッコくらいつけさせてほしいものだ。
僕にはそこまで詩人の素養がないのか。うかつにテンションを下げることも許されないくらい。
だって陽気な人柄を持っている印象のある詩人なんて李白くらいだし。
僕は酒に酔ったまま池に飛び込んで溺れ死ぬのなんてごめんだ。
あーあ、僕はなんでこんなことを考えているんだろう。
もう今日は寝る。明日の午前中に到着するまで寝る。
付きあってられるか。
ただまあ当然ながら、僕のそんな希望は受理されなかった。恨むぞ神様。
女は僕をベッドの外に引きずり出した。
「ええーいいじゃんちょっとくらい話そうよ。せっかく会ったんだしさあ〜」間延びしているくせにやけに抑揚の強い話し方だ。はっきりというよりはざっくりと表現したいような。
「会ったっていうかさっき一瞬目が合っただけだろ。僕は眠いんだ。おやすみ。君には君の部屋があるだろ、勝手に出て行ってくれ」
「違うのよぉ。なんかわたしの部屋ないんだよね〜」
「は? なんで?」
「わたしにもわっかんないわよ。列車の横に青森行きって書いてあったからとりあえず乗ったんだけど、なんかどこの部屋も鍵かかってて」
「‥‥‥乗車券は?」
「あるわよもちろん。えーとなになに‥‥? 八戸経由青森行き特急はやて‥‥?」
「それ新幹線じゃねえか!」
「え、これ新幹線じゃないの?」
「夜行列車だ! 君はどうして新幹線の乗車券を買って夜行列車のホームに入れるんだ!?」
「いやあ、上野で迷っちゃって」
「照れるな褒めてないっていうかたとえ迷っても入れねえんだよ! 駅員とか止めなかったのか?」
「なんか文句つけてきたから痴漢って叫んで逃げてきた」
「そうまでして君はわざわざ自分の席のない列車に乗ってきたのか!?」
「この列車見た目カッコよかったからさあ。『これだ!』って直感で。40枚くらい撮ったし、満足満足」
「そんな話鉄道マニアとしてろよ!」全身の力が抜けていくのを感じる。
ここまでバカな人間には初めて会った。バカっていうか子どもみたいだ。単純に常識がないのか。
見た目的には僕と同い年か少し下くらいなはずなのに。なんだか可哀想にすらなってくる。
「‥‥‥‥で? 君はこれからどうするの? 青森まであと八時間はあるよ? 廊下で寝るの?」
「ここで過ごすけど?」
「僕の意思は!?」
「いいじゃんどうせ一人なんでしょ? 話してれば青森なんてすぐだよ」
「だからなんで相手が僕なんだ!」
「言ったじゃ〜ん。さっきこの部屋に入ったときの感じが良かったんだってば。こうロマンスの始まりみたいな? そんな感じで」
「猫か君は」本能のままに動きすぎだ。
ノリで列車間違えてノリで他人の個室に乗り込んで夜を明かそうとは‥‥。
よく一人で青森なんて行こうと思えたな。誰か保護者を呼んでくれ。そして責任を持ってどこかに繋いでおいてくれ。
「そんな顔しないでよ〜。ロマンスは嫌? 運命の出会いとか苦手なタイプ?」
「運命相手に苦手もくそもないと思うけど。あとロマンスなんてまっぴらごめんだ」
「あら、わたしでも?」
「君だから嫌なんだ」
「そんなにわたしを拒むなんて。何か理由があるの?」
「自分で思いつかないのか? ていうか自分で言ってておかしいなあとか思わないのか?」
「何が?」
「もういい」人間って使ってる言葉が同じなだけじゃコミュニケーションがとれないんだな。
「やったあ。じゃあわたし青森に着くまでここにいるね」
「勝手にしてくれ‥‥」都合の良すぎる思考回路に文句を言う気力も果てかけている。
「つれないわねえ。わたしが好みのタイプじゃないとか?」
「その話続けるのか? まあ完全に好みではないけど」
「あなたの好みはいかに」
「頭が良くて物静かで大人しそうな娘」
「まさにわたしのことじゃない」
「トイレ行け。鏡見て来い」
「寝癖は全部直したわよ?」
「そうじゃねえよ!」ああもう本当に疲れる。到着はまだか。
「そういえばあなた、わたしが来たとき顔暗かったけどなにかあったの?」
余計なところはしっかり見てる女だな。しかも普通に聞いてきやがった。顔色は読めるくせに、人間の感情の機微とか感じ取れないのか?
ああ、やっぱり単純に常識がないだけか。
「別に? ちょっと考え事してただけだよ」答えを濁すことにする。この女の頭ならこれで十分じゃないか?
「ふーん。ちなみにわたしは窓から外を見たときに横光利一の一節が浮かんだわ」
聞いてもないのに話すか。
って、え? 横光利一?
この女からそんな知識の必要な言葉が出るとは思わなかった。ていうか僕と同じかよ‥‥。同レベルってこと?
「だからさっき部屋に入りながら歌おうと思ってたのよ。誰かがのってくれるかもしれないと思って」
「この車両全個室なんだけど」
「へえ、そうなの? でもこんな状況で唄が聞こえてきたら誰かしら盛り上がるでしょ?」
そうかなあ。無駄に恥ずかしい思いをして終わりじゃないだろうか。
「で? あなたはなんでこんなわくわくするような列車の夜にテンション下がってたの?」
ごまかせなかった。余計なことにこだわりやがって。
「だから特に理由はないよ。眠かっただけ」
「そうなの? でももしテンション下がってるなら外を見るといいわ。景色すっごい綺麗で嫌なことなんて全部吹っ飛ぶわよ」
「景色のせいなんだよ!」
「え? そうなの?」
あ。
ついつっこみに乗せて本音を出してしまった。
だってこいつこの状況で考えうる最悪の指摘をピンポイントでしてくるしさあ‥‥。うざったいったらありゃしない。
ていうかもうごまかすのすらめんどくさくなってきたなあ。
たまたま会っただけの女だ。少しくらい深く話してやってもいいか。
もしかしたら話を理解できなくて出て行ってくれるかもしれない。
僕はわざとらしく咳払いをして、できるだけ真面目ぶった口調で話し始めた。
「あのね? 外の景色が綺麗なのはわかるよ。僕だって見た。それで僕はなんとかこう、その景色を言葉で表現したくなったんだ。
 お洒落な言い回しというか、文学的な表現でね。でも僕は文章の才能があまりないから、上手く言葉にできなかったんだ。
 上手に例えられなかったってのが一番わかりやすいかな? そんな自分の格好悪さみたいなものに、ちょっと気分が落ち込んでたというわけ」
こんなもんかな。自分の心情を細かく考えて言葉にするなんて初めてのことだったので少し気恥ずかしい。
さて、このバカ女は今の話を理解できただろうか。
割と親切に説明したつもりなんだけど‥‥。
と、女が口を開いた。
「‥‥バカじゃないの?」
「お前にだけは絶対に言われたくないっ!」
おい大概にしろよこの女。なんだその呆けたような顔は。しかもそんな頭悪そうな顔で人のことをバカ呼ばわりときた。
さぞ高尚な理由があるんだろうなあ?
未だかつてないほどささくれ立っている僕の心など察してもいないのだろう、女はのんびりと続けた。
「だってさあ、例えることができないんだったら例えることができないって表現でいいじゃん」
「‥‥‥‥‥?」僕の思考は一瞬止まる。
「有名な歌にもあったじゃん。えーっと誰だっけ。たれきんたろう?」
「滝廉太郎って言いたいのか!?」一文字入れ替えただけでとんでもなく間抜けな響きになってしまった。言葉は恐ろしい。
「そうそうそれ。その人の唄の歌詞にあったじゃん。『ながめを何にたとうべき』って。
 よくわかんないけど、芸術って人が感じたものを何かの形に残すことでしょ?
 無理に言葉を探さなくても、わかんなかったらわかんない、でいいもんなんじゃないの?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
言い返せなかった。
ひねくれた僕の脳が考え出せた唯一の反論は、その歌詞を書いたのは作曲者である滝廉太郎ではなく武島又次郎という男だということくらいだ。でもそんなことは問題じゃない。
なんで言い返せないのか自分でもわからなかった。こんな身も蓋もない一辺倒な考えに。
押し黙った僕をしばらく見つめたあと、女はゆっくりと口を開いた。これまでなかった喋り方だ。声が穏やかに張りつめている。
「わたしさあ、写真好きなんだ。いろんなものをカメラで撮るの。人が撮ったのを見るのも好きだけど、やっぱり自分で撮るのが一番好き」
「‥‥‥うん。さっきから撮ったとか言ってたもんね」僕はのろのろと返した。
なぜか今の女の言葉は、呆然としていた僕の耳にも、まるで皮膚から染み渡ってくるみたいに素直に届いた。
「でもわたし、昔は絵が好きだったの。スケッチブックと鉛筆を持って町を歩いて、気に入った風景は全部描いてみてた。
 自分が綺麗だと思った景色を描きのこして、それを人に見せて、わたしが何を綺麗だと思ったのか誰かに伝えたかったの。
 その時残す手段を絵にしたのは、言葉で説明するのにはわたしは頭が悪いし、自分が見たものを伝えるんだから自分で描いたほうが伝わりやすいって思ったから。
 だけどなんでだか全然伝わらなかった。わたしが綺麗だって思ったところを、わたしの周りの人はわかってくれなかった。
 まあ今考えれば、わたしの絵が下手なだけだったんだろうけど。それなりにへこんだわぁ」
僕は黙って聞いていた。くだらないと思ったからではない。バカにするつもりなんてない。
逆だ。僕はこの女にある種のシンパシーのようなものを感じた。
だって今の話の彼女は、まるっきりさっきまでの僕だ。
自分の才能のなさに気づかないふりをしたまま、無理して芸術にすがりついていた自分自身。
無意識のうちに拳を握りこんでしまう。痛みを感じないのが気味悪かった。
女の話は続く。
「そのころ読んだ本にある写真家の言葉が載ってたの。『写真は記録だ』って言葉。
 写真も芸術の一つだと思ってたからびっくりした。だって写真だっていろんなコンクールとかあるのに。
 もし写真がただの記録なら、そのコンクールなんてコンビニのレシートにそれぞれ評価をつけるようなものじゃない。
 気になって調べたら、少し意味がわかったの。
 絵とか音楽とかの芸術だと、どうしても作者の気持ちが入っちゃう。その人の好きなものが中心になっちゃう。
 でも同じ人間なんてこの世にいないんだから、別の人の感性で作られたものを完璧に分かち合うことなんてできない。
 だから写真で記録する。何の気持ちも入れないで景色を切り取って、何も中心にしないで残しておく。
 それで、それを見た人がその景色の中にそれぞれ好きなものを探して心に留めるんだって。
 誰でも、どんな人でもその景色から自分を探せるように、写真は記録であるべきなんだって。
 ‥‥‥わたしこの話を知ったときに決めたの。写真家になるって。
 わたしが見たもので綺麗だと思ったものを撮って記録して、他の人はその景色に何を見つけるのか聞いてみようって。
 それで、もしわたしと同じものを見つけてくれる人がいたら、すっごく嬉しいだろうなって思うの。
 ‥‥‥まあ、まだ写真も全然下手なんだけどね。何枚も撮らないとしっくりくるやつが撮れないの。フィルムも無駄づかいが多いし」
「‥‥‥‥‥そう、なんだ‥‥」
自分でも情けなくなるような声が出た。
恥ずかしさがこみ上げてくる。さっきまでの自分を殴りたくなる。
バカは僕のほうじゃないか。
こいつは自分の力をしっかり見極め、それでも少しでもやりたいことに近づくために努力をしている。
新しいことを始める苦労も惜しんでいない。
変にプライドばかり高くて、くだらない批評を並べて知識ぶって、自分の無能から目を背けている僕とは大違いだ。
いや、違うんじゃない。こいつはいるべき場所にいるだけ。
僕のほうが逃げているんだ。
そうだよ。僕だって出来ればこいつみたいに生きてみたかった。
でも、僕には何の才能もない。
それどころか何かを始めることができるような気概や、勇気だってない。
じゃあ、僕はいったい何をすればいいんだろう。
一人うなだれる僕を不思議そうに見てから、女は口調を先ほどまでのざっくりとしたもの戻して言った。
「ぶっちゃけ横光利一もたれきんたろうもわたしの写真の師匠の受け売りなの。
 師匠が横光とたれの言葉は文芸にしては記録に近いって言ってたから覚えてたってわけ。
 景色をそのまま言葉にして、読んだ人に考え方を任せるってことみたいね。
 まあ文芸の場合は、記録することそのものさえも芸術にしてしまうとか言ってたけど、よくわかんないわ。
 ‥‥んーと、まあわたしが言いたかったのは、どんな言葉だって自分が感じたことを言えば芸術って言えるんじゃない?って感じなんだけど。
 あなたもそうしてみれば?」
はすっぱな女の言葉を受けながら、僕は19世紀末の隅田川に思いを馳せた。
美しい景色。見惚れるような自然の輝き。
散る水しぶきや、手招きをしているような青柳や、ゆっくりとのぼってくる月をそのまま表してはみたけれど、この素晴らしさを、一体何に例えればいいんだろう。
一体何に例えればいいんだろう。
そんな投げやりとも取れる言葉が、情景描写と不思議なくらい溶けあい、詩の表現として成立している。
それが、それこそが、本当の意味での文学。そんなことができるのが、本当の文才。
でもそれは本当は、どんな人にだってできること。
一枚の写真から思い出を探り当てるみたいに、感じるままを言葉にする。
飾ろうと飾るまいと変わらない。
それが、文芸という芸術。
それならば。
ほう、と出たため息が、脇のベッドに横たわっていたときと比べて温度を上げているような気がした。
そうだ、と女が手を打つ。
「わたしの撮った写真見てみてよ。あなたは何に見える? 好きに考えてみて」女は肩掛けの鞄から一枚の写真を取り出した。
僕は受け取った写真を眺める。ちょっとピンボケが気になる、切り取られた夜空だ。
僕はあまり感性の鋭いほうではないけど、なぜだか彼女がレンズを通して何を見たのかがわかった。
苦笑が漏れる。
確かに写真家としてはまだまだ未熟なようだ。
僕ごときに本人の感性が見破られてしまうようでは、記録としては三流のものだろう。
でも僕はこの時だけはそれをありがたく思った。答えあわせがしやすい。
僕は立ち上がって窓に近づいた。カーテンを払ってガラスも大きく開ける。冷たい風が個室に満ちる。
もう一度、自分でも本物を見て答えを感じてみたかった。
窓枠に手をかけて視線を上げると、ところどころ白く穴の開いた黒が田園風景に覆いかぶさっていた。
奇跡みたいな確率で生まれたこの星の上で、一番大きな影。
それはどちらかというと空というより‥‥‥。
「ねえねえ、何に見えた?」明るい声が僕をせっつく。
僕は答えた。


「‥‥‥‥‥‥宇宙、みたいだ」


彼女が切り取った空も、同じように地球の大気の外に広がる空間を写していた。
空の向こうにある、優しい暗闇の世界。幾千の星でも照らしきれない、茫漠と続く夜。
そんな宇宙の大きさなんて僕らには想像もつかない。例える言葉すら、人類は千年かけても思いつかないだろう。
だから、そのままを言えばいい。
今の僕らには、それで十分なのだ。
もしこの言葉が何万年も先の未来にも残り、それを見た人が何かを感じ、その人の言葉で答えにしてくれればいい。
そうやってつながっていく。
言葉は美しい。
「ねえ、唄を歌いましょうよ。あの唄で良いでしょ」
女が含み笑いをしたあと言った。頬が嬉しそうに上気している。
「隅田川は冗談みたいに遠いけどな。あとさっき言いそびれたけど、滝廉太郎な」
「あれ、また間違えてた? まあいいわ。誰かがのってくれると良いわね」
「別にいいよ。二人で」

だって僕の隣には、突然できた相棒がいる。
二人揃って同じものを見られたんだ。まさにおあつらえ向きじゃないか。
ああ、こんな一瞬が千金にも感じられるような世界を、何に例えればいいんだろう。

このまま列車が浮き上がり、無限に開けた景色の中へ旅立つことさえできそうな夜だった。

後書き

ちょっとテンポが悪かったでしょうか‥‥。
ご意見がありましたらコメントよろしくお願いします。

この小説について

タイトル 夜汽車マーチ
初版 2010年6月24日
改訂 2010年6月24日
小説ID 3946
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コメント (2)

★アクアビット 2010年7月17日 9時52分41秒
‘たれきんたろう’も、銀河鉄道も大好きで、
おしまいまで一気に読めました。
しかも、おかげさまで、私自身の行く道を
示唆していただいたように感じています。
素敵な風景をありがとうございました。

※銀河……完結してないんですよね、残念ですね〜
弓射り 2010年7月24日 21時20分51秒
この作品見逃してたぁ〜・・・もったいない!

僕も一気に読めました。
今ぼくはまったくといって良いほど作家活動してませんが、書いてた当事は自分の詩的表現の才能の無さに、いや、頭には思い浮かんだとしてもまとまった作品に書き上げられないこと、思いついた表現が霞のように消えてしまう現状に打ちのめされていました。
こうして作品のなかでテーマとして扱っていただけたのは、当事のもどかしさを見事に言い当てられたみたいで。

気になった点が2つほど。
まず、女性が部屋に飛び込んできたあたり、ファーストコンタクトであまりにも二人ともフランクなので、ここらへんは書き急いでしまったのかなぁと。最初は初対面同士の緊張感があったほうが自然だったかなと思いました。少なくとも男のほうは。
2つ目が、男が女性に言い負かされてるわけですが、男がそこまで自分の描写力に「かなりこだわって」いる理由が最後までわからなかったな、と思いました。自分の才能の無さに少し憂鬱になるのはわからなくもないですが、拳をにぎりこんだり、意見に共感して黙り込んだりする程じゃないだろうと。
作家志望の青年なのでしょうか。その辺の裏づけをしてほしかったかも、です。

文豪の作品は気後れしてあまり読まない自分。図書館にあれば読みたいなぁ〜と思いました。
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