真夏の雨

 真夏の雨は、唐突に僕等を濡らす。さっきまで晴れ渡っていた空は急に態度を変える。神様ってものが居るとしたら、相当気分屋なのだろう。
 僕は、喧嘩っ早い性格だった。自分が貶されても腹は立たないが、友達や家族、自分以外の他人の事を言われると、どうしようもなく怒りが込み上げてきて、自分で制御出来なくなっている。
 かっとなって相手に掴みかかり、複数で来ようとも怯まずに鼻っ柱に拳をめり込ませる。何かが潰れるような気持ち悪い感触を手に残しながら、腹や足に連続して蹴りを入れる。
 相手が倒れこんで降参しても、僕は何かにとり憑かれたように振り下ろす脚や拳を止められない。
 そんな僕を恐れてか、僕が怒り狂ってでも守りたいものは、自ら去って行った。
 必然的に僕は孤独を好むようになった。




 雨が降り続いている。それでも僕は、傘をささない。傘をさすのが嫌いだからとか、そういう訳じゃない。何の前兆も無しに降る真夏の雨は、蒸し暑いくらいの自分の感情を、ゆっくり冷やしてくれる、そんな感じがしたからだ。
 朝から頑張っていた太陽によって出来た熱気も、雨の雫によって冷や水を浴びせられたように消えていく。
 そんな風景が、自分にも当てはまって欲しいと願っていたからかもしれない。
 僕を濡らしていた雨は激しさを増してきた。髪を伝って水が滴り、前が見えなくなるほどだ。流石に僕も、こんな豪雨の中で佇んで居られるほど冷静じゃない。
 すぐに、歩いていた並木道の木陰の下に入る。
「痛っ……」
 小さな呻き声に驚く。僕の真横に、倒れている人がいたからだ。正確には、青い制服に身を包んだ警察官だ。
 右腕を負傷しているのか、警察官の男の人は腕を大事そうに抱えながら僕を見た。
 僕が何も言えないでいると、僅かにはにかんで彼は笑った。
「はは、すまないね。二人乗りしている若者に注意したら、見事に返り討ちさ。最近の若い奴は気性が荒いのかね」
「…………」
 自分に言われている気がして、僕は相槌を打つことも出来なかった。
 静かに携帯を開いてボタンを押し、僕が電話越しに病院の名前を口に出すと、彼が僕の手首を掴んで止めた。
「病院に電話かい? いいんだ、この位、何ともないさ」
 彼はそう言うと脱いでいた帽子を丁寧に被り、右腕を庇うように木に体重をかけながら何とか立ち上がった。その姿は、とても雄大に見えた。それとも僕自身がちっぽけに感じているだけなのだろうか。
 そして、彼は僕に藍色のひしゃげた傘をさし出した。
「そんなにびしょ濡れじゃ、ご両親に怒られてしまうだろう。この傘を使えばいいから、気をつけて帰るんだぞ」
 僕に傘を押しつけてから、彼は躊躇いもなく雨の中へと走って行った。
 次第に濡れていく彼の背中が、どうしようもなく大きく見えていた。




 今まで散々雨に濡れていたくせに、いざ飛び込んで行こうとすると、戸惑ってしまうのは何故なのだろうか。
 濡れたくないのではない。貰った傘を差したくないのではない。
 熱くもなっていない心をこれ以上冷やされるのが、不安だったからだ。いつもと違い、僕の心は静寂を保っていた。
 僕と違って、彼は驚くほど自分の感情を冷静に制御していた。自らの体に怪我を負っても、守るべき自分の責務の為に怒りを押し殺して、必死に力を使わずに戦っていたのだ。
 彼のくれた藍色の傘を差して、僕は雨の中駆け出した。
 何も考えることができず、ただ夢中で。




 並木道の終わりで、僕は立ち止まるしかなかった。警察官の彼が、若い男二人組に蹴り転がされているのだ。
 右、左と交互に腹を蹴られ続け、雨の中地べたに這いつくばる彼を見て、僕は持っていた傘を手放した。無意識に、また拳に力が集まってくる。
 僕は、無言で二人の若い男たちに飛びかかった。
 無我夢中で一人の男を押し倒し、容赦なく顔面を狙って拳を振り上げた。
 その瞬間に、僕の目に入ったのは相手の不細工な顔でも警察官の彼の姿でもなく、地面に投げ捨てられた、藍色の傘だった。開いたままの傘には、激しい雨が打ち付けていた。しかし、傘はその雫を器用に受け流していた。まるでそれを物ともしないかのように。
 止まったままだった僕の拳は、軌道を変えた。僕は、僕自身の顔を殴った。
 顎が外れる鈍い音がした。雨の中でもはっきりと聞こえたその音に、相手の男たちは目を見開いて驚く。
 僕は二発目、三発目と続けて自分の顔を殴り飛ばした。頬が膨れ上がり、鼻から出た血が滲み、それが雨によって垂れ流れる。
 僕は決して相手に拳を振り下ろさなかった。そんな僕を異様なものでも見るかのように、僕に乗っかられていた男は僕を突き飛ばし、もう一人の男とともに素早く逃げて行った。
「やれやれ。注意されたことを根に持ってもう一度暴行をしに来るとは……まいったものだな」
 僕は、彼の言葉に肩を震わせた。
 彼の存在を忘れていた。彼は、僕をどんな風に見ていたのだろうか。
 急に怖くなり、僕は急いで立ち上がってその場を去ろうとする。しかし、彼は再び僕の手首を掴んだ。真っ直ぐな瞳で、僕を見つめる。
 漆黒の、深い瞳だった。僕は逸らしていた目を、彼の視線と合わせた。
 彼は表情を崩さず、僕の頭に手を置いた。優しくかき回されてやっと、撫でられていることに気がついた。
「僕は最低だ……。また、力を使おうとした」
 口をついて出た僕の言葉に、彼は大きく頷いた。
「ああ、最低だな」
 しかし、彼は付け足した。
「だけど、最悪じゃない。君はちゃんと、抑えられた。ちょっと無謀な方法だがね。今は最低だ。でも、これから少しずつ上を目指していけばいい」
 彼は僕の背中を軽く叩いた。濡れているはずの手が、太陽のように温かかった。僕は、彼の顔を見上げる。
 顎鬚を生やしたその顔は、儚げな雰囲気さえ漂わせていた。




 三週間後、遺言のような言葉を僕に残した彼は、殉職した。それは今夏二度目の、雨の日だった。暴走族の車から、老人を庇ったらしかった。新聞でその事を知った僕は、家族の静止も聞かずに家を飛び出していた。
 結局、返しそびれた藍色の傘を持って。
 彼に出会った木陰の下、彼に出会った時と同じ、真夏の雨。
 だが、僕の心は静まり返っていた。いつも感じる、腸が煮えくり返るような感じがしない。
 彼がいない空間。どっちつかずの、曇り空。雨はしとしとと細かく降りしきる。僕は傘を握り締め、目に雨粒が入り込むのも気にせずに呟いた。
「『最低だけど、最悪じゃない』か」
 僕は傘を開いて回す。雫の弾かれる、小さな音が寄り集まって音色を生んでいた。
「言うとおりにするよ。上を、目指すから……」
 僕は言葉を詰まらせた。怒りでない温かさがこみ上げてきた。真夏の雨でも冷え切らない、あふれ出すものは止まらなかった。
 突然に、全てを冷やす真夏の雨。
 それは決して悲しいだけものでなく、心がほぐされていく安らぎがこもっている様だった。


後書き

夏、なんだけど梅雨……的な今の季節って、自分的には気持ちが落ち込みやすい季節なんですよね。
夏と雨をどうにかして混ぜ合わせられないかという唐突な思いつきから書きました。
暴力的なシーンがちょこっとあってご気分を害してしまったかもしれません。もしそうなった方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ございません。


雨は冷やすだけでも悲しいだけでもない。
とりあえず、言いたかったのはその事です。

この小説について

タイトル 真夏の雨
初版 2010年6月29日
改訂 2010年6月30日
小説ID 3957
閲覧数 1602
合計★ 8
ひとり雨の写真
作家名 ★ひとり雨
作家ID 223
投稿数 91
★の数 226
活動度 10590

コメント (4)

★takkuりばーす 2010年7月6日 22時03分16秒
男とはかくも、こんな大きな背中の持ち主でありたいものです。
どうもおはこんばんちわ。リアルではどうにも貧弱で腰が低いtakkuです。←大問題

『最低だけど最悪じゃない』
なかなかの名言だと思います。
人として終わってしまった段階…『最悪』でない限り、『最低』なら何度でも上を目指せるという前向きなメッセージをまじまじと感じました。

ちなみに……自分は季節によっては雨の日を歓迎しますw←ぇ
特に今のような暑い日が続く中で雨が降ってくれば気温も下がり、とても過ごしやすくなります。
かと言って去年のような集中豪雨は勘弁願いたいですが。
では、『Lost Children』シリーズコメント、ありがとうございましたのコメント返しでしたw←マテ
ひとり雨 コメントのみ 2010年7月7日 20時34分28秒
>takkuりばーすさん

コメントありがとうございました!!
名言ですかー。何か照れますね;;
「僕」にとって「警察官の人」は対照的な存在であり、耐える勇気を教えてくれた人なんですね。
だからこそ、彼がいなくなっても雨を通して彼の存在を感じていられる。そんな感じで「僕」は最低から上を目指していく。

私も雨は好きです。梅雨は嫌いですが;;
この小説を書いていたら、霧雨が降ってきたので風流だなあと思わずため息を漏らしていました。


それでは、コメントありがとうございました!
★エーテル 2011年1月22日 6時11分36秒
不器用な主人公
また警察官もまた違った意味で不器用

でも愛すべき人物像ですね

人間とは完璧ではありません
また、完璧な人がいたら怖くてそんな人には近づきたくないです

人間臭さ、人間としての味
全部それぞれの持つオリジナリティですよね
いいところも悪いところもあって人間


文体は柔らかく
非常に読みやすいしスラスラ頭に入ってきます

表現に関して躊躇なされているようですが
これで気分を害する人はいません

むしろ表現に関して
自分で遠慮せず
どんどん過激だろうと出していくべきですよ

それでこそあなたの持ち味が出せるのです

高飛車な視点からの批評 勘弁
★ひとり雨 コメントのみ 2011年1月23日 0時59分00秒
>エーテルさん

どうも、初めまして。こんな稚拙な小説もどきに勿体無きお言葉、嬉しすぎてひれ伏すのみでございます。
何でか自分が書くと冷静になれないんですよね。説教臭くなるというか、しつこくなってしまうというか。今回も「暴力」というものをもっと人間味のある物語として書きたくて書いたのですが、もしかしたら表現の仕方が濃すぎるとか言われるかもしれないと思っていたので。


柔らかい文体なのかは私自身文体が安定しない性質なので良くは分かりませんが、分かり易かったのであれば幸いです。

表現に関しては未だに悩むところが多いですね。過激だろうと出していくべきとのお声は物凄くありがたいのですが、何分自分には「制御」というのが出来ないので不安はあるんですよね。
ですが人に見てもらっている以上、色んなものを出し切らなければいい作品にはなりませんし。参考にさせていただきます。


高飛車などとんでもありません。
エーテルさんのお心に何か届いたのであれば私としては十分すぎるほどですので。
またお暇でしたら読んでやって下さい。それでは。
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