Dメール - No.21 狙われた王妃(2)

「お父さん、お父さぁん!!」
 一人の幼女が、父の体にすがり付いて泣いた。頼りないその小さな体は小刻みに震え、残酷な現実から彼女を護ろうとしているようだった。
 幼女の父は血に塗れた手を彼女の頭に乗せた。腹に開いた大きな傷からの赤い液体があられもなく地面にたれ流れている。腕を上げたときの痛みに耐えながら彼は口を開いた。
「ご免な……」
 少女の涙は、閉じた瞼に零れ続けた。嗚咽混じりの叫びは、鉛色の虚空に響き続けた。



「……おり、伊織!」
「ん、何……?」
 名前を呼ばれた少女、伊織は半袖半ズボンの体操服姿で振り返った。緩い三つ編みの女子が、ストップウォッチを持ちながら腰に手を当て、頬を膨らませる。
「もう、なにぼうっとしてるの! 次、伊織の番だよ。走る走る!」
「あ、うん」
 伊織は白線の前で体を屈め、走る構えに入る。砂の入り混じる乾燥した風が、伊織の頬を撫でる。ゆっくりと、伊織は自らが目指すゴールを見据える。空砲の音が響き渡った瞬間、伊織は足を地に押し付けて走り出した。
 何一つ無駄の無い動きで百メートルを走りきった彼女にタオルを渡し、三つ編みの女の子は笑った。
「凄い、昨日の記録からまた縮まってる。都大会も、これなら楽勝ね」
 タオルを顔に押し付けたまま、伊織は無言でグラウンドを見つめた。スパイクが砂利を踏みつける音や、陸上に勤しむ者たちの声。
 それを熱心に聴いた後、伊織は言った。
「水分、摂って来る」
 部活終わりに帰宅しようとすると、隣で声があがる。
「わあ、来てくれるんだ……!」
「馨、メール?」
 友人、郡山馨(こおりやま かおる)の携帯を覗き込みながら、由良伊織(ゆら いおり)は眉を顰めた。
 馨の携帯画面には立った一言『今から行きます』の文字。何かのトラブルに巻き込まれたのではないかと伊織が心配するのも無理は無かった。
 馨は大きく首を振って否定した。
「違うよ。北蝶学園に居る友達から。何か、凄い有名な探偵を連れてきてくれるって」
「探偵? どうせ、ろくな人じゃない。止めた方がいいんじゃないの」
 伊織はグラウンドの向こう、青い制服と帽子に身を包んだ男達が立っている校門を見つめた。
 南蝶高校で起きた殺人事件。全身を刃物で切りつけられた猟奇的な殺人方法はかつて日本中を震え上がらせた殺人凶、『セイント・リッパー』の犯行と推測され、南蝶高校では厳戒態勢が敷かれていた。
 学校の中を常に警察官が見回り、校門にも常時警官が立ち、不審者の警戒を続けている。
「……一応、警察だって居るし」
「大丈夫。家まで護衛してもらうだけだから」
 馨の言い分に丸め込まれてしまった伊織は、渋々ながらも彼女と共に校門前まで同行する事にした。
 未だ野次馬も多い校門前で馨と伊織を待ち受けていたのは、六人組の男女だった。馨はその内の一人、黒髪をショートヘアにした女子に駆け寄った。
「桜ちゃん、本当に来てくれたんだね、ありがとう!」
「ううん。探偵を連れてきたっていっても、気休め程度だからお役に立てるか分からないけど……紹介するわ、春日夜一。これが、噂の高校生探偵」
「おい、これって何だよこれって」
 桜の自分に対する紹介の仕方に不服な夜一が食って掛かる。そんな夜一の事を完全に無視しながら、桜は淡々と優架、龍二、和夫、そして渚の事を紹介し終える。
「私、郡山馨。こっちは、私の友達の由良伊織ちゃん」
「……どうも」
 お互いの紹介が終わり、帰路へつこうとしたその時。
 校門前に居た警官たちが急にざわめき始めた。二人の警官の所に、右腕を負傷した警官が倒れこんでいる。
 その警官が発した言葉に、その場に居た全員が戦慄した。
「『セイント・リッパー』の第二の、被害者だ……! 第二音楽室に、近付こうとしたら、後ろから襲われて……」
 そこまで聞き終えると、伊織は目の色を変えて学校の中に舞い戻って行った。
「伊織、行っちゃ駄目!」
 親友の、精一杯の叫び声も振り払って。
 伊織の後を追うように、馨も学校へと走り出してしまった。何が何だか分からぬまま、しかし、このまま放っておくわけにもいかないと、夜一達も警官の目を盗み、急いで校舎の中へと入っていった。




 陸上部で鍛えた足は、走れば走るほど震えてきていた。伊織はそれでも走り続ける。階段を駆け上がり、廊下を突き進む。三階の北校舎にある第二音楽室を目指し、ただ只管足を進めていく。
 第二音楽室と書かれた扉を躊躇う事無く伊織は開ける。
 鮮血が撒き散らされた、醜悪な臭い。その中心にあるものを見つけ、伊織はその場に座り込んだ。
 馨と夜一達が伊織に追いつき、その惨劇を目にした瞬間、皆が目を疑った。
 南蝶高校の制服を着ている女子。そのなめらかな四肢には真っ赤な切り傷が所狭しに刻まれている。死後、時間が経過したと思われる、黒い褐色の痣、死斑が浮き出ている。
 床に滲んだ血が自らの足を汚す事すら気に留めず、伊織は頭を抱えて声を絞り出した。
「何でよ……何で、続くのよ。殺すならあたしを殺して、早く終わらせてよ……!」
 その言葉に、渚は不信感を抱いたのか、伊織の方を見つめる。夜一もその光景は異様だと感じていた。遺体を前にして、混乱しているのは分かるが、『自分を殺せ』と言うなど、まるで『セイント・リッパー』を知っているかのような言動だからだ。
 警視庁から警察官が波のように押し寄せ、本格的な捜査が行われる頃には、既に照り付けていた太陽は傾き始めていた。
「被害者は喜多方夕実(きたかた ゆみ)。南蝶高校の合唱部に所属する一年生。遺体の状態は一人目の被害者とほぼ同様ね。全身に切り傷、及び右の肺に小さな穴が貫通。おそらく右の肺はこの傷により空気が抜けて潰れてるわね」
 久しぶりの再会にも関わらず、検視官の尼子由利はてきぱきと遺体を検死していた。
 そして、斯波刑事と夜一の父、春日燈夜も事件の担当として南蝶高校に派遣されていた。斯波刑事は夜一達六人組を見つけると顔を顰めた。
「何で北蝶学園の生徒がここにいるんだ。毎度毎度お馴染みの餓鬼探偵、お前が連れてきたのか?」
「誰が餓鬼探偵だ! 俺じゃない、こいつの友達の護衛をしに来てただけだ。そしたら、怪我した警察官が学校から出てきて……」
 夜一が一通り事情を話し終えると、燈夜は言った。
「大体の事は分かった。今日の所は、第一発見者の警官にだけ話を聞いておくから、君達は警察に送らせよう」
 しかし、警官が伊織の傍に寄ろうとすると、彼女は警官を振り払い声を荒げた。
「止めて……もう放っておいて! そうすれば、あたしが死んで終わるんだから……警察なんて、無能なくせに中途半端な事しないでよ!」
 そんな彼女の混乱ぶりにも臆する事無く、斯波は彼女の手首を掴んで言った。
「……自分が責任持って送っていきます。良いですよね?」
「ああ、頼むよ、斯波」
 そして、燈夜は尼子にも夜一達を送っていくように頼むと、遺体から引き離された尼子は恨めしそうに燈夜を
見た。愛おしそうに遺体を見つめる彼女の姿に、その場に居た警官の殆どが彼女から離れた。
 生きている人間よりも亡くなった人間をこよなく愛し、誰もが一度は弱音を吐く検視の仕事を嫌な顔一つせず、寧ろ嬉々として仕事にいそしむ。
 そんな彼女に付けられた渾名こそ『骸姫』だった。死者に何よりも傾倒する、彼女を恐れての名だった。
「はあーあ。もうちょっとこの子を見てたかったんだけどな。分かったわよ。送っていけばいいんでしょ」
 こうして、尼子は龍二と夜一と渚を、燈夜は桜と馨と優架と和夫をそれぞれ送っていく事となった。





 真っ赤な外車が、夕暮れの道路を疾走していく。橙の光が車の中に入り込んで夜一達の顔を照らす。
 助手席に乗り込んでいた渚が事件の資料を読み耽っていると、尼子が唐突に言った。
「何か分かった、探偵さん?」
「あ、あの……」
 渚が口ごもっていると、尼子は微かに笑った。
「大丈夫よ、隠さなくても。龍二君から聞いてるもの。大変ねえ、二人で一人の探偵は」
「いえ。……あの、第一の事件の事、詳しく聞かせていただけませんか?」
「そうねえ。今回の遺体もそうなんだけど、何か、荒いのよね」
「荒い?」
「『セイント・リッパー』のやり方にしては、荒すぎるのよ。何年か前に一度だけ解剖させて貰った事があるんだけど……こんなに汚くなかった。全身の傷も、肺にあけられた穴も」
 夜一は資料に目を通しながら考えた。被害者は二人とも、南蝶高校の女子生徒。一人目の被害者は、日高菜月。午後放課の日、数学の課題に勤しんでいた所を殺害。二人目はその三日後、一人目の事件を機に学校が休校となっており、自主連中の合唱部部員である喜多方由美が殺害された。
 一見すれば学内の誰かがとも思えるが、外部からの犯行も無いとは言い切れない。
 渚も夜一と同じ疑問を抱えていたようで、携帯をずっといじっている。
『何か怪しいと思うところはあるか』
『分からない。だけど……何か引っかかってる。遺体の状態か、それとも襲われた時間か……』
 夜一が曖昧な返事を返すと、渚はそれっきり何も返してこなかった。
 黄昏の空は不吉を暗示するかのように照り、尼子の外車は静かに道路をひた走り続けた。



後書き

モヤモヤっとする感覚を残すのが今回の目標であります(誰
様々な伏線を張って、次回に繋げていければと思っております。

伊織と馨は対極の存在を意識しました。人懐こくて可愛らしい馨と、取っ付きにくいが芯が脆い伊織。
どちらもこれからの『セイント・リッパー』の事件に大きく関わっていくことになります。
どうぞこれからも見守ってやって下さい。

この小説について

タイトル No.21 狙われた王妃(2)
初版 2010年7月11日
改訂 2010年12月16日
小説ID 3971
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作家名 ★ひとり雨
作家ID 223
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コメント (1)

clibin009 コメントのみ 2018年6月22日 16時43分00秒
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