長い夏 - 長い夏―1―

さよ子は、高校の入学式を終えた後、父に入学祝として、初めて携帯を買ってもらった。これから通うことになる高校が家から遠いため、どうしても必要だった。
本来の女子高生なら、新しい携帯を手にすれば飛び上がって喜ぶだろう。しかし、さよ子は携帯になど興味を示さなかった。かつて「安全のため」だと言って携帯を所持していた子が、まんまと誘拐された事件を、さよ子は覚えていた。
真新しい制服に身を包み、ポニーテールに縛り上げるさよ子の姿は、小学生のころと比べ、随分と成長していた。
「さよ子」
背後から声を掛けてきたのは、同じ中学で付き合い始めた秀介である。
秀介もさよ子も、わざと同じ高校を選び、受験したのだ。
秀介は心優しい少年だった。
成績優秀で、その上完璧な容姿を備えている。
さよ子なんかより、よっぽど派手で可愛い女の子たちが彼を取り合っていたのだが、秀介はさよ子のような「静かな子」がタイプだったようだ。秀介に告白されたときは、さよ子も動揺した。
「これからは一緒に学校へ通えるな」
「そうね…秀介がいるなら、携帯なんかいらないのにね」
「また同じことばっか。少しは流行に乗らないと、また中学のときみたいに、他の女子についていけなくなるぞ」
「別に、そんなの気にしないけど」
さよ子は携帯を開いた。電源を入れ、買ってから変えていない待ち受けを覗く。
「アドレス教えろよ」
秀介が、自分も携帯を取り出し、電源を入れた。
「これ、どうやって自分のアドレス見るの?」
「しょうがないなあ」
秀介に携帯を取られ、勝手に操作される。
「赤外線は…」
秀介は慣れた手つきでさよ子の携帯をいじった。さよ子は、秀介にすべて任せておいた。
ゆっくりと駅へ向かい、やがて秀介が携帯を返してくる。
「いいか。このボタンを押すと、俺のアドレスが出る。それで、このボタンを押したら、俺にメールが送れる」
「別に、メールなんか…話したければ、うちに電話すればいいじゃない」
「青春期は言葉で話すのが苦手になる時期なんだよ」
「へえ」
地下鉄に乗り、四十分。
秀介は、自分の携帯のカメラ機能を使い、自分とさよ子の写真を取った。
初めてのツーショットを、秀介は待ち受け画面にセットし、さよ子にそれを見せる。
「わあ、恥ずかしい!」
さよ子は顔を真っ赤に染めた。
「いいじゃねえかよ」
秀介が肘でさよ子を突く。
「じゃあ、明日」
秀介は先に駅を降りた。
ガラス窓のむこうで秀介がこちらに手を振るのが見える。
さよ子は、携帯を鞄に仕舞った。
次の駅で降り、家までは徒歩で二十分。
すでに時刻は午後六時をまわっていた。街灯にあかりが灯り、空も随分と暗くなっている。
(お腹すいたな)
そんな平凡なことを考えていたとき、携帯の着信音がなった。
開くと、受信画面の端に、
「秀介」
と表示されている。
  ―――初メだよ。家に着いたらメールして。
さよ子は携帯を閉じた。
鞄に仕舞おうとしたとき、また着信音がなる。
今度は母だ。
  ―――今晩は、チャーハンよ。
どうでもいい内容だったが、母なりの「初メ」であろう。
今度こそ仕舞おうとしたときだ。
今までとは異なる着信音が鳴った。
画面を見ると、
「非通知」
と記されている。
電話番号は、まだ誰にも教えていない。
きっと、以前この番号を使っていた人の関係者であろう。
さよ子は気にしなかった。
家に帰ると、この日は夕飯を食べてすぐに寝てしまった。入学式だけだったというのに、ひどく疲れ、熟睡していた。
寝ている間、耳元でなにかがうるさく響いていた気がするが、よく覚えていない。

翌朝。
さよ子は秀介に、非通知の電話のことを話した。
「間違い電話だろ?」
秀介も、それくらいにしか考えていないようだ。さよ子も、別に気にしていたわけではない。
「もうすぐ学校着くぞ。電源切れよ」
授業中に着信音が鳴れば、当たり前だが、「取り上げ」である。
さよ子は電源を切った。
教室に入ると、まだ集まって間もないクラスメイトたちが静かに席へ着いている。
秀介とはクラスが別なため、さよ子はここでは話す相手がいない。
最後列の一番右側が、さよ子に当てられた席だ。
席についてすぐ、さよ子は机の中に一冊の手帳が入っていることに気付いた。取り出してみると、自分のものだった。昨日忘れてしまったようだ。
手帳を開くと、間に挟まれていたメモが床に落ちた。
さよ子が取ろうとしたとき、すぐ隣で座っていた女子生徒が、それを拾ってくれた。
「ありがとう」
受け取り、さよ子が礼を言うと、女子生徒は優しく微笑み、
「アドレスが書いてあるじゃない。あまりむやみに置き去りにするものじゃないわ」
「アドレス?」
さよ子はメモを見た。
他の手帳からページを破ったようだ。紙は色あせ、ところどころに土の跡がついている。
めくり返すと、そこには、確かにアドレスが書かれている。

  ――――nathu.hutari@×××△△×――――

悪寒を感じた。
(どうしてこんなところに…)
間違いなく、あのときのものだった。
四年前、あの事件が起きてすぐ、さよ子はこのメモをなくしていた。随分探したのだが、まさかこんな場所で見つかるとは思わなかった。まるで、夜中に誰かがさよ子の手帳に挟んだかのようである。
「大丈夫?」
女子生徒がさよ子の肩を叩いた。
さよ子は我に返った。
「平気。大丈夫よ」
メモを手帳に戻し、鞄に入れる。それと交換に、さよ子は文庫本を取り出した。

一時間目が始まり、さよ子は始めての高校での授業に緊張していた。あまりの進む速さに、新しいノートは一瞬にして書き込みでいっぱいになる。
「それじゃあ次の問題を…」
教室内は静かだった。
全員が授業に集中している。
担任の声だけが、生徒の頭上に響いていた。
そのときだ。
突然、どこからか携帯のバイブレーターがなった。
生徒たちが辺りを気にし、担任も眉をひそめる。
「誰なの?正直に言いなさい」
さよ子は、自分の鞄が振動していることに気付いた。
(なんで…)
電源は切っておいたはずだった。
さよ子の手が震えた。正直に手を挙げるべきか、迷った。
担任が机の隙間を歩き、徐々にさよ子の元へ近付いてくる。
さよ子が言い出そうとしたときだ。
バイブレーターが止まった。
担任は、さよ子の横で足を止め、さよ子をにらんでいた。しかし、なにも言われぬまま、すぐに担任は教卓へ戻り、授業を再開した。
さよ子は、背筋に冷汗が流れるのを感じた。

「携帯が、壊れた?」
帰り道。地下鉄の中でさよ子は秀介に携帯のことを話した。
「私、やっぱり携帯嫌いだわ。だって、携帯に脅されてるもの。非通知の電話がかかってきたり、いきなり電源がついたり…」
「考えすぎだよ。きっと設定がなってなかったんだ」
秀介が、さよ子の携帯の電源を入れた。
「メールが着てるぞ。多分、これが授業中に来たやつだな」
「誰?」
「登録されてないアドレスだぞ。なんだ……『ナツミ、フタリ』?」
「!」
さよ子は秀介から携帯を取り上げた。
画面には、アドレスが表示されている。

 ―――――nathu.hutari@×××△△×――――

それは、たしかに朝見つけたメモと同じアドレスだった。
(ナツミ…?)
電車が止まった。
「じゃあ、明日」
秀介が電車を降りる。
さよ子は、乗っている車両に一人になったことに気付いた。その瞬間、全身に鳥肌が立った。
電車がドアを閉め、駅を発車する。
さよ子は、ホームで手を振る秀介の姿を見つめた。
やがてトンネルに入り、携帯の電波が閉ざされる。
さよ子は、ナツミのアドレスで着たメールを開いた。
本文には何も書かれていない。
(どうして?ナツミは生きてるの?)
瞬時、電車が急ブレーキをかけ、突然停車した。さよ子の体が、進行方向とは逆に倒れる。
「なに!?」
思わず、声をもらした。誰もいない恐怖でいっぱいだった。
さよ子は前の車両を覗いた。やはり向こうにも人の気配が感じられない。
こめかみを汗が流れた。
喉がひどく渇き、体が凍える。
その直後、何者かに肩を掴まれ、さよ子は悲鳴を上げた。
「嫌!はなして!」
肩に乗る何かを手で払い、席を立ち上がり、振り向く。
「お客様・・・!?」
「あ…」
さよ子は、取り乱した自分を恥じた。
そこにいたのは、前の駅の駅長である。
「車輪トラブルで、しばらく電車が止まります。」
「車輪トラブル…?」
さよ子は席に腰を落とした。
心臓が、尋常でない鼓動を響かせる。
「あの…どれくらいかかります?」
「早くて、二十分でしょうか」
「二十分…」
それくらいなら平気だろう。
駅長が他の車両に去ると、さよ子は再び一人になった。
母にメールしようとしたが、圏外がずっと続いたままだ。
携帯を閉じ、文庫本を取り出した。なんとか気を紛らわしたかった。
(…………)
もう何ページ読んだであろう。
電車は、かれこれ一時間止まったままだ。
さよ子は左腕の時計を見た。七時二十分。家に帰るのは八時過ぎになりそうだ。
(携帯なんか、全然役に立たないじゃない)
スカートのポケットに仕舞っていた携帯を出し、開いた。
待ち受け画面の端に、メールマークが表示されていた。これは、未開封の受信メールがあるときにだけ表示される。
さよ子は首を傾げた。着信音は鳴っていないし、それ以上にここは圏外である。
「受信メールボックス」を開くと、そこには三件のメールがある。
そして、表示されているアドレス。

 ―――――nathu.hutari@×××△△×――――

さよ子は爆発しそうなほどの緊張をおさえ、メールを開いた。
一つ目は、先程と同じ、空メールだ。
二つ目も同じ。
そして三つ目は。

  『サヨチャン、マッテ』

「きゃああ!」
電車が動いた。
さよ子は携帯を落とした。
足元に落ちた携帯が前の座席の下へと転がる。
なんとか拾い上げ、立ち上がったとき。
前のガラス窓に人影が写った。さよ子の姿が反射したのではないことは確かだった。
そこに映っていたのは、白いスカートの少女。
まさしく、ナツミだった。

この小説について

タイトル 長い夏―1―
初版 2010年7月31日
改訂 2010年7月31日
小説ID 3993
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