長い夏 - 長い夏―2―

さよ子は、一週間学校を休んでいた。
地下鉄での出来事があって以来、携帯の電源も切ったままだ。
さすがに一週間ともなると、秀介がさよ子を心配し、さよ子の家に電話を掛けるようになった。そのたび、さよ子は何も言わぬまま受話器を戻し、電話を切っていた。
身も心も、恐怖に震え上がっていた。
ベッドへ横になり、四年前のことを思い出した。
赤い靴、白いスカート。
ピンクのリボンのストラップが着いた携帯。
ナツミは誘拐され、二度と返ってこなかった。その彼女が、今さら生きていたなど、信じることができるだろうか。
(なっちゃん…)
そのとき、静かだった部屋に突然携帯の着信音が鳴り響いた。
さよ子は飛び起きた。
部屋の隅に置き去りにした鞄の中から、電話の着信メロディーが響いている。
(電源が、また勝手に…)
さよ子は、携帯を取ろうとしなかった。布団を被り、音が鳴り止むのを待つ。
そのうち、着信音は途切れた。
そっと、顔を布団から覗かせた。
部屋に変わった様子はない。
起き上がると、再び携帯の着信音が鳴った。今度はメールの着信音である。
さよ子は、ようやく携帯を手にした。
画面を開き、メールの受信履歴を確認する。
十五件あまりのメールが並んでいる。秀介、母、父。この一週間に来たメールだ。
そして、ナツミのアドレスで来るメール。
ナツミからのメールは、七件。
最初の六件は、やはり空メールだ。
さよ子は、七件目を開いた。
そこには、

『でんわにでて』

そう書かれている。
受信時間は、先程の電話着信音がなった後。つまり、たった今受信されたものだ。
電話の着信履歴を見た。
一番新しい履歴。そこには、「ナツミ」と、はっきり表示されていた。
さよ子は怖くなり、携帯を閉じた。その直後、再び着信音が鳴った。
電話だ。
携帯の背画面に、「ナツミ」と表示されている。
応答ボタンを押し、受話器を耳に当てた。
胸の鼓動が高鳴り、指先が氷のように冷たくなる。
「もしもし…」
さよ子が声を発すると、受話器の向こうから微かに何かが聞こえた。
泣き声だろうか。
幼い子供の泣き声が、耳に木霊す。
「なっちゃん…なっちゃんなの?」
話しかけても返事はない。
「なっちゃん、今どこにいるの?私、あなたを助けたい。あのとき、助けてあげられなかったことを…すごく後悔してる」
『・・・さよちゃん』
始めて声が聞こえた。たしかにナツミの声だ。彼女の声を忘れたことはない。高く、かわいらしい声音をしていた。
『さよちゃん…私、寂しいの。ここは、暗くて寒くて…』
不思議と、恐怖感が薄れていた。
さよ子は受話器を握り締め、真剣にナツミの声を聞いた。
「どうすればいいの?私にできることなら…」
『…携帯』
「携帯?」
『電話で…こうして毎日お話しするの。そしたら、私、寂しくない…』
「それで、なっちゃんはどこにいるの?」
『……』
ぷつり、と電話が切れた。
さよ子は携帯を閉じた。
ナツミの声が、まだ耳に残ってる。
やはり、ナツミは、どこかで生きている。
現実的に考えれば、そうとしか言いようがない。だが、ナツミは何故さよ子の携帯のアドレスや番号が分かったのだろうか。



「さよ子!」
秀介は、久々に電車に乗ってきたさよ子の姿に、ひどく驚いた。
「お前、平気なのか?」
「うん。ごめんね、心配していてくれたのに」
「ああ、気にするなよ」
この日の朝は、さよ子も秀介も携帯を開かなかった。
教室へ入ると、クラスでは既に仲の良いグループが組まれていた。入学してもうすぐ二週間になる。
さよ子は、仲間に入ることを避けた。中学のときから、友達付き合いが苦手だった。
目立たないように、自分の机へ向かった。幾人かが、さよ子に目をとめたが、何も言わない。
席に着いたとき、
「おはよう」
声を掛けてきたのは、隣の席の生徒だった。以前、メモを拾ってくれた子だ。
「一週間も欠席して、どうしたの?」
「ちょっと…ね」
机からは大量のプリントが出てきた。一週間のうちに配布されたものだろう。
プリントの間に、見知らぬメモが入っている。
さよ子は、自分のものではないことにすぐ気付いた。メモは、何かの手帳のページを破ったようだ。
(まるで、ナツミの…)
はっとして、メモを裏返した。
メモには、鉛筆で電話番号が書かれている。それが、昨晩かかってきたナツミの携帯番号と同じであることに、さよ子は気付いた。
「それ、なに?」
隣から、少女がメモを覗き込む。
「あら、今度は電話番号?」
「う、うん」
「おかしいわね。昨日覗いたけど、そんなもの入ってなかったわ」
「覗いたの?」
「プリントを入れたのよ。でも、メモなんてなかった。きっと、あなたのことを好きな子が、今朝のうちに入れたのね」
(・・・そんなんじゃない)
メモの端には、子供の字で「さよちゃん」と書かれている。さよ子をそう呼ぶのは、ナツミだけだ。
さよ子はメモを手帳に仕舞った。
授業が終わり、さよ子は学校を出ると、すぐに携帯の電源を入れた。
メモに書かれた番号へ電話をしてみた。
呼び出し音はすぐに途切れ、しばらくすると小さな笑い声が聞こえた。
「なっちゃん?」
自然と口から漏れたその名前に、受話器の笑い声が止まる。
『さよちゃん、本当に電話してくれた。私、嬉しい』
ナツミの声だった。
昨日聞いた声より、はっきりとしている。
「なっちゃん、学校に来たの?私の机に、メモを入れた?」
『うん。だって、さよちゃんが私に電話をするとき、番号がないと困るでしょう?』
「でも、学校には関係者以外は入れないはずよ」
『誰も私を止めなかった』
ナツミの声が、そのときだけ暗くなった。
さよ子は、駅前まで来たことに気付いた。
「なっちゃん、電話切るね。もう電車に乗るから」
『・・・』
ナツミの声は聞こえず、電話は一方的に切られた。
改札を通り、ホームへ上がると、すぐ来た電車に乗り込んだ。
呆然としながら前に飾られる広告を眺めていた。携帯にはメールも電話の受信もない。
すぐに四十分の時間が過ぎた。
ホームを降り、改札を出るとすぐ、見計らっていたようにナツミから再び電話が掛かってきた。
「もしもし」
駅前の交差点の信号を待ちながら携帯を耳に当てる。
『さよちゃん』
ナツミの声が聞こえてくる。
何故だか、電話の回数を重ねていくうちに、いつの間にかナツミと話すことが怖いものではなくなっていた。それよりも、ナツミのことを心配する気持ちのほうが強かった。
「なっちゃん、赤い靴のこと覚えてる?」
『うん』
「私、まだ持ってるのよ。返すわ。どこにいるの?」
『…』
ナツミからの返事は無い。
「なっちゃん?」
ちょうど、信号が青に変わった。
さよ子は横断歩道を歩き出した。
『さよちゃん、定期落としてるよ』
ふと、ナツミが静かに囁いた。
「定期?」
さよ子は振り向いた。先程立っていた場所に、白い定期入れが落ちていた。
歩き出したときに落としたのだろう。
戻って、定期を拾った。
定期は、確かにさよ子のものだ。
そのとき、はじめて携帯を握る手が震えた。
立ち上がり、あたりを見渡した。
「どうして、分かったの?」
鳥肌が立った。
どこかにナツミがいる。
ナツミに見られている。
「なっちゃん。どこなの?そばにいるんでしょう?ねえ、どこにいるの?」
その直後だった。
背後でブレーキ音が響き、何かがぶつかり合う音がとどろいた。
振り向くと、赤い車が、向こう側の歩道に乗り上げ、目の前の喫茶店に衝突している。
店の窓ガラスは崩れ落ち、とてつもない人の悲鳴が聞こえた。
さよ子は、その場に膝を落とした。
気付くと電話は切れていた。
(そんな・・・)
やがて目の前にパトカーや救急車が現われ、店の中の被害者や、血だらけになった運転手が運び出される。
人々が周りを囲み、息を呑んでその状況を見つめていた。
もし、ナツミに定期のことを忠告されなければ。戻らなければ今頃、さよ子は死んでいただろう。
切断音の響く携帯を、さよ子は強く握り締めた。
その日、ナツミからの電話は無かった。
さよ子は、ナツミの存在を少しずつ疑い始めていた。

この小説について

タイトル 長い夏―2―
初版 2010年8月1日
改訂 2010年8月1日
小説ID 3997
閲覧数 939
合計★ 9

コメント (5)

★佐藤みつる 2010年8月2日 1時38分29秒
とても面白いですね!連載ものはなかなか読まないのですが
夏だしホラーだしということで読んでみたのですが、予想以上に面白くて引き込まれていってしまいました。
文章力があって、本当に良い文だなぁと思いました。
淡々とした中に紛れる面白さ、かすかに伝わってくるさよ子の色々な感情にドキドキさせられます。
続き楽しみにしています。
★GOLDY コメントのみ 2010年8月2日 18時03分59秒
コメントありがとうございます!
このサイトを見つけたのは随分前なのですが、普段はなかなか投稿できないため、夏休みに入り、初めて出してみました。
小説を書き始めて3年目ですが、こうして発表してみたのは初めてです。
とても緊張していたので、コメントとても嬉しかったです。
本当にありがとうございました!
★アクアビット 2010年8月4日 0時35分42秒
3作まとめて一気に読みました。
意外性たっぷりの始まりかた、
先が気になって、でもなんか怖いです。
すごいですね〜。
あ、そうだ、プロローグに誤字が少しありました。
★井坂空 2010年8月14日 14時09分22秒
3作読みました。さよ子の動揺とか感情が些細なところから伝わってくる感じがとっても好きです。続き楽しみにしてます!
★GOLDY コメントのみ 2010年8月17日 18時43分19秒
コメントありがとうございます!
この話は、夏中に完成の予定だったのですが、間に合わないかも・・・!!
シリーズ次回作も目を通していただければと思います。

アクアビットさん、ありがとう!
見直したのに、見落としがあったなんて…(泣)

井坂空さんも、読んでくれてとても嬉しいです!
このところ暑い日が続いているので、これで涼んでくれればと思いますが(笑)
また読んでください。

ありがとうございます★
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