キズモノ - 2-持チスギタ者ハ持タザル者ニ闇ヲ這ワス

 気持ち悪い。それが、男の家に入った時の第一印象だった。
 
 汚れのない白いカーテンに白いベッド。灰色の机の上には、僕には到底理解できない医学書や、恐らく有名なのであろう画家の画集、今の首相が書いた本、その他インターネットからプリントアウトした研究論文のようなものが沢山散乱している。真面目な研究者なのかと思えば、枕の上には少年漫画雑誌が置かれていたりする。もしかして、普通の家ならこうなっているものなのだろうか。僕は昔から誰の家にも行ったことがない。だから、「部屋の中」に関するスタンダードが自分の部屋しかない。僕の部屋?一体何がある?パソコンと布団と後は?極端に言えばそんなもんだ。ものの見事に「健康で文化的な最低限度の生活」を体現できる、日本政府に忠実な住み処だ。

 それにしても、男はなかなか戻ってこない。「ある人と連絡を取るのでしばらく待っていてください」と言われ、僕が部屋を散策し始めてからもう10分だ。電話でもしているのだろうか。
違う、騙されたのか。そうだ、よく考えてみたら、見ず知らずの人間を自宅に入れるなんて普通はあり得ない。机の上に散乱したあらゆる本、これはあの男がインテリヤクザである証拠じゃないか?僕はこのままここで身体をバラバラにされ、臓器を売り払われるのだ…。肝臓は300万、腎臓は50万って売られて行って…。黒スーツの男達がニヒルに嗤って………死ね死ね死ね死ね。クソ頭。お前やっぱただのナルシストじゃねえか。自分が崩壊していく姿に酔いやがって。人間だと認識できるギリギリの顔してるくせにお笑いだぜ。マジでやめろ気持ち悪い死ね消えろゴミ屑童貞野郎ファックファックファックファックファックファックファックファック…ああああ、どこまでも低俗なり!
 
 駄目だ。普段なら壁に頭をぶつけて一旦思考を止めれば簡単に終わる無限ループの鬱が、生憎人の家なのでそれができない。とりあえず雑誌でも読むしかないので、枕の上の少年漫画雑誌を手に取った。

 ん?僕はその下にあった本に目を留めた。白い表紙に、妙な形の人形の写真がプリントされている。外国の少女の人形のほかに、下半身同士がくっついたものもある。芸術分野に疎過ぎて、芸術性とか、デザインセンスとかは全く分からなかったが、僕はその人形たちに不思議な魅力を感じた。この落ち着き具合はなんだろう。手が感電したかのように震えている。宇宙人に出会ったかのようだ。何か自分の中の感情が疼いているようだ。果てしなくサディスティックに。タイトルにある「ハンス・ベルメール」、これが作者なのだろうか。



「お待たせしました」

 男が戻ってきた。座るように指示されたので、高級そうな絨毯の上で正座した。

「そんなに硬くならないでいいですよ」

 男は胡坐をかいた。だが、僕は体勢を変えられなかった。

「あなたにやって頂きたいことを説明する前に、まずお互いのことを話しておきませんか。そうでなくては、実験の意味がないので」

 柔らかい口調だった。革ジャンを脱ぎ、前より幾らか話しやすい格好になっていたので、僕の警戒心は前より薄れた。

「もちろん、あなたからとは言いません。でも一応、先にお互いの名前を知っておきたいですね…」

 そう言うと、男はおもむろにポケットからカードのようなものを取り出した。

「私、一応大学生なんですよ…二度目ですがね」

 それは学生証だった。菊川天馬と記されている。年齢は二十六。東京で指折りの有名大学に通っているらしい。大学受験をしていない僕には、どのくらい難しいのかは分からないが。

「最初は医学部でそれなりに勉強してたんですよ」菊川は俯きながら語り始めた。

「親の意向があったわけでもなく、自主的に選んだ道なんです、でも…何と言うんでしょうか…段々と患者を救うという行為に疑問と抵抗を覚えたんです。理由は…本当に情けなくて、惨めで、くだらないことだったんですが」

 菊川は顔を上げた。

「ああそうだ忘れてました。ええと、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」

 一瞬、偽名を使おうかという考えがよぎったが、普通に本名を名乗った。

「では、カンザキさん、あなたのその腕の傷、瀉血によるものでしたよね」

 僕は頷いた。綺麗な模様の絨毯に、汚いフケが落ちる。

「あなたの場合は自分で傷を増やしてますが、患者の方々は大抵、事故や病気という無作為に訪れる機会を通して、ほぼ偶発的に何らかの傷をもつことになります。変な話ですが、私にはそれが、妬ましかったんです。私の身体には、傷がありません。できたことだって一度もないんです。でも、多くの患者の方々は、ある種自然発生的に傷をもつことが出来た。僕には、それが、堪らなく羨ましいんですよ」

 菊川の語気が強まる。

「僕だって、何度も自分で傷つこうと考えました。でも、それじゃダメなんです。自分という要素が完全に排除されている誰かもしくは何かによって傷つきたいんです。僕はキッとマゾヒストなんでしょうね…でもそんな偶然になかなか遭遇しない。小学校の時はそれなりに喧嘩をしたし、その頃からずっと剣道をやってきましたが、痣一つ、切り傷一つできたことがないんです。本当に幸運ですよ、僕は」

 と、自嘲気味に微笑む。僕は瀉血について詳しく知っている人間なのかと思って話を聞いていたので、話の展開に若干の落胆の色を隠せなかった。汗が出過ぎて喉が渇いてきたので、キッチンの上のぬるそうなペットボトルのお茶にチラチラとラブコールを送り続けたが、菊川はまるで気付いていなかった。人に話しかけている、ということを忘れている風だった。

 喉の奥があくびに圧迫されている。この男の話はいつまで続くのだろう。この男はお互いのことを話しておこうと言った。ということは、後で僕もこんな身の上話をしないといけないというのか。やめてくれ。そんなのミニャミニャピピョピピョブニャブニャングングじゃねえか!

「そう、僕にないものはなかった」彼は続ける。

「僕の父は、社名は挙げられませんが、とある有名企業の社長でして、金は腐るほど持ってます。だから金に困ることもありませんでしたし、先ほどお支払いした百万も、ほんのはした金に過ぎないんです。それに、外国でミスコンの代表になったこともある母の血を濃く受け継いだためでしょうね、容姿に恵まれてもいます。すいません、なんか自慢話のようになってしまってますが、無駄に謙遜するほどナルシストじゃないので」

 この男は偉い。

「きっとそんな条件下だから尚更なんでしょうね、僕は自分にないもの――服、アクセサリー、尻の軽い女共――をもっている人間に対しての嫉妬心が人一倍強力で邪悪なんですよ。勿論、金と自分の能力ですぐに手に入れられましたが――」

 ふいに、男の右手が僕の左腕に触れた。無駄のない滑らかな動きに、一瞬股間が疼いた。

「これがないと悟った時から、そんなものは全て虚しくなってしまった」

 菊川は青い注射痕を指でなぞり続けている。僕はその指をじっと見つめていた。まるで恋人を愛撫するかのような動きだった。正直気持ちいい。こんな手つきで、今まで何人もの女を満足させてきたのだろうか。僕は菊川が美女と裸で抱き合っているところを想像した。案外、不気味な感じがする。妄想上のその愛おしげな優しい目を焼きつけたまま、菊川の顔を見た。

 僕のイメージは爆風のように吹き飛んだ。眉間に皺を寄せられるだけ寄せ、歯を食いしばってギリギリと音を立てている。時代劇の切腹シーンでこんな顔を見たことがある。僕の視線に気づいている様子は全くなかった。何か感情に視界を塞がれているような感じだ。僕という、自ら傷をつけた者に対する同情か、それとも自分の今までの人生の徒労に対する悲しみか。

 違う、怒りだ。まるで誰かに仕組まれたかのように、自分の身体が傷つかず、自らの手で傷つけざるを得ない状況にまで追い込まれている。それだというのに、自分が助けを求めた相手は、自分自身が憚っている自傷行為に耽っている男だという皮肉な事実に対しての。或いは、存在がなければこんなに苦しむことはなかった、傷それ自身に対しての。

 長い静寂が訪れた。いや、そう感じているだけなのかもしれない。効きすぎているクーラーの音だけが空しく響く。汗が乾いてきたせいで、さすがに寒くなってきた。

 その時、ケータイのバイブ音が聞こえた。菊川ははっと我に返り、僕に背を向けて立ち上がりながらズボンのポケットに入っていた黒いケータイを取り出した。静寂に菊川の声が混ざる。ああ…はい、わかりました……ええ、もういらしてますので。………はい、どうもありがとうございます。…では。

 そこで会話が終わった。明らかに僕に話す時より親しげな声音だった。胸のどこかで、遠い昔に片想いをしていた頃のようなもやもやした気分を拭えない。電話から微かに漏れていた相手の声が、まぎれもなく女性の声だったからだ。

「カンザキさん、今協力者の方から連絡がありました。もうすぐこちらに来られるそうです。それまでに、はやく序盤戦を終わらせてしまいましょう」
 
 菊川は座りなおした。

「それから…、そろそろ足、きつくありませんか?」

顔が紅潮した。その通りだった。正座が長引いたので、膝下が悲鳴を上げていたところだ。恥ずかしさと、同情されたことへの怒りが同時にこみ上げる。

「もう私の方の話はあらかたし終えました。後は実験の説明の時にでも少し話しましょう。では、カンザキさん、次はあなたの番です。あなたの経歴や、瀉血のやり方などをできるだけ詳しく教えてください。言いたくないことは言わなくて構いませんので。大丈夫です、私も質問を交えたりして、カンザキさんが話しやすいようにサポートしますから」

 遂にこの時が来てしまった。だが憂鬱になる反面、一種の安堵を覚えていた。自分の身の上話など、誰にもしたことがない。誰もがそれを情けなくて、汚くて、今の自分に邪魔なものだと思い、黒歴史にしてしまいがちだ。それはきっと菊川も同じだろう。でも内心では、誰もがそれを理解してほしがっている。それには他者との対話が不可欠だ。もしかしたら今、僕たちは互いに理解者を見つけあっているのかもしれない。

後書き

御感想があれば是非お書きください。

この小説について

タイトル 2-持チスギタ者ハ持タザル者ニ闇ヲ這ワス
初版 2010年8月24日
改訂 2010年8月24日
小説ID 4026
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熟練
作家名 ★レッド・サイコパス
作家ID 488
投稿数 20
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活動度 1984

コメント (1)

2017.9.13xukaimin コメントのみ 2017年9月13日 9時58分36秒
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