長い夏 - 長い夏―5―

ホテルに着いたのは夕方だ。
睦美が大浴場に行くのを付き添うのは、さよ子の役目になってしまった。
さよ子は、昼間以来、ナツミからの着信がないことを気にしていた。しかし、大浴場に携帯を持っていくことは出来ない。
「浴衣と着替え持った?」
母が睦美の荷物を確認する。
さよ子は、そっと携帯を、自分の寝るベッドの中へ隠した。
「私も行くから、お父さんに一人でお留守番していてもらいましょう」
母がそういうと、睦美は飛び上がって喜んだ。
「早く行こう!」
睦美が母の手を引き、早々と部屋を出る。
さよ子はナツミの気配がないことを心配し、部屋を振り返り見た。
(どこへ行ったのかしら)
辺りの変わった様子はない。
しかし、奥の部屋から父が誰かと話す声が聞こえ、さよ子は青ざめた。
微かだった父の声が、やがて怒鳴り声に変わる。
「いいか!アレを寄越さない限りは、命の保障はねえからな!」
(お父さん・・・!)
父の、あんな罵声は聞いたことがない。
さよ子は、そっと部屋を出た。

この夜、さよ子はなかなか寝付けなかった。
蒸し暑く、全身がひどく重い。

―――赤い靴はどこにある!

(・・・?)

―――赤い靴だ!あの靴は・・・


「!」
飛び起きた。
枕の下で、携帯のバイブレーターが鳴っている。
時刻は午前三時。
汗だくの額を手で拭い、さよ子は携帯を掴み取った。
(ナツミ・・・)
メールの着信件数は三件。すべてナツミからのものである。

―――さよちゃん、逃げて!

三つとも同じ内容である。
さよ子は、隣にいる睦美の寝息を確認し、携帯を握り締めてトイレへ向かった。
個室に入り、ナツミの番号に電話をかける。
「なっちゃん、どういう意味?」
『さよちゃん。きっと、私の姿が見えれば、私の言うことも分かってくれるはずなんだけれど・・・』
「どうしたの、一体・・・」
ナツミは一度、大きく間を置いた。
やがて、
『私を殺したのは、さよちゃんのパパ』
「!」
言葉を失った。
信じるより先に、ナツミに強く腹が立った。
「冗談言わないで!」
『さよちゃん!』
さよ子は電話を切った。
実の父を犯罪者呼ばわりされて、一体誰が喜ぶだろうか。
(なっちゃんの、馬鹿)
「さよ子?」
ちょうど母がドアの外から呼びかけた。
「いつまで入ってるの?早く出て」
「ごめん、ちょっと待って」
さよ子は、携帯をパジャマの袖に隠した。





金森倉庫の中にある土産店で、父がどこかに消えた。
函館に来てから、幾度も同じようなことをしている。誰かに電話を掛けて、その会話を家族にも聞かれたくないらしく、さりげなくいなくなるのだ。
その度に、さよ子は以前の父の怒号を思い出す。
そして、ナツミの妙な言葉。
(・・・疲れた)
いつかと変わらない思いが胸をよぎる。
「おねえちゃん」
睦美が背後から、さよ子のシャツを引っ張る。
「お父さん、本当に消えちゃったよ。見てない?」
「東京へ帰ったんじゃない?」
「冗談言ってるときじゃないよ。お母さんも探してる。携帯に電話しても出ないみたい」
「さよ子!」
母が小走りになってやってきた。息を切らせ、焦っているようだ。
「大変よ。レンタカーが駐車場にないのよ!」
「本当?」
「お父さん、私たちをおいてどこかへ行ってしまったみたい・・・」



「―――月五十万。その仕送りが切れたときは、娘の命は無いからな」
「もういい加減にしてください!そんな大金、どこにもありません!」
「じゃあ、赤い靴を寄越せ」
「赤い靴は無くしたと申し上げたはずです!」
「じゃあ、始めの条件は変えることはできない」
「・・・!」



電車でなんとかホテルには戻ったものの、父はやはり帰ってこなかった。
音信不通の父の行方に、母の顔色は青ざめるばかり。幼い睦美にも、状況は薄々と分かり始めたようだ。
翌朝には東京へ帰ることになっている。
それまでに父は帰ってくるのだろうか。
さよ子は携帯を強く握り締めた。
ナツミのことがやけに気になった。あれだけ毎日しつこく電話を掛けてきていた彼女が、まるで蒸発でもしてしまったように、その気配もあらわさない。
(ナツミ・・・・)
突然の父の失踪。
さよ子の胸は、訳も無く不安でいっぱいになっていた。
その翌朝、さよ子は睦美と二人で父を探し歩いた。母も別行動で街を捜索している。
「お父さん、見つかるかなあ」
睦美が半べそをかいて、さよ子の腕にすがる。
知らない街で歩くことは、二人にとって携帯だけが頼りになるということだった。この連絡網が切れたら、帰り道が分からない。
不意に、携帯が着信音を立てた。
「おねえちゃん、電話だよ!」
さよ子の携帯の着信音を覚えていた睦美には、すぐに電話だということが分かったようだ。
背画面には、「ナツミ」と表示されている。
迷わず応答ボタンを押した。
「もしもし!」
『さよちゃん!』
すぐに聞こえたナツミの声は、普段より焦った態である。
「なっちゃん、うちのお父さん知らない?」
『さよちゃん、お願いだからわたしの話を聞いて!』
「話?それどころじゃないわ!」
『さよちゃん!お願い。今から私の言う場所へ行って!』
「そこに父がいるとでも言うの!」
さよ子は立ち止まった。
ナツミの声が失せていた。
錯乱していた自分の、ナツミに対する態度に後悔した。
「ご、ごめんね。なっちゃん・・・」
さよ子の声に、ようやくナツミが、
『大丈夫』
小さく囁いてくれる。
「話って何なの?」
『お願い。これから、五稜郭町にある・・・私のママのところに行ってほしいの!』
「なっちゃんのお母さん、函館にいるの?」
『うん。お父さんがいないから・・・』
「え?」
初耳だ。
「そこへ行って、どうするの?」
『そこに、さよちゃんのパパもいるはずよ』
「え?どうして?」
『お願い・・・』
電話は一方的に切られた。
「おねえちゃん、誰の電話?」
睦美が心配する目で見上げてくる。
「五稜郭町・・・に、行かなきゃ」
バッグの中の財布には、バス代くらいなら入っている。
(本当に、なっちゃんを信じるの・・・?)
さよ子は、突然怖くなった。
震える手で、妹の手を握り締める。
「おねえちゃん?」
「行こう」
側にあったバス停に、ちょうどバスが止まった。
行き先は、「五稜郭」である。―――――

この小説について

タイトル 長い夏―5―
初版 2010年8月29日
改訂 2010年8月29日
小説ID 4031
閲覧数 722
合計★ 0

コメント (0)

名前 全角10文字以内
コメント 全角3000文字以内 書式タグは利用できません
[必須]

※このボタンを押すと確認画面へ進みます。