キズモノ - 傷ツキ傷ヲ消シ、尚モ傷ニ怯ブ

 サングラスを発明した人に感謝したい。

 サングラスは私を、他人から遠ざけてくれる。それだけで、日光の下では十分な価値がある。こんな大通りでどんなに奇異の目を向けられようとも、私は彼らを「障害物その1・その2…」と置き換えて、その生命を無くすことが出来る。また、自分の姿をも不鮮明にしてしまうことで、同時に自分をも殺しうる。自分が存在しないのに存在しているという自己矛盾が心地よい。誰かを食い尽してしまうかのようで。隠遁生活をする僧侶のような心境、と言えば正しいだろうか。仮に、私が晩年のサリンジャーだったら、きっと今と同じ感覚を味わっているだろう――もっとも彼はそんな心境ではなかったと思うが。
私がそこまでして「自己」の姿を消したがるのには、当然理由がある。自分が外見的に「異端な」人間だというのは自覚しているからだ。
 
 私は毎日、朝起きた時からゴスメイクを施し、外出時はゴシックファッションを身に纏っている。今日は暑いから、アリスアウアアのワンピース。Na+Hのつば広の帽子を土台にして他のアクセを選んできた。つば広の帽子は「オバサンくさい」と言って毛嫌いする人もいるらしいが、少し目立つ反面、自分の姿がより隠れるので私は気に入っている。
 
 この国では様々な面で自由を保障されていて、何でも思い通りにやっていいように見えるが、事実そうではない。私たちのようなゴス系は、夜ならばいくらでも街に繰り出せるが、昼間となるとそうはいかない。外出することはできても、日光の照りつけるこの場ではどこか居心地の悪さを感じさせる。その主犯格が「他人の目」の存在だ。彼らのほとんどはコンビニなどで簡単に見られるファッション誌のモデル達のような着こなし、メイクを好んでいる。他人と似た姿になることで、一種の安心感を得られるからだ。それが「かわいい」「きれい」などと表現されるのは、それが誰もが簡単で、容易に真似することが出来るからだ。多数派であるが故に。そんなものを「美しい」などと表現する今日のメディアの姿はもはや笑いがこみあげてくる。そんなのただのカメレオンだ。人々はそこに「美」を見ているのではなく、その格好によって他人の称賛を受ける自分自身を見ているにすぎない。しかし、その愚かなカメレオンたちによって、私は昼の世界で好奇の目を向けられるのもまた事実だ。彼らが皆ゴス系を纏って街を出歩いているのであれば、私はサングラスを着けることもなかったはずだ。その点を考えると、サングラス着用の意味は、多数派への抵抗のカンフル剤であるとも、彼らに屈服したともとれる。
 
 だが、サングラスを着けることに執着するのには他にも理由があった。私は数年前から、自分自身の身を守ることに異常なまでに過敏になっているのだ。すべては、あの男がつけた、呪わしい記憶によって――。
 
 ドン。
 
 突然、誰かと肩がぶつかった。私は血相を変えた。何しやがる。この高貴な身体にこれ以上傷をつける気か。だが怒りはすぐに収まった。

 ぶつかったのは、バッグを提げている右肩だ!!

 ――マリナ!!
 
 迂闊だった。私の、私の私の、私がやってしまったこんなことを。悪寒があざ笑うかのように私を覆う。ヌメッとした冷や汗とともに、悲しみが全身のありとあらゆるところから放出されていく。周りの音が消えた。聞こえるのは耳鼻科の鼻水吸引器のようなスーッという不快な耳鳴りと、破裂しそうなまでに高鳴る心臓の音。目の前のパン屋から発せられる芳香が腐った肉の臭いに変わる。この孤独、寂寥感はあの時以来。3年前、最初の娘の――。

 ♪〜♪♪♪〜♪〜

 不意に、ケータイからチャイコフスキーが鳴り響いた。私は我に返り、同時に安心感を覚えた。このままあと数秒、あの蟻地獄のようなヒステリーに侵されていたら、私はこの場で発狂していたかもしれない。

 だが、安堵はすぐに不安へと変わった。もしかしてあの男からだろうか。それを考えると憂鬱になった。さっきこっちから連絡して、社交辞令的に向こうの状況を聞き、もうすぐ着くと冷たく言い放ったばかりだった。この際切ってしまおうか。
しかし、液晶画面には知らない番号が表示されていた。何とはなしにパッドの真ん中を押す。

「はいもしもし…」

「ああもしもし、俺だけど」

 聞き覚えのある、喉にかかったようなテノール。もっと嫌な相手だった。そうだ、この番号、知らなかった、のではい。私が記憶の奥底に押し込めていた番号だ。

「何の用なのよ」

「そう怖くすんなよ、マリナの話をしたいんだ」

「あなたにそんな権利はない」

「今度…三回忌だろ。俺も行きたいんだ。だから――」

「あなたにそんなことが出来ると思って?やっぱり脳が縮んでるのね」

「お願いだ。もうクスリはやめた、そのことを娘にちゃんと伝えて、謝りたいんだよ」

 謝る?何をほざくかと思ったら…。もう感情の抑制が限界まで来ていた。

「ホンッットに何も分かってないのね。いい?もう何もかも遅いの、あなたは手遅れな所まで行ったのよ。自分が人殺しだって分かってるの?」

「分かってる。分かってるから謝りたいんだ。マリナだけじゃなく、お前にも」

 いい加減、この男の軽薄な台詞にはうんざりだ。更生を期待した私がバカみたいだ。それなら、もう本当のことを言ってもいいだろう。

「三回忌の法要はしないことにしたわ」

「え?どうしてだ?」

「する必要がなくなったの」

「意味が分からん。ちゃんと説明してくれ」

 そこで一呼吸置いた。

「あの子、死んでないのよ」

「バカ言え、あいつはあの時確かに――」

「そう。でも生き返ったのよ、私の手で」

「どういうこと――」

 電話口でハッと息を呑む音が聞こえた。

「まさか、お前――!」

「私は神になったの!」

 高らかに言い放ってやった。周囲を怪訝そうな雰囲気が漂うが、サングラスに救われた。

 構わず早口で続けた。

「あなたはいつまでも謝ってばっかり、そんなことで何か生めると思って?私はゼウスみたいに、人を生むことが出来るようになったの。あなたみたいに無意味な人間じゃないのよ。あなた、一度だって私の身体につけた傷を消そうと思ったことがある?」

「いや、そんな――」

「ないでしょうね。形式だけで何かできると思ったら大間違いなの。本当にその人のことを思うんだったら、形式を超えたアクションを起こしてみなさいよ。だから私は慰謝料も取らずにあなたと別れたのよ!」

 電話口が沈黙している。何かごもごもと声が聞こえるが、もう聞く気なんてない。

 これで、最後だ。

「じゃあね、鴻池陽一さん。もうあなたと話すことはないわ」

 素早く電話を切った。一瞬、ダメだ、という声が聞こえた気がした。何について呟いたのかは分からない。

 ふう。疲れたので通りの並木を囲いに腰掛けた。柄にもなく熱くなったせいか、額にほんのりと汗が浮かんでいる。

 …?汗?

 汗汗汗汗汗!!

 溶ケル!私ノメイクガ!

 うああああああああああああああああああああああああああああああ
 
 狂ったように走り出した。走る時の手足の動かし方など吹き飛んでしまったように。誰かがぶつかる、舌打ちされる、昨日買ったばかりの薔薇のリングが間が抜けたようにすぽっと抜ける。拍子にサングラスを落とす、動く障害物が人に変わる、ハイヒールで思いっきりレンズを踏みつける。どうでもよくないと思っていたことが、とことんどうでもよくなってくる。傷を隠す。あの元夫につけられた、忌まわしき呪いの欠陥を消し去る。只一つ、成し遂げなければならないこと。それ以外ならどんな犠牲を払ってもいい。――。
 
 よくない、エゴイスト!私は途中からバッグを慈母のごとく優しく包みながら走っていた。マリナだけは、マリナだけは、マリナだけは――。
 
 駅のトイレにでも入って化粧を直したら、マリナの顔を少しだけ覗かせてもらおう。あの子の皺一つない、どんな人間よりも愛らしい、粘土製の顔を。
 
 

 それが私のクスリだ。

後書き

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この小説について

タイトル 傷ツキ傷ヲ消シ、尚モ傷ニ怯ブ
初版 2010年9月3日
改訂 2010年9月3日
小説ID 4038
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レッド・サイコパスの写真
熟練
作家名 ★レッド・サイコパス
作家ID 488
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活動度 1984

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