キズモノ - 女媧ニナレヌノハ明確デアリナガラ其レヲ目指ス愚カナル者共メ

 カンザキという男が帰るやいなや、私は許可も取らずにトイレを借りた。吐きそうなほど香りの強い密室ですすり泣き続け、マリナのことを想った。

 私が悲しいのは、マリナと別れることではない。マリナの、あの完璧な肉体を誰かによって傷つけられること、それが本当に許せなかった。マリナは不老不死の完璧な肉体を保持し続けること、それが存在価値だった。つまり、あの娘はもう消えてなくなること、死以外の道を失ってしまうのだ。だから、せめてそれまでは美しくあってほしいと思い、髪を梳かしてやった。

 もともと、女性は染色体XXをもつ生物の役目として、当然その肉体の美しさに重点を置く。だからこそ常に化粧をし、エステに通い、ダイエットをし続けている。だから、女性の肉体を実験と称して傷つけるなど、殺人行為に等しい。菊川は狂っている。

 それを分かっていながらこの実験に参加したのは、あの男がいないと私は生きていけないからだ。

 元夫、鴻池陽一のDVに堪えかねて離婚した後、私は慰謝料ももらわなかったので経済的に苦しかった。人形の制作費用もさることながら、前にも増してゴス系ファッションにも力を入れ続けたかったし、おまけにまだ駆け出しだったので個展を開くことですら一回もなく、財源はなくなる一方だった。

 そんな中、遂に知り合いがいるバーの上階にある画廊で小さな個展を開いた。そこで出会ったのが、菊川天馬だった。

 最初に彼を見た時、恐らく今まで彼が出会った女たちと同じように、その胸にふらっと倒れていきそうなほどの色気に吸い寄せられそうになった。あの男ならきっと、夜に渋谷を練り歩く汚いギャルたち全員とすぐに寝ることができるだろう。

 菊川は小さな画廊をゆっくりと一周した後、ソファに座る私に初めて話しかけた。

「ゴスロリは世間の好奇な目に対する戦闘服だというようなことを言っていた人がいましたよね」奇妙な一言目だった。

「ええ」たぶん宝野アリカのことだろう。

「もしそれがゴスロリだけじゃなくて、ゴスメイクやゴスファッションも戦闘服だとしたら――あなたは一体、何と戦っていると思いますか」

 面白い質問だった。確かに、私は何と戦っているのだろう?ゴスロリと同じく、世間の好奇な目か?自己表現という存在そのもの?それとも単なる自己主張?分からない。どれも当てはまる気がする。意外と難しい問題だった。この人、面白い――。

 それから私たちは何度かサブカル系のライブやイベントで会うようになり、帰り道にバーなどで様々なことを語り合うようになった。決して恋人同士になったわけではない。しかし、菊川に惹かれていなかった、と言えば嘘になる。私は、菊川の醸し出すオーラ、フェロモンに惹かれていたのだ。つまり、抱かれたがっていただけだ。本当は、話の内容などどうでもよかった。菊川の体だけを求めていたのだ。

 その一環として私が打ち明けたのは、自分の厳しい台所事情だ。彼が大金持ちであることは聞いていたので、きっと支援してくれると思っていたのだ。だが、バツイチで三十路前のふしだらゴス女を待っていたのは、思いがけない事態だった。

 それが、この実験への協力。人形作家にとって、一番屈辱的で穢れた仕事だろう。活かし私は、菊川に会うためにライブやパーティーに無理に行き続けた報いとして更なる貧困に苛まれていたので、経済援助のために引き受けないわけにはいかなかった。このような状況下で、私は一つのことを悟った。

 菊川は、元々私を利用するためにコンタクトを取ってきたのだ。体から滲み出るフェロモンは、邪気を覆い隠すための絶好のカモフラージュだった。

 今、私はこの男と出会ったことを後悔している。









 菊川のいる部屋に戻ってくると、私はつい吹き出してしまった。

 菊川は机に座り、天野可淡の画集を読みながら音楽を聴いている。曲は紛れもなくマリリン・マンソンの「アンチクライスト・スーパースター」のイントロだった。

「あなた」私は笑顔のままだった。

「私がクリスチャンだと知ってるでしょ?喧嘩でも売ってるつもり?」

「いえいえ」画集に目を向けたままで言った。「来栖さんが敬虔なクリスチャンとは程遠いことは分かってますからね」

「どうして?」

「来栖さんのアトリエにお邪魔させていただいた時に確信しました。きっと来栖さんは、自分のことを神だと思っているのだと」

 まったく図星だった。

「よくそこまで…」

「あの娘たちは誰をイメージして作ったものですか?娘さんの成長した姿でしょう?」

「…知ってたのね」

「娘さんのお写真を拝見させてもらってますからね、似ていることはすぐに分かりましたよ」

本当に、この男の洞察力には舌を巻く。だが――。

「あなた、それを知っててこの実験に参加させたの!?」

 答えがない。

「あのカンザキとかいう得体の知れない男に、他人の娘を使って気違いじみたSMプレイをさせようとしてたのね。あなたって人は、どこまで鬼畜なの!」

「あなたはどんな神なんです?」私が言い終わらないうちに菊川が答えた。

「人間を作るという意味でですか?確かに粘土を彫るプロセスで、人形たちの容姿の美醜を決める権利はすべてあなたにあります。しかしあれらに生物のような意思はありますか?小さい子供の人形遊びみたいに、人形の意思を自分の中で想像することしかできませんよ。あなたの言う神とは5歳程度のレベルなのですか?それで神ですか?」

 …。

「それを教えておきたかったんです。あなたの世界はすぐに崩されるということを忘れないでください」

 嫌だ嫌だ嫌だ。私はパニックに陥った。たった数分で様々なことが見抜かれ、私のアイデンティティが否定されていく。マンソンの音楽も相まって、菊川が悪魔に見える。

「でも、彼一人に全てが崩されることはないと思いますよ。だから安心してください」

 敵に塩を送られた。それで少しでも安心してしまう自分が悲しい。

「あの男はきっと勘違いしてるわ」

 正気に戻りつつある中で、私は非難した。」
「球体関節人形はエロスだけが特徴じゃないの、知ってるでしょう?それしか言われてないと、それしかないと思ってしまうのは当然よ」

「それはわざとです」菊川は音楽を止めた。

「これできっと彼はあの人形に夢中になる。そうであると嬉しい」


後書き

御感想&アドバイスをぜひ。
では。

この小説について

タイトル 女媧ニナレヌノハ明確デアリナガラ其レヲ目指ス愚カナル者共メ
初版 2010年9月17日
改訂 2010年9月17日
小説ID 4052
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レッド・サイコパスの写真
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作家名 ★レッド・サイコパス
作家ID 488
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