キズモノ - 昇華

 黒曜石のように黒光りするカーテンに仕切られた楽屋は、もうすぐ始まるショーの準備のために慌ただしい雰囲気が漂っていた。

 今日は、ここ麻布十番のイベントクラブでSM系のフェティッシュショーを演じることになっている。といっても、演じるのは僕ではない。僕は一連のプロットを任されているだけで、ショーが始まる頃には他の観客と混ざってその一部始終を見守ることになる。

 僕は楽屋の入口近くに置いてある場違いすぎて不気味にさえ見える白いパイプイスに腰掛け、しばらく休むことにした。鼻の根元の辺りに、傷口に海水が浸みたような痛みを感じた。ピアスの調子が悪いのかもしれない。僕はつけ直すために革製のバッグから手鏡を取り出した。

 最近はあまり考えなくなったが、昔の自分の顔と比べて、もはや別人みたいな顔をしている。それも全て、顔中に蜘蛛の巣のごとく張り巡らせた金色のピアスの恩恵だ。あの菊川の実験は、僕を自由にした。あれのおかげで、僕が一体どんなものを必要としていたかが明らかになった。それが今、ここに存在している自分だ。カタチが出来上がったら、後は進むだけだ。女たちの談笑が部屋を包む中、僕は静かに思った。




 まだあと1時間もあるので、パフォーマンスを主導することになっている浅葱はまだ来ていない。彼が来るのはきまってショーの二〇分前だ。呼吸を整えるには丁度いい間隔なのだといつか言っていた。だから今来ているのはショーに出演する数人の女たちだ。みな二〇代半ばから三〇代前半までの、ある程度場慣れしたパフォーマーたちだ。すでに何回か一緒に仕事をした人も数人混じっている。こういったショーのパフォーマーは、三〇代後半まで現役を続ける人も多いので、彼女らはこれからも何回か僕と働くことになるだろう。

「藍堂、待たせたな」

 調教師になるために生まれてきたかのような、色気のあるテノール。振り向くと、浅葱が入口のドアを閉め、僕の方へつかつかと向かってきていた。

 浅葱はこの界隈ではとても有名なSM調教師で、サディスティックサーカスにも参加したことがある実力者だ。彼が僕とタッグを組んだのは半年前。向こうから僕の存在に興味を持ったと言ってくれ、無上の感動を感じたのをついこの間のように覚えている。

「どうしたんですか、随分早いですね」

「ああ、一つ相談事がある。パフォーマーのことなんだが」

 浅葱はドアの方をちらっと見やった。

「さっき自宅に連絡が入って知ったんだが、蝶野ミチルが急に来れなくなって、代理で厄介な女が入ったんだよ。それで早めに家を出て、駅前でその女と落ち合ったんだ。今外で待たせてるんだが、どうも使っていいのか迷ってしまう、もうショーまで時間がないといのに」

「へえ、冷静沈着な浅葱さんにしては珍しいですね。とりあえず、連れてきてもらえますか?」

「ああ今連れてくる。それから、俺がショーで冷静なのはステージが俺にとって日常の一つだからだ」

 そうして浅葱はまた外に出ていった。

 三〇秒ほど何か話しこんでいたあとで僕の元に戻って来た時には、隣りに彼の腕を掴んで離さない一人の女がいた。

 この場にそぐわぬ、白塗りの顔に真っ黒いアイシャドウと口紅。瞳が天井の照明を直視しているにもかかわらず、まるで気付いていないかのように顔が上を向いている。

「来栖舞夜…さんですか」

 僕は口を開いた。懐かしさよりも嬉しさの方が強かった。数年前のあの実験以来、一度も会うことがなかったからだ。まさか、こんなところで会えるとは思ってもみなかった。

「あなたは、だあれ?」

 来栖が重そうに口を開いた。目はまだ天井を向いていた。浅葱がお前ら知り合いか?とでも言いたそうな表情で僕らを交互に見比べている。

「藍堂、彼女が問題のパフォーマーだ。大岩アゲハは両目に義眼を嵌めてるんだ、だから当然目が見えない。こんな女初めてだから、果たしてショーに使えるのかどうか。そこである意味脚本家であるお前の意見を聞きたいんだ」

「大丈夫ですよ浅葱さん、私はこんなんだから、いくら眼球舐めされても平気よ」

「いやまあ、そういう問題じゃ…で、どうする」

 考えずとも、僕の返事は決まっている。

「いえいえ、是非お願いします。彼女の役は目が見えなくてもできるやつですから。それにしても…感慨深いですね。今回のショーの個別練習は見に行ったことがなかったので、まさか来栖さんがパフォーマーになっていたとはだとは知りませんでしたよ」

「あなたは誰ですか?」来栖が再び聞く。

 僕はハンカチで右手の汗を拭き、すっと差し出した。

「カンザキです。あなたと菊川天馬には大変お世話になりました」





 ショーの開始まで、残り五分を切った。浅葱やパフォーマーの女たちも所定の衣装に着替え、メイクもすべて終わったらしい。さっきから延々と続く談笑に、心なしかコケティッシュな響きが醸し出ている。いつもと同じだ。

 僕は部屋の隅で赤いボンデージを身につけ、静かに準備体操をしている来栖に声をかけた。

「目が見えなくなって、何が変わりましたか?」

「そうね…」今度はすぐに僕の声だと分かったらしい

「自由になったわ、すべてが。もう目に見える世界なんてないんだもの。不自由でしょ強がんないでって友達からよく言われるんだけど、断じてそんなことない。あれからずっと、私は大空を羽ばたく鳥のような、清々しい気持ちで毎日を迎えられるようになったわ。あの実験のこと、途中までは激しく後悔してたけど、今は感謝してるの、菊川にも、あなたにも」

 来栖は聖母のように微笑んだ。ゴスメイクのせいで一見不気味に思われそうだが、今まで見たどんな笑顔よりも美しかった。

「じゃあ、私からも一つ質問してよろしいかしら」微笑みを崩さぬままに言った。

「ええ、何です?」

「私の役、全部覚えてるわよね」

「そりゃそうですとも。僕が構想したんですから」

「その中に、私が浅葱さんに縛られた状態で足を掴まれて、ジャイアントスイングみたいにブンブン振り回されながら熱い鉄板を舐め回すっていうのがあるじゃない。あれについて聞きたいのよ」

 そこで、来栖はいたずらっぽく笑った。

「どう考えても、私の舌は大やけどしてしばらくイカレるわよね。卓越した芸術性があるわけでもないし、パフォーマーにしてみればほんと最低のショーになるわ。それで思うのよ」

 来栖の義眼が、初めて僕の目を捉えた。

「あなたは、あれで興奮する?パフォーマーが悶え苦しむのを見て、それで本当に興奮するの?」

 僕は口元の緩みを正し、来栖の顔をしっかりと見据えた。

「ええ、とても興奮します。これ以上ないほどに」

「フフッ、よかった」

 来栖は安堵の表情を浮かべた。

 その時、唐突に楽屋のドアが開き、クラブのスタッフが入ってきた。あと一分でショーが始まるとのことだ。初めにステージに立つ浅葱と一人のパフォーマーは、すでに楽屋を出ていた。

 僕は来栖に別れを告げたあと急いで楽屋を出、観客席に向かって歩を進めた。

 さあ、ショーが始まる。

後書き

御感想&アドバイスお願いします。

この小説について

タイトル 昇華
初版 2010年10月11日
改訂 2010年10月11日
小説ID 4076
閲覧数 742
合計★ 0
レッド・サイコパスの写真
熟練
作家名 ★レッド・サイコパス
作家ID 488
投稿数 20
★の数 24
活動度 1984

コメント (0)

名前 全角10文字以内
コメント 全角3000文字以内 書式タグは利用できません
[必須]

※このボタンを押すと確認画面へ進みます。