少女と海と少年と

薄暗い、非常口の明かりだけがうすぼんやりと光る病院の廊下に静かな足音が響く。
灯は突然、彼女の病室に飛び込んだ。
真夜中の静かな病院の、悲しいほどに真っ白な廊下を通って。
「ミヅキ!行こう!海っ」
支離滅裂な口調で、いろんな意味で心臓をバクバクさせながら。
彼女はくすりと笑って言った。
「うん」
高く細い声は、病室に響いた。
「じゃ、着がえて。金は持ってるし、交通手段もあるから。急いで。早くしないと、朝になる。」
「じゃ、出てって。着がえるから。」
海月は棚から出した服を胸に抱いて、からかうような口調で言った。
灯はムッとして、病室を出る。
数十秒後、海月が病室から出てきた。
灯と海月は病室の廊下を出口へと歩く。
「ね、この服いいでしょ。おにゅーの服なんだよ。」
海月がニコニコと死語を放って服を自慢するけれど、髪はぼさぼさだ。
「……髪、寝ぐせついてるけど。」
「だって、アカシのコーツーシュダンって、バイクでしょ。どーせ、頭ぼさぼさになっちゃうよ。」
ちゃんと考えたんだから。と、海月は得意になって言う。
「ほら、本当はスカートが良かったんだけど、スカパンにしたんだよ。スカートってめくれちゃうでしょ。バイクもうまく跨げないし。」
「考えてない。」
年の差は2歳しかないのに、灯は偉そうに海月の言う。
「そんな短いズボンじゃ寒いだろ。暑くなってきたけど、夜だし、海の近くだ。それに、バイクで行くんだから風も強い。」
「考えてるもん。それに、ズボンじゃなくてスカパン!スカートパンツ!ズボンなんでダサい言い方しないでよっ。」
さっき、死語を放っていた海月が、灯の言葉を否定し、舌をベェと出す。
「海に入るんだから短いスカパンの方がいいんだよ。」
「よせよ!」
突然歩みを止めて、灯が言う。
「お前、今死んでもおかしくないのに…っ。」
「知ってるよ。」
さっきとは打って変わって、静かな雰囲気で海月が言った。
「ミヅキは、フジのヤマイだかフチのヤマイだかにかかってる。原因は不明だって。病院の先生に何度も言われた。死ぬのは今でも明日でもおかしくない。」
「だからっ。」
「だから、最後に海に入りたいの。ママの願いでもあるんだよっ!」
海月は同じ症状で亡くなった母の事を持ち出してきた。
「海に入って、そのまま体が弱くなって、今まで無菌の病室で命をつないできた意味がなくなっても構わないの!」
海月はまた歩き出した。
「絶対に、ミヅキはそれまで死なない。死ねないんじゃなくて、死なないんだから!」
灯も、そのあとに続いて歩き出す。
「分かった。」
そして、病院の出口で、何かに挑むようにピタリと立ち止まる。
月が煌々と光り、二人を照らした。


「大丈夫かっ?」
バイクを運転しながら、腰にしがみついている海月に灯が言う。
異常に大声なのは、年下とはいえ、女子が腰にしがみついているからだろう。
小さな声だと、どもりそうなのだ。
「うん、だいじょぶ。でも思ったより寒い。」
ケラケラと笑いながら、海月が言った。
笑い声が、いつもより弱弱しい。
風が強いからかもしれないけれど、灯は嫌な予感がした。
時間は、あとわずかしかない。
急がなければいけない。
灯がスピードを上げ、海月が小さく声をあげた。
「もうすぐ着くからなっ!」
道路がカーブに差し掛かった。
バイクの車体が、ぐぐっと斜めになる。
「斜めになってるよォ。」
海月がキャッキャと騒ぐ。
そして――――。
煌めく水面が、見えた。
誰もいない海に、海月の憧れた海に着いたのだ。
灯はバイクを止めると、呆と海を眺めた。
それほどに、美しかった。
星が霞むほどに、月が光り、海の水面を照らしている。
沖縄のような透き通った海ではないのに、だからこそ、海が深く深く輝いている。
水面が、月の光を吸収するように、波に合わせて光っている。
時折はねる水滴でさえも、生きているかのように、生命のような輝きを放つ。
海と空と月が、全て一つの尊き生命のように輝いている―――。
「きれーだねー。」
雰囲気を壊すようね、幼い声が、灯の肩下から聞こえた。
「ここってね、鏡ヶ岬ってゆーんだって。半島のいっちばん先っぽ。だから360度海で、綺麗なの。」
海月の瞳の表面が潤む。
「月も、空も、海も、キョーメーするみたいにきれいなんだって。」
ママから聞いたんだよ。と海月がいい、その頬に涙が伝った。
「ママは、パパに捨てられたの。永遠の愛を誓ったのに、パパはふらふら他の人の所に消えちゃったって。サイテーな男だったって、ママは言ってた。でも、魅せてくれた、この海だけはサイコーだったって。」
海月は涙を拭わないい。
灯は何かが消えそうになるのを必死で押しとどめるように海月の肩を抱いた。
「死ぬ前に来たかったって。パパに会うより、ここに来たいって言ってた。でも、パパが来た時、『アンタなんて来なくてよかったのに。』とも言ってた。泣きながら。ママって、強情張りなんだ。」
「そっか……。」
灯はそんな返事しかできない。
「ねぇ、海に入ってきてもいい?」
海月は涙をごしごしと袖口で拭うと、灯に聞いた。
灯は静かに頷く。
海月は、転びそうになりながら片足で立って靴を脱ぎ、砂浜を駆けた。
パシャパシャと小さな水音を立てながら、美しい海と空を背景に水と戯れる。
「アカシも入ろーよー。」
「年上を呼び捨てにするなっ。」
灯は返事にならない返事をして、海月を見つめる。
海月は、鏡ヶ岬と一体になったかのように綺麗だった。
美しいのではなく、ただただ綺麗だった。
海の滴と、月の神々しい光と仄かな星の光を全身で浴びているようだ。
その様はギリシアやローマの古代芸術さえ、恥じらうだろう。
それと同時に、命の炎が揺れるような、今にも消えてしまいそうな危うさを、灯は感じた。
たまらなくなって、灯が海月に何かを言おうとした。
―――途端。
スローモーションのように、海月の姿が倒れた。
バシャンと、不吉な水音が砂浜に響く。
嘘だ。嘘だ嘘だ。
灯はまじないのように心の中で言い、靴を履いたまま、海の中に入った。
きっと、コケで足を滑らせただけだ。
そう信じて、海月の体を抱き上げる。
体は濡れ、冷たく、頬には恐ろしいほど生気がなかった。
砂浜に体を引き上げ、あらかじめ持ってきたタオルを踊るように震える手で、バッグから引っ張り出し、海月の体をそれで包む。
「海月……、海月、海月…。」
「お迎え…、来ちゃったみたいだね。」
海月が力なく笑う。
「体に力が入んないもん。」
「逝くなよっ!」
「そんなこと言われたって……無理だよ。」
絶望するようなことを海月がいって、灯の鼻の奥がツンとした。
「ありがとね…。色々……。」
だったらまだ逝くなっ!
灯はそう叫びたいけれど、声が出ない。
「バイクでここまで送ってくれたりとか、『金欠なんだからな。』って愚痴りながらもさ、ご飯も食べさせてくれた。」
ふっと海月の瞳が焦点を失う。
「あの、おにぎり…すごく、ホントに、本当にすごく美味しかった。」
コンビニで買った、普通のおにぎりを絶賛する海月。
「あんなんが、この世で最後に口にしたもんでいいのかよっ!」
灯が叫ぶ。
「……いいよ。勿論。」
海月が薄く笑う。
「アカシが奢ってくれたおにぎりだもん。」
灯の眼窩から、涙がこぼれ、死への怒りで赤くなった頬を伝った。
海よりも塩辛く、つらい液体の向こうに、海月が見える。
頬に米粒をつけておにぎりをほおばっていた海月。
バイクで灯にしがみついていた海月。
病院で海に入るのだと言った海月。
母親の事を語った海月。
灯の病室にしょっちゅう訪ねて来るようになった海月。
灯のけがの包帯をいじって笑っていた海月。
病院の廊下でたまたまぶつかった時の海月。
走馬灯のように、駆け巡る。
その瞬間、ふっと、何かが切れてしまったような、そんな感じがして、海月を見ると―――。
静かに目を閉じていた。
唐突だった。
体温はまだ残っていて、体は少し温かかった。
けれど、その小さな胸に手を置いて、死を確認することはできなくて、灯は海月の体を抱きしめた。
力強く抱きしめたのか、壊れ物を扱うように抱きしめたのか、灯は覚えていない。
そして、海月の顔を見ると、ためらうことなくすっと唇を重ねた。
海月の頬に、灯の涙が滴った。
灯はただ、長い瞬間(じかん)小さな亡骸を抱くことしかできなかった。

波の音は、何かをさらっていくようで、何か未練を残しているかのようで。
月の光は、海月を迎えに来るかのようで、二人を慰めるかのようで。
ただ、波の一つ一つの輝きは、二人の生命の輝きであったことは、月の光よりも明らかなことだった。




                                                <FIN>

後書き

先ずは、お礼を―――。
読んで下さりありがとうございました。
久しぶりに投稿しましたが、腕は鈍っていなかったでしょうか…。(不安)

       ・・・・・・・・・・

この『少女と海と少年と』は、数年前に書いた『月空と海』を、書き直したものです。
あえて、題名はそのままにしましたが、書式等は大きく変えました。
視点を変えたこと、『灯』の名前を出したこと、あえて感情を書かなかった所があったことなど、大きく変わりましたが、どうだったでしょうか。
物語の筋は基本的に同じにしました。
よろしければ、原作(?)の方もご覧になってください。
辛口でも構いません。
是非、コメントを頂ければ幸いかと思います。
素直な感想もお待ちしております。
それでは、またいずれ……。


P.S
差し出がましいですが、『雑談所』の方で、原稿の依頼をいたしました。
そちらも見て頂けると幸いです。

この小説について

タイトル 少女と海と少年と
初版 2010年10月13日
改訂 2010年10月14日
小説ID 4080
閲覧数 743
合計★ 3
早房 翡翠の写真
ぬし
作家名 ★早房 翡翠
作家ID 517
投稿数 18
★の数 140
活動度 3109
一年が終わります。
来年の目標は、何処かの公募に応募すること!!

コメント (2)

春燕 2010年10月15日 19時54分38秒
お久しぶりです。でしょうか? コメントを書いた覚えがありまして、さらにこの作品の前の作品、改良前の作品もおそらく見たことがある気がするので書きます。
前に読んだ時よりも分かりやすくなった読みやすくなったという感じがあり、二人の仲を短いながらもきちんと書き出せていると思いました。
あちこちのサイトで名前を拝見した覚えがあります。活動的な人なんですね、尊敬します!
またこういう良き作品を書いてください。
では。
早房 翡翠 コメントのみ 2010年10月16日 13時05分42秒
ログアウトの状態で失礼いたします。
コメント、有難うございました。
春燕さんのコメントに、自分の成長を実感できるようでとても嬉しく思います。
短文ですが、失礼します。
では。
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