エメラルド -  4.−翔ける−



 皆が出て行き、俺と例の彼女だけになった教室には暫し沈黙が流れていた。

 窓辺の席に座り、皆の様子を見下ろす。空は青々と光を放っているにもかかわらず、校庭を駆けずり回る者たちは、それに気付かない。気付こうともしない。

 そう考えると、少なからず苦渋の人生を歩んできた俺も優越感に浸ることができる。―――――――だが、その空だけが放つ光はこんな俺には不釣合いな話なのだ。あんなに輝いている空に対して、俺が優越感を持つことは失礼な話なのかもしれない。


 「―――――――・・・・・ねぇ。」

 俺と彼女の2人の間に流れていた重い沈黙を破ったのは彼女となった。何か訊きたげに声を発した彼女は、その顔を俺の方へ向けた。

 「足、悪いの。」
 「あぁ、でも、多分治ってる。」
 「じゃあ何で走らないの。」
 「・・・・・・・・・。」

 「――――――走れるよ。」
 「何でそう思うの。」
 「あなたが走りたいから。」
 「俺が?」
 「うん。」


 なんて息の吐けない会話だろうか。それに、彼女は俺に疑問を呈してきているというのに、言葉1つ1つに重さがあり、語尾が決して上がることは無い。それは、俺に対しての恐怖心などは感じさせず、自然な流れで話を引き出そうとしているように思えた。


 にしても、何故俺は答えられないのだろう。走らないのは『怖い』からなのに、それを誰にも見せられないで居る。誰かに助けてほしい、この想いをどこかに追いやりたい。だけど、その儚い想いは何かのせいで脆くも消え去る。


 「怖いの。」
 「・・・・・・・多分な。」


 ほら、やっぱり。認めることができない。こんなに弱い自分が嫌いだ、自分自身の価値があるのかなんて、――――――考えられない。考えたくないんだ。


 「強いんだね。」
 「・・・・・・・・え?」


 「自分は弱いって。分かってるじゃん。」


 彼女の目は、俺を真っ直ぐに見据えていた。いや、『俺』を見ているのではなく、『俺の心』を見ているのだ。俺の儚い想いも、思い出したくないほどに悲しみに暮れた過去さえも、何故だか分からない。でも、何もかもが見透かされている。そんな感じがした。


 「まだ・・・・・怖いよ。俺が走り出せば、誰かが傷付いた。いつも・・・・・そうだった、だからもう――――――――。」

 もう走らない。駆け出さない。―――――――そう言おうとした。だが、その言葉は彼女のかける言葉によって遮られる。


 「でも、それでもあなたは走りたいんだよ。駆け出したいの。辛かったことを忘れるためにも。それに、あなたが走り出すことを誰も攻めない。逆に、あなたが走り出さなければ、その人たちはこれから先ずっと罪の意識に苛まれることになる。だからこそ、あなたは走らなきゃならないの。」


 『罪の意識』それは俺だけが持たなければならないものじゃないのか?俺以外の人に、そんな気持ちを持つ理由があるのか?


 「ちゃんと人を傷付けることの罪を償わなければ、あなたも、それに関係した人も救われない。」


 お互いに救われない?色々な考えが頭をマーブル状に渦巻き、顔面蒼白になった俺に、彼女はさらに付け加える。



 「だからあなたは翔けられる」



 俺は、いつの間にか彼女に全てを話していた。彼女は何も言わず聞いてくれたのだ。それが1番嬉しかった。

 俺のことを理解してくれる人が、葵もそうだが。そういう人が居てくれたということに、幸せを感じることができた。そういえば、こんなに朗らかな気持ちで満たされたのはいつの日ぶりだろう。

 ―――――――でも・・・・・。


 「まだ、怖い。走る前にそこを変えなきゃな。」


 ふと横を見ると、彼女は日差しを浴びて気持ちよさそうに寝ていた。その顔に宿る笑みは、本当に天使のようだった。


 キーンコーンカーンコーン・・・・・

 2時限目の終了を告げるチャイムに反応し、彼女も顔を上げた。

 「ま。まだ1年なんだし。ゆっくりやりゃいいじゃん?」
そういった彼女は、髪が少し乱れていて、すごく眠たそうにしていた。彼女は言葉を続け、『屋上で寝る』と言って、席を立った。


 「なぁ。」
 「なに?」

 「――――――――ありがとう。」

 「――――――――別に・・・・・どういたしまして?」


 何で最後だけちゃんと“?”が付くんだよ。と、苦笑した俺に彼女も同じように苦笑した。


 彼女が出て行った後、自分の行動を思い返す。と、思わず顔が林檎のように火照ったのは、無理もない。同い年の女子と、こんな風に・・・・・というのは、打ち解けた話をすることは、今までに無かったからだ。それを考えただけで、俺の中には変化が起きたのかもしれない、と。


 そんなことを思っていれば、また騒がしいヤツが帰ってきた。


 「奏!奏!!何か話した!?メルアドとかさぁ、どこに住んでるとかさぁ!!ていうか、お前1人か?碧海ちゃんは??」

 おいおい、少し落ち着け。どれから答えていいか分からないじゃないか。と、葵を宥めた。


 「わりぃ、そういうの全くもって訊いてなかった。」
 「はぁ!?じゃあどこに行ったんだ?」
 「屋上に行くって・・・・・・」

 その言葉の語尾も聞かずに踵を返そうとした葵を、急いで呼び止めた。


 「葵!!」
 「何だよー!早くしてくれな・・・・・」

 「俺、走ってみるよ。」


 葵の面倒くさそうな返事を遮った俺の言葉を聞いて、葵は目を丸くした。どこかの小動物のようで、はっきり言ってすごく可笑しかった。


 「・・・・・・本当か?」
 「嘘言ってどうすんだよ。こんな話。」
 「・・・・・・・・」


 感無量。そんな様子で葵は満面の笑みを浮かべた。お前は親か、と突っ込んでやりたい気持ちになったが、今は止めておこう。

 「我等がバスケ部も、これで安泰だな!」
 「復帰するのは、まだ先だがな。」


  葵は俺の言葉を聞いて、安心したのだろう。これこそ親のような立場で。そんな葵に、俺はすごく感謝しているんだ。

 


  翔けるさ。自分のために、俺が傷付けてしまった人たちのために――――――







この小説について

タイトル  4.−翔ける−
初版 2010年11月14日
改訂 2010年11月14日
小説ID 4116
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常連
作家名 ★水無月 澪
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