エメラルド -  6.−竜胆の涙−

   


 9月12日――――――――――――――――。


 俺が、生まれた日。そして――――――――――――――――。



 「くぁっ・・・・・・・ねみぃ・・・・・・・・」

 只管それだけを頭の中で繰り返す。

 時計で現在の時刻を見ると、10時過ぎ。少し急がなくては。


 昨日帰りに買った食パンをトースターに入れる。焼いているうちに、皿や箸の準備をしていると、パンにチーズを乗せるのを忘れていた事に気が付いた。だが既に結構な温度でトースターから温かいオレンジ色が見えていることに、チーズを乗せて焼きなおす事が億劫になった。

 朝はもっぱらパンにコーヒー。これだけだ。どうも低血圧なのか、朝は苦手で食欲も沸いてこない。

 チーンッ。

 トースターが錆びついたその姿に似つかないかわいらしい音を発し、パンが焼きあがった事を知らせた。

 すると、ケータイが電話がかかってきたことを知らせる着信音を鳴らした。


 「はい、もしもし。」

 と言ってしまったところで、ディスプレイの名前を確認する事を忘れていたことに気付く。やってしまった、と思ったところで相手の反応を待つ。


 「・・・・・奏?」

 「葵・・・・・?」


 何だ。葵か。安堵にも似た溜息をつくと、相手は不服そうに返事を返してくる。

 「何だよ!その溜息はよぉ・・・・・心配してかけてやってんのに。」
 「ごめんごめん。」

 少し驚いた。葵が電話してくるなんて、滅多に無い事だ。ものすごく緊急な用事があったか、ものすごく言いたい事があるかのどちらかだろう。

 「昨日、どうだった?」
 「・・・・・・・・・・・・・。」

 「ま・・・・・まさか・・・・・・・!?」

 こういうので、葵を弄るのがとても楽しいのだ。クラス1のドSの力を見やがれ(笑)。


 「お前、それ訊く?」
 「まさか!?ダメだって?わぁーどうすんだ、俺!!これからどうやって生きていこう・・・・・バスケ部のみんなにもでっけぇこと言っちまったよ!!あぁぁぁぁあああぁあぁぁ・・・・・」

 おいおい。先走りすぎだ。何も俺の所為で死んでくれなくたっていい。電話口で頭を抱えながら奇声を発しているであろう葵の姿が頭に浮かぶ。そう考えると、思わず吹き出しそうになる。

 これ以上葵を甚振ると余りにも可哀想なので。そろそろちゃんと説明しようと思い、口を開く。

 「走れたよ。」
 「あぁ・・・・・やっぱりかぁ、走れるよなぁ・・・・・・走れる?走れる・・・・・・・走れるのか!?」

 「あぁ、嘘言ってどうするんだよ。」

 俺がそう伝えた途端、葵は安心したのか、長い長い溜息を吐いた。


 「本当に良かった。悪かったな、朝っぱらから電話かけて。」
 「全くだな。」

 そう冷たく返事をした俺に、今度は葵が『へへへっ』と妙な返事をよこした。

 「何だよ。」
 「いやぁ〜?何だか嬉しくって嬉しくって!今、テンションがヤバイ。」

 『あー、もういいから。』と夜並みのテンションに成りかけている葵を制す。これ以上騒がれたら堪ったもんじゃない。

 「んじゃ、もう切るぞ。」
 「全く素っ気無いな。まぁ・・・・・それが奏か。いつも通りで安心したよ。じゃあな。」
 「なぁ、葵。」

 電話を切ろうとした葵に待ったをかける。

 「・・・・・・・・・・・・・ありがと・・・・・ぅ。」
 「えっ!?何!?ありがとうって?」

 ブチッ!!


 恥ずかしすぎる。語尾なんか絶対聞こえてねーし!あー、学校行きたくなくなった。別に普段から行きたがっているわけではないが。

 携帯が待ち受け画面に戻った所で、留守電が入っている事に気が付いた。

 「父さん・・・・・?」

 おかしい。非日常すぎる事態が起きている。
 今日は月の中旬12日。連絡が来るのはいつも月末だけだ。金を送るのと、近状を確認するだけの寂しい電話。余りにも早すぎる連絡に、背筋が凍る。

 しかもこんな朝早くに、何かあったとしか考えられない。事故にでもあったか?何か緊急に頼みたい事でもあるのか?――――――――違う。そう思う理由なんて、分からない。根拠の無い勘だが、とても嫌な予感がした。

 冷や汗が止めどなく流れている自分に気付き、折り返しの電話をかけるのを止めた。


 「とにかく・・・・・・・行くしかない。」

 既に荷物を詰めておいた鞄を肩に掛け、家を飛び出した。余り時間もない。


 テーブルには、帰ってきたら食べる気も失せるであろうトーストと、まだ温もりを保ったままのコーヒーが、寂しく取り残されている。




 ―――――――――――――――――。

 ガタッ、ゴトン。ガタッ、ゴトン。

 目の前の海が、今日はくすんで見えるのは何故だろう。激しく気分が悪い、今にも便器に顔を突っ込みたいほどの吐き気が襲ってくる。

 助けてくれ、誰か。この体の震えを止めてくれ。誰か・・・・・誰か――――――――。
負けるな。負けちゃダメだ。

 そんな気持ちとは裏腹に、体が震えて涙が出てきそうになる。幸いいつもの様に人は居ない。初めてこの電車に感謝した瞬間だ。

 俺が、俺が終わらせるんだ。自分の手で。父さんと母さんに謝るんだ、『あの時はごめん』って。傷付けてごめんなさいって。言わなきゃ―――――――――。

 それでいつか、試合を見に来てもらうんだ。チームの皆で協力して点を取りまくっている俺の姿を見てもらうんだ。コートの真ん中で、『変わったよ、俺。』そう、笑顔で言うんだ。

 「っ・・・・・・うっ・・・・・・。」

 到等、抑えられない涙が溢れ出した。ダムが決壊したかのように、止めどなく流れ出る。


 こんな時、頼れる人が居るなら。と、熟思う。葵が頼れないわけではない、『頼っちゃいけないけど頼ってしまう』そんな存在なのだ。はて俺は、自分の弱さを、女々しさを、曝け出せる人に出会えるのだろうか。

 「緑海(りょくみ)駅〜緑海駅〜」
 どうも気の抜けたアナウンスが電車内に響き渡る。着いてしまった。もう直ぐで父さんたちに会うかもしれないと思うと、やはり気が滅入る。

 先ほどまでは、絶対止まらないだろうと思っていた涙は不意に止まった。今まで散々泣いたから、もう泣く事さえも許してくれないのかもしれない。


 父さんたちが居る家――――――――俺の実家は駅からそう遠くない住宅街の一角にある。俺が今住んでいる家よりも、海からは遠いが、潮の匂いがほんのり漂う。

 改札を抜けると、タイミング良く携帯の着信を知らせるバイブレーションがポケットで鳴っている。今は電話に出る気分じゃ無いのだが、何か緊急だったら困るので、仕方なく通話ボタンを押す。

 「はい、もしもし。」
 「奏か?」

 電話の相手は先生だった。それだけでも安心する。心が落ち着く。ある意味感謝しているのだが、そんな事は絶対言わない。

 「今日来るだろ?」
 「はい。」

 「何?何かあった?」
 「・・・・・・・・・いえ。何も。」

 強がってる。自分で分かってる。助けてほしい、支えてほしい・・・・・・・・言えない。頼っちゃいけない。

 「親御さんの事は、余り考えるな。今は、バスケに集中するんだ。いいな?」

 先生は、何時に無く強い口調だ。だけど、最後は悟らせるかのように呼びかけてくる。

 「分かってます。じゃ、後で。」
 「おう。」

 決心がついた。終わらせようじゃないか。俺の手で、あの悪夢を。




 ―――――――――――――――。

 ガチャッ

 軽快な音を立て、懐かしいドアが俺を迎え入れる。と同時にフワッと家の匂い、温かい家族の匂いがした。それを感じることできただけで、俺が出て行ってから幸せだったのだと、寂しくもありながら、ほっとした。

 玄関を入って、廊下を真っ直ぐ進んだ突き当りの部屋がリビングだ。食事をして、皆でテレビを見て爆笑していた懐かしい思い出も蘇る。

 そのドアの横にある階段を上がると、子供部屋や物を置きっぱなしの部屋などがある。俺の部屋は一番奥のベージュのドアだ。所々木のプリントされた部分が剥げていたり、傷が付いていたりする。俺がどんな事を仕出かしていたかは、ご想像にお任せするとしよう。

 少し躊躇いながらも、『元』自分の部屋だったドアを開ける。

 ギギッ・・・・・・

 こちらも、入ってみれば出て行ったときのまま。少し汗臭いようなタバコ臭いような。まぁ、思春期の匂いだと思うことに徹しよう。(決して加齢臭ではないことを願う。)

 「どこに置いたっけな・・・・・・」

 自分の部屋だったのにも関わらず、使っていたバスケシューズやトレーニングウェア、ボールなどを捜すのが困難になっていた。
 俺も老けたかなぁ。と、少し自分の頭がイカれてしまっているのではないかと心配したが、まぁ自覚症状が有るだけまだマシかとそこは受け流す事にした。

 「まぁ、こんなものか?」
 ある程度必要なものを予め持ってきておいた紙袋に入れる。

 荷物を入れた袋を持ち、懐かしの部屋に別れを告げる。自分の部屋を出ると、早く出て行かなくては、とそそくさと階段を駆け下りる。何故こんなにも焦っているのだろうかと、自分でも良く分からないが、本能だ。恐らく。まぁ・・・・・そういうことにしておこうじゃないか。

 ガチャッ

 玄関の鍵が閉まる音がした。誰か帰ってきてしまった・・・・・・すると、冷や汗が体全体を洗うような感覚に陥った。どうしたものか。俺の靴が玄関には置きっぱなしだ。まさか泥棒と勘違いすることは無いであろう。

 「奏・・・・・・?奏!居るのか!?」

 あぁ、バレた。バレたぞ!!どうする奏!?人生最大のピンチだ・・・・・・。俺はこの世の終わりかと思い、階段に座り込み、キリスト教でお馴染みのアーメンをし、祈りを捧げた。

 「なーにやってんだよ。奏。」
 「あー・・・神様、お助けください。」

 「奏!!」
 「ふぁっ!?」

 ぶつぶつ救いを求める祈りを唱えていた俺の真上に父さんの声が落ちてきた。それに気付かなかった俺は、思わず普段発することの無い奇声を発してしまった。


 「なにやってるんだよ、そんな所で。まぁ落ち着け、今お前の好きなコーヒー淹れてやるから。」

 これが落ち着いていられるか!?ていうか父さん、コーヒーなんていいから!しかも何で落ち着いていられるのさ!?
余りにも落ち着いている父さんに驚いて、慌てふためいている俺を他所にリビングに向かって行ってしまった。

 リビングのドアを開けると、コーヒーの匂いが香る。初めてコーヒーを飲んだのは、父さんが新聞を読みながらコーヒーを飲む姿が、すごく格好良く見えて『俺だって飲めるよ』なんて強がりを言って、その時はすごく苦かったコーヒーを無理して飲んだんだ。

 「ほれ、座れよ。」
 「う・・・・・うん・・・・・・・・・・」

 キッチンから見えるテーブルに座り、父さんが作ったコーヒーを口にする。

 「どうだ?美味いか?」
 「不味くても不味いとは言わないよ。」

 俺の言葉に、『嫌味なやつだなぁ。』と笑顔になった父さんの顔は、少し皺が増えていて、半年の間にどれだけ大変だったかを物語っているようだった。


 「友達、できたか。」
 「そういうのは入学した時に言うセリフじゃないの。」
 「それもそうだな。」

 こんなに普通に会話しているけれど―――――――――しているわけが無い。本当は、背中にびっしょり汗を掻いている。


 「生まれたよ。」


 ――――――――――――――――。


 どうしたんだろう。さっき流れていた涙とは違う。悲しくない・・・・・・・けど、嬉しくない。

 「それと、もう1つ。」

 まだあるの。涙を浮かべ、次投げかけられる言葉を待ち構える。


 「誕生日、おめでとう。」


 「反則だろ、父さん。」


 目の前には紫色から薄い青色のグラデーションを帯びている竜胆が差し出された。水色のリボンで綺麗に包装された『それ』には、可愛らしいピンクのカードが添えられていた。開いてみると、母さんからのメッセージが書いてある。

 『奏へ
 誕生日、お祝いできなくてごめんなさいね。実は、奏の誕生日と同じ日に貴方の弟が生まれましたよ。今、名前を頑張って考えているところです。
 それと、貴方が辛い思いをしていたのに、支えてあげられなくてごめんなさい。お母さんは、母親失格です。

 奏が暇な時は家に帰ってきなさい。弟の相手をしてやってね。
                               お母さんより』


 最初と最後で全く意味の違う手紙の内容になっているのは、天真爛漫な母さんらしいと思った。
 弟っていうことは、男の子か。どんな名前をつけるのだろう。

 さっきは父さんの言葉に感動して、嬉しいんだか悲しいんだか分からない涙を流したが、今は、はっきりと言える。これは、嬉し涙だ。


 「悪かったな、奏。」

 『もういいんだ、俺こそ・・・・・・・俺こそ、ごめん。本当にごめんなさい。』
 そう口に出したいのに、泣いている所為か痰の絡んだ嗚咽にしかならない。

 「お・・・・・れもっ・・・・・・ごめっ・・・・・なっ・・・・・・さい・・・・・・」

 やっと言えた。言えたともいえないけど。


 「あぁ。・・・・・・・・どうする?あっちの家からこっちに移るか?」

 ――――――――そういうこともアリかな。でも―――――――――

 「今は、まだいいよ。やらなくちゃいけないことが見つかったんだ。」
 「そうか・・・・・・・「でもいつか。」」

 「いつか・・・・・・・絶対一緒に住もうね。家族なんだから。」

 父さんの言葉を遮って、一番伝えたかった事を伝えた。すると、少し残念そうな顔をしていた父さんも、笑ってくれた。

 「おう、そうだな。」

 ――――――――――――――――。

 「じゃあ。」
 「気を付けてな。」
 「うん。」

 自分の鞄を肩に掛け、本来の目的であった物が入っている紙袋と、もらった竜胆を手に持った。出て行こうとして、ドアノブに手を掛けると、父さんに呼び止められた。

 「奏。竜胆は、9月12日お前の誕生花だ。花言葉は、淋しい愛情。悲しむ貴方を愛す。だそうだ。」

 「そう。態々ありがとう。」

 今度こそ、父さんの優しい顔に別れを告げた。



 ――――――――――――――――。


 電車に揺られている俺の『頭』は、酷く疲れていた。1日でこんなに劇的な出来事ばかり起こるものだろうかと今日起きた出来事を振り返ろうとも思えない。
 だが、この後は先生に会いに行かなくてはならない。幸いにも疲れているのは『頭』だけで、『体』は疲れていない。思い切り体を動かして、頭をどうにかしよう。

 そして、まだ目的の駅まで時間があるので、自分自身の意識を手放した。







この小説について

タイトル  6.−竜胆の涙−
初版 2010年12月3日
改訂 2010年12月4日
小説ID 4135
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水無月 澪の写真
常連
作家名 ★水無月 澪
作家ID 691
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活動度 670

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