Dから始まる物語 - Dining

有梨亜
「おはよう」
「おはよう」

「いただきます」
「いただきます」

「おやすみ」
「おやすみ」

 一緒に住んでいるのに、ここ数日はオウム返しばかり。
 一週間前、私がなおさんを拒んでからずっとこうだ。

(いつまで、こんな日が続くんだろ)

 お互い朝は出勤時間ギリギリまで寝てるから、朝ご飯は食べない。
 昼ご飯も、お互い違う職場にいるから一緒に食べる事はない。
 唯一、一緒に取れる筈の晩ご飯も、なおさんの帰りが遅いから、いつも一緒という訳には行かない。

 …ガチャ。

 当所なく考えを逡巡させていたら、鍵を開ける音がした。
 慌てて玄関へと向かう。珍しく早く帰って来た彼を迎える為に。

「おかえりなさい」
「ただいま」
 唯、それだけを聴く為に。何でも良いから、彼の声が聴きたかった。
「晩ご飯、できてるから。今日は、和食にしてみた」 
「え――あ、ああ…ありがとう」
 私も、なおさんも、特に好き嫌いはないけれど、なおさんは、どちらかというと和食が好きだ。   
 正直、私は料理が得意ではないし、和食は味付けが結構難しい。
 けれど、少しでも仲直りのキッカケになれば――と、私なりに苦肉の策を練ったのだ。
「今、あっためるねー」
 一昨日、なおさんが出張だった時、久し振りにはるばる実家へ帰った。
 その時に出されたカレイの煮付けが美味しかったので、作り方を聞いて挑戦したのだ。今まで殆ど料理を作る事に関心を示さなかった私を、母は不思議がっていたが。


“好きな人でもできた?”と。


 とりあえず、それには肯定しておいた。最近、引っ越して住所が変わった事も。さすがに同棲している事までは告げなかったが、言わなくて正解だと思う。

(いつまで続くか、分からないもの)

 鍋を火にかけながら、ふと思う。


 永遠なんて、ない。

 
 私は、滅多に人を好きになる事がない――嫌いになる事も少ないけれど、大半は「どうでもいい人」だ。唯、その反動なのか、一度好きになった相手は、よほどの事がない限り嫌いになる事はない。

(でも、なおさんは…?)

 友人とたまたま足を踏み入れたバーで知り合って、意気投合して。
 同じ店で再会して、何度か一緒に食事をするようになって。
 徐々に二人で出掛けるようになった矢先――私が、職場でトラブルに巻き込まれた。

(なおさんは、私を放っておけなかっただけ)

 優しい人だと言うのは、初対面の時から、何となく気付いていた。
 取り立てて気が利く訳でも、話し上手でもないけれど、穏やかな空気を纏っていて、自然体で肩肘張らずにいられる人。唯、今にして思えば


 恋愛対象として見られていなかったから…ではないだろうか。


 年が五つ以上離れていたのもあるし、彼からすれば、私は幼く見えた事だろう。例えが悪いけれど、職場の上司が仕事帰りに部下を食事に連れて行く感覚とさして変わらない。決して、なおさんが年寄り臭いという訳ではなく、お互い一歩引いた距離感を保っていたという事だ。悪い意味ではなく、必要以上に干渉しない――そんな関係。
 好感を持ってくれてはいたと思う。私は、淡い恋愛感情に近いモノを抱きつつもあった。唯、別にそれ以上どうこうなるつもりはなかったのではないだろうか――私はともかく、なおさんは。
 
 …カチャ。

 スイッチを捻り、コンロの火を消す。皿を取り出して食事を装っていると、なおさんがやって来た。

 …ガタン。

 無言で椅子に座る。流れる空気は重く、気まずいと分かっていながら、私も又、向かいの席に着いた。

「いただきます」
「いただきます」

 相変わらず続く、オウム返し。食事の用意をしながら点けっぱなしにしていたテレビの音が沈黙を埋めてくれたのが、せめてもの救いだ。
 胸の空く思いに支配されながら、カレイの煮付けに箸を付ける。

(あ、美味しくできてる)

 一応、味見をしながら作ってはいたが、改めて出来上がった物を口にするとほっとする。反応が気になって、なおさんに目を向けたが、淡々と食してる様だった。
 
(良かった、ちゃんと食べてくれてる)

 ―――とはいえ、元々好き嫌いのない人だから、反応が分かり難い事この上ないのだが。
 
「ごちそうさま」
 それだけ告げると、なおさんは立ち上がって、食器を流しに運んだ。蛇口に手を伸ばそうとしたのを見て、慌てて声を掛ける。
「あっ、いいよ。後でまとめて洗うから」
「…じゃあ、よろしく」
 私の申し出に、洗い桶に水だけ張って食器を浸すと、そのまま部屋を出て行った。浴室の電気が点くのが見えたから、恐らく風呂を沸かしに行ったのだろう。

 男の人だけど、一人暮らしが長かった所為か、自分の事は自分でする。家賃と光熱費を折半しているからもあるだろうけど、私が女だからと言って必要以上に家事を押し付ける事はない。しかも、その生活費も、ちゃんと私の給与を考慮したうえで割ってくれている。


 私がいなくても、何も変わらない人――これまでも、これからも。

 
 心臓が抉られる様な感覚に陥る。軽率なのは分かっていた。それでも、当時精神的に追い詰められていた私は、なおさんの「家に来ればいい」という申し出に藁をも縋る思いで寄り掛かってしまった。自暴自棄になっていたのは否定しない。万一、何かあったとしても、どうにでもなれ…とも。
 それでも、彼が弱味に付け込んで女をどうこうする人ではない事を本能的に察知していたのだろう――実際、一週間前まで何の問題もなかった。

 なおさんが席を離れてから数分後、ようやく食べ終わる。

(今まで、私に合わせてくれてたのかな)

 食器を洗いながら、頭の中でぼんやりとした考えが過ぎる。

 私は、食べるのは決して速くない。なおさんは男の人だし、忙しい職種に就いている点を踏まえても、食べるのは速いだろう。
 それまでは、言葉数が少ないながらも何かしら会話を交わしながら食事をしていたから、気付かなかった。

(居心地が良いと思っていたのは、私だけ…なのかな)

 なおさんは、私に多くを望まなかった。前の職場を辞めてからも、新しい職場を探す事を急かさずにいてくれた。だからといって、そんな彼の優しさにいつまでも甘える訳にも行かなかったから、必死で新しい仕事を探して、今の職場に移ったのだ。
 それまで塞ぎ込みがちだった気持ちも、彼と一緒に過ごして行く内に少しずつ解れて。でも、それも全て


(私に、気を遣ってくれてたんだ―――…)


 今頃になって、気付く。
 
 私は、なんてバカな女なんだろう。

「……っ」
 嗚咽が込み上げて来る。


 好きなのに、こんなに好きなのに。

 
 優しさだけを求めていた訳じゃない。
 時折、やんわり諭してくれる姿勢にも、不快になる事はなかった。


 それなのに――私は、彼を拒んでしまった。

 
 流れる水を手で掬い、サッと目を洗う。
 泣いている姿なんて見せる訳には行かなかった。

 …キュッ。

 蛇口を捻ると同時に、空いた方の手の甲で目元を拭う。 
  
「真保理」

 背後から急に呼び掛けられ、心臓が跳ね上がる。思わずビクン、と身体が反応した。   

「な、何―――」
 考え事をしていて、周囲への注意が疎かになっていた。
 泣いている姿を見られてないか、内心ハラハラする。
「風呂、沸かしといたから。先に入るなら――と思って」
「私、長風呂だから。なおさん、お先にどうぞ」
 ほんの少しとはいえ、泣いた直後で声が詰まりそうになる。
 今、自分がどんな顔をしてるかも分からず、背を向けたまま応えた。

(嫌な女だ、私)

「あの、さ」
 ぎこちなく彼が話を切り出す。

「今日の晩飯、美味かった。良かったら…又作って欲しい」

 その言葉に驚いて振り返る。

「ホントに?」
「…うん」
 照れ臭そうに、頭を掻いてる。そんな仕草が堪らなく愛しい。
「じゃあ、又作るね」
「お願いします」

 そう言うと、なおさんは笑った。
 つられて、私も笑う。

 何も無かった事になんて、出来ない。
 今まで通りには戻れない…それは分かってる。


 それでも、もう少しだけ――この穏やかな日々を続けていたい。

後書き

連休をまったり過ごしていたら、お話が一つ出来上がりました。
カレイの煮付けは、最近、食べて美味しかったから(笑)
頭文字「D」で、思いの外たくさん出て来るなぁ〜…と思う今日この頃。

この小説について

タイトル Dining
初版 2011年3月22日
改訂 2011年6月5日
小説ID 4242
閲覧数 803
合計★ 9
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コメント (6)

★那由他 2011年3月22日 22時02分18秒
こんばんは。那由他と申します。

御作を拝読いたしました。またもやピント外れのコメントになるかもしれませんが、感じたことを書いておきます。なお、コメントはすべて私見であることをお断りしておきます。前回は私の脳内状況を前提にコメントしてしまったので(前作のコーヒーのシーンでは「コトン」という音は真保理がトレイにマグカップを置いた音だと思い、テーブルを想像していませんでしたので、なおさんがコーヒーを片手に持ったままコトに及ぼうとしたように読み取れたため、あのようなコメントになってしまいました。私の読解力不足でした。すみません)、今回はそれを抜きにしてコメントを書いておきます。

長い前置きになってしまいました。さて、今回の作品ですが、ふたりの出会いが初めて語られていて、ここまで読んできた読者としましては興味深く文字を追いました。いま住んでいる部屋はもともとなおさんが住んでいる部屋なんですね(だと思うのですが、違っていましたらごめんなさい)。彼がどんな気持ちで「家に来ればいい」と真保理に声をかけたのか、そのあたりを想像してみるのもなかなか興味がつきないところです。ふたりの関係に一筋の光明をともしたカレイの煮付けがとてもおいしそうに思える、そんな作品でした(ふざけているわけではありません。念のため)。ここからどのような形でふたりの関係が発展していくのか、それも楽しみではあります。

コメントは以上です。いろいろと書いてしまい申し訳ありません。あまり参考にならないかもしれませんが、少しでもお役に立てるようでしたら幸いです。最初にもお断りしましたが、あくまでも私見ですので的外れなことを書いているかもしれません。

次回の作品も期待しております。これからもがんばってください。
それでは失礼いたします。
★蒼衣 2011年3月23日 14時41分54秒
蒼衣です。有梨亜さんの作品を読ませていただきました。

今回もなんですけど、文章ごとの間隔が適度に空いてあったので、とても読みやすく感じました。そのため読み進めて行くうちに、この二人の間にいったい何があったのだろう。と気になってしまい、先を急ぐように読んでしまいました。本当におもしろかったです。

こんなことしか書けませんでしたが、有梨亜さんの作品、続きを楽しみにしてます。
頑張って下さい。
有梨亜 コメントのみ 2011年3月24日 21時57分27秒
那由他さん、こんばんは。有梨亜です。

> なおさんがコーヒーを片手に持ったままコトに及ぼうとした〜
ぶっ!! 那由他さん、面白過ぎ。さすがにそれはないですよー
なおさん、どれだけテクニシャンなんだッ!?(爆笑)
すみません。あまりにツボにHITしたので、今作の感想でないにも関わらず取り上げてしまいました(ゴメンなさい)

> ふたりの出会いが初めて語られていて、ここまで読んできた読者としましては興味深く文字を追いました。

そう言って頂けると、書き手冥利に尽きます。ちょっとした部分から色々と想像しながら読み取って貰えると嬉しいです。

> ふたりの関係に一筋の光明をともしたカレイの煮付け
あまりも神々しいフレーズに、又してもPCの前で吹き出してしまいました!
那由他さん、ふざけてないから余計にウケるんですが――何かもう、今までとは違った意味でもコメントを期待をしてしまいそうです(すみません)

今回は、特に部屋の間取りが気になる内容でもなかったと思うので、大丈夫…ですよね? いま住んでる部屋は、元々なおさんの住んでる部屋で正解です(余談:二作目の真保理視点にも「なおさんの家に転がり込んでから〜」と記述アリ)
私は、一連の動作として予測可能と判断した場合、あまり事細かに描写しない事があります。逐一書き連ねると却って鬱陶しく感じてしまうので。
…とはいえ、読み手が読解力をフル活用しなければ伝わらないなら明らかに私の描写力不足ですので、那由他さんが状況を把握し難いと感じられたなら遠慮なく仰って下さい。気を付けます。

毎回丁寧な感想をありがとうございます。
那由他さんの作品も読ませて頂いてるのですが、なかなかコメントが書けずじまいでゴメンなさい。
私は、コメントを書くのに時間がかかるので、一度にコメントできる量がどうしても限られてしまうのですが、那由他さんはたくさんの作品にいつも丁寧なコメントをされているので感心してしまいます。では。
有梨亜 コメントのみ 2011年3月24日 21時58分42秒
蒼衣さん、こんばんは。有梨亜です。

> 文章ごとの間隔が適度に空いてあったので、とても読みやすく感じました。
私は、自分が字詰めの文章を読むのが苦手なのもあって、読み易さと視覚的効果を意識して間隔を空けるのですが、そう言って頂けてほっとしました。
小説と呼ぶには空白が多過ぎるという自覚があるので、改行のタイミングで結構悩むんです(汗)

ほのぼのだったり、シリアスだったり――ちょっと危うい二人ですが、楽しみながら読んで貰えるのが一番ですので。色々と想像してみて下さいねー

コメントありがとうございました! では。
★エーテル 2011年4月11日 0時09分28秒
男性の視点から こういった作品を読むと、恋愛といったものの女性の心理について大変勉強になります…

優しい人が好き とよく女性は言います
でも付き合ってみると 慣れてくると 女性はそういった男性の優しさは、誠実さは 重荷に感じてくるものだと把握しています、
最初は ヴィジュアルで いいとか 妥協なり とかイロイロスタートするもののすれ違いといったものはどういった場合でもほとんど生じてくるものです…
そこらへんの微妙さが作品に描かれていていい作品だと思いました…
今後の作品の参考になればと
男性なりの心理を参考までに…

男性は、本当に好きな異性には性的な欲求はそれほど顕著に求めませんし、
好きな人がいても 平気でソープに行ったりできるものです
そこらへんの分け隔て方は 結構割り切ったりできる生き物です

それから、結構 女性の手料理はうれしいものですが
料理の好し悪しで相手への評価はそれほど変化しません
どちらかというと、あまり家事ができたり良妻型の女性にはそれほど魅力は感じないものです
どちらかというと、大人しく三歩後ろからついてくるような女性には魅力は感じにくく
自分といったものをしっかりと持っていて
趣味などでどんどん意見の言えたり
そして結構身勝手で 男性を振り回すような女性が後を引くものです…
まぁ いろいろ世の中の男性は好みも色々ですので
いま記述した内容について偏りがややある可能性もあり
一概に参考資料として役に立てられるかどうか疑問ですが

文章は
やや個性的で
ちょっとよくある恋愛小説とは異質な印象です

ただ、女性なりの複雑な心理は微妙な表現で、
ノルウェイの森といった最近の映画を若干連想させる部分もあり
面白かったです
有梨亜 コメントのみ 2011年4月12日 23時02分13秒
初めまして、エーテルさん。有梨亜と申します。

> 男性の視点から こういった作品を読むと、恋愛といったものの女性の心理について大変勉強になります…

なりません――というか、私の小説で勉強はムリムリ!!
勉強なら、プロの作家さんの作品でどーぞ。

> そこらへんの微妙さが作品に描かれていていい作品だと思いました

お褒め頂きありがとうございます。
微妙な心の動きを描くのが好きなので。

> 男性なりの心理を参考までに…

というか、エーテルさんの心理ですね。どうぞ、語って下さい(笑)

ソープの件、前に友人が彼氏にされて激怒してたのを思い出すなぁ(遠い目)
異性の好みに関しては、もう本当に人それぞれだと思います。
いくら聞いたところで「そういう人もいる」という感覚にしかならないというか――お喋りを楽しむ一巻としては良いですけどね。
思うに「従順なだけの人」は、人間的な魅力に欠けるって事でしょうか。
相手に付き従うというのは、裏を返せば「自分からは何もしない」という事でもあります。
いつもいつも行動を起こす方は、最初は良くても、後々キツクなって来ます。

料理の件ですが、料理は男女問わず上手いに越した事ありません。
毎日食べる物が不味いなんて、それこそ帰る気が失せます。
(※同棲や結婚をしていない男女間ではどうでもいい事ですが、この作品では「同棲」という設定ですので)

その一方で「一緒に過ごす相手次第で、食事の満足度が違う」のも確か。
私は、一緒にいて気詰まりな人とはマトモに食事が出来ません。
殆ど食事が喉を通らない。それなら喜んで孤食を選びます。
逆に、気の合う人となら、出て来た料理が多少不味かろうが、それをネタに話も盛り上がるし、食は…不味いと進まないか(汗) でも、楽しいですよね?

料理の良し悪し云々もありますが、そういったニュアンスも含めた話のつもりだったのですが、描写力不足だったかな…。

> 文章は
やや個性的で
ちょっとよくある恋愛小説とは異質な印象です

実は、特に恋愛小説を読み漁ってる訳ではありません。
敢えて恋愛小説を読まなくても、大抵のお話で恋愛要素は出て来ますし、寧ろ、恋愛小説と謳ってる小説はあまり好みじゃないというか――それなら自分で読みたい話を書いちゃえ、みたいな感じで創作してます(笑)

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