キズナ

 蕾すら付いていない、端から見ればただの枯れ木が並び立つ道に、私は立っていた。足を踏み出すのもゆっくりと一歩一歩で、けれどもそれをしっかりと踏みしめるように歩く。空は晴れてはいるものの、吹き抜ける風は未だに冷たく私の体を撫でるように去っていく。
 傍にあるベンチに座り込んだ私が俯いて息を整えていると、不意に私の頭部が軽い音を立てて叩かれる。
「奈緒!」
「わっ……美帆、探しに来てくれたの」
「あんたねえ。そんな体で長い時間出歩いて! 風邪でも引いたらどうすんのよ」
 美帆は怒りに任せてベンチに座り込む。そんなに時間が経っていたことに、全然気がついていなかった私とは違い、中々散歩から帰ってこない事に業を煮やして捜していたらしかった。美帆は着ていたピンク色のカーディガンを脱いで私に羽織らせた。
「ふふ、ありがと」
「全く、もう。余計な心配かけさせないでよ」
 遠慮なしに直球に言葉を言ってくる美帆に、私は笑う。小学校の頃からの幼馴染である美帆は、思った事をそのまま言うとても真っ直ぐな性格で、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと全くオブラートに包まずに発言する為、学生時代は彼女が恋人と長続きした記憶は私には無い。
 そんな美帆からすると私はおっとりしていて何だか放っておけないらしい。そんな世話好きなところも、とても美帆らしい。
 枯れた木を眺め続ける私とは違い、美帆の目線は私のお腹に注がれていた。美帆のそれとは違い大きく膨れたお腹に生命が宿っている事を知っているからこそ、心配してくれているのだ。
 私が立つのを腕を持って支えながら美帆は言った。
「で、何でこんな所に来たの」
「ちょっと気分転換。家に居てもつまらないから。蕾くらい膨らんでるかな、と思ったんだけど、まだだった」
「……ああ、桜ね。今年寒いからもうちょっと先じゃないの」
「そうみたい」
 私がお腹をさすって微笑むと、美帆は肩を竦めてため息を吐いた。
「美帆?」
「何か妊娠してから益々天然に拍車が掛かった気がするわ、あんた」
「ええー。ひどい」
 美帆は私がふらついたりしないように注意しながら私の横を歩いてくれる。小さい頃からずっとそう。何かに迷ったり、悩んだりした時は、いつも隣に居てくれる。そういう人は旦那だけにしておきなさい、と美帆はいつもそういうけれど、一緒に泣き、笑い、時には怒る。そういう時間を過ごして来たといえるのは私にとっては彼女だけだ。
 面と向かって言ったことは無いけれど、この何ともいえない腐れ縁のような距離感が私は好きだった。




 家に着いて、私が美帆にコーヒーでも淹れようとすると、過保護な彼女はソファーに座っていられないのか、自ら台所の食器棚からカップを準備する。私がすると言っても聞かないことは十分に分かっていたので、あえて何も言わずに私は黙々とミルクや砂糖、それに一緒に食べようと思っていたショートケーキを冷蔵庫から取り出す。
 糖分は体重増加に繋がり、出産時に影響があるかもしれないので食べ過ぎないようにと医者から言われているものの、やはり甘いものはすぐにお腹に吸い込まれてしまう。
 口の端についた生クリームを私が舐め取っていると、美帆はコーヒーに砂糖を入れながら呆れたように笑う。
「本当、それが予定日間近の女の行動?」
 終いにはお腹を抱えて笑い出す美帆に言われっぱなしは流石に嫌だったので、私は美帆に聞いてみた。
「むー。じゃあ、美帆はどうなの?」
「どうって、何が」
「誤魔化さないでよ。誰か、良い人居ないの」
 私が興味津々そうに目を輝かせるのとは正反対に、美帆は何だか少し視線を泳がせている。昔から恋愛話は聞くのが専門で自身の事を話すのがあまり好きではない彼女だ。
 カップに注がれたコーヒーを一口飲んでから、美帆は言う。
「……今は仕事に専念したいの」
「それ、去年も聞いた気がする」
「いいじゃない、あたしの事は。それよりさ、もう決めたの?」
「何を?」
「名前よ、赤ちゃんの名前」
「名前か……」
 随分と強引に話題を逸らされた気がするけれど、私はふと考えてみた。
 旦那さんと話したりする事はあるのだが、何分私は初産で、彼にとっても初めての子どもになるのだから、名前どころか妊娠中にあれこれ注意しなければならない事を気をつけるので精一杯になって、何だかまともに話せないまま今日に到ったという感じだ。
 一昨日の検診の際にお子さんは女の子ですと言われていたので、どうせなら可愛い名前がいいと思って、考えてはいる。私は美帆に、自分が考えてみた名前のリストを自慢げに見せてみる。
 彼女は、まるで重要書類に目を通すときのように目を細めて真剣な表情になるので、私は思わず彼女に分からないように横を向いて小さく笑う。
「梨華、美咲、桜……花みたいな名前ばっかりね」
「だって可愛いから」
「良いんじゃない。この中から選べば」
「じゃあ、美帆が決めて」
 私の言葉に、美帆は面食らったように返しかけていた言葉を止めた。そして、私に顔を近づけてくる。
「何であたしが」
「ずっと前から考えてたの。美帆に名前、決めてもらえたらいいな……って……」
 不意に、私の言葉が途切れる。絞り出した声は聞き取れないくらいにか細いものになる。下腹部が急に収縮したように激しい動きと共に、何かに貫かれ、そのままお腹を割かれてしまうような錯覚が私を襲う。
 痛みに顔を歪めた私の表情に、美帆の様子も一変する。
「奈緒?」
「うっ! あ、い、痛い……!」
「まさか陣痛!?」
「そう、みたい……う、くうっ……はあ、はあ」
 お腹を押さえてソファーにもたれ掛る私を見て、美帆はすぐに携帯を取り出して私が通院している病院へと連絡していた。美帆が何かを話しているのまでは分かったが、痛みで目を大きく開けていることが出来ずに、視界がぼやけてくる。顔を伝う汗さえ拭う事もままならず、私はただ呼吸を整えてお腹をさすった。
 この中に居る私の子どもは今どんな思いで居るのだろう。こんなに暴れているという事は、とても元気に私の中で眠っているのだ。
 もうちょっとでその子に会える。そう思うと、痛みが不思議と和らいだ気がした。少しは母親らしい顔で微笑んでいられる気がする。
 しかし、美帆が救急車を呼んできたから、と私を励ます頃には、私の意識は再び混濁し始めた。





 分娩室に入ってからもうどれ位の時間が経ったのだろう。繰り返し訪れる陣痛の波に耐えながら、息んでは休むの繰り返し。助産師さん達の助けや声掛けもあってお腹の下のほうから力を入れるのには慣れてきた。後は、一番大きい痛みが来たときに、意思をしっかりと持ち続けて力を込めていられるかだ。
 こんな時に余計なことを考えるのは私の悪い癖で、無事に生まれてくるだろうかなどと、しなくていい心配までしてしまう。
「ええ、そうです! もうすぐ生まれるんですよ!!」
「……美帆……?」
 外に居る彼女の名前を呼んだ私に、助産師さんが言う。
「彼女、ずっと貴方のお母様や旦那さんに此方に来ていただけるよう電話なさっているんですよ」
 そういえば、救急車に乗った時もいきなり陣痛が来たので、他の人に連絡するのを忘れていた。美帆の逸る気持ちを必死で抑えるような語気の強い声に、私は自分の膨れたお腹を見つめた。
 私と同じくらい、貴方が生まれるのを心待ちにしてくれている人が居るんだよ。
 優しく強く、そう言い聞かせると、何故だか今まで余裕の無かった手に温もりが戻ってくる。
「頭出たぞ! もう少しだ……!」
 医師の声が響く。私は、大きく息を吸ってから頷いた。
 待望の小さな命と出会い、数日後。病室に心配そうな顔をした美帆がやってきた。私は、彼女に向かって微笑む。
「生まれたよ、美帆」
「うん、可愛い……あんたに似て、すっごく、可愛いよ……」
 美帆は私の隣で眠る、まだきゅっと瞼を閉じたままの赤ちゃんを慈しむ様に見つめている。良く見ると、彼女の目には涙があった。絵に描いたように何事も無い安産だったのに、美帆は心配性だ。でも、私が不安なときも美帆が傍に居てくれた。
 母達を呼んでくる、と立ち上がった美帆を呼び止めて私は言った。
「名前、考えてくれた?」
「あたしを誰だと思ってんのよ。もう、決めた」
「何?」
「この子の清々しい顔見てたら思いついたの。……『清花(さやか)』でどう?」
「清花……うん、そうする。清花。あなたの名前だよ」
 名前を呼ばれた清花は、僅かに顔向きを変えたものの、未だに眠っている。そう言われてみると、安心しきったような、はにかんだ顔でいる。
 あなたはこんなにも小さいのに、とっても大きなものをくれたね。
 思わず私も美帆も笑った。久しぶりに、声を上げて。

後書き

つい最近、命の誕生に立ち会ってきました。親戚の女性が出産、ということで大阪までいってきました。
涙腺が緩みっぱなしで、まだ産んでないっていうのに涙が溢れ出てました;;

本当に生まれたばかりの赤ちゃんは本当に柔らかいです。このまま崩れちゃうんじゃないかと思うくらいに(←
でも、本当に温かくて。汚れきった心がほんのちょっと癒やされた気がしたので書いてみました。

慣れない分野だったので至らない部分もあるかと思いますが、またご指摘下さるとありがたいです。



>けめこさん

勿体無い評価ありがとうございます。

展開がありきたりなのは覚えている内に書こう、と勢いづいた結果です。申し訳ないです;;
帝王切開は見たことが無いので描写できないので、本当に当たり障りの無い感じになりました。精進します。

ご指摘は仰るとおりです。足から出てくるのも一ヶ月前も危険ですね……すぐに修正しておきます。私の知識不足ですのでこれからもっと勉強していきたいです。

清花というのは私が考えた名前なのですが、凄い偶然ですね(笑
またけめこさんの作品も読ませていただきます。ありがとうございました。


>那由他さん

ご評価ありがとうございます。
誤字に関しては見直したつもりだったのですが、やはり見つけきれないもので、ご指摘どおり修正しておきました。
出産時の体位や早産等も私の知識の無さが原因で混乱させてしまい申し訳ないです。ご指摘のあった他の箇所も同様に修正しました。
私なんかよりも知識がおありの那由他さんに色々教えていただき、その意味でもこの小説を書いてよかったと思います。
ありがとうございました。



>エーテルさん

ご感想&評価ありがとうございます。
親友と友情については、個人個人で考え方も違うので難しいな、と感じつつ書いていました。でも、私的にはやはりちょっとした時に傍に居て、自然に笑いあえる存在。お恥ずかしい話ですが、そういうのが理想だったので「キズナ」にそれを詰め込みました。

エーテルさんもとても良いご友人に恵まれていらっしゃるようで、それを思いこの作品を見ていただけて、心が少しでも安らげたなら幸いです。
誰かの目に留まり、そっと誰かの心に何かを残すという意味では娯楽作品としてでも、それが成り立っていたのはとても嬉しいです。ありがとうございます。

温かいお言葉ありがとうございました。また気が向いたら見てやってください。
それでは。

この小説について

タイトル キズナ
初版 2011年3月24日
改訂 2011年4月13日
小説ID 4248
閲覧数 1316
合計★ 10
ひとり雨の写真
作家名 ★ひとり雨
作家ID 223
投稿数 91
★の数 223
活動度 10590

コメント (3)

★けめこ 2011年3月24日 23時24分04秒
けめこです、読ませていただきました。

私には年の離れた弟がいるんですけど、帝王切開による出産が最初から決まっていたので、この話のような慌ただしさは味わえなかったんです。なので素直に「いい話だなぁ」と思いました。
文章も丁寧で、伝わりやすかったです。

難点を挙げるとするなら、いい話すぎて、インパクトがないというか……軸がブレてしまっていることでしょうか。
奈緒と美帆の友情と、命の誕生&母の強さ、この2つのテーマが混在してしまった結果、当たり障りのない展開で完結してしまったかなぁ、と。
どんでん返しをどこかで入れると母の強さがぐっと際だつのではないでしょうか。

あとは、医学的なことなので私もよくわかりませんが、予定日より1ヶ月も前に生まれちゃったら危なくないですか!?
あと、赤ちゃんって頭から出てくるとかいう話を保健の授業で……。

余談ですが、今考えてる長編の主人公が「清華(きよか)」というんですが、これを読んで「さやかという読みもあったか!」と目から鱗が落ちました(笑)

長い上に主観的すぎてすみません。
これにて失礼します。
★那由他 2011年3月24日 23時39分50秒
こんばんは。那由他と申します。

御作を拝読いたしました。読んでいて感じたことをコメントしておきます。なお、コメントはすべて私見であることをお断りしておきます。

一箇所だけ指摘しておきます。

>安心しきったたような、
「しきったたような」の「た」が衍字です。

女性の書き手でないと書けない作品だな、と思いました。生まれてくる新しい命に対する愛情と喜びが主人公を温かく見守ってくれる周囲の人々(この作品では特に美帆ですね)の励ましとあいまって、読んでいるととてもほんわかとした気持ちになります。母親になった主人公と生まればかりの赤ちゃんにエールを送ってあげたいという思いでいっぱいになる、とても温度感にあふれた読後感でした。

最後まで旦那さんが登場しなかったのが気になりました。主人公といっしょに喜びを分かちあうシーンとかを見てみたかったので、そこがちょっと残念でした。男性は分娩室の前でオロオロしているだけかもしれませんが(笑)

あと、出産予定日まで一月もある(美帆から「本当、あと一月で子どもを産もうっていう女の行動?」と言われていましたので)のに生まれた、ということは早産なのかな、と思いました。そうすると、場合によっては保育器に入れることになると思います。それと、足から先に出てくる、ということはいわゆる逆子(骨盤位)ですので、たいていは帝王切開になるみたいです。赤ちゃんは普通、頭から生まれてきますので。細かいことを言いますと、病院によっては感染防止のための新生児室があって、生まれたばかりの赤ちゃんはそこに預けられるケースもありますので、この作品のようにママのすぐ横にいる、ということがない場合もあります。

コメントは以上です。あまり参考にならないかもしれませんが、少しでもお役に立てるようでしたら幸いです。最初にもお断りしましたが、あくまでも私見ですので的外れなことを書いているかもしれません。

次回の作品も期待しております。これからもがんばってください。
それでは失礼いたします。
★エーテル 2011年4月10日 23時34分33秒
友情っていいですよね…
同性どうしだから、よくわかりあえる部分ってあるのでしょう

そこまで、確実な繋がりを創っていくのは歳月もあるけど
この作品で表現された 友達 についての表現は理想的で
けっこうこういったことってあるものなんですよね

最近 親友の失恋話について聞かされました
ぼくはただただ黙って聞きました
それだけでも彼は 充分に僕という親友の在り方を理解してくれました
去年、 数年付き合った彼女が他界した時も
でしゃばりすぎずに、そっと元気を出してねと彼は静かに励ましてくれました

この作品を読んでて
こういったシチュエーションに感化するというより
現実のいつも会っている 親友のことをふと考えながらなんとなく読みふけってしまいました

あったかくなれました

気持ちの良い作品でした

娯楽作品と簡単に切り捨ててしまうと作者様に失礼かもしれません
でもいい作品でした
ありがとうございました
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