Dから始まる物語 - Drunk

有梨亜
 ♪♪♪♪♪♪♪

 仕事中に、携帯の着信音が鳴り響く。

「どうした? 何かあったか?」
 
(仕事中に電話して来るなんて、珍しいな)

 携帯のディスプレイに表示されたのは、同居人――真保理だった。
 不思議に思いながらも、通話ボタンを押し、社内から出て廊下へ移動する。

「加賀ぁ!! 聞こえてるかぁぁぁーーーッ!?」

 受話口から外に漏れ聞こえるほどの罵声が飛び出す。
 あまりの声のデカさに、俺は思わず携帯を耳から離した。

 声の主は、俺の友人――篤也である。
 予定通り行けば、今夜は俺と篤也と真保理の三人で飲みに行く筈だったのだが、急な仕事が入った為、やむを得なく篤也と真保理の二人で行かせる事にしたのだ。

「俺は今、モーレツに酔っ払っている!!」
「――だから?」
「つべこべ言わず、迎えに来い!!」
「エラソーに」
 酔っ払った篤也は少々質が悪い。マトモに取り合わないに限るのだが、
「さもないと―――」

「お前の女、ホテルに連れ込むぞッ!!」

( ―――ッ!?)

 聞き捨てならぬ台詞に、思わず受話器を握る手が硬直する。  

「はぁッ!? ふっざけんな、この酔っ払いがぁッ!! 真保理に手ぇ出したら、ぶっ殺すッ!! 」
 オフィスビル内という事をすっかり忘れて、俺は携帯に向かって叫んでいた。
  


「ぶっ!! あいつ、ムキになってやがんの」
 携帯から見事筒抜けのなおさんの声に、篤也さんは腹を抱えて笑っている。
 その様子を複雑な気持ちで、私は眺めていた。
「篤也さん…」
「んー…」
「ゴメンなさい、私の所為で―――」
「気にしない、気にしない。このくらい大した事ないって」
 あっけらかんとした表情で、笑ってみせる。悪戯を仕掛けた子供みたいに。
 実際に面白がってもいるのだろうけど、それだけじゃない。
 見た目の派手さから軽薄そうに見られがちだが、今だって私を気遣っての事だ。
「でもっ…なおさん、仕事中だったのに」
 自らの不甲斐なさが招いた結果に、遣り切れない気持ちになる。
「だーいじょーぶだって! 日付も変わるってのに切り上げりゃいーんだよ、そんなモン。そうでなくとも、あいつは働き過ぎなの。あの、仕事バカ」
「それなら、尚更―――」
「真保理」

 両肩を掴み、篤也さんが真正面から見据える。 

「あまり強情だと、本当にホテル連れて行くからな」
 肩を掴む手に力が篭るのが分かり、身体が硬直する。

「い、いや…っ、絶対に嫌ッ!!」 
 怖くなって、咄嗟に篤也さんを突き飛ばした。
「…ってぇ、冗談だって。ほんっと、揃いも揃ってクソ真面目だな」
 地面に尻餅を付きながら、篤也さんが苦笑する。
「ゴメンなさい。つい―――」
 冗談を本気に取ってしまい、自意識過剰に情けなくなった。



 制限速度めいっぱいに車を飛ばし、目的地を目指す。
 夜中だからと、ややメーターをオーバーしてる気がしなくもないが、構っていられない。特に迷う様な場所でもないし、あれで篤也も根は真面目だから間違いを犯すなんて事はないと思うが、それでも面白くはない。
 とにかく最短ルートで着くよう車を走らせる。走行中にメールで連絡のあった24時間営業のファミレスを探し当て、車を止めた。
 店内に足を踏み入れると、金曜夜という事もあってか、まだまばらに客が残っていた。比較的入口から近い場所で、二人の姿を見付ける。

「なおー、お疲れ〜」
 篤也が俺の姿を確認するなり、手を振る。

 やたら元気な篤也と、その隣でグッタリしている真保理。
 
「えっ…!? お前、全然酔ってな―――」
 予想外の事態に面食らう。 
「ん〜? 気分サイコーよ? 真保理みたいなキレーなコ、はべらせて」
 そう言うなり、真保理の腰に手を回して抱き寄せようとする篤也。
「コラ、待て。それ以上、調子に乗るな」
 慌てて、その手を払い除けた。
「ひょっとして―――」
「…そ。酔っ払ってるのは、俺じゃなくて“お姫様”」
「悪かったな、篤也」
「…どういたしまして。でも、飲酒はしてっから運転ヨロシク」
 ニッと歯を見せて笑うと、ビシッと右手を挙げた。

 篤也は、いつもそうだ。
 恩着せがましく見せたくないのか、煙に巻いてしまう。

「了解」
 だから、俺も必要以上にヤツを持ち上げない。
 それ相応に埋め合わせをするだけだ。
 
「大丈夫か? 真保理」
 ソファに身体を預ける様にしてもたれている真保理に声を掛ける。
「ゴメンなさい。ちゃんと歩いて帰れるって言ったんだけど―――」
 そうは言いつつも、蒼白い顔で口元を押さえている。
 指先が微かに震えているのが見て取れた。間違いなく、吐いてる。
「良いって。俺もそろそろ上がるつもりだったから」
 安心させる様に、彼女の頭をクシャリと撫でる。
 ほんの少し表情が和らいだ気がした。
「篤也、金払っててくれるか? 後で真保理の飲み代と併せて返す」
「了解」

 篤也に支払いを任せ、真保理の身体を支えながら車へ向かう。 
 全体重を預けられたところでたかが知れてるが、それでもほんの僅かな重みしか感じない。

 先程の言葉通り、彼女は“自分の足で”歩いていた。

(らしい、というか何と言うか―――…)

 俺に申し訳ないと思っての事なのだろうが、こんな時くらい素直に甘えた方が可愛げあるだろうに。

 腰に回した手が、殆ど触れるだけの役割しか果たしていない。

 車に辿り着くなり、俺の腕をスルリと解き、後部座席に殆ど転がり込む様にして真保理は倒れ込んだ。歩いている間ずっと無言だったが、やはり相当辛そうだ。身体を折り曲げて蹲り、硬く拳を握り締めている。
 元々、車酔いが激しいうえ、今夜は酔いが回って最悪のコンディションなのだから無理もない。

「辛かったら、吐いて良いから」
 彼女の手の甲に自身の手を重ね、さする。
「大丈夫、さっき吐いたから」
 眉根を寄せつつも、気丈に振舞う彼女。
「そっか…」
 それでも、痙攣する手の震えまでは隠せない。

(大丈夫なんかじゃないクセに…)  

 居た堪れなくなって、指先をギュッと握り締めた。

 後部座席のドアを閉め、運転席へ移る。

「今夜は俺の家で良いよな?」
 後から遅れてやって来た篤也に声を掛ける。
「悪いな、ジャマして」
 ニヤリと篤也が笑った。
「あぁ、すっげージャマ」
 軽口を叩いて、車のエンジンをかける。
 悪態を突きつつも、内心では篤也に感謝していた。 
 
 

 自宅に着くなり、真保理をベッドまで運ぶ。 
 
「なおさん」
 掠れた声で、俺の名を呼ぶ彼女。
「どうした? 気持ち悪いか?」
「ううん。気持ちは悪いけど、そうじゃなくて―――」
「? 薬、後で持って来るから。飲めるようなら飲んどけ」
 言い聞かせるようにして、彼女の頭を撫でる。
 心地良さそうに、彼女が目を細めた。
「ありがとう」
「じゃあな、ゆっくり休め」

「あ――待って」
 寝室を去ろうした俺を、彼女が呼び止める。

「迷惑かけて、ゴメンなさい」
 心底申し訳無さそうに、彼女が謝る。
 それだけを言う為に呼び止めたのだろうか。
「気にするな」
 この程度の事で、罪悪感なんか抱いて欲しくない。

 真保理を寝かし付け、リビングに戻る。

「篤也、飲み足りないだろ」
 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、篤也に手渡す。
「おっ、気が利くねぇ〜」
 嬉々としてビールを受け取る篤也。
 俺も又、ビール片手に篤也の隣に腰を下ろした。
 プルトップを空け、互いの缶を軽く当てて労うと、一気に飲み干した。
「俺、てっきり―――」
「…だろ? 俺の名演技!! 俳優でもめざそっかなー」
 篤也が自画自賛する。確かに、あれは疑いようもなかった。
 
(それもある、けど)

 真保理は、見かけに寄らず酒が強い。今まで酔い潰れた所なんて見た事なかった。更に、外で飲む時はキチンと酒量を調整してセーブする為、泥酔する事など先ず有り得ない。それを知っていたからこそ、俺も気兼ねせず篤也と二人で行かせたのだが。

「一緒にいたのが、お前で良かったよ」
「まぁ…な。下手に手ぇ出して、お前と絶交なんて嫌だしな。それに――今夜の場合、まほりんが帰って来なかったらバレバレだろ」
「バレなきゃホテル連れ込んでた、みたいな言い草だな」
「だって、俺――今だから言うけど、お前がフッた女と寝た事あるし」
 しれっとした顔で、爆弾発言を落とす篤也。
「ホントかよ!? いつかは知らないけど、お前が俺の女を好きだったなんて初耳」
「あー…好きとか全然ないから。てきとーに慰めてたら、そういう雰囲気になっただけ。嫌いでもなかったけど」
「酷い男だな、お前」
「そうかぁ? つい今し方まで別の男と付き合ってたのに、フラレたその日に他の男と寝る女もその程度だろ」
「そんな女と付き合ってた俺って―――」
「わははは、そう落ち込むなって! そもそも、女に淡白なヤツが」
「…否定はしない」

 記憶にあるうえでは、人並みに性欲はあっても、女にのめり込む事はなかったと思う。
 好きで就いた職種だったから仕事に遣り甲斐を感じていたのもあるし、たまの休日を全て女に費やす気にもなれなかった。女の興味を引く事に気を配る余裕もなかったし、何人か付き合うに至ったとはいえ、恋愛特有の駆け引きは億劫で、男同士でバカやってつるんでいる方が楽しかった。

「珍しいよなー、そんなお前がいきなり同棲だもんな」
「いきなり――ってほどでもないと思うが」
「だって、お前とまほりん、出会って間もなかっただろ」
「あー…それは、あいつが前職で相当参ってて、辞めるに辞められない状況だったから」
「俺が面倒見てやるってか? でも、普通なら“そういう女”は厄介だろ」
「…別に。真保理、むやみやたら寄っ掛かる女じゃないしな」
「同棲したら、他に女がデキても家に連れ込めないぞ。良いのか?」
「あのなぁ〜。そもそも、俺は今まで二股かけた覚えは一度もないぞ」

「そうだっけ? まぁ…まほりん可愛いし、イイ身体つきしてるもんな」
 何て事のない言葉だった。

 それなのに俺は、頭に血が昇って。

「そういう言い方やめろ、本気で殴るからな」
 発作的に篤也の胸倉を掴んでいた。

「何をそんなムキになってんだよ」
 篤也が不思議がるのも無理はない。
 この程度の会話は、いつもなら軽口で流してる。
「…悪い」
 篤也の言葉にハッと我に返り、手を離した。
「何かあったか? どーりで、まほりんの様子がオカシイと―――」
「真保理の様子がオカシイって?」
「聞きたい?」
「…別に」
 篤也の挑発に乗せられたのが分かり、申し出を撥ね退ける。
「素直じゃないねぇ〜。良いよ、教えてやる。お前の話題に触れたら、返答に詰まってた」

 だから、必要以上に酒が回ったのだろうか。
 真保理は、心と身体が直結し易いから。

「お前、あのコに何かしたのか?」

 数日前の出来事が、鮮明に脳裏に蘇る。

「…したと言えばしたし、してないと言えばしてない」
 所詮は未遂だ。俺にとっては、数の内に入らない。
「何だそりゃ」
「俺だって、訳わかんねーよ。何か、もう頭ん中グッチャグチャ」
 思わず頭を抱え、テーブルに突っ伏する。
「重症だな」
「俺は…さ。好きなら尚更セックスしたいって思うし、身体の関係抜きでの付き合いなんて考えられないんだよ」
「あー…断られちゃったんだ、まほりんに――って、お前ら一緒に住んでるのに清い仲ッ!? うっわー、なおさん、どうしちゃったの?」
 篤也が大袈裟に驚いてみせる。

(こいつ、絶対に面白がってやがる)

「お前が呼ぶな、気色悪い。そりゃあ、いきなり迫った俺が悪いけど――あそこまであからさまに拒絶されたら、もうどうしたら良いか…っ」
「初めてで怖かったんじゃねぇの? 良かったじゃん! 今度はがっつかず上手くリードしてやれ」
 バシバシと俺の背中を叩きながら、豪快に笑う篤也。
「それで済むなら、いくらでもしてやるよ」
 能天気な友人に呆れつつ、煙草に手を伸ばした。

(“あれ”は、俺と別れるつもり…って事だよ、な)

 数日前。偶然見てしまった、彼女の鞄の中身。
 …にも関わらず、それまでと変わらぬ彼女の態度。

(俺は、その程度の存在って事かよ…ッ)
 
 苛立ちと共に、肺に吸い込んだ煙を一気に吐き出した。



 カーテンを開け、薄暗い寝室に陽の光を取り入れる。
 眩しい午後の日差しに、真保理が目を覚ました。

「おはよう…篤也さんは?」
「帰った。もう昼だしな」
「もうそんな時間――また今度、ちゃんとお礼言わないと」
「そうだな、俺からも伝えておくよ」
 俺の言葉に安堵したのか、真保理がほっとした表情を見せた。
「なぁ、真保理」
 意を決して、彼女と向き合う。

「ここを出て行く気、なのか?」

 穏やかに流れていた空気が、瞬時にピンと張り詰める。

「お前…俺に黙って、他に住むトコ探してるだろ?」
「どうして、知って―――」
 俺が気付いてないとばかり思っていたのだろう。
 表情に、明らかな動揺の色が現れていた。
「お前が友人の出産祝いから帰った日、鞄の中身が見えた」
 住宅情報誌、物件案内書――ご丁寧に折り目まで付いていた。
「何で?」
「それは―――」
「俺と一緒に暮らすのが、そんなに苦痛?」
 畳み掛ける様にして質問をぶつける。
「そんな事ない、けど」
 彼女が視線を逸らす。

「真保理」

 ベッドに腰を下ろすと、二人分の重みでギィ…と軋む音がした。

「………っ」

 俺の只ならぬ様子に、彼女が後ずさる。

 そのままジリジリとベッドの端まで追い詰め、彼女の両肩を掴んで捕らえると、真正面から見据えた。

 二日酔いもあるだろうが、顔色が悪いのはその所為だけじゃない。

 視線を絡ませ、頬に触れる。首筋から肩のラインを撫でる様に手を這わせると同時に衣服に指を掛けて引き下ろし、肌を露にした。
「なおさ…っ」
 彼女が、慌てて俺の手を制す。 

 同棲を言い出したのは“労わり”からだった。
 直向きな彼女が、これ以上…傷付かなくて済むように。 


 けれど、今は――壊れるくらい、思いきり抱きたい。


 吸い寄せられる様に、クッキリと浮き上がった鎖骨に口付ける。

「…ぁ……っ」  
 喉がヒクリ、と動いて。唇から微かに声が漏れる。
 その声に導かれる様にして背中に手を回し、もう一方の手を胸元に這わせる。
 滑らかでしっとりとした彼女の肌に、俺の手の平は何の違和感も無く馴染んだ。
「やめ、て」
 消え入りそうな声で、彼女が俺の肩に手を掛け、引き剥がそうと試みる。
 上手く力が入らないのもあるのだろう。その抵抗はあまりにも弱々しくて、少し力で押さえつければ、難なく組み敷いてしまえるほどだった。

 彼女に拒まれて以来、ほんの僅かなスキンシップさえ躊躇って。
 何気ない日常を装いながらも、ずっと触れる事を避けていた。

「こういう事―――」
 彼女の肌の感触に、このまま酔い痴れていたい。 
「されるのが嫌だから――だよ、な?」
 面を上げて、表情を伺う。案の定、涙を流していた。
「なん、で…っ」
 震える唇で、やっとの思いで言葉を発してる。
「俺の事“男として”見られないから」
「なおさ―――」
「だから、こんな風に泣くんだよな」
 目元に触れ、指先で涙を拭う。

「なおさん…っ」
 彼女が、声を張り上げる。

「お願いだから、ちゃんと聞いて」
 掠れた声で――けれど、懸命に訴える。
「これ以上、何を聞けっていうんだよッ!?」
 彼女が何か言おうと模索するほどに、俺は劣情に苛まれる。
「私、なおさんが好き。男の人だって…そんなの、ずっと前から意識してる」
「真保理…」
「なおさんになら構わない――そう思って、同棲するのも決めたから」
 こういう事を口にするのは、かなり勇気がいるのだろう。
 俯きながらシーツを握り締め、羞恥に頬を染めている。
「じゃあ、どうして―――」
「怖く、なったの。なおさんに触れられると、自分が自分で失くなってしまいそうで…今まで築き上げて来たモノ全て、失ってしまう気がして」
「何だよ、それ。訳分かんないんだけど」
 セックスは、或る意味“理性を捨てる”行為だと、俺は思っている。
 未経験なら尚更、彼女が怖がるのも無理はないが――恐らく、それだけを指している訳ではないのだろう。
「私、これといった取り柄もないし、なおさんがどうして一緒にいてくれるのかも分からない。それでも、自分なりに今まで頑張って来たつもり。でも、なおさんといると全て投げ出してしまいたくなって――優しくされると嬉しいのに、それが辛くて、どうしたら良いか分からなくなる…っ」

 俺に、身を委ねるのが怖い…という事だろうか。
 
「だから、俺と暮らすのをやめて出て行くのか」
「身勝手でゴメンなさい」
「あぁ、勝手だよ。俺に何の相談もなく―――」
「ちゃんと住む場所が決まってから、話そうと思って」

 感受性豊かで傷付き易いのに、芯が強くて。見た目より、ずっと気丈で。
 自らの弱さを知りながらも、いつまでもそれに酔い痴れたりしない。
 もがきながらも、どうにかして自分の力で切り抜けようとする。

 そんな姿が、痛ましくも綺麗で…堪らなく愛しくて。

 思い通りにしようという気はなく、そんな彼女に寄り添いたくなった。
 新しい仕事が見付かるまで一時的に同棲するという形でも、そのままずっと住む事になっても構わない――本当に成り行き任せだった。
 何れにせよ、精神的にも不安定な彼女に“女”を求めても、必要以上に追い詰めて混乱させてしまうのは明らかだったから。 
 
 一つ一つは、ささやか過ぎるくらいだけれど。

 お互い苦手な朝、ギリギリまで起きないせいで洗面所を取り合ったり。
 仕事で疲れた夜、お酒を飲みながら下らない冗談に笑い転げたり。
 天気の良い休日、買出しに行ったついでに公園を散歩したり。

 一緒に暮らして行く内に――気付いたら、彼女のいない生活が考えられなくなっていた。

 彼女が他に住む場所を探しているのを知って以来、不安だった。
 帰宅する度に彼女の姿を確認しては、ほっと胸を撫で下ろす日が続いて。
 早く手を打たなければと焦る一方、その話題に触れた途端、全てを失う気がして、ずっと避けていた。

 身体は言うまでもなく、心に触れる事すら出来なくなっていた。
 
「俺といて、そんなにダメな女になったか? 車酔いだって、料理だって、以前よりずっと良くなったし――そりゃあ、俺の都合でお前に負担かけたかもしれないけど、いずれは克服したいって言っていたのは全くの嘘か?」
 彼女を納得させられる言葉を、必死に探す。
「そんな事は―――」
「一人で出来なかった事を、二人になってからやろうと思うようになったのなら、それって進歩じゃないのか?」
 理詰めでも何でも良い。彼女を、引き留められるなら。
「でも、私…なおさんに迷惑ばかりかけてるし、昨夜だって―――」
「お前は一人で抱え込み過ぎだ。少しくらい頼ったところで何て事ない」
「なおさんは、優しいからそんな風に―――」
「いい加減にしろ」
「………っ」

 あまりにも頑なな彼女に、苛立ちが限界を越える。

「誰が好きでもない女に手なんか貸すかよ、一緒に住もうなんて言うかよ――抱きたいなんて思うかよッ!!」

 ありったけの感情を、ぶちまける。

「理由なんて、知るか。好きでそうしたまでだ。所詮、下心のカタマリだよ!! 勝手に優しいなんて決め付けんな、買い被るなよ…っ」
 薄汚い本性を晒す。余裕なんて、カケラもなかった。
「お前、一生男と寝ないつもりか!? それとも――この先に出会う、俺以外の男となら時間をかけて向き合うのか」
 我ながら最低だと思う、こんな言い方しかできない。
「俺は嫌だ。お前が、他の男に抱かれるなんて考えたくもない」
 好きだから、労わりたい。愛しいから、抱きたい。
 俺の感覚は至ってシンプルで、そこに嘘はない。
「私だって、なおさんが―――」

「…だったら、俺と向き合ってくれ」

 どうしようもないくらい、切実に彼女を乞う。
 
「そう気は長くないけど、無理強いはしない…約束する」
 彼女の手に自身の手を重ね、包み込む様にして握り締める。
「でも、私――いつ受け容れられるか…っ」
「少しずつで良い」
「なおさ―――」

 未だ躊躇う彼女の唇に、自身のそれを重ねる。
 
「ん…っ」
 彼女のくぐもった声が、クラクラするほど頭に響く。
 目を閉じて、唇の感触に意識を集中させた。

(キスなんて、大した事ないと思ってたんだけど…な)

 腕の中に押し込める様にして掻き抱くと、彼女が俺のシャツをギュッと握り締め、しがみ付いて来る。そんな些細な仕草にさえ、背筋を這い上がる様な昂揚感が駆け巡り、気持ちが昂ぶってしょうがない。

(もっと、俺を求めて)

 この際、触れられるなら何処だって良い。
 髪の毛でも、指先でも…彼女を感じられるから。

 休日、昼下がりのベッドの上。

 触れるだけのキスしか、出来なくて。


 物凄くもどかしいけれど――それでも、俺は幸せだった。

後書き

どこか削る箇所はないかと推敲しましたが、結局…この長さに。
読後に何かしら心に引っ掛かるモノがあれば幸いです。
お付き合い頂き、ありがとうございました。

この小説について

タイトル Drunk
初版 2011年5月30日
改訂 2011年6月5日
小説ID 4279
閲覧数 1286
合計★ 9
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コメント (4)

★井坂空 2011年5月30日 21時58分40秒
シリーズ、読ませていただいています。

泣きそうになりました。
純粋に、あぁこうやって人はすれ違うものなんだとか。
私もこうやって人を頑なに拒んでいるところもあるなとか。
正直、自分の中を主観視した感じです。

か弱そうでも気丈に振舞う姿はなんだかシンパシーを感じるし、
なんというか、不器用でも生きていく姿とか、
客観的に見れば考えすぎだというところも主観的には普通だったり。

私はこの作品を読んでいて、感情があちらこちらに揺さぶられる感じが好きです。

描写も、どちらかといえば心情のほうが多いですよね。
そういう意味では登場人物の心中も良く伝わるのですが、
もうちょっと風景描写があるとリアリティがもう少し出そうだと思いました。(あくまで素人意見ですので!)

本当にいい作品だと思います。
次の作品も楽しみにしています。
★那由他 2011年5月31日 0時15分21秒
こんばんは。那由他と申します。

御作を拝読いたしました。上から目線のコメントになってしまいますが、読んでいて感じたことを書いておきます。なお、コメントはすべて私見であることをお断りしておきます。

一箇所だけ、気になった箇所を挙げておきます。

>「重傷だな」
この場合は「重症」だと思います。


前作は真保理の友人、今回はなおさんの友人ですね。真保理の友人ほど深くつっこんだ会話ではありませんが、お酒を飲みながら心安立てに交わす会話という雰囲気が出ていましたし、「俺」を使う男がふたりもいると、ともすればどっちがしゃべっているのか、区別がつかなくなってしまうこともありますが、うまく使い分けができていて混乱することもなく、このあたりは感心いたしました。

さて、内容の方は前作からの伏線の回収も含め、なおさんと真保理との関係がひとつのクライマックスを迎える、という、このシリーズ全体の「転」に当たるような、まだ完結はしていませんがここから掉尾の勇を奮う展開になっていくのかな、という予感をはらんだ作品でした。「転」といってもまだまだ何度でも「転」がありそうな気もしますが。

ひと言で申しますと良作だと思います。
例えが悪くて恐縮なのですが、足元だけを見て歩いてきたふたりが交差点でぶつかって初めて相手の姿が視野に映ったような、そんな感じがありました。交差点で別れて別々の道を進むのか、それともふたりでいっしょの道を歩いていくのか、そのターニングポイントとなった作品なのではないかな、と思います。

読者の琴線に触れるような「感じる」ための小説だと思いますので、なかなかにコメントが難しいのですが、なおさんがリミッター解除みたいな状態で心情を吐露する場面は吸引力があって惹きこまれました。それに対して真保理は圧倒されっぱなし、という感がなくもありませんでしたが、ムキになって反論することもなく、なおさんの激白に一定の浸透度を示すあたりなど、ここまで読んできた一読者としては「彼女らしい」といいましょうか、なんだかホッとするような気持ちにもなります。ただ、真保理は自身の皎潔にそれほどこだわっているわけではなさそうですが、それにしても、あそこまでツケツケと言われてムッとしないのでしょうか?

>「お前、一生男と寝ないつもりか!? それとも――この先に出会う、俺以外の男となら時間をかけて向き合うのか」

これ、怒らないのかな、と思ってしまったなおさんのセリフです。個人的な受け止め方の差があるとは思いますが。

毎回、注文をつけるようで心苦しいのですが、キャラの心理描写に筆が費やされている分、どうも情景描写が希薄化している印象があります。サラリと書き流している、というのは作者様のスタイルだと思いますが、やはり最低限の周囲の状況を説明する一文は必要だと思います。特に、篤也がなおさんの職場にかけてきた電話は居酒屋からかけている、と最初は思ったのですが、読んでいるとどうも屋外から電話しているようです。「地面に尻餅を付きながら……」という箇所で屋外だとわかるのですが、その前に簡単な説明があればよかったかな、と思います。

ところで、もうご存知だとは思いますが、連作の場合は「シリーズ名」をつけることで閲覧画面の一番下の「関連小説」の欄にこれまでの過去作が表示されるのでその機能をご利用になってみてはいかがでしょうか?

コメントは以上です。あまり参考にならないかもしれませんが、少しでもお役に立てるようでしたら幸いです。最初にもお断りしましたが、あくまでも私見ですので的外れなことを書いているかもしれません。

次回の作品も期待しております。これからもがんばってください。
それでは失礼いたします。
有梨亜 コメントのみ 2011年6月5日 15時54分30秒
初めまして、井坂空さん。有梨亜と申します。
早々とコメントを頂いたのに、返信が遅れてしまい申し訳ありません。

> 私はこの作品を読んでいて、感情があちらこちらに揺さぶられる感じが好きです。
「このコメントが欲しかった!!」というくらい嬉しいです。
ヒロインに共感して頂けた事にも驚いたというか、ほっとしたというか。
一次創作は、どうしても主観が入ってしまいがちで。独り善がりになっていないだろうかと、ずっと気掛かりでしたので。
井坂さんの仰る通り、あからさまに表に現れないだけで、誰しも胸の内では思い悩んでるモノなのかもしれませんね。

> もうちょっと風景描写があるとリアリティがもう少し出そうだと思いました。(あくまで素人意見ですので!)
素人意見ではありません! 実際、私は風景描写が苦手です。
綺麗な風景を主張したい時は、そういう描写も苦にならないのですが。
毎回、登場人物の心情と向き合って話を書いていると、それだけで力尽きてしまい、苦手分野を改善する余力が残らないんです(泣)
気を付けてはいるのですが、なかなか難しくて…なるべく頑張ります。

荒削りな部分があるにも関わらず、満点を頂いて良いのでしょうか?
書き手冥利に尽きるコメントをありがとうございました!
有梨亜 コメントのみ 2011年6月5日 16時40分52秒
那由他さん、こんばんは。有梨亜です。
返信が大幅に遅れてしまい申し訳ありません。

>「重傷だな」
> この場合は「重症」だと思います。
こんな所にッ!? そっかー、恋は「病」なんですね(しみじみ)
今回も誤字の指摘、ありがとうございます。

> 前作は真保理の友人、今回はなおさんの友人〜
キチンと書き分けが出来ていたみたいで良かったです。
登場人物は、脇役であろうと魅力的であって欲しいので、丁寧に描くよう心掛けてます。

> ひと言で申しますと良作だと思います。
那由他さんにそう仰って頂けるとは思ってもいなかったので、嬉しいです。
SF嗜好で恋愛モノが苦手とお聞きしたので「私の書く話は、苦手分野ではないのだろうか…」と、毎回コメントを頂けるのを嬉しく思う一方、申し訳ない気もしてましたから。

> 読者の琴線に触れるような「感じる」ための小説だと思いますので、なかなかにコメントが難しいのですが、なおさんがリミッター解除みたいな状態で心情を吐露する場面は吸引力があって惹きこまれました。

常に冷静な視点で読まれる方からこういうコメントを頂くと、感動もひとしおですね。
私の作品に上手さを求めても仕方ないと思います。文章の上手な方はいくらでもいますし、プロを目指している訳ではなく、あくまで趣味の範囲で書いてますので。読んで下さる方の心に何かしら引っ掛かれば良いな…と。

> 真保理は自身の皎潔にそれほどこだわっているわけではなさそうですが、それにしても、あそこまでツケツケと言われてムッとしないのでしょうか?

真保理がなおさんに対してムキにならないのは、彼が彼女にない部分を兼ね備えたうえで至らない部分を許容している為、自分の事を棚に上げて、とやかく言えないからです。実際は、彼女もなおさんにない部分で補っているのですが、過小評価しがちなので気付きません。
では、必ずしもなおさんが優位に立っているのかというと――篤也との遣り取りやラストのフレーズにもあるように、彼の中ではギリギリまで譲歩してます(←あれでも/笑)

ご指摘の台詞に関してですが――同棲まで承諾しておいて「純潔」を盾に拒み続けるのは、さすがに相手も気の毒です(避妊は必須ですが)
前作でも美緒が触れてますが「同棲してたら文句も言えない」という世間体があるだけに。逸脱した性行為を強要されている訳でもないのなら尚更。
寧ろ「生理的に受付けない」という方が、相手を傷付けるのではないでしょうか? それなら、初めから同棲すべきではありません。
又、あんまりな言いようとはいえ自虐的な台詞でもあるので、実際には言われるよりも言う方がツライかと。「俺じゃダメなのか」って事ですし。

> キャラの心理描写に筆が費やされている分、どうも情景描写が希薄化している印象があります。サラリと書き流している、というのは作者様のスタイルだと思いますが
井坂さんのコメントでも申し上げてますが、情景描写が希薄なのはわざとじゃなく、私の実力不足です(泣)
それに関しては、今後の課題という事でお願いします。
唯、その先のコメントに関しては「狙い通り」かな…と。

> 特に、篤也がなおさんの職場にかけてきた電話は〜
コレ、読んでる人にもなるべく状況が分かり難いようにしておきたかったんです。なおさんと一緒に「あれ?」という感じになるよう。
トコトン描写を省いたにも関わらず、あの一文で「屋外」と把握して頂けたんですよね? それなら良かった――って、省き過ぎですか(苦笑)

> 連作の場合は「シリーズ名」をつけることで〜
恐らく、そうじゃないかなー…とは思っていたのですが、念頭にあるのが作品の内容に縛りを設ける名称なので敢えて付けて無かったんです。
でも、今作で一段落付いた感があるのと、せっかくなので誤字を修正する際に「仮」で付けておきますね。

那由他さんは、今作が「転」に当たる印象を受けたとの事ですが、もともと続き物として書くつもりがなかったので、「起承転結」も「完結」も考えていません。二人を軸に、何となく思い付いた話をポツポツ投稿するつもりで、今後もそんな感じでいます。それでも宜しければ、又お付き合い下さると嬉しいです。
毎回、丁寧に読んで頂いたうえでの感想をありがとうございます。
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