バラの残り香

 前の彼女が俺のアパートの部屋から出て行って、もう1年が経とうとしている。
 部屋は前の彼女の物で溢れ返っていた。洋服に化粧品、CDから食器などの小物に至るまで、ほとんどの生活必需品を自分のうちから持ってきて、生活の拠点を完全に俺の部屋へと移していた。
 その彼女が持ってきたものの一つに、シャンプーとリンスがある。どうやら、近所のホームセンターの特売で買ってきたそれらが気に食わなかったらしく、自分のうちからいかにも高級そうなのを持ってきた。
 彼女の実家がいわゆる富裕層で、父親は弁護士をしているとか。
 それに日本語は書かれておらず、一応頭がそれほどよくない俺でも「メイドイン・ブルガリア」の文字を読み取ることができた。
 ブルガリアといえばヨーグルトではない。ヨーロッパの最貧国の1つで、国の主幹農業としてバラの栽培がある。
 一応有名私立大の地理学科を卒業しているからそういった知識は豊富ではある.しかしそれらの知識を生かして旅行会社に就職希望をしていたが、すべて不採用。全く関係ない土木工事の仕事をしている。
 この不景気でこんな仕事では、収入は安定せず、どれだけ儲かっても1人で暮らすのに精いっぱいだった。
 そんな俺に、金持ちの娘の彼女がついてきてくれるはずもなく、見切りをつけて出て行ってしまったのだ。
 世の中に必要なのは学歴や人情ではない、金と地位なのだ。そんな汚いものに負けて俺は幸せを失ってしまった。

 そんな哀れな俺にも、神様がほほ笑んでくださった。今の俺には大事な人がいる。
 同い年で、学歴も収入も同じくらい。親は商店街で花屋を営んでいるそうだ。
 俺にはもったいないくらいの、ちょうどいいパートナーである。
 彼女のおかげで、俺はあの忌々しい恋愛をすっかり忘れることができたが、憎しみという形のないものは、今も俺の心のどこかに突き刺さったままだった。
「お風呂あがったよー」
 テレビを見ながら物思いにふけっている俺だったが、彼女の明るい声で現実に戻された。
 今日初めて俺の部屋に泊まりに来た彼女。特に緊張した素振りはなかった。
「あぁ、うん。………あれ、その匂い」
 それは懐かしく、どこかさみしい匂いだった。
 そう、バラのにおい。
「孝介くんちのお風呂にあんなおしゃれなシャンプーがあるなんて驚いたよ。あれ、どうしたの?」
「え? あぁ、うん、お客さん用だよ。昔友達が置いて行ったんだ」
「へぇ」
 彼女はそれだけ言うと、髪をバスタオルで拭きながら俺の隣へ座ってテレビへと視線を移した。
 彼女の座っている位置が心なしかいつもより遠い気がするが、気のせいだと自分の心へ言い聞かせる。

 心がずきんと痛んだ。

 別に隠すようなことでもないかもしれない。彼女なら俺のどんな過去も受け入れてくれると信じているから。でも、こんなことをしている自分が卑怯な気がした。
 そんな自分を彼女に見られたくなくて、俺は彼女に近づいて優しく抱きしめた。――前の彼女にしたように。
「ちょっと、どうしたの? まだ髪乾いてないから濡れちゃうよ?」
「好きだ」
 彼女の言葉を遮るように僕は言った。すると一切の返事も返ってこなかった。
 しばらくその状態でいると、彼女は両手を俺の両肩に押し当てて引き離した。
「ほんと、孝介くんって嘘が下手だよね」
 そう言うと、彼女は太陽のような笑顔を俺に見せた。
「あのシャンプーだって、きっと前の彼女さんのでしょ? 家に泊まらせるほど親しい友達の話なんて聞いたこともないし、男が使うようなシャンプーじゃないもの」
 髪を櫛で溶かしながら、これと言って怒るような素振りも見せずに、淡々と話す彼女を見て俺はとても情けなくなった。
「………ごめん」
「謝るようなことじゃないよぉ」
 彼女は笑って流してくれた。でも、多少の心の傷は負わせてしまったかもしれない。
「好きだ」
 もう一度俺は彼女をこの腕いっぱいに抱きしめた。
 まだ乾ききっていない彼女の髪から、バラの匂いがふわっと漂う。
「私も」
 今度は彼女の腕が俺の肩を突っぱねることはなく、俺の何倍も腕に力を込めて抱きしめてくれた。
「孝介くんには私しかいないんだから、私はどこにも行かないよ? いまさら離れようとも思わないしね」
 彼女の顔は見えなかったが、どんな表情をしているかは容易に想像することができる。そう、彼女のすべてが今なら手に取るようにわかるのだ。
 優しさも、苦しさも、つらさも、痛みも、悲しみも――幸せも。
「好きだよ、大好きだ。ずっと」
「うん、うん」
 抱きしめるたびに、あのバラの匂いが俺の鼻腔をくすぐる。
 それを払拭しようと、必死に彼女だけを求めた

 朝になって目が覚めると、嗅覚が慣れてしまったのか、はたまた、ただ単に髪の匂いが薄れてしまったのか、バラの匂いはもうなくなってしまっていた。
「おはよう、孝介くん」
 隣で寝ていた彼女からの新鮮な挨拶。初めて2人で一緒に迎えた朝。

 バラの匂いは誰の匂いでもなく、間違いなく彼女の匂いだ。
 そう、残り香は昨日に置いてきたのだから。


後書き

いつぶりの投稿でしょうか。
長い間執筆から離れていましたので、今作はどうでしょうか・・・。


急に「うっとうしいほど甘いのが書きたい」と思いまして、3時間ほどで書き上げました。勢いしかありませんww

あと、新しく買ったPCのキーボードが非常に打ちづらくて、誤字脱字が山ほどあるかもしれません;;
1度読み返してはいるのですが、ご指摘いただけるとありがたいです


コメントお待ちしています

この小説について

タイトル バラの残り香
初版 2011年7月27日
改訂 2011年7月27日
小説ID 4302
閲覧数 1126
合計★ 13
せんべいの写真
作家名 ★せんべい
作家ID 397
投稿数 66
★の数 625
活動度 12726
卓球とみたらし団子とピアノが大好きな変態です

コメント (3)

匿名 2012年5月28日 15時27分50秒
安中 2013年6月26日 17時03分06秒
後書きにもあるように、確かに鬱陶しいほど甘いですね!←

けど結構好きです!
残り香 2014年1月31日 20時23分51秒
いいじゃないですかー女子なので、甘さがたまらない
名前 全角10文字以内
コメント 全角3000文字以内 書式タグは利用できません
[必須]

※このボタンを押すと確認画面へ進みます。