Dから始まる物語 - Destination

有梨亜
 目が覚めたら、なおさんのベッドの上だった。

 思いがけない事態に慌てて跳び起きて隣を見遣るが、既になおさんの姿はない。 

 激しく脈打つ心臓を鎮めようと胸を押さえ、着衣の乱れを確認する。
 パジャマのボタンはとまってる、襟元も肌蹴てない、ズボンも穿いてる、シーツも乱れてない―― 一通り確認して、ようやくほっと胸を撫で下ろした。

(当然…か。なおさんが、そんな事する筈ないもの)
 
 私となおさんは、同棲こそしているが、身体の関係には至ってない。
 
 原因は、私がセックスを怖がって受け容れられない事にある。必然的に寝室は別で、普段はリビングに布団を敷いて寝ている。先日は、迂闊にも酔い潰れてしまった為に彼のベッドを借りる事となったが、そんな事でもない限り此処で眠る事はない。

(オカシイな、ちゃんとリビングで寝てた筈なんだけど―――…)

 いつまでも此処にいても仕方ない。私の持ち物は全て、共用スペースであるリビングにある。いわば、此処はなおさんの領域だ。
 おもむろにベッドから抜け出し、洗面所で顔を洗うと、リビングに向けて足を進めた。 

「おはよー…なおさん、いるの?」
 リビングに続く扉を押し開きながら、中の様子を伺うようにして声を掛ける。
「「あ―――…」」
 聞き慣れた声と重なって返って来た、もう一つの声。

 見知らぬ中年女性が、なおさんと共にいた。 



 話は、そこから数分前に遡る。

 その日は、土曜にも関わらず仕事だった。

 昨日、客先に新しく導入したシステムの動作確認をする為である。職業柄、こういった事は然して珍しくもない。いつもより遅めの出勤で構わないとはいえ午後に差し掛かる前には家を出なければならず、リビングで眠る真保理を横目に、俺は朝食を取っていた。

 ピーン、ポーーンーーー…

 突然、間延びしたチャイムの音が鳴り響く。

「はい、どちら様ですか?」
 食事の手を止め、受話器を手に取る。

 こんな朝っぱらから来客の予定なんてない。大方、宅配便やセールスの類だろうと踏んでいたのだが―――…

「直人、いるのねッ!?」
 受話口から甲高い声が飛び出す。
 
 相手の姿を確認せずに応対してしまった事を、俺は酷く後悔した。
 こんな不躾な返事をする相手なんて――思い当たるのは母親ぐらいである。

「…いません」
「いなけりゃ返事する訳ないでしょ、さっさと開けなさい」
 俺の母親は、とにかくやかましい。
 部屋にも上げず、そのまま追い返そうモノなら――家の前で騒がれる事は目に見えている。近所迷惑もあるが、自身の面目の為にも、それだけは避けたい。

(厄介な事になったな…)

 母は、俺が真保理と同棲している事を知らない。

 別に後ろめたい事をしている訳ではないのだから堂々としていれば良いのだが、根掘り葉掘り問い詰められて、逐一説明するのは面倒だった。
 そんな事は露知らず、昨夜は本に夢中になって遅くまで起きていた真保理は、気持ち良さそうにスヤスヤと寝息を立てている。

「あー…もう、分かったよ。俺、今“まっぱ”だから。数分待ってくれ」
「相手は母親なんだから、気にする事な―――」

 …ガチャン!

 いい加減極まりない言い訳の後、乱暴に受話器を置く。
 先手必勝。こういうのは、言った者勝ちだ。

(さて、どうしたモノか―――…)

 真保理を起こして、いちいち説明している暇はない。 
 
 俺は――母を帰すまで、彼女が眠っていてくれる事に賭けた。

 眠ったままの真保理を抱え、寝室のベッドに移動させ。
 布団とその場に広げてあった彼女の持ち物を押入れに突っ込む。
 その後、玄関へ向かい、ドアノブに手を掛ける――直前、足元にあった彼女の靴に気付き、慌てて靴箱へ放り投げた。

 一呼吸置いて、慎重にドアを開ける。
 
「…何だ、ちゃんと服着てるじゃない」 
 俺の姿を見るなり、言い放つ母。
「だから、待って貰ってる間に着たんだよ」
「アンタの事だから、どうせAVの類でも隠してたんでしょ」  
「そうそう、俺も寂しい独身生活だから。彼女達は心のオアシスだ」
 さっさと引き上げて貰うに限るので、マトモに取り合わない。
 リビングに通し、とりあえず茶ぐらいは出してやる。
「何の連絡もなく――こんな朝っぱらから、何の用だよ? 俺、今日は昼から仕事なんだけど」
「仕事、仕事…って、我が息子ながら寂しいったら――まぁ、良いわ。そんなアンタに今日は朗報があるのよ」
 出された茶を一口すすると、母はいそいそと鞄から何やらA4サイズほどのアルバムらしき物を取り出し、俺の前に広げて見せた。
 
 見開きにある着物姿の女性の写真が意味するところ――俗に言う“お見合い写真”だろうか。

「美人でしょう? 地銀にお勤めだそうよ。趣味はテニスと映画鑑賞、特技は料理――才色兼備で申し分なし。これは行くっきゃないでしょ!?」
 一気に捲くし立てると、バン!と小気味良くテーブルを叩く。
「ちょっと待て、どういう事だよ」
「どう…って、お見合いよ」
「俺に何の相談もなく――どーせ、近所の“世話焼きオバサン”にでも言い包められて、ほいほい話に乗ったんだろ」
「失礼ね! いつまでも独り身のアンタを心配して、駆け合ってあげた優しい親心が分からないの?」
「あー、分からないね。こちとら“独身貴族”を満喫中なんで。余計なお世話だ」
「あら? さっき“寂しい独身生活”といったのは、どこの誰だったかしら」
「うるさい、揚げ足を取るな。あんなの、テキトーに言ったに決まってるだろ」
 埒の明かない言い争いを続けていたところに、

 ―――カチャ。

 おもむろに扉を開く音と、

「なおさん、いるの?」

 パジャマ姿の真保理が現れた。 



 そして、現在に至る。

 母に向かって一礼した真保理は、急いで服を着替え、最低限の身だしなみを整えて、俺の隣に座した。 

「初めまして、瀬名 真保理と申します」
 緊張した面持ちながらも、歯切れ良く挨拶する真保理。
「こちらこそ、初めまして。加賀 直人の母です」
 対して、全く物怖じせず、余裕たっぷりの母。
 
 とかく隠し事とは出来ないモノだと、俺はつくづく痛感した。
 当然ながら、こんな形で同棲している事が明るみになったのだ。母にとっては言うまでもなく、真保理にとっても、好い気はしないだろう。
 真保理は事態がよく呑み込めないといった様子で俺を見詰めてるし、母は母で、遠慮もなく初対面の同棲相手をまじまじと観察している。俺は俺で、何から話せば良いのやら考えあぐねていた。
 自己紹介こそ済んだものの、その後の会話の糸口が掴めず、暫しの沈黙が流れる。

 先に沈黙を破ったのは――やはり、母だった。
 
「こっんの、バカ息子!! 金にモノ言わせて“いたいけな女子大生”を連れ込んでるんじゃないッ」
 テーブルへ身を乗り出し、今にも掴み掛からんばかりの勢いで罵る。
「勝手に誤解すんな、バカ親!! それに、真保理は“女子大生”じゃなくて、れっきとした“社会人”だ」
 それに対し、俺も負けじと怒鳴り返す。
 そもそも、俺は金をチラつかせて女を引っ掛けるほど高給取りでもなければ、真保理だって金目当てに男にたかる女でもない。失礼にもほどがある。
「えぇっ!? お若いからてっきり――もしかして、新社会人?」
「いえ…その、社会人になって五年が経ちます」
 母の非礼など気にも留めていないのか、童顔で華奢な外見からそんな誤解には慣れているのか――意外にも、真保理は落ち着いて受け応えをしていた。さすがに、母の勢いに気圧されてはいるようだが。
「それは失礼。直人、アンタ“良い女性(ひと)”がいるならちゃんと親に紹介しなさい。三十も過ぎた男が、いつまでも身を固めないでフラフラしてるなんて、母さん恥ずかしいったら―――」
「フラフラなんかしてねーよ、ちゃんと定職にも就いてるし。篤也だって、まだ結婚してないだろ」
「だまらっしゃい!! あっちゃんはあっちゃん、アンタはアンタでしょ。真保理さん――で良かったかしら? あなたも同棲してるくらいなら結婚も考えてるわよねぇ?」
 俺だけならまだしも、真保理にまで容赦なく矛先を向けて来る。
 何の前触れも無く突然やって来て、“お見合い”だの“結婚”だの、重要事項を立て続けに突き付けられる方の身にもなって欲しい。
「ばっ…何言ってやがる!? あー…クソッ!! 俺、もう仕事行くから。母さん、さっさと帰れよ。真保理、構わなくていいから」
 俺の言う事に素直に従うとは到底思えないが――事実、時間も差し迫って来たので出掛けない訳にも行かない。こんな母親と二人きりで真保理を残すのは、後ろ髪を引かれる思いなのだが。
「都合悪いからって、逃げるんじゃないでしょーね?」
「俺は母さんみたく気ままな専業主婦と違って、ハードワーカーなの。それに、誰が彼女と母親残して逃げるかよ」
 嘘ではない。同棲を伏せたまま遣り過ごそうとした事は反省するが、それは真保理が身の振り方を考えている最中であったり、今後も俺との関係を持続するつもりでいるのか明確な意思を確認出来ずにいたからだ。
「さぁ〜、どうだか? ま、良いわ。あとは、真保理さんからゆっくり聞かせて貰うから」
「真保理に構うな。とっとと帰れ、ヒマ人」
「はぁ…いってらっしゃい」
 俺と母の遣り取りに圧倒された面持ちで、真保理は見送っていた。



 なおさんが出掛けた後、必然的に彼の母親と二人きりで過ごす事になる。

「良かったら、お茶のおかわりでも―――」
 カップの中身が空になっている事に気付き、声を掛ける。
「あら、ありがとう。一気に喋ったから喉が渇いたわ。冷たいの、貰える?」
 彼女の言葉に頷き、腰を上げる。
「…どうぞ」
 あれだけ話せば喉が渇くのも無理ないだろうと、冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出し、勧めた。 
「あの、なおさ――じゃなくて、直人さんの事なんですけど」
「あー…お見合いね。あなたが居る事を知らなかったから――御免なさい、先方には私から断りを入れておくわ」
 
“お見合い”とは、初耳だ。
 
 恐らく、なおさんと話している最中に私がやって来た為、彼女の中では私にも伝わっている事になっているのだろう。いちいち言及しなくとも、その程度の事は把握出来たので、そのまま話を合わせる事にする。

「いえ、気にしてません。直人さん、結婚されててもオカシクないとは思いますから」
 なおさんは、三十を過ぎている。今は独身でもそう珍しくないが、そろそろ結婚を突付かれる年だ。尤も、それは私にも言える事だが。
 定職に就き、見た目も中身も一般水準をクリア、加えて温厚な人柄――と来れば、結婚を望む女性なら放っておかないだろう。
 そんな彼が、これといって取り柄のない私と同棲にまで至ったのは、たまたまタイミングが重なったからとしか思えない。
「そういえば、真保理さんのご両親は同棲してる事、ご存知なのかしら?」
「まだ話してません。その、成り行きというか――事情があって住まわせて貰う形でしたので」
 元々は、新しい仕事が見付かるまで一時的に間借りするだけのつもりだった。今は事情が変わりつつあるが、まだ明確に意志を固めたとも言えなかった。
「話がよく見えないけれど――うちは“息子”だからとやかく言うつもりはないのよ。唯、真保理さんは“女”でしょう? 親御さんは心配すると思うの。“大事なお嬢さん”をお預かりしてるんですもの、あのバカにはちゃんと挨拶に行かせるわ」
「いえ、お構いなく。うちもとやかく言う家庭ではありませんし。それに、 私の方が直人さんの所に転がり込んだんです。だから、直人さんは何も悪くありません」
「だと良いけれど――同棲してどのくらいになるのかしら?」
「三ヶ月を過ぎたくらいです」
「じゃあ、結婚はまだ検討中ってところかしら? 何だかプレッシャーをかけてしまったみたいで悪かったわね」
「いえ…」
 ストレートな物言いは、何処かしらなおさんと重なって、微笑ましい。
 強引な部分こそあれ、息子の彼女の親にまで気を配るくらいなのだから、なおさん同様、根は優しい人なのかもしれない――と油断していたら、

「ところで、避妊はしてる?」
 間髪入れず、デリケートな問題に斬り込んで来た。

「えっ…あ、あの…まだ、それは―――」
 あからさま過ぎる質問に、ドギマギしてしまう。
 次から次へとやって来る予想外の言動は、さすがに心臓に悪い。
「女をたぶらかす様な男に育てたつもりはないけれど、息子の行動を全てを把握してる訳じゃないから。今は“できちゃった婚”なんて珍しくもないけれど、結婚するつもりもないのに妊娠したら、後には引けないでしょう? 女の身体はデリケートなんだから、大事になさい」
「は、はい…」
 口を挟む間も無く、ひたすら言葉を並べる彼女に言われるがまま頷く事しかできなかった。

「ちょっと失礼、お手洗いを借りるわね」
 一思いに話し終えると満足したのか、彼女がサッと立ち上がる。
「あ、はい」
 彼女がリビングを出るのを見届け、予めズボンのポケットに忍ばせておいた携帯電話を取り出す。念の為、話の内容が漏れぬようベランダへ移動し、ディスプレイに友人の番号を表示させると、通話ボタンを押した。
「もしもし、由衣ちゃん? ゴメン、急用が入っちゃって…なおさんのお母さんが――うん…うん、埋め合わせはちゃんとするから…じゃあ」
 手短に用件だけを告げると、彼女が戻って来ない内に電話を切った。
 先約していた友人には申し訳ないが、今回ばかりは仕方ない。

 通話を終えると、さっさとリビングへ戻った。

 ふと、テーブルの上にA4サイズほどのアルバムがある事に気付く。

(これって、もしかして…さっき話してた―――)

 勝手に見てはいけないとは思いつつも、気になる。
 そっとアルバムに手を伸ばし、中身を確認した。

(綺麗な人…)
 
 お見合い写真なのだから、それこそ“取っておき”を用意しているに違いない。唯、それを差し引いても、写真の中でにこやかに笑う女性は、同性の私から見ても申し分ないほど美しかった。

 ―――カチャ。

 扉の開く音で、ハッと我に返る。

 急いでアルバムを閉じて、元の位置に戻した。 

「さて、と。あまり長居するのも悪いから帰るわ」
 言うが早いか、手際良く帰り支度を始める。途中参加の為、彼女が何時頃に来たのか定かではないが、恐らく30分も滞在してないのではなかろうか。彼女が、ここまでやって来る時間の半分にすら相当しない。
 さすがに、このまま帰すのは気が引けた。
「あの…もし良かったら、買い物でも行きませんか? せっかくはるばるいらしたんですし」
 母親からすれば“息子の女など目の敵”以外の何者でもないかもしれないが、それでも知らん顔する訳には行かない。とりあえず、声を掛けて――断られたなら、それまでだ。
「あっ、そういえば!! つい最近、近くに大型のショッピングモールが出来たのよね?」
 私の申し出に、意外にも彼女は目を輝かせた。
「はい、良かったらご一緒しませんか?」



 新しく出来たというショッピングモールは、既にオープンから一ヶ月近く経つにも関わらず、なかなかの賑わいだった。
 吹き抜けを生かした開放的な間取りと、シンプルながらもビビッドな配色を施した内装は、一見、若者層をターゲットにしているかの様に思えた。しかし、随所に見られる授乳室やキッズスペース、ベビーカーの通行を意識したと思われる幅広い通路は、子持ち主婦への配慮が伺える。ミセス向の装飾品を扱う店舗で占められたフロアがある事からも、あらゆる年齢層に対応している様だ。
 こういった場所の常として――フロアの大半を婦人服売場が占める。此処も例外ではなく、女性――とりわけファッションに関心があれば、概ね楽しめるだろうと思った。幸い、なおさんのお母さんも、しょっちゅう足を止めては店内に入り込んで物色している。
 一方、私はファッションに殆ど関心がなく、ぼんやりとディスプレイを眺める程度だった――とはいえ、なおさんのお母さんが頻繁に話し掛けて来る為、退屈する事はなかったが。

 間で軽食を挟んだものの、広いショッピングモール内をざっと一通り見終わる頃には、午後四時を過ぎていた。なおさんの実家まで三時間ほどかかるというので、そこから途中の駅まで見送りに行く事にした。

「今日は、どうもありがとう。このところ、スーパーくらいしか行ってなかったから…久し振りに楽しかったわ」
 別れ際、なおさんのお母さんが、満足そうな笑みを見せる。
「喜んで頂けたみたいで良かったです」
 彼女の言葉と表情に、ほっと胸を撫で下ろす。
「またね」
「はい、また…」

 彼女が背を向ける。

(本当に、これで良いのだろうか―――…)

 徐々に遠ざかる後ろ姿を眺めながら、考える。

「………っ」
 急に思い立って、慌ててその背中を追い駆けた。

「あの…っ、お見合いの件、なんですけど―――ッ」
 人込みに紛れてしまう寸前、彼女を呼び止める。

 私の呼び声に反応した彼女が、振り返った。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。ちゃんと断っておくから」
 息を切らして駆けて来た私を宥めるように、彼女が微笑む。
「違うんです! 私、直人さんと結婚なんて考えてません。直人さんのお母さんが思われてる様な関係もないです。だから――お見合いの話、そのまま受けて下さい。私、出て行きますから…っ」
 申し訳ない気持ちでいっぱいで、深く頭を下げる。
 全く予想もしなかったであろう私の言動に、さすがの彼女も驚きを隠せずにいる。
「直人では、不満なのかしら?」
 そう問い掛ける声に、明らかな不信の色が現れていた。

「そんな事…ッ!! 直人さんは、私には勿体無いくらい素敵な人です。だから―――」

 嘘偽りない、本心だった。

 投げ遣りな気持ちがあった事は、否定しない。
 けれど、相手がなおさんでなければ、同棲なんて大それた事は出来なかった。

「分かったわ。唯…お見合いするにしろ、同棲解消するにしろ、それは直人とよく相談する事ね」
 咎めるでもなく、彼女はそっと私の肩に手を置いた。



 帰宅すると、浴室からシャワーの音が聞こえた。
 どうやら、真保理は風呂に入っているらしい。

 今の内に――そのままリビングへ移動し、母に電話を入れる。

「母さん、あれから大人しく帰ったんだろうな?」
 開口一番に、問い詰める。
「バカおっしゃい。真保理さんと買い物に行って来たわよ」
 俺の期待を裏切って、いけしゃあしゃあと言い切る母。
 その内容に、俺は酷く動揺する。
「えっ…真保理、今日は―――」
 予め、俺が仕事だと分かっていたから、友人と出掛ける約束をしていた筈なのに。

(アイツ、まさか―――…)

「今日は、何よ?」
「いや…何でもない」
 言い掛けた言葉を、慌てて引っ込める。

 真保理の事だ。母にいらぬ気を遣わせぬよう、そんな素振りは微塵も見せなかったに違いない。ここで俺が無神経に事実を告げようモノなら、せっかくの彼女の気持ちに水を差す。

「…直人。本気なら、ちゃんと捕まえときなさい」
 母が、何時になく真剣な口調になる。
「言われなくても、分かってる」
 俺も、今度ばかりは真面目に返事する。
「アンタの事、“私には勿体無いくらい素敵な人”だって。今時、社交辞令では言っても、あれだけ真摯に言い放つコいないわよ」
「真保理が、そんな事を―――」
 本人から面と向かって言われた訳でもないのに、顔が熱くなる。
「アンタがハッキリしないから不安になるんでしょーが。しっかりなさい、バカ息子」
「………」
 母の言葉に反論できず、押し黙る。
「お嫁さんには少々不安だけど、好きなら男のアンタが頑張りなさい。二人とも“良い大人”なんだし、とやかく言うつもりはないけれど――くれぐれも避妊はちゃんとするのよ」
「げほ、げほ…ッ!!」
 臆面もなく堂々と言ってのける母に、思わずむせ返る。
「…おい。そういう事、真保理に言ってないだろうな」
 恐る恐る、尋ねる。
「言ったけど? だって、大切な事じゃない」

(こっんの、バカ親…ッ!!)

「大切な事でも、ダイレクトに言う事じゃないだろ…ったく、デリカシーのない母親だな」
 たまに良い事を言ったかと思うと、すぐコレである。
「アンタに言われたくないわ。そうそう、真保理さんに“今日は楽しかった、どうもありがとう”って伝えといて」
「あぁ、伝えとくよ。じゃあな」

 ―――プツ。

「なおさん、おかえりなさい」
 電話を切ると、入れ替わりに真保理の声がリビングに響いた。
「ただいま」
 声のする方へ向き直って、返事する。
「お風呂、先に入ったの。晩御飯まだなら、一緒に食べよう?」
 そう言うと、真保理は冷蔵庫から惣菜を取り出し、皿に盛り付ける。
「今日はちょっと奮発して、出掛けついでにデパ地下で調達して来ちゃった」
 
 出掛けついで――詰まるところ、俺の母親の付き添い。
 
「真保理、母さんのお守に付き合わせて悪かったな」
 俺の言葉に、真保理が一瞬たじろぐ。
 ―――が、母親から聞いたのだと直ぐに察知したのか、緩やかに受け流されてしまった。
「ううん。新しいショッピングモールにも行けて、楽しかった」
 屈託のない笑顔から、それなりに遣り過ごしたのだと判断する。
 そんな彼女がいじらしくて、胸が締め付けられそうになる。
「真保理―――…」

「ありがとな」
 敢えて深くは追及せず、言外に気持ちを込める。

 瞳の奥を覗き込む様にして見詰めると、照れ臭いのか、真っ赤になって俯いてしまった。その様子からも、俺の言わんとする事が伝わったのだと分かり、嬉しくなる。
 
「うちの母親、やかましいから疲れたろ?」
 あの遠慮の無さには、身内ながら呆れてしまう。
「ううん、平気。賑やかで優しいお母さんだね」
 俺の言葉に、真保理がふんわり笑う。
「優しい? あれのどこが!?」
「だって、私の事を悪く言わなかったもの。見知らぬ女が息子の家に居座ってるんだよ? 邪険に扱われても仕方ないのに…寧ろ、心配までしてくれて」
「俺が、こんなだから信用されてないだけだろ」
「そんな事ない! なおさんは―――」

“私には勿体無いくらい素敵な人”

 先程の電話で聞いた内容が、頭を過ぎる。

「真保理…あの、さ」
 言うなら、今しかない。
「俺…確かに、勢いで同棲しようって言ったけど」
 心臓が、ドクドクと早鐘を打つのが嫌でも分かる。
「母親にけしかけられたから、とかじゃなくて―――」
 緊張のあまり、言葉が途切れ途切れになる。
「真保理さえ良ければ―――」
 ゴクリ、と唾を呑み込む。

「いずれは結婚も…考えてる」

 彼女を真っ直ぐに見据え、ハッキリと告げる。
 
 だが、彼女は喜ぶどころか――居た堪れない様な表情を浮かべた。

「…ありがとう、凄く嬉しい。でも、私…結婚って、どうしても前向きに考えられない。家庭を築くなんて――子供を作って、親になる自信がないの。自分の事だけで精一杯なのに、他の誰かを支えるなんてとても…だから―――」

「お見合いの話、受けた方が良いと思う」

 真剣な眼差しから、彼女が本気で言ってるのが分かった。

「同棲してるのを隠すみたいな真似して、不安にさせたのは謝る! でも、俺なりに真保理との事は真剣に考えてるし、時機を見て、両親に話すつもりではいたんだ」
 決死のプロポーズを即座に断られて“はい、そうですか”とアッサリ引き下がれるほど――俺は、諦め良くはない。
「なおさんを信用してない訳じゃないの」
 俺の言葉に、彼女が首を振る。
「じゃあ、何だよ? それなら、今日だって俺の母親にわざわざ付き合う必要なんてないだろッ!?」
 彼女の真意が読めず、気ばかりが焦る。
「どうして、そう思うの? はるばる遠方からいらしたのに直ぐ帰すなんてあんまりじゃない。そりゃあ、息子の家に居座ってる見ず知らずの女なんかと買い物に行って楽しいかは分からないけれど――見てみぬ振りなんて出来ないもの」
 その言葉に、思わずカァッとなる。
「そう…だよな、俺の為なんかじゃないんだよな」
 自惚れも甚だしい自分の愚かさが、嫌になる。
「なおさん?」
「分かってたよ、真保理が“そういう女”だって事くらい。分かってたけど…ッ!! 俺は、そんなお前が好きで…勝手に期待して―――」

 衝動的に、身体が動いて。

 気付いたら――彼女を抱き寄せていた。

「本当は…結婚なんて、どうだって良いんだ。今の暮らしが――真保理と一緒にいられるなら」
 
 必死だった。何がなんでも、彼女を手放したくなかった。

「そういう事、言わせたくなかったから…っ」
 彼女の両手が、俺の胸板を突き返す。
「結婚まで考えてくれたんでしょ? なおさんは“そういう人”なんだよ。ちゃんと将来を見据えて、パートナーさえ見付かれば、結婚して、家庭を持つ覚悟だってある。なおさんのお母さんだって、そうしてくれた方が良いに決まってる!」
「俺は、親を安心させる為だけの結婚なんかしたくない。真保理にとって結婚が負担でしかないなら、俺にとっても“紙切れ上の誓約”くらいの価値しかない」
「やめて…っ、私一人だけならまだいい。でも…私の抱える不安とか、いつまでも拭えずにいるコンプレックスとか――そういうのに、他の誰かを巻き込みたくないッ!!」

 痛々しいほど、一途で。他の誰でもない、俺を想ってくれる。
 それなのに、一定の距離以上は寄せ付けない“何か”が。
 俺が彼女に近付く事を、容易には許してくれない。

「何でいつも…そうやって、拒むんだよッ!?」
「好きだから、大好きだから…っ!! なおさんと一緒にいると、穏やかな気持ちでいられる。少しでも役に立ちたいから頑張ろうって思える。でも、それって――何の目標もなく徒に過ごして来たのを、なおさんに逃げてるみたいで」
 堰を切った様に、彼女の感情が流れ込んで来る。
「なおさんに、押し付けてるみたい…で」
 遣り切れない表情で不安に揺れる、彼女の瞳がある。

「押し付けろよ…お前の人生に、俺を巻き込めば良いだろッ!!」

 俺の腕を振り解こうとする彼女を、抵抗する気力を奪うほど力任せに抱き締める。
 
“本気なら、ちゃんと捕まえときなさい”

 母の言葉が、胸に突き刺さる。

(俺だって、そうしたい…ッ!!)

「………っ」
 これ以上、何も言えぬよう、唇をキスで塞いで。
 顎に指を掛け、僅かに開いた隙間から舌を滑り込ませて。
 後頭部に手を回し、嫌がる彼女の舌を絡めとり、口腔内を侵食する。

 眉根を寄せ、涙に濡れる彼女の顔が、視界の端を掠める。
 二の腕に食い込む指が、懸命に身体を引き剥がそうとしてる。

 悲しくて、苦しくて――それ以上に、愛しくて。

 こんな事をしたところで逆効果と分かっていても、止められない。



 勢いで始めた同棲は、ずっと手探り状態で。
 ようやく掴みかけたと思った彼女の心は、遠くて。

 この先、何処へ辿り着くのか――今も、まだ…分からない。

後書き

母子の会話を書くのが物凄く楽しかったです。
「結婚は勢いと〜」という方からすれば「真保理が悪い!」という非難の声が聞こえてきそうな内容ですが…(汗)

この小説について

タイトル Destination
初版 2011年11月13日
改訂 2011年11月13日
小説ID 4331
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コメント (2)

★那由他 2011年11月13日 21時39分46秒
こんばんは。那由他と申します。
ひさしぶり(ほぼ半年)の新作ですね! さっそく拝読いたしました。

なおさんと真保理のフル・ネームが初めて明らかになったりして、これはこれで興味深かったです。「瀬名」という名字で作家の瀬名秀明氏を思い浮かべたりしました。

今回のポイントはやはり、なおさんと母親とのかけあいですね。お母さんの行動力に脱帽です。片道三時間(新幹線だったら東京-八戸間と同じです)もかけて押しかけてきてお見合いのハナシを突然に持ちだす──いやはや、すさまじいパワーです。会話の内容もズバリと核心をつっこんでくるようなものばかりで、読んでいる方はただただ圧倒されっぱなしでした。こんな母親に太刀打ちできるのか、真保理さん? と心配になってしまったほどです。

母親と真保理のふたりだけになったときは、いろいろと根掘り葉掘りサーチされるのではないかと思っていたのですが、案外、常識の範囲内だったので、ホッと安心しました。それでも初対面の相手に向かっていきなり「○○はしてる?」と訊いたりするところが、さすがですね。実にいいキャラをしています。

積極的ななおさんに対して一定の距離を保とうとする真保理の態度も相変わらずのようで、じれったいやら、もどかしいやら、なんとも複雑な読後感です。ふたりの仲が一気に進展するような事件が起きることをひそかに期待している一読者としては、次回以降のお楽しみ、というところでしょうか。存外、なおさんは搦め手から攻めるのが得意そうですね。今回もじっくりと堪能させていただきました。ありがとうございます。

ところで、
>「「あ―――…」」
という表現はよくラノベで見かけたりしますが、作者様もラノベはお読みになるのでしょうか?

あまり注文をつけるような箇所はないのですが、強いて挙げるとしたら、
>埒の明かない言い争いを続けていたところに、
という箇所があるぐらいですから、結構、なおさんと母親の声がリビングの外に洩れているような気がするのですが、真保理は気づかなかったのかな、と思いました。つまらないことですみません。

次回の作品も期待しております。これからもがんばってください。
それでは失礼いたします。
有梨亜 コメントのみ 2011年11月20日 23時49分35秒
那由他さん、こんばんは。有梨亜です。
纏まった時間が取れず、返信が遅れて申し訳ありません。
水面下ではずっと書いていたのですが、ちゃんと一つの作品として仕上がったのは今作のみで、結果的に半年ぶりの投稿となりました。

> なおさんと真保理のフル・ネームが初めて明らかに
凄いですね! 書いてる私は、当然気付いていますが、まさか他に気付く人がいたとは…丁寧に読んで頂きありがとうございます。

> 今回のポイントはやはり、なおさんと母親とのかけあいですね。お母さんの行動力に脱帽です。片道三時間(新幹線だったら東京-八戸間と同じです)もかけて押しかけてきてお見合いのハナシを突然に持ちだす──いやはや、すさまじいパワーです。会話の内容もズバリと核心をつっこんでくるようなものばかりで、読んでいる方はただただ圧倒されっぱなしでした。

そう仰って頂けると書き手冥利に尽きます! 文字だけで読み手をどれだけ圧倒出来るか、とにかく勢いに任せて書かせて頂きました。
ご指摘の片道三時間ですが、二時間だと休日にフラッと足を運んでしまえるので、インパクトを出す為に三時間にしました。補足すると、地方在住ではなく同地方他府県という設定です。新幹線を使うレベルになると、費用の面からも鑑みても、何の連絡も無く押し掛けるとは考え難いので。

> 母親と真保理のふたりだけになったときは、いろいろと根掘り葉掘りサーチされるのではないかと思っていたのですが、案外、常識の範囲内だったので、ホッと安心しました。

私は、イイトシを過ぎた母親が子離れ出来ずにいるのや、息子の彼女を不必要に敵視する姿を、敢えて書こうとは思いません。そういうのが世間ではやたら出回ってますが、世の中にはちゃんと常識のある母親だっています。なおの母親も、多少強引とはいえ非常識な親にはしたくなかったので、そういう風に捉えて頂けて嬉しいです。

> 積極的ななおさんに対して一定の距離を保とうとする真保理の態度も相変わらずのようで、じれったいやら、もどかしいやら、なんとも複雑な読後感です。

…してやったり、モヤモヤしといて下さい(ニヤリ)
なおは、真保理が捉えている通り、基本は温厚なのですが、彼女があまりにも頑なな為、積極的にならざるを得ない状況にあります。真保理も彼女なりに頑張っているのですが、元がアレなので、なかなか思うように行きません。

> ふたりの仲が一気に進展するような事件が起きることをひそかに期待している一読者としては、次回以降のお楽しみ、というところでしょうか。

実は、今回の話以外にも構想している話があったのですが、『ぱろしょ』に投稿するにはキワドイ内容で――規約云々もあるのですが、何より書いていて結構キツイので書き上がるかどうかも分かりません。
違う方向性を見出せたら、新たな話を投稿するかもしれませんし、或る程度ぼかすなりして投稿するかもしれません。いずれにしろ、一気に二人の仲が進展するような事件という期待には沿えないかと。すみません。

>「「あ―――…」」
という表現はよくラノベで見かけたりしますが、作者様もラノベはお読みになるのでしょうか?

ラノベの定義が難しいのですが、殆ど読みません。テキストから受付けない事が多くて(お好きな方、すみません/汗)
どちらかというと、私の書く話は漫画ちっくな展開ではないかと。現在は、漫画も手元に残している作品以外を読む事はないですが。

> なおさんと母親の声がリビングの外に洩れているような気がするのですが、真保理は気づかなかったのかな、と思いました。つまらないことですみません。

午後から仕事の予定があるうえ同居人もいるのに、何の前置きもなく、朝っぱらから人を家に上げるという事態は考え難いかと。
扉一枚隔てていれば、会話も一字一句聞き取れるほどではないでしょうし、何がしか聞こえてもテレビの音くらいに思ってそうです。何分、真保理は起き抜けの頭ですから…と、反論しときます(苦笑)

今回も、丁寧なコメントをありがとうございました。楽しんで頂けたなら幸いです。
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