ホールド・マイ・ハンド

「ねえ、どこへ行くの?」
 そう呼びかけられ、マイクは動き出そうとしていた右足を止めた。
 斜めになったスーツケースを立て直しながら、背後の人物を振り向く。
 「誰だ?」
 そこにいたのは、長いブロンドの髪を肩まで下ろし、紺のトレンチコートを着て、首には緑に赤のチェックを施したマフラーを巻いた・・・見知らぬ女だった。
 「ねえ」
 と、女はマイクの返事を催促するように、再び低い声で問いかける。まるで、知り合いか恋人に言うような態度だ。
 「俺は、知らない女に自分の行き先を言うほど馬鹿じゃない」
 そう言い残し、マイクはスーツケースの持ち手を握り直した。
 早くしないと汽車が発車してしまう。
 マンハッタン、四十二番街に面したグランド・セントラル駅は、予想以上に広く、美しい。
 マイクはホームに向かい、歩き出した。
 午後十時を過ぎているというのに、ここは人が多くて疲れる。
 夜行列車でロサンゼルスまで戻る予定だった。
 帰ったところで誰も迎えてはくれない。
 今日・・・・年に一度のクリスマス・イブの日。マイクは、長年顔を合わせなかった未亡人の母の元を訪れた。
 十八のとき、父との大喧嘩が原因で家を飛び出し、その六年後に父は死んだ。仕事のストレスによる首吊り自殺だった。そして昨日、十一年ぶりに母と再会した。が、その母も、マイクが到着したときには硬く、冷たくなっていた。
 (俺がいけないんだ)
 その思いをせめて伝えたかった。
 それが不可能になったとわかったとき、初めて母という存在の尊さに気づいた。
 「ロサンゼルス、ユニオン駅行きの列車、まもなく発車します」
 アナウンスが彼の耳へと流れ、マイクは歩を急がせた。
スーツケースを抱きかかえ、ホームへの階段をくだる。
列車の狭い乗車口をくぐり、一晩を過ごす予約室へと向かった。
 「AA-B」
 と記されたプレートのドアを開けると、そこには奥行き三メーターほどの狭い一室が広がっている。
 洗面台と汚れた鏡。一人用の簡易ベッドが設置されている。
 コートを脱いでいるうちに、汽車は前触れもなく発車した。レースのカーテン越しに見えるニューヨークの夜景が、やけに寂しさをそそる。
 しばらく窓の外を眺め、やがて彼は、側にある洗面台で顔を洗った。
 ふと息をつき、カーテンを閉める。
 首を締め付けていたネクタイを外し、ベッドへ倒れた。
 汚い天井を眺め、ため息を吐く。
 「・・・・・・」
 どのくらいたっただろう。
 マイクの眠気を覚ましたのは、ドアをノックする音だった。
 「誰だ、一体・・・」
 車掌が切符確認に来たのかと思い、鞄に手を伸ばした。
 が、
 「ねえ、どうして早く開けてくれないの?」
 勝手にドアが開き、入ってきたのは先程の女である。
 「おまえ・・・・」
 マイクは、今度こそ女に不機嫌な顔をあらわにし、
 「なんなんだ、お前は!ここは俺の部屋だぞ!さっさと自分の部屋に帰れ!」
 力づくでドアを閉めようとする。
 「アンタの部屋を訪ねてきたんだ。間違ってないよ。ここへ入れて。アタイもここへ今夜泊まる」
 女のほうが、マイクよりすばやかった。彼女は、マイクの腕をすり抜けて部屋へ入ってきた。
 「早くドア閉めてよ」
 「な、なんなんだ、お前は!絶対に出てってもらうからな!」
 「ドア閉めないならいいよ。ここで服を脱ぐから」
 そう言い、突然、マフラーを首から取り除き、トレンチコートを剥いだ。女の行動に、マイクは思わずつばを飲み込む。
 さすがにそのくらいでは、マイクもドアは閉めない。それを分かっていたらしく、今度はコートの下に着ていたセーターを脱いだ。その手がブラウスに掛かったとき、マイクはドアを閉めた。
 「おい、俺になんか文句があるのか!」
 「わっ!」
 胸倉をつかもうとしたマイクの手を避けた拍子に、女の体がベッドへと倒れる。
 「な、なにを・・・!」
 「黙れ!一体、なにが目的だ!車掌を呼ぶぞ!それともニューヨーク警察に連絡して、お前を迎えに来てもらおうか」
 「いやだ、それだけはやめて!」
 それまでの対応とは裏腹に、女の態度が変貌する。
 「お願いだよ。アタイの話を聞いて!」
 と、女の細い手がマイクの腕にしがみつく。そのとき、彼女の髪の先が濡れているのに気付いた。よく見れば、コートも雨に濡れたような跡がある。
 この季節には、その姿は寒すぎた。
 「分かったから、俺の腕に触るな。そこにある俺のコートを着てろ」
 「コート・・・?」
 女は唖然と、マイクの顔を見つめる。
 マイクはベッドを指差した。先程女がその上に座ったせいでつぶれている。それ以前に、マイクがそこへ寝転んでいたのが原因だが。
 女は迷わず、そのコートを肩から羽織った。
 そして、
 「優しいんだね」
 マイクに笑い掛け、ベッドへ座る。
 「褒めるより礼が先だ。それよりもおまえには謝ってもらいたいところだが」
 「なんで?」
 女の、幼い子供のような眼差しにマイクは言葉を詰まらせる。
 「一体、お前は誰だ」
 「まあ簡単に言えば、リバティー島のストリート・チルドレンかな」
 「ストリート・チルドレン?」
 マイクの眉が寄り合った。
 「チルドレン」にしては、随分良いものを着ている。それに、もう一人で生計も立てられる歳にはなっているはずだ。
 「いくつだ?」
 「十八」
 「名前は?」
 「タジ。タジ・オリバー。おじさん、マイク・ハドソンでしょ?」
 「俺はまだおじさんだなんて呼ばれる年齢じゃない。それに、どうして俺の名前を知っているんだ」
 そう問われ、タジは履いている細いスキニーパンツのポケットからあるものを取り出す。
 それは、マイクのパスポートだった。ニューヨークへきたときに使ったものだ。
 彼は、表紙にも自分のサインを施しているため、一目で分かった。
 受け取ると、中身は何かに濡れたような染みがあり、ボロボロになっている。
 「ハドソンさんがセントラル駅へ行くときに乗っていたバスに、アタイも乗っていたんだ。ハドソンさんが歩いていたときに、それを水溜りに落としたから」
 たしかに朝は雨が降っていたことをマイクは思い出した。
 「じゃあ、お前が濡れているのは何故だ。まさかその歳になって水溜りに転んだわけじゃないだろう?」
 「まあね。水溜りの上をたまたま走ったイエローキャブのタイヤに濡らさせることなんてよくある話でしょ?」
 「それで、お前はどこへいくつもりだったんだ?」
 「それを聞くより、先にお礼を言ってよ。大体、おじさんのせいでアタイ、こんな格好してるんだから」
 「あ、ああ。そうだな」
 マイクもこれには文句のつけようがない。
 「どうも」
 無愛想な言葉だが、これがマイクの精一杯の感謝の言葉だった。
タジの隣へ座り、パスポートを彼女が羽織るコートのポケットへ仕舞う。
 「ずいぶんな苦労をかけたな」
「いいよ。石畳に這いつくばるのはいつものことだから」
 「お前の服を乾かそう。明日の朝には乾くだろう」
 マイクは、床に散らかったタジの服を拾い集めた。
 ひとつひとつハンガーにかけ、壁のフックへ吊るす。
 「ハドソンさんは、どうしてクリスマスなのに一人でいるの?」
 「母が昨晩死んでね。今日は葬式だった」
 「じゃあなんでこんな日に、またロスへ帰るの?」
 「俺の家はニューヨークじゃないんだ」
 「どうして?」
 「お前と同じ歳のときに、家出をしたんだ。」
 こんなこと、知らない人間に話すことではなかったかもしれない。
 マイクは言い終わってから後悔した。
 が、
 「ハドソンさん、アタイと気が合いそうだね」
 タジが奇怪な返事をした。
 「どうしてだ?」
 マイクは続けて聞き返す。
 「アタイも、家を追い出されたんだ。父さんが、アタイなんかいらないって言うから」
 「どうして従ったんだ。お前の家だろう」
 「だって、下手に争ったら、怖いでしょ」
 「母親は?」
 「アタイが五歳のときに、病気で・・・」
 「そうか」
 タジの言うとおり、どこか彼女に共感が持てて、その妙な安堵感が嫌だ。
 そのとき、またドアを叩く音がした。
 「切符確認に来ました」
 太い男の声がドア越しから部屋に木霊す。と同時に、タジの顔が蒼白に染まった。
 「どうしよう!切符持ってないよ!」
 「お前なあ・・・」
 マイクは立ち上がると、ベッドの脇に寄せられた鞄を取った。中から切符と、黒い皮製の財布を取り出す。
 ドアを開け、待っていた車掌へ切符を手渡すと、
 「もう一人分の乗車券が欲しい。」
 「もう一人?」
 車掌は、マイクの背後に映る女の姿を確認し、再びマイクを見た。
 「アタイ、お金ないよ」
 タジが背後で囁く。それに対し、マイクは、
 「黙ってろ」
 振り向きもせずにタジに叱声を浴びせる。
 車掌に三十ドルを握らせ、すぐにドアを閉じた。
 鞄をベッドへ放り投げ、
 「いつか返してもらう」
 そう吐き捨て、設置された簡易ソファーへ腰掛ける。
 「ロスに言ってどうするつもりだ?」
 「分からない」
 「分からない?」
 「だって、ロスってなんだか怖いイメージあるしさ。あんまり子供が一人でうろつく場所じゃない気がする」
 「お前、ロスへ行ったことはないのか」
 「うん」
 「じゃあ、どうしてついてきたんだ。さっさと俺にパスポートを渡して、列車から降りることだってできただろう」
 「降りたら、一人だから」
 「一人?」
 コクリと頷いた、少し寂しげなタジの顔に、マイクは彼女が「ストリート・チルドレン」だったことを思い出す。
 「アタイ、セレブな家庭の中で育ったから、今さら社会に一人放り出されても、どうすることも出来なくて・・・父さんがアタイを追い出すって言った瞬間、今までアタイを大切にしてくれていた人が、みんなそっぽを向くようになっちゃってさ・・・本当に、まいっちゃうよ」
 「そうだったのか」
 マイクは、考えた。
 タジと、そして昔自分が置かれたことのある「孤独」。
 かつてのマイクは、ハイスクールを無断で欠席して、道先に群がる柄の悪い連中とつるんでいた。そのうち、犯罪にまで手を伸ばそうとしたマイクに、彼の父は拳を打ち付けたのだ。以来、マイクが実家へ帰ることはなかったが、どうしたってひとりで生きていくためには、楽な道などないのだと気づかされた。
タジは自分と似ているが、どこか異なっている。その差異が、またマイクの胸中をくすぐるようで、もどかしい。
 「じゃあ・・・どうするつもりなんだよ」
 馬鹿みたいに、また同じ質問を繰り返す自分にマイクは嫌になる。
 「だから、分からないって言ってるじゃないか」
 あきれるようにタジが呟く。
 「ハドソンさん。アンタに会えてよかった。しかもイブの夜だなんて。きっと神様がくれたクリスマスプレゼントだね。ハドソンさんからもいいものもらった」
 「俺がなにを渡した?」
 「この列車の切符」
 「馬鹿言え。変なごたごたが嫌だっただけだ。それに、切符代は返してもらうといっただろう」
 「それでも嬉しかった。ハドソンさんが、財布からドル札を取り出す姿が、すごく大人に見えた」
 「俺は大人だ」
 マイクは、タジからコートを脱がせ、
 「もう寝ろ。言っておくが着替えまではないからな」
 「でもベッドひとつしかないよ」
 「俺はソファーで寝る」
 「二人で寝る?」
 「馬鹿」
 マイクの叱責に、タジが嬉しそうに笑っていた。その笑顔につられて、マイクまでも吹き出して笑っている。
 それからしばらくして二人はそれぞれの場所で眠った。電気を消し、二人の会話が途絶えると、聞こえるのは列車の走る音のみだ。
 マイクは自分のコートを被り、しばらく眠れなかった。
 過去と、母の死と、タジとの出会い。
 出来事が多すぎて、まだ自分でまとめることができない。
 不意に、タジの泣き声が聞こえた。
 マイクは起き上がり、ベッドを見た。
 タジのもぐるクリーム色のキルトが小刻みに震え、タジはなにかを一人で呟いている。
 (寝言か)
 特に何もせず、マイクはまたソファーへ戻った。
 それからまたしばらくして、カーテンの向こう側から明るい朝の光が部屋を照らした。
 二人は同時に目を覚ました。
 タジは、両目を真っ赤に腫り上げ、ずっと目をこすっている。一晩泣いたのがまるで分かるが、マイクはそのことについては触れない。
 「触るな。冷やした方がいい。顔を洗え」
 「嫌だ。その水道、水しか出ないじゃん」
 「贅沢を言うな」
 マイクに叱られ、タジは渋々と洗面台の蛇口をひねる。
 両手ですくった水を、顔にぶっ掛け、寒い、と悲鳴を上げ、マイクの渡したタオルに顔を沈ませる。
 同時に、アナウンスが入り、あと数分で目的地へ到着することを伝えた。
 「早く支度しろ」
 マイクの言葉に、タジの返事はない。
 振り向くと、タジはまだ顔をタオルで覆っていた。声も上げずに、また泣いているようだ。
 「タジ」
 マイクはタジの肩を抱いてやった。
 「ハドソンさん・・・」
 切なそうに呼びかけるタジの声に、マイクは黙って彼女の髪を撫でる。
「どうやって生活してくんだ」
 「分かんない」
 潰れそうな声で、タジは答えた。
 マイクは、タジを強く抱きしめた。

 「さよなら、ハドソンさん」
 列車がホームを去り、二人はユニオン駅の待合室で最後の別れを告げ合った。
 「ちゃんと仕事を探せよ」
 「うん」
 「真面目になれ。もう一人前の社会人なんだから」
 「うん」
 「人生は一度きりなんだからな」
 「・・・分かってるよ」
 タジは、昨日初めて会ったときのような元気は無かった。
 「じゃあ、いくね」
 といい、マイクに背を向ける。
 タジの姿が徐所に遠ざかっていくのを見送りながら、マイクは高い窓から差し込まれる光に目を向けた。
 (クリスマスの朝だ・・・)
 マイクは、待合室の端に飾られた巨大なクリスマスツリーに視線を移す。
 (聖なる夜に・・・俺は一体なにをしてたんだろう)
 急におかしくなった。
 「タジ!」
 マイクは、タジに向かって大声で叫んだ。
 タジはすぐに振り向いた。もう随分遠ざかっていたが、たしかにこちらを振り返り、立ち止まっている。
 「俺と一緒に、行くか?」
 「・・・!」
 その瞬間、タジが笑顔を輝かせてこちらへ駆け寄ってきた。
 マイクに抱きつき、幾度も本当かと聞いてくる。
 「どうして気が変わったの?」
 「お前から、クリスマスプレゼントをもらった。だからその礼だ」
 「でも、アタイ、ハドソンさんからもらったよ。列車の切符」
 「俺はお前から二つもプレゼントをもらったんだ」
 「何?」
 「ひとつは、お前が拾ったパスポート。それからもうひとつは、お前の中にある」
 
握った手の内が、温もりを育んでいた。

                     おわり

この小説について

タイトル ホールド・マイ・ハンド
初版 2012年2月5日
改訂 2012年2月5日
小説ID 4352
閲覧数 868
合計★ 3
齋岐ナユの写真
熟練
作家名 ★齋岐ナユ
作家ID 754
投稿数 7
★の数 27
活動度 1185
初めまして。最近、波瀾万丈に生きております。愛犬の死や愛する人との別れ…そんな経験を元に小説を書いてゆきたいと思います。

コメント (2)

弓射り 2012年2月7日 22時17分38秒
はじめまして〜。

会話が自然で、雰囲気がありました。翻訳小説っぽい会話はやりすぎだったり、物足りなかったりすることも多いのですが、違和感なく読めました。

タジの「本当に、まいっちゃうよ」というセリフが深くて良いと思います。悲観して大袈裟に泣き出しても十分ドラマチックですが、すこしクサくなります。ここで辛い環境をさりげないセリフですますことで、タジの性格がうかがえるセリフ回しです。

会話の途中にもう少し「間」があるともっと雰囲気が出るかと思います。

そしてキャラクターの外見の描写ですが、「長いブロンド」「紺のトレンチコート」「赤と緑のチェックのマフラー」、これらを並列するとと、全体的な印象が薄くなってしまいます。何かワンポイントを、目立たせると見た目の印象が鮮明になるかと思います。「A and B and C」ではなく、「A, B, and C」って感じで。

舌足らずなコメントとなりました、お許しください。次回作期待しております。
★齋岐ナユ コメントのみ 2012年2月7日 23時28分53秒
弓射り様<<

とても分かり易く丁寧なコメントをありがとうございました。

私は小説を書き始めてからもう五、六年経つのですが、なかなか人に共感を持ってもらえるような話が書けず、悪戦苦闘しています。

『小説を書くための……』みたいな本も色々買って読んだりもするのですが、なかなか、こう、自分の探している答えが見つからないのです。

その一つが、情景描写。
どのタイミングで、またどのように、周囲や人物のイメージを書き出せばいいか分からず、悩んでいます。

弓射り様に頂いたご指摘がとても参考になりました。嬉しかったです!

齋岐ナユ


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