RYO-リョウ- 中学編 - 【プロローグ】

食卓は、ひどく淀んだ空気に包まれていた。その中で、十二歳になった眞鍋家の長男・遼は、怯えながら父の言葉を待っていた。
それは、二月四日の夜―――――長期に渡る遼の中学受験生活の終わりを迎える日のことだった。
「結果は」
ようやく父が、新聞越しにこちらをちらりと見て、遼にそう問い掛けた。遼は震える唇で小さく、
「第一志望校には、受かりませんでした……」
そう返答するしかない自分がイヤになる。今更、不合格になったことを責められるのが辛かった。父は怪訝な視線を息子に向け、不意に新聞を閉じながら、
「それで?」
父の淡々とした言葉の鋭さに、遼はますます身を強ばらす。
「どこへ入学するんだ」
「も、諸見里中学に、入学させてください…」
「諸見里ォ?偏差値は」
偏差値―――――。
一体、今までどれほどこの言葉に惑わされてきたであろう。
そのために遼がこれまで犠牲にしてきたものがいくつもある。
「五十八…くらいだったと思います」
「第一志望校の偏差値は」
「六十七…です」
もう何も聞かないで欲しい。答えさせて欲しくない。
遼は必死に涙をこらえている。握った手の中が汗でいっぱいだった。
「お前はそれだけのミスを犯したんだ。なんて馬鹿なんだ」
「………はい…」
「遼、いいことを教えてやろう。この世で一番賢い人間だけが、人を見下す権利を持つことができる。頭の悪い人間は、一生人の下にいるしかないんだ。覚えておけ」
それだけ言い残すと、父はリビングを後にした。遼は父の言葉が耳に木霊すのを感じた。
(一生、人の下―――)
それが、遼が今まで両親から受けてきた教育だった。
運動が出来なくてもいい。
性格が暗くても構わない。
ただ一つだけ、人には劣ってはいけないもの。それが『学力』だった。
「遼、さっさと部屋に戻って、明日の予習しなさい」
母がキッチンから、父のいなくなったのを見計らって遼に叫んだ。今日やっと受験が終わったばかりなのに、明日からまた『先取り』の塾の講習が始まる。
遼は肩を落として、自分の部屋へと向かった。
階段を上がっていく途中、姉が部屋から出てきた。
今年の春から高校三年になる姉で、希穂と言う。さっさと部屋へ行こうとした遼に気づいた彼女は、興味深そうな顔で弟を呼び止めた。
「ねえ、どうだった?受かったの?」
予想通りの姉の質問に、遼は腹立だしさを感じた。
「落ちたけど、なんか文句ある?」
「うそっ、落ちたって、遼………!」
希穂が何か言おうとしたのを遮るように、遼はさっさと部屋へ入り、ドアの鍵を閉めた。
「ちょっと、遼!」
希穂はしばらく遼のことを部屋の外から呼んでいたが、すぐにあきらめ、ハタハタと階段を降りていく音が聞こえた。
遼はベッドの上に突っ伏し、声を押し殺すようにして泣いた。
数年前、遼と同じように中学受験をしていた希穂のことを思い出した。彼女は今の遼とは裏腹に、勝利の涙をこぼしていた。幼かった遼には、姉と母が泣いている理由、そして普段は無口だった父までもが手をたたいて喜んでいる意味が分からなかった。唯一分かるのは、姉が立派だということだった。人の価値とは、その人の努力ではなく、結果が生むものだと言うことを今更ながらに悟った。
(俺は馬鹿なんだ……)
喘ぐ声を押し殺し、遼はそっと顔を上げた。
そして、部屋の壁一面に飾られる表彰状をにらんだ。塾や学校、市で行われた実力検定なんかの賞状で、すべて遼宛てだ。
『全国統一模試優秀賞』
『算数努力賞』
『最優秀成績賞』
――――眞鍋遼殿

「うわぁぁぁっ!」
遼は飾られた賞状を奪うように壁から取り去り、床にまき散らした。額縁に囲まれたガラスカバーが、一瞬にして砕け散る。
『この世で一番賢い人間だけが、人を見下す権利がある。―――――』
父の言葉が繰り返される。
(もうどうだっていい!)
失神するように、遼の体がガラスの散る床に倒れる。
(もうどうでもいい……なにを言ったって、これが俺の本当の実力だったんだから!)
ピリッ、と頬に痛みが走った。
泣きすぎて意識が朦朧としている。
気がつくと遼は深い眠りについていた。


               【つづく】

この小説について

タイトル 【プロローグ】
初版 2012年2月14日
改訂 2012年2月15日
小説ID 4356
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齋岐ナユの写真
熟練
作家名 ★齋岐ナユ
作家ID 754
投稿数 7
★の数 27
活動度 1185
初めまして。最近、波瀾万丈に生きております。愛犬の死や愛する人との別れ…そんな経験を元に小説を書いてゆきたいと思います。

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