ジュピター

三〇一七年五月。
気温四十度を当たり前のように越してしまう毎日に、藤原流星はうんざりしていた。
三十年前にアメリカ合衆国が火星への移住に成功し、世界中の先進国が彼らを追いかけて地球から去っていた。
そんな中、ただひとつ日本は地球へ置き去りにされていた。中では火星に移住した若者も少なくはなかったが、大抵の日本人は地球を離れたがらない。何故なら、自分たちの先祖が生きた証は、地球にしかないからだ。
しかし、人間の作り出した二酸化炭素により温室効果ガスが異常発生し、地球温暖化はここ数百年で大きく悪化していた。海面上昇で大陸は沈み、生き物たちは姿を消した。
高気温で植物は育たず、日本国内では最悪の食料困難が続いている。
流星は、宇宙センターで惑星研究を進める父・藤原星竹の長子だ。今年で十七になる。
家族は、母の藤原月子、妹の藤原美月を含めた四人家族。
星竹は一刻も早く地球を出発しようと研究に励み、ついに明日、藤原一家は惑星最大規模の星―――木星への引っ越しを予定していた。
「木星では、一日十時間で一年は、地球での十二年間に等しい。地球よりも大きいし、あんな世界で我々日本人が住めたら、宇宙一の国になるぞ」
星竹はそう言ったが、流星は父の意見に頷けない。
「俺……ソラに会ってくるから」
そう答え、流星は父のいる宇宙センターの研究室を後にした。
ビルの外は灼熱地獄だった。地面からは陽炎が揺れ、あっという間に背中を汗が覆う。
(――――どうして地球は、こんな住みにくい星なんだ)
愛車に乗り込み、流星はソラのいる病院へと車を出した。
ソラ――――九条ソラは、流星の幼なじみであり、大切な恋人でもあった。
ソラの父・九条海王は宇宙飛行士だった。以前は星竹とも仕事をしていたと言うが、一前に木星へ向かったとき、木星の引力により飛んできた隕石と衝突し、二度と地球には返ってこなかった。
ソラはそのことを誰からも告げられていない。彼女に悲しい思いをさせたくないという気持ちから、誰も真実を言えなかったのだ。
今でもソラは、病院のベッドの上で父の帰りを待っている。
「――――ソラ」
病室へ行くと、ソラはベッドの上で、設置された簡易テーブルで古いCDをCDラジカセに入れていた。すぐに流星の気配に気付き、手を止める。
「リュウ、久しぶりじゃない!」
「なんでそんな旧式な音楽の聴き方してるんだ?」
「コレ、ひいじいちゃんの代から大切にされてる物なの。クラシックって、歴史で習ったでしょ?」
「うん」
「ホルストっていう大昔の音楽家が作った曲。木星、っていうの……」
「木星…………」
ソラがカセットの再生スイッチを押すと、古びた音質が部屋に響く。
オーケストラの活発で華やかな演奏に始まり、やがて低いヴィオラの旋律が、ゆっくりと音を奏でる。
「良い曲だね」
「大昔の人の才能って凄いのよ」
ソラがカセットを止めると、室内は再び静寂さを取り戻す。
流星はソラの隣に座り、彼女の手を握った。
やがて、
「俺、明日引っ越すんだ」
「火星?それとも月?」
驚く素振りも見せないソラに、流星は一瞬だけ戸惑った。
「木星だよ」
そう答え、ため息をつく。
「木星にいくの?」
「うん。馬鹿みたいだろ?」
「………うん。馬鹿みたい……」
ソラがカセットからCDを取り出した。フッ、と息を吹いて、ディスクに被った時代の粉を飛ばす。
「じゃあ、地球から眺める最後の星空を、アタシが一緒に見に行ってあげる」
「うん」
ソラは、ベッドのすぐ脇にある椅子に掛けられていた赤い上着を取り、自分の肩へと掛けた。
「俺、車椅子ってくるよ。」
「要らない」
「だってお前…」
「流星の背中がいい」
ソラが我が儘を言うのは珍しかったが、今の流星には嬉しかった。
流星は優しく微笑み、ソラに背を向け、腰をおろした。ソラの細い腕が流星の肩にすがると、流星はサッとソラを背中に乗せて立ち上がった。
「流星、変わらないね」
「なんだよ」
「緊張すると、言葉が減るところ」
「…………」
病室を出て、流星は病院の敷地にある公園へ向かった。人工芝生の敷き詰められた場所で流星はソラをおろした。
「久々に外へ出たわ。本当はまだ駄目なんだけどね」
「いいよ。俺が許す」
流星はソラの隣へ腰を下ろし、夜空を見上げた。
強力な紫外線と太陽熱が夜になっても肌で感じられてしまう。
ソラの病は紫外線によるものだった。皮膚ガンにかかったのだ。もう長くはないと医者にも言われていた。
「ソラ。幼稚園の遠足で月に行ったのを覚えてる?」
「ええ」
「クレーターの落とし穴に埋めたタイムカプセル。まだあるかな」
「百年後の地球について書いたやつね」
「なんて書いたの?」
「……え?」
ソラは驚いた顔をして、不意に吹き出した。
「言ったらタイムカプセルじゃないわ」
「もういいんだ……教えてよ」
流星のあまりに哀しげな表情に、ソラは微笑んだ。
片腕をそっと流星の肩にまわして、流星の顔を自分の頬へと寄せる。
「宇宙から見ると、地球の表面には青い海が広がっていて、緑の大陸や島が所々に浮いているの。陸の上では多くの人間や動植物が暮らしていて、賑やかだし、時には喧嘩もするけれど……また歴史が繋がってくのだと思うわ」
「昔の地球が蘇るってこと?」
「過ちを補うことができるのは地球で暮らす人間だけだもの。早すぎる決断より悪いことはないと思う」
ソラの話す声が、抵抗無く耳へ落ちた。
流星は涙を堪えきれなかった。
今いる世界より素晴らしいものが、宇宙にはあるだろうか。
「ソラ、俺と一緒に木星へ行こう。親父と海王さんの夢があるのは木星なんだよ。」
「嬉しい。また流星と宇宙へ行けるなんて」
「――――ソラ…?」
突然ソラの体重が流星の肩へのしかかった。
「ソラ!」
流星は倒れる彼女の半身を抱き、名前を呼ぶ。
「ソラ…!―――――」



地球を発つ朝が来た。
前夜、流星は気を失ったソラを病院へ運んだが、彼女の意識は返らなかった。
まだ別れを告げていないことが気掛かりで、流星は手紙を彼女に書き、枕元へ置いて去った。
宇宙で待ってる。
その一言のみだった。
「行くわよ、流星」
「お兄ちゃん、早くぅ!」
月子と美月、そして星竹が宇宙へと飛び立つ自家用ジェットに乗り込む。
(必ず来いよ…ソラ)
流星は銀の宇宙服に着替え、ジェットから離れる地球の姿を見つめた。
「流星」
操縦席から星竹が呼ぶ。
「なに、父さん」
「人類が歩んでゆく道は、果てしないのだよ。宇宙人の中でも特に優れた生き物だから。でも、ただ一つの過ちは、地球から受けた恩を返さなかったことかもしれない」
「わかってるよ、そんなこと。神様だって、お怒りだ」
「……つかまってろよ」
星竹はすっかり操縦士になりきっていた。
流星は助手席へ座り、目を閉じた。



暗闇――――いや、宇宙だ。
流星はあたりを見渡した。ここはどこだろう……。
父も母も妹も姿が見当たらず、流星の中で不安は募る。
その時、かすかに自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと、青い地球を背景に、ソラがこちらへ向かってくるのが見えた。
ふと気づいたが、自分もソラも宇宙服を着ていない。
「流星」
ソラの微笑みが、ながれぼしのように流星に注がれる。
(夢………?)
ソラの両腕に包まれ、流星は不思議な感覚に捕らわれた。
「流星、一緒に地球へ帰ろう」
「――――うん」
夢なら覚めないで欲しい。
流星は、その輝く惑星に祈っていた。

【おわり】

この小説について

タイトル ジュピター
初版 2012年2月27日
改訂 2012年2月27日
小説ID 4361
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齋岐ナユの写真
熟練
作家名 ★齋岐ナユ
作家ID 754
投稿数 7
★の数 30
活動度 1185
初めまして。最近、波瀾万丈に生きております。愛犬の死や愛する人との別れ…そんな経験を元に小説を書いてゆきたいと思います。

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