室井が、死んだ

 あの日以来違う人間になっているのだと思った。以前の”ボク”という過去の人間であったなら、わざと悲しい表情をしないといけないと思っていたし、もし涙が込み上げて来ないなら懸命に渋面を作って「お気の毒に」と言っていたことだろう。しかし今は笑っている。いかにも幸せそうに生きていることに感謝しているみたいに。
 まるで何事もなく過ぎ去る昼や夜や一週間が当たり前のように過ぎ去っていくみたいに自然にその他人の死という出来事が心の中に入ってくる。
「お気の毒に」とは言わないで「びっくりしました」とまるで小学生のような気遣いのない率直さでボクは遺族の悲しみっていうものに答えている。
 弔問客でごった返す礼拝堂の前には”黒服を来た見たこともない”彼”の関係者が次々と集るが、挨拶をする暇もなくその群れから外れてしまう。
 まるで部外者のようにここにいるボクだけが異国の住民みたいにぽっかりとその空間だけ浮いていて、あとはいつもの日本標準時間での2013年4月20日なのだ。
「お集まり頂いて感謝しています。故人も皆様との別れを偲んでいることと思います」
だなんて、今まで死んだあとのことなんか、魂や霊のことなんか考えたって意味がない、時間の無駄だと語っていた室井の息子でも父親の死に際してはその考えを脇に置いておいて、死後の世界をやんわりと肯定する。僧侶がレガシーに乗ってやって来ると厳かな雰囲気はよりいっそう高まっていよいよ葬儀がはじまる手はずが整う。
 読経がはじまり菩薩というワードが聞こえてきてもそれが室井に結びつくことはなんてなかった。はじめから、生まれた時からあいつはそんな人間じゃないんだ。人は生まれた時からいい奴も悪い奴も決まっていてそれを変えることなんてできない。神や仏にでさえだ。ボクはボクで室井は室井。この後に及んでも緊張は沸き起こらず、哀しみもわかず、ただ何の感慨もないままノブトは上司の死に接している。
「人はいつか突然に死んでしまうものよ。死にそうになった人はまるで思い出したみたいに急に天国に昇ろうとするの。早く地獄のような人生におさらばしたいのよ」
読経の合間、そう言っていた祖母の言葉が急に脳裏に思い浮かぶ。最後は癌になり苦しんで死んだ祖母はきっと最後の最後でやっと死を思い出したんだろう。ベッドのかたわらで彼女の最後の汗をぬぐった事を思い出す。ツーッという心電図の音とともに彼女の内に眠っていた壮大な記憶は蘇えり彼女は死んだ。私は誰であるか、どこから来てどこに向かうのか。
 もしそうなら室井もきっと思い出したに違いない。あの事故の瞬間、空に溶けるようにはずむ身体を横たえながら、きっとすべてを理解したんだ。死に際に、あの高慢な野心家でさえ、心に潜む繊細さが事故のショックで蘇り、まるで人格が入れ代わるみたいに、神がかりの力が働いて、きっと室井は死ぬことを選んだんだ。生きるよりも死んだ方がマシ。結局は死人はそれを選ぶんだ。
 
 葬儀が終わると室井の身体は火に焼かれるために出棺された。読経の最中から涙が止まらなくなった夫人は親族に腕を抱えられながら会場をあとにする。
「あなたの心の中にずっとご主人は生きていますよ」
葬儀に勤める老婆が声をかけたが、彼女は言葉なく何度も頭だけで頷いただけだった。もうどこにもいなくなった室井の亡骸を乗せた霊柩車を見送る最中、ボクはふとこのまま逃げたくなった。きっと疲れていたんだ。意味のない記憶が次々と頭の中に過ぎり、昨日食べた焼肉のことを思い出していた。まるで丁度さっき狩ったばかりの豚を串に突き刺して焼くみたいに室井を焼く光景が浮かんでくる。笑いも起こらない趣旨のない映像に頭を振っては再び意識を現実に戻そうとしたが、徐々に串刺しにされた室井の皮膚は焼かれただれていき、最後には灰になっていった。
 結局はそうだ。死については人間も動物も変わりはない。誰にでも死は平等にやってきて生きるものはみな死ぬし、それがどんな下等な生物であっても死ぬ時は人間も何もかも変わりはない。 かつて小学校の作文で食べ物について書いていたことを思い出す。
『ウシさん死んでくれてどうもありがとう』
こう題をつけたボクの作品は入賞した。ただ単に食卓に並べられた食べ物の前でこう言ったことを事実のまま書いただけなのに、校長先生は特にボクの作品を誉めていた。こんな話題が持ち上がったのもテレビでそんな番組がやっていたのかもしれない。夕食の準備をすべて済ませた母はふとこう言った。
「こうして生きていられるのも、ノブトが命を食べているからなのよ。このお肉も生きたウシさんだったの」
その時まだ小さかったボクは率直に尋ねていた。
「じゃあウシさんは今どこにいるの?」

 ノブトは今になってその答えを真剣に考えてみる。命がなくなった瞬間ウシはいなくなったのか、もしくは、命がなくなった瞬間ウシはどこかへ行ってしまったのか。それとも、はじめからウシはどこにもいなかったのか。
 彼は車に乗り込み他の参列者に遅れて火葬場に到着する。室井の死に際を見届けたかったのだ。過去に抱いた純粋な問いの答えが得られそうな気がして、ざわざわと期待で胸が膨らんだ。ボクは室井が火に焼かれ煙が立ち昇り灰だけが残る姿を今か今かと待ち構えていた。
 しかし結局火葬場では何もすることはない。スイッチが押されあとは灰になったかつての室井が出てくるのを、寿司を食べ談笑しながら待つだけだった。ノブトが何もしなくても自動的に室井は煙となって天に昇っていく。まるで不純物をろ過するみたいに、放っておけば作業は勝手に進んでいく。
 2時間焼くと火葬が終わったと告げられた。今となっては何の期待感もない。炉前のホールに向かう。カートに押されながら現れた室井はやはりただの灰だった。
「これ喉仏です。本当に仏様になったように座禅を組んでいるように見えますね。はっきりと形が残っています。これは室井様が生前ご健康であられた証拠です」
骨の部位を説明していく職員の話を聞きながら頭の中では別のことを考えている。
「その骨があの室井?」
心のなかで再び黒い笑いが起こる。はじめから、ここに来たときにはもう室井はいなかっただろう。だからこうして葬式をしたあと火葬場に来て骨を焼いたんだし、室井夫人は読経中に涙を流したんじゃなかったか?それとも、夫人はこの本当は喉仏でもない骨を室井だと思って生涯大事にして暮らすとでもいうのだろうか。室井が仏になった証しとしての第二頚椎を抱きながら。
 また疑問が沸き起こる。もし今ここに室井がいないなら、あの時、身体が宙に舞ったあの瞬間に、神秘的な力が働いてまるでピンセットでわずかな細胞片を採取するみたいに正確に、彼から魂か何かが抜き取られたのだろうか?室井だったはずのものがその瞬間取り去られていったのか?
「いいや」ノブトは首を振った。このときふと気づいた。「はじめから、あの身体には室井は宿ってなんていなかった。室井って言われるものははじめからこの世界に存在していなかった。だから魂が取り去れらることもないし、生まれることもない」
 

  命の所在
 室井でないものが自分を室井だと意識していく過程は面白いものだ。生まれた瞬間から他者と立会いその間に潜む深い深い溝を否応なく意識させられる。意識とは差異だ。他人と自分の違いがなければ自分を自分だと意識することはできない。共同体という巨大なスープから徐々に自分という意識が生まれてくる。赤ん坊は人間の極めて純粋な状態から他者とのふれあいのなかで自己を形成していく。赤ん坊はまっさらなまま世界に投げ込まれ、自己を作り上げていく。自己というものははじめからあったのではなく、徐々に作られていくものなのだ。
「室井ははじめから存在していなかった。自らを室井であると認識する主体が共同体の中で、家族や社会の中で作られていったのだ。彼自身自分を室井だと勘違いしていた。自分を室井であると勘違いしながら自分の出世と成功を強く望んでいた」
 そう考えるとこの嬉しくも悲しくもない感情に納得がいった。室井ははじめからこの世界にいなかったし同時にまだこの世界に存在している。
「あなたの心の中にずっとご主人は生きていますよ」と婦人を慰めるために語ったあの葬儀場の老婆の言葉は違うのだとはっきりとわかった。
 彼ならこう言う。「あなたとご主人の違いははじめからないんですよ」
 
 桜の梢からは春の暖かい風に吹かれて徐々に花びらが散っている。道路に散乱した祭りの後のような淡い朱色の絨毯に不思議と室井の姿が思い浮かぶ。散ってしまった花はまるで死者の肉体のように淡いもの悲しさを思い出させる。死んだ花。大地にしっかりと根を下ろした桜の、その幹から放たれた花びらはもはや生きることはない。まるで人間が死後肉体だけを残して散るように、まるで肉体は桜の花びらそのものであるかのように、死肉だけを道路に横たえる。室井もそうだった。

後書き

死に際の室井さん

この小説について

タイトル 室井が、死んだ
初版 2013年4月23日
改訂 2013年4月23日
小説ID 4494
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ぬし
作家名 ★堀田 実
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