落しモノ

 翌日は大切な日だった。でもそれがどんな日だったかということは大して重要なことではない。大切な日というものが人によって様々で、駄菓子の値段から家を買える値段になるまで変化してしまうものだから。ただ重要なのはそんな日が次に太陽さえ明ければ訪れるということだけだ。

 俺は自転車で帰途についていた。夜も9時を過ぎていたし昼から何も食べずにいたから疲れていた。仕事っていうのはどんな形であっても大変なものだし、生きていくには何かしらの犠牲を払わなくちゃいけない。それはどんな動物であってもそうだ。
 何かの運命だったのかもしれない。俺がいつも行き来している筈の歩道の上にその奇妙な物体はあった。50cmぐらいの黒くて丸い、毛の生えた物体がいつもの道の上に横たわっていた。
 俺は最初モップかなと思った。路上に軍手はよく落ちているし、今の時代であればモップが落ちていようが布団が落ちていようが不思議なことじゃない。だから俺も何も考えずに通り過ぎようとした。
 しかしだんだんと近づいていくにつれ、それがモップでもないことに気がついた。すぐ脇を過ぎ去る頃にはそれがついに黒猫の死骸だということに気づいてしまった。
 動物の死骸を見るのは慣れていたし猫の死骸も何度も見ている。ただいくら見慣れたところで死骸のもつ不気味さっていうのは変わらないもので、3秒間それをじっと見続けることだって辛いことだ。できることなら関わりたくない。俺は無言で死骸を通り過ぎた。

 でも明日は大切な日だったのだ。現場から離れれば離れるほど俺の中の良心が話しかけて来た。「それでいいの?ましてや明日は大切な日なのに?」
 5分ほど走らせたところで俺は立ち止まった。すぐさまスマホを取り出すと『猫の死骸 処理』とGoogleで検索した。すぐに回答は見つかり市役所に電話をすればいいことがわかった。俺はスマホを自転車の籠に放り投げ道を引き返した。
 良心っていうのは時に厄介なものだ。それがどんなに面倒なことだろうと良心の声に聞き従わなければ自分というものを維持するのが難しくなる。ひとたび良心に逆らえば何度も自分自身に対して言い訳をしながら不快な眠りにつき、数日後にはついに後悔をしなくちゃいけない。
 現場に戻るとまだ死骸はいた。よく見れば口から血を吐いている。車に轢かれたんだろうか。市役所に電話をしようと籠に手を入れる。
 しかし何度探しても見つからなかった。さっき籠に放り込んだはずのスマホが、音も形もなく消えていたのだ。どうやら道を走らせる途中籠から落ちたらしい。
「なんでだよ。猫のために、良心に従って市役所に電話してやろうとしたのに、どうしてこんな不運が起こるんだ?」
 俺はすぐにスマホを探すために道を戻ったが何度往復しても見つからないし、ついには市役所に電話をすることもできなかった。

 大切な日はやってきた。人の身にどんな不運が訪れていても日は明けるし、一つの幸運は時を待たずに訪れる。大切な日のそれに参加することによって俺は幸せを感じたし、人生の中で経験する数々の忘れられない日にそれは組み込まれた。例えスマホが見つからなくても大して重要なことではなかった。
 それが終わると俺はすぐにスマホを探しに出かける。今はまだ日があるし路肩の茂みに落ちていたとしてもすぐに見つけられる。そう思い現場に戻った。あの猫は【猫の死骸】と書かれているダンボールの中に入れられてすぐ脇に避けられていた。それから一時間ほど探したがついにはスマホは見つからなかった。公衆電話から電話をかけてもただコールが鳴り続けるだけだった。

 スマホは消えてしまった。もう誰かに拾われていることは明らかだった。すぐに警察に行くと遺失物届けを出した。ものは試しだと思いもう一度公衆電話から電話をかけてみる。再びコールが鳴る。
「はい」
すぐに女の声が聞こえてきた。意外な展開に動転してどもったがすぐさま声を返した。
「こ、こちらは〇〇様の電話でしょうか?」
「違います」
すぐさま電話が切られた。相手は明らかに警察官でもない。俺は青ざめすぐにauに電話をして回線を切ってもらう。悪用されたかもしれない。クレジットナンバーは大丈夫か。

 幸運も不幸もふいに訪れるものだ。たとえそれが善意によるものが引き起こした出来事だとしても、物語りはそこからじまり異なる日常に連れて行かれる。俺はその階段をどんどんと下って行った。まるでそれが異なる人生のはじまりの鐘の音のように、大切な日を経過してから俺の人生の何かがすこしズレてしまったようだった。

 数日後auから手紙が届いた。
「お客様のau電話機が拾得物として警察に届け出がなされています」
しかし俺にとってもう同じスマホではない。

後書き

脱構築…的な

この小説について

タイトル 落しモノ
初版 2013年5月5日
改訂 2013年5月5日
小説ID 4499
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ぬし
作家名 ★堀田 実
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