名駅と向日葵

 由子は新幹線の車窓から景色を眺めながら次のアナウンスを待っていた。通り過ぎていく建築物の高低差がまるで古い映画のフィルムのノイズのように流れていく。中学校時代の出来事を思い出が脳裏を音もなく過ぎるが、あまり明瞭に顔を思い出すことができない。
「そんなにイケメンじゃなかったような」
ぽつりと嘆息して漏れる声は車輪の唸りにかき消され忘れられる。
 右手に握られた向日葵の花がゆらゆらと揺れる。車内の振動はそれほどでもないと聞いていたが、由子には大きく思えた。改めて考えてみるとなぜ自分がここにいるのかわからなくなる。善意で行おうとしているのか、あるいはただの義理でやっているのか。そういう動機が大事なんだとよく言っていた母の言葉が頭に浮かぶ。頭を振るうと長旅のあともう少しの時間を目を瞑って過ごすことに決めた。

 悠一郎は車椅子を転がしながら名古屋駅に向かっていた。今日は一段と空が高く思える。上空は風が強いのか西から東へと容姿を変形させながら駆け抜けていく。筋状に延びた淡い白線がいたるところに伸びていた。
 もし天上と地上がひっくり返ったら俺はあの薄い雲につかまってやり過ごそうと、子供っぽい空想をしながらただ時間が過ぎるのを待つ。空に落下するはめになった人々は青い空、そしてその先の蒼い宇宙まで声もあげずに消えていく。そう想像するだけでも悠一郎には楽しかった。より不自由になればなるほど、人は空想の中だけで自由になれるのだと彼には実感することができた。脳からの信号をキャッチしなくなった両足がだらりとシートから垂れている。

 アナウンスがあると由子は自分の心臓の鼓動の音を聞いた。はじめて顔を合わせた時何と声をかけたらいいのかと考えると暗い気持ちになったが、改めて思い直し何も考えないことに決めた。彼が初恋の相手だったのであろうとなかろうと、今はただ今のお互いの状況を受け入れた上で接するしかない。そう思うと心が落ち着いた。ひとつ深呼吸をすると周囲の音が立体的に聞こえだし、前の座席でぐずる赤ん坊の声や後部で老後の話をする会社員の会話が聞こえた。景色はまだ光のように流れている。

 信号機の点滅ギリギリで渡り終えると悠一郎は改めてここに来ていることが不思議になった。格子状に配列された窓のツインタワービルを眺めているとまるで巨人の足下にやってきたような気がした。ジャックになった心持ちでいるとこれから待ち構える出来事がこれからの人生にとって大切なものであるように思えた。ジャックは金色の卵を産むニワトリを持ち帰ったが、いったい私は何を持ち帰ろうとしているのか。

 ドアを降りると帰ってきたのだと由子は思った。見慣れた景色がフラッシュバックした記憶と重なり不思議な気持ちになる。懐かしさっていうのはどうしてこうも胸を打つんだろうと思いながら、足早に改札口へと向かった。もし仮に覚えていなかったとしても向日葵があれば私たちの目印になる。それが悪いことの証しなのだとしても。脚は無意識に駆け出していた。

 先に着いたのは悠一郎だった。時計台の下で往来する人だかりの中で彼は由子が来るのを待つ。かつての教え子に再会するという機会に恵まれたにもかかわらず、この言う事を聞かない脚の状態で会うということに恥ずかしさを覚えていた。かつての姿を知る者からすれば今の彼は気まずい姿に映るに違いない。ましてやお互いに好意を抱いた相手ならなおさらだった。合わせる顔がないように思えた。
 由子が現れた時それが誰であるかはわからなかった。数百数千と往来する名駅の構内では十数年前の教え子を見つけるのは困難だった。しかし右手に一輪の向日葵を握り締められているのを見ると彼女にかつての由子の面影を見ることができた。お互いに障害者となった今となっては時の経過を感じずにはいられなかったが、勝手に笑みが溢れてくるのを感じた。記憶障害に陥った彼女も、交通事故で下半身の自由を失った私も本当は何も変わってなどいない。少しぼぉっとしたような恥ずかしそうな20代の彼女のその微笑みの内奥に、かつての子供らしい姿を見た気がした。
「金時計って向日葵に似とる」
かつてそう言っていた彼女の言葉が蘇る。時は変わらないまま動いているのだ。四方に顔を向けた金色の向日葵の花は今日も人々を見守っている。

後書き

名古屋駅=名駅

この小説について

タイトル 名駅と向日葵
初版 2013年5月26日
改訂 2013年5月26日
小説ID 4506
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ぬし
作家名 ★堀田 実
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