若葉の行方 - 月と砂浜 〜小野崎編〜

 「月と砂浜


空の三日月眺むれば
俯く君の俤(おもかげ)か

波音耳を傾ぶけば
君の泪の零れる音か

砂に残した足跡のやうに
君は忘れていくだろう
俺を忘れていくだろう

君への想ひは海の泡となりて
消えゆくことを厭わず」






 ひとり砂浜を歩いた。初春の夜の澄んだ空気に、潮の香りが混ざる。体内の空気を入れ替えるように大きく息を吸い込むと、ひんやりとした空気が鼻と口から気管を通り、肺に流れ込んだ。吐き出す吐息は白く揺蕩う。今夜は少し冷えているようだ。僅かに咳き込む。

 あれから幾日過ぎただろう。空を見上げれば、三日月だった月も今宵は満月。月明かりに星は霞み、海は光の波を作り出す。たなびく雲は青白く、手を伸ばせば触れられそうな程近くに見えた。
 月は満ち、そしてまたやがて欠けては闇に呑まれる。まるで人の生まれ死に逝く姿を見せるかのように。この眩い光も、いずれ新月となって消えるのだろう。不意に目頭が熱くなり、涙が頬をつぅと流れる。何もかもを捨て、とうに覚悟も出来た筈。今更何を嘆くのか。

 親友の嘘を、俺は知っていた。だからこそ決心がついたのかも知れない。嘘をついてまでその想いを通そうとした彼奴(きゃつ)になら、と。

 「あの、もし?」
突如背後から掛けられた声。慌てて頬を手の平で拭う。何事も無かったかのように振り返ると、そこには年の頃二十歳くらいの娘が立って居た。一瞬、あの人かと思った。
「・・・何か?」
平静を装って尋ねる。娘は言葉を詰まらせ、視線を反らした。
「いえ、あの、なんだか物悲しそうに見えて、つい声をお掛けして
しまいました。」
娘は再び顔を上げた。まだ幼さの残る、少女のような顔だった。
「・・・泣いて、らしたのですか?」
娘は真っ直ぐ俺を見上げる。拭った筈の頬は、また新たな涙で濡れていた。
「・・・可笑しいだろう?いい年した男が、月を見て泣いてるなんてね。」
そう言いながら、俺は自嘲するように笑みを浮かべた。娘は大きくかぶりを振った。
「泣きたい時は、泣いてしまったほうがいいんです。」

ナキタイトキハ、ナイテシマッタホウガイインデス。

心の中で反芻する。その言葉に、涙が更に溢れる。俺の中の何かが弾けた。膝をついてしゃがみ込み、嗚咽する。子供のように咽び泣く。声を上げて泣いたのは、十数年振り位だろうか。

 嗚呼、あの人に逢いたい。
あの日に戻れたならば、俺はあの人を連れ去っただろう。
あの日に戻れたならば、俺はあの人を帰さなかっただろう。
そう。本当は最後の最後まで、俺の決心は風に揺れる炎のように揺らいでいた。
しかしあの時別れを決めたのは、他でもない自分自身なのだ。

 娘は俺の隣に寄り添うようにしゃがみ、そっと背中をさすってくれていた。そのままどれ程時間が過ぎたのか。
「・・・情けないところを見せてしまったね。」
暫くして、落ち着くと同時に羞恥心が込み上げる。
「いいえ。誰にだって、泣きたくなる時はあります。」
「有難う。」
立ち上がった娘からすっと差し出された手を取り、俺もその隣に立つ。
「手、冷えてますね。大丈夫ですか?」
「ああ。確かに少し冷えてきた。そろそろ帰ったほうがよさそうだ。君も、
早めに帰るといい。」
娘から手を離し、背を向け歩き出そうとしたが、何気なくもう一度振り返った。
「君は、よく此処へ来るのかい?」
娘は顔を赤らめ、両手を胸のあたりで組んだ。
「時々、来ます。この近くに住んでおりますので。貴方様は?」
波の音に娘の声が心地よく重なる。
「最近此処へ越してきたんだ。」
言うと、娘の顔に喜びの色がぱっと広がる。
「まあ、そうでしたか。どのあたりに?」
俺は自分が世話になっている病院のあるあたりを指差した。
「もしかして、皆川診療所の先生の所に最近いらした・・・」
「ああ。しかし驚いたな。此処では噂が広まるのが早いのだね。」
この娘は、ころころ表情が変わる。先程は嬉しそうにしていたかと思えば、事情を知っているのか、今は気まずそうな顔をしている。なんだか面白い。
「いえ、姉が皆川医院に勤めておりますので。すみません、余計なことを・・・」
「いや、構わないさ。」
俺が微かに笑みを浮かべると、娘は安堵したように言葉を続けた。
「でもなぜ、こんな田舎町に?」
まだ知らぬ事を大人に尋ねる幼子のような顔で問う。
「此処は、海が近いから。」
「海?」
「ああ。もう長くはないんでね。どうせなら海の見える静かな所で過ごしたかったんだ。その我儘を友人が聞き届けてくれた。」
気負うでもなく、何気ない世間話のように言う。言葉の意味を咀嚼するようなしばらくの沈黙。
「あの、私、毎日此処へ来ます。だから」
「・・・?」
不意をつかれて、思わず娘の顔に見入った。
「だから、泣きたくなったら、また来てくださいっ。」
娘の精一杯の気遣いが伝わってくる。
「・・・有難う。」
俺は再び背を向け、海を後にした。ふたりを、月だけが見ていた。

後書き

 

この小説について

タイトル 月と砂浜 〜小野崎編〜
初版 2013年6月23日
改訂 2013年8月4日
小説ID 4513
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作家名 ★佐伯 諒
作家ID 824
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