若葉の行方 - 友と云ふもの 〜石渡編

 彼と初めて言葉を交わしたのは、同じ組になった高校3年の時だった。成績優秀で模範的な生徒。それに加えて容姿端麗だった彼の存在は校内でも評判で、他者に関心を抱かない僕もその存在を認識していた。ただ、これといって取り柄のない僕には、縁遠いものと思っていた。

 僕には4つ上の兄がいて、ゆくゆくは会社の跡取りとなるべく、父の期待を大きく背負い、厳しく、かつ大事に育てられていた。反面、僕はそんな兄のおまけのようなもので、何を期待されるでもなく、わりと自由気まま、好き勝手にさせてもらっていた。高校への進学に関しても「お前の好きなようにしなさい」の一つ返事であっさりと学費を工面してくれた。傍から見れば何不自由なく恵まれているように見えるだろう。けれど僕の中では言いようのない虚しさが常に居座っていた。「所詮僕は兄のおまけなんだ」と。本を読んでいると、その虚しさを忘れられる。小説は川端康成、夏目漱石、太宰治、詩は中原中也、津村信夫、立原道造をとくに好んで読み、僕は文学にどっぷり浸った。そんな僕を、多くの同級生は異端者として遠巻きに見ていた。

 五月のある日の休み時間、僕はひとりでいつものように教室で本を読んでいた。たしか、中原中也だったろうか。突然それを、何者かの手に取り上げられた。
「『汚れっちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる』」
三人の同級生たちだった。奴らは僕が読んでいた本を取り上げると、声に出してそれを読んだ。揶揄するように。堪らない不快感が胸を占める。
「・・・返してくれないか。」
しかし僕の言葉に耳を貸すこともなく、奴はさらに続けた。
「『汚れっちまった悲しみに今日も風さえ吹きすぎる』」
「おい、返せってば。」
僕は本を取り返そうと手を伸ばすが、それは虚しく空を切るだけだった。その時、教室の扉がガラリと開いた。そこには彼、小野崎正臣が立っていた。居るだけで他を圧倒する存在感。刹那、その場の空気が凍った。
「・・・何をしている?」
雰囲気で状況を察したのか、彼は僕の周りにいた同級生を睨みながら言った。
「いや、なんだか面白そうな本を読んでるから、少し見せてもらいたいなと思って」
無理やり作った笑顔を張り付けて同級生らは弁明する。彼は僕の本を取り上げた同級生に近づいた。
「返せよ。」
ひょいっと本を取り返し、僕に差し出す。
「あ、ありがとう。」
「おい、行こうぜ。」
奴らはそそくさと教室を出て行った。それを一瞥すると、彼は僕に視線を移した。
「・・・いつも本を読んでいるな。そんなに面白いのか?」
「うん、僕にとってはね。」
「それは?」
僕の手にある本を視線で示す。
「中原中也だよ。」
「中原中也?」
「ダダイズムの詩人さ。・・・もしよかったら、読んでみる?」
口にしてから思った。なぜこんなことを云ってしまったのだろう。
「そうだな。貸してくれると云うなら、君が読み終わった後にでも。」
意外な返事だった。笑われて終わりだと思っていたのに。
「これはもう何回も読んでいるんだ。飽きた時に返してくれればいいよ。」
取り繕うように云って僕が本を差し出すと、彼はそれを手に取った。静かにページを繰る彼の動きは、無駄のない美しさというものを感じさせる。
「有難う。」

 彼が本を返してきたのは、その翌日だった。やはり彼の興味の対象外だったかと思ったのだが、そうではなかった。
「他にも何かいい本があったら借りたいんだが。」
彼は一日の内にすべて読み終えてしまったのだ。それからも彼は度々本を所望し、のめりこむように文学に興味を持つようになった。そしてふた月もしないうちに僕と対等に渡り合える程彼は文学に明るくなり、時には作家の真似事をして書いた小説などを見せ合ったりもした。その頃僕らは、互いを親友と思うほど親しくなっていた。

 それまで僕は、彼の事を他の同級生や兄と同じ「お坊ちゃん」だと思っていた。しかし彼の背景は、僕が思い描いていたようなものではなかった。
 幼い頃に母を病で亡くし、医者であったが母を救えなかった父との溝に悩み、それでもひとり息子であるが故に、病院を継ぐため医者にならなければならないという葛藤に苦しんでいた。普段の彼を見ながら、どれ程の人が彼の心の内を窺い知ることが出来ただろう。

 また僕自身も自分の身の上を話すことがあった。父も母も祖父も、皆兄にばかり期待を寄せていると。
「兄は経済学を学び、会社経営のなんたるかを学び、父の敷いた道を歩んで、やがて会社を継ぐ。父に従順で実直な兄は石渡家の期待の星なんだ。僕はそんな兄のおまけのようなものさ。」
傍で聴いていたら、ふてくされた子供のように思われるかもしれない。しかし彼は真剣な面持ちで静かに聞いていた。
「ならば、お前は経済学以外の事を広く学べばいいじゃないか。確かに会社経営には経済学は必要だろう。会社経営のなんたるかを知ることも大事かも知れない。しかし、それだけではきっと視野が狭くなり勝ちだ。そんなときに必要とされるのが、ひとつどころに捉われない広い知識や発想なんじゃないのか?きっとそう云う考えもあって、お前の父君はお前の学びたいようにさせてくれてるのさ。折角自由に選ばせてくれてるんだ。自分の進みたいように進めばいいじゃないか。」
彼の言葉は、僕にとって何にも勝る説得力があった。彼のこの一言で、僕の心はどれ程救われたか知れない。





 そしていよいよ進路を決めなくてはならないという十一月のある日の帰り道、夕暮れの川沿いを歩きながら、彼は衝撃的な告白をした。

「医者を目指さず、文学の道を進もうと思う。」と。

 今にして思うと、彼のこの決心がなかったら、僕らの本当の意味での友情は、ずっと続いていたかもしれない。いや、僕ら、というより、僕自身の。
 だがこの頃の僕はそんなことを知る由もなく、共に同じ大学の同じ文学部を目指すことに純粋な喜びを感じていた。しかしここで彼はまた、大きな苦悩を抱えることとなる。彼の父が彼の決心に猛反対し、文学を目指すなら勘当すると言ってきたのだった。
大学の学費を出さないことは勿論、家を出て行けとさえ言ってきたらしい。無事ふたりそろって進学してから、彼は家を出て大学の近くに下宿した。休む間もなく勉学と学費を稼ぐための仕事に追われ、苦学生としての日々を過ごす彼の努力は、並はずれたものだったろう。

この小説について

タイトル 友と云ふもの 〜石渡編
初版 2013年7月5日
改訂 2013年8月4日
小説ID 4520
閲覧数 453
合計★ 0
佐伯 諒の写真
熟練
作家名 ★佐伯 諒
作家ID 824
投稿数 14
★の数 0
活動度 1418

コメント (0)

名前 全角10文字以内
コメント 全角3000文字以内 書式タグは利用できません
[必須]

※このボタンを押すと確認画面へ進みます。