若葉の行方 - 『二人の夕餉〜沙代子編』『驚喜と戸惑い〜小野崎編』合併章

「あの、正臣さん。」
「?」
沙代子の言葉に、正臣は箸を止めた。珍しく早く帰宅した正臣との久々の夕餉(ゆうげ)時の事である。
「もしも、もしも私に縁談の話が来たら、正臣さんは、どう思いますか?」
突然の話に、呆けた顔のまま固まる正臣。
「あの、あの・・・・・」
沙代子は口ごもった。沈黙の中、正臣は箸を置いて暫く考え込む。 話は昨日に遡る。



 「ねえ、沙代ちゃん。ちょっと訊きたいんだけど、沙代ちゃんはこないだから一緒に暮らし始めた人とゆくゆくは結婚する気でいるのかい?」
仕事を終え、帰り支度をしている沙代子に、和菓子屋の女主人(おかみ)が声をかけた。
「え?」
前掛けを畳む手を止め、女主人を見た。。
「いやね、実は知り合いが嫁の来手を探してて、いい子がいないか相談されてるのよ。沙代ちゃんは働き者だし、素直でいい子だからどうかしらと思って。」
「・・・はあ。」
突然降って湧いた話に、沙代子は面食らっていた。
「でも今一緒に暮らしてる人がいるっていうから、そのへんが気になってね。」
自分と正臣との関係。確かに生活を共にしているという事実はある。けれどそこに男女としての関係があるかと問われれば、それは否定するのが正しい。
「お付き合いをしているとかそういったことはありません。ましてや結婚なんて。けど・・・。」
沙代子は女主人から目を逸らし視線を落とした。
「けど?」
「・・・・。」
問いかけられ、言葉に詰まった。切ない想いが胸にあふれる。手に握った前掛けを見つめた。
「・・・沙代ちゃんは、その人のこと好いているのね。」
はっとして女主人の顔を見つめる。沙代子の沈黙に全てを察したように、女主人が優しく言葉を繋いだ。
「でももしよければ、会うだけでも会ってみない?」



 「・・・それは俺がどうこう言える事ではないよ。沙代子さんが受けたいと思うなら受けるのがいいんじゃないか?」
正臣が沈黙を破って口を開く。一瞬、頭の中が真っ白になる。それでも、正臣が口にした単語の一つ一つの意味を確かめるように、頭の中でなんとか反芻する。沙代子の思考はひとつの答えに辿り着いた。
「・・・・・そう、ですよね。ごめんなさい、変な事訊いてしまって。」
声が震える。目頭が熱くなる。俯かなければ、この感情を隠しきれない気がした。
「沙代子さん?」
正臣はそんな沙代子を心配そうに見つめた。
「ごめんなさい、なんでもないんです。」
無理やり取り繕う笑顔。
「なんでもないのに泣く人などないだろう。俺が何か気に障る事でも言ってしまったなら謝るよ。」
正臣は状況に戸惑いながらも、沙代子を按じた。
「違うんです。そうじゃなくて。」
「?」
「私、私、正臣さんの事が・・・好き・・・で・・・」
「・・・・・。」
正臣は驚きを隠せず、目を見開いて沙代子を見つめた。
口にしてから後悔した。こんなことを伝えたって、正臣には煩わしいだけでしかないかもしれないのに。
「いえ、なんでもありません。お夕飯、冷めてしまう前にいただきましょう。」
沙代子はご飯を口に含み、何度も噛みしめた。味はしなかった。




    ◇     ◇     ◇



 正臣は本を閉じ、床に入った。気を紛らわそうとしても先程の夕飯の時の会話が頭を離れない。


『私、正臣さんのことが・・・好き・・・で・・・』


沙代子の言葉を胸の内で反芻する。思ってもいないことだった。驚きはしたが、嬉しくないと云ったら嘘になる。

 俺の一方的な感情だと思っていた。だから気持ちを打ち明けるつもりも毛頭なかった。ただ、できることならこうして共に過ごせる日が一日でも長く続けばいいと、漠然とそう願っていた。

 子供の頃、母に俺のことを大好きだと云ってくれたことがあった。「大きくなったら嫁になってやってくれ」という母の言葉に、なんの迷いもなく頷いていた。あの時、気恥ずかしかったけれど、本音を云えばやはり嬉しかった。

「そんな昔のこと、覚えてもいないだろうにな。」
ふっと微笑んで呟いた独り言が、明かりの消えた部屋を行くあてもないまま彷徨う。何とも云えぬ温かな喜びが胸に満ちる。しかし、その一方で。

 沙代が俺を慕ってくれているとして、果たして俺はどうしたらいいのだろうか。互いの気持ち以外を切り離して考えるならば何も難しいことはない。俺はその想いを伝えることを躊躇わないだろうし、子供の幼い恋ならそれも許されるだろう。
けれど。
今の現状はどうだ。仕事をしているとはいえ大学に通いながらのことでは大した稼ぎにもなりはしない。その金さえも「学業に役立てていい。」という沙代の言葉に甘え、家計の支えにすらならない。そればかりか、大学の学費さえ援助してもらう始末。きっと彼女は両親の遺産までも切り崩して工面してくれたに違いない。

こんな甲斐性無しが、彼女と夫婦になどなれるわけがない。

ならば、きれいさっぱり諦めきれるのか。口先ではああ云ったが、持ちかけられた縁談を受けるように進言できるだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

否。沙代が見ず知らずの男の妻になるなど、耐えられない。ならば、一体どうしたらいいと云うんだ。
・・・やはり、石渡に相談してみよう。あいつなら、何かいい助言をしてくれるかもしれない。

息苦しさを感じ、寝返りを打った。いろんな想いが胸の内を駆け巡り、ようやく眠りに就いたのは明け方のことだった。

この小説について

タイトル 『二人の夕餉〜沙代子編』『驚喜と戸惑い〜小野崎編』合併章
初版 2013年7月5日
改訂 2013年8月4日
小説ID 4524
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作家名 ★佐伯 諒
作家ID 824
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