若葉の行方 - 『砂浜〜沙代子編』『喪失感〜沙代子編』合併章

正臣の葬儀が終わったその日の夕暮れ。佐代子は砂浜に座って海を眺めていた。
 正臣の父と石渡と自分、そして正臣の担当だった看護婦と、自分と年の近そうな少女。たった五人の、静かな葬儀だった。

 正臣に別れを告げられたあの日の海は、空の色を映して青く輝いていた。今は沈んでいく夕陽を映して、茜色に染まっている。
 何も、考えられなかった。考える気力がなかった。「ぽっかりと穴が開いたような」とは、きっとこんな心持ちなのだろう。

「正臣さん。」

名前を口に出してみる。応える声はなく、ただ波音が響いた。せつなさに、悲しさに、胸が苦しくなった。

「正臣さん。」

それでもなお、その名を呼ぶ。

 帰ろうと思ったその時、自分のほうに向かって走る人影を見つけた。自分とあまり年の変わらない少女。先ほどの葬儀で、正臣の担当だった看護婦と並んでいたのを思い出した。
「あの、これ・・・。」
弾む息を整えながら少女が差し出したのは、一枚の便箋だった。少し皺が寄り、少女が一生懸命握り締めていたのがわかる。それを風に飛ばされぬようしっかり受け取った。広げて、思わず目を見張った。間違いなく、正臣の字。そこには一遍の詩が書かれていた。一番最後の二行はインクで黒く塗りつぶされていて、読み取ることはできない。
「これは・・・。」
「小野崎さんが、書いたものです。貴女に渡したくて。」

・・・・・・・・・・・・・・。

忘れろ、と、云っている。自分のことは忘れろ、と。
詩を読んで、沙代子はそう感じた。
けれど。
忘れたりしない。忘れられるわけなどない。今も変わらず、こんなにも想いが募っていくのに。涙は出なかった。知らず知らずのうちに胸が熱くなる。


「最後の二行、私見たんです。なんて書いてあったのか、はっきりとは思い出せないのですけど・・・。」
申し訳なさそうに目を伏せる。
「これを、何処で?」
不思議に思い、尋ねた。
「燃やされてしまう前に、盗みました。」
少女は、見つかった悪戯を開き直った子供のように云った。
「私、小野崎さんの担当だった看護婦の妹なんです。知り合ったのは偶然なんですけど、小野崎さんを尊敬してました。」
沙代子は黙って話を聞いた。波の音とともに。
「小野崎さん、自分が死んだら私物は全て燃やすように云ってたらしいんです。でも私これだけは燃やしちゃいけないものだと思って、筆記帳から抜き取っておきました。」
沙代子は便箋を胸に抱きしめた。
「・・・海はいいですよ。波の音を聴いてると、心が落ち着きますから。」
そう云って深くお辞儀をすると、少女は来た時と同じように走って行った。沙代子はそれを静かに見送ると、便箋を眺めながら波の音に耳を傾けた。
そう云って深くお辞儀をすると、少女は来た時と同じように走って行った。沙代子はそれを静かに見送ると、便箋を眺めながら波の音に耳を傾けた。



     ◇ ◇ ◇




 玄関の戸を叩く音がした。
「沙代ちゃん。沙代ちゃん?いるんだろ?」
壮年の女の声。わずかに戸を動かす音。鍵がかかっていないことに気づくと、そのまま戸を開けた。家の中はしんとして薄暗かった。
 返事をする気力もないまま、沙代子は壁にもたれかかり座っていた。ぼんやりと虚空を見つめる瞳は、暗く沈んでいた。卓袱台の上を、カーテンの隙間から差し込む光が踊っていた。

足音・・・。
誰か、来たのかしら・・・。
正臣さん・・・?
そうだ、お夕飯の支度しなくちゃ。
今夜は何にしよう。
厚揚げの煮物にしようかしら。
正臣さんの好物ですものね。
それと、ご飯と味噌汁も作って、鯵の干物を焼いて。
ああ、でも、なんだか体に力が入らない。
そう云えば、最近食事らしい食事をしてなかったわ。

「沙代ちゃん!」
部屋の襖を開け飛び込んできた女は、沙代子を見つけると駆け寄った。肩を掴み激しく揺する。
「しっかりするんだよ!沙代ちゃん!」
薄ぼんやりと、意識が引き戻される。
「おかみさん・・・。どうして、ここに・・・?」
沙代子が云うと、女、和菓子屋の女主人(おかみ)は、ほっとしたように胸をなでおろした。
「もう何日も連絡もないまま休んでたから、心配で来てみたんだよ。こんなにやつれちまって・・・。」
「ああ、すいません。なんだか、何もする気になれなくて。でももう大丈夫です。もうすぐ、正臣さんも帰ってきてくれますから。」
笑顔を浮かべながら話す沙代子の言葉に、女主人は顔を強張らせた。
「沙代ちゃん・・・その人は、もう・・・・・帰ってきやしないんだろ?」
目を見開き、首を激しく左右に振る沙代子。
「嫌・・・嘘・・・正臣さんは、もうすぐ、帰ってくるんですっ・・・もうすぐ・・・」
沙代子の気持ちを思うと、自分がどれだけ酷なことを云っているかは痛いほどわかる。けれど。
「その人は、もう死んじまったんだ。死んじまったもんは、帰ってきやしないんだよ。」
女主人の声は震えていた。沙代子は幼子のように泣きじゃくった。
「いっそ、死んでしまいたい・・・。正臣さんのところに・・・。」
「馬鹿云うんじゃないよっ。辛いだろうけど、あんたは生きてるんだっ。生きてかなきゃいけないんだよっ。」
沙代子を抱きしめ、女主人も泣いていた。

 気持ちが落ち付くまでは心配だからと、沙代子は暫く女主人の家に身を寄せることになった。沙代子が再びこの家に戻ったのは、正臣の死から一カ月ほど過ぎたころだった。

この小説について

タイトル 『砂浜〜沙代子編』『喪失感〜沙代子編』合併章
初版 2013年7月6日
改訂 2013年8月4日
小説ID 4529
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作家名 ★佐伯 諒
作家ID 824
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