裸のスキモノ - 裸のスキモノ―


 ルウがバッグを欲しがった理由がわかったのは、ちょっとした偶然。
 
 あいつがベッドの上に俺が買って来てやったそれを枕の上に置きっぱなしにして珍しく外に出かけていた。そして俺がそのバッグを隣にはべらせて眠っている間、少し大きな地震が起きた。間もなくして目が覚めたが理由は地震じゃなくクソと腐った何かの臭い。口がマックスに開いたままだったバッグから落ちてきたのは、ゴボウの欠片、ニンジンの先端、トウモロコシの芯、スコップ、ポータブル型空気入れ―ルウの肛門史が刻まれた挿入物コレクションだった。寝ぼけマナコの前にハンガーの束を確認すると(後で聞いた話だが、事後密かにソファの下に捻じ込んでいたらしい)瞬く間に意識が出戻りし、すぐにシーツを取り替えてルウを呼び戻した。
 
 だが奴は「これは大事な子達だから」と言って聞かず、挙句の果ては「ソファで寝ればいいじゃない」などと開き直り始めたのだった。私物についてはひどく潔癖症な俺はそんな甘えた言い訳など一ミクロも許容したくないどころかそのクソの臭いを封じ込めたバッグの中にルウを閉じ込めてひと月ほど野外に放置してやりたかったが、先日の敗北に対する自らへのペナルティも込めて、シーツを洗わせるだけに留めてやった。なるほど変なところで頭が固い。

 炊事洗濯の四字熟語を知らない奴でもシーツは何とか洗えた。ところがあいにく自宅には乾燥器がない。結局ルウを連れて新宿の生活雑貨屋に足を運び、久しぶりに呼ばれたDJイベントの楽屋に新品のシーツを持ち込むことになった。
 
 吝嗇怪人でもあるルウはどうすればタダで暇つぶしができるか熟知しているため、どさくさで俺に付いて楽屋に入っている。カギなんて貴重なアイテムはこいつに渡さない。ゆえに今日みたいなオールナイトイベントだと奴は帰宅困難に陥るので、こちらとしてもやむなし。

 美人ではないことは確実な女だったがそれでもモテる。楽屋に入って三〇分、二人目の口説きが始まった。理由? 知れたこと。みなすでにゲロ酔いだからだ。アルコールは世界平和促進剤だ。六十億人全員が泥酔しちまえば美人もブサイクも消滅して万々歳さ。

「なあ、お前さあの子と付き合っている訳じゃあないんだってな」

 ハジという男が向かいに座り、俺の氷結を一口飲んでから話を持ちかけた。

「そうだけど?」

「そんじゃ話が早い」

「狙おうってそうはいかない」有無を言わせぬ強い口調で返した。

「なんでさ、家族でもないんだろ?」

 この男は痩せているから正直者。だが如何せん常時勃起しているような男だ。性欲の強い男はたいてい記憶障害があるので、細心の注意を払って言葉を選ばなければならない。

「あいつは本当にしんどいぞ」

「メンタル的なあれか?」

 ハジは心臓の前でくるっと円を描いた。引いてきたな。油断はしない。

「そんな感じともいえる」

「分かりやすく言えって」

「ルウ」

 俺が呼ぶと、奴は犬笛を聞いたイヌのごときスピードでハジの背後に来た。

「バッグ」

「うん」

 ルウはすぐさま赤いスペードのバッグを机に置く。

「開けてこいつに見せてみろ」

 俺は顔をしかめつつ指令を出した。やや固めのファスナーを開く。中身を見ようとハジが覗き込む。俺はすかさずその頭を軽く押し込んだ。

「うげえぅっ」

 聞いたこともない悲鳴。思えば肛門に関わった全ての音が新しい。

「鼻がよすぎるのも、考えものだね」

 感想もなく迅速に席を立ったハジにルウが手を振った。

「そんな臭いじゃ、鼻づまりでも半日寝られなくなる」

「あ、じゃあイベント的にはよかったんじゃん。でも、帰ってくるかな」

「少なくともここには座らない」

 俺は振り向かずに答え、ノートパソコンとインターフェイスを接続した。威嚇効果か。赤いスペードのバッグは、洒落てるわりにえらく原始的だ。







 楽屋を出るとすでに音楽が鳴っていた。回しているのはDJインドネシアっていう、俺が知っている中で最もキャッチーでダサいネーミングの中年男。DJの腕は新人レベルで、世界中の音楽を聴くことで辛うじてオスとしての矜持を保っているだけの男。しかしそれを二〇年やってきた。正直羨ましくもある。いじめの標的にもならないクラスの落ちこぼれみたいな自分の名前が時たま癪にさわるので、いっそのことインドネシアのように腰抜けな名前にリネームしてみたいと思うこともあり。しかし名前なんてものにプライドがある人間には高血圧が多いので考えものだ。DJという呼称さえ自分には似つかわしくない。「DJの仕事をたまに請け負っているフリーター」が正しい。

 とは言え、裸の王様でもこの空間では一応はDJ扱い。ただ、俺は回したいだけで踊りたいわけじゃない。つまり今から一時間近くはアンニュイ。今日もノーギャラだ。

「静か」

 フロアの中心にある邪魔くさい柱に後頭部を当てたルウが、隅の巨大なスピーカーを指差す。楽屋に置いておけないので、バッグはポーチと合わせて二つ。いつ右手からドリンクをぶちまけるかと思うと気が気でないが、こいつに限ってはアルコールの一杯や二杯かぶった方がいくらか綺麗になるかもしれない。

「Cex。シー・イー・エックスで読みがセックス」

「知らない」

「イギリスのミュージシャン。ブレイクコアっていうテクノの―」

「ふうん」

「昨日お前の歯磨き中に流していた曲もブレイクコアだった」

「聴いてないもん。あなたのウンチクうるさくて」

「自虐のつもりか」

「何言ってんの」

 あ、とルウは俺の言葉の意味に気づいたようだった。遅い。この話は終わりだ。俺もここずっと汚い話ばかりで麻痺していた。便所で用を足すとき、自分の尻なのかこいつの尻なのか分からなくなることがある。だがどんなに乱調気味でも嗅覚は変わらない。ここにいる梅酒抱えた末期アンニュイ女はやはり一五歳で、俺は少々の無駄金をはたいて中途半端なゴミ女を養っている。だがむしろゴミでなかったら興味さえなかったはず。ルウは面の皮が厚いくせに皮の色は透明。スシ詰めのゴミがスッケスケだ。言わば裸のゴミ。裸ってことは面白いってこと。

「今度、お尻、入れてみない?」

 ルウがスカートの中に後ろから手を入れた。布に覆われて確認できないが、深さを見るにおそらく下着の中にまで指が入っている。

「ペアルックなんてまっぴらだ」

「あなたみたいな人ほどオススメなのに」

「どうして」

「事後のあたし何度も見たでしょう、疲れがとれてウルトラエクスタシーなの。騙されたと思ってやってみて」

「俺が疲れているように見受けられたのか」

「疲れないよ。ずっと疲れてるんだもの」

「お前にしてはこねくり回したな。俺が女に絶対言わない言葉が二つある。一つは『無理しないで』、そしてもう一つが『疲れているでしょ』だ。無理と疲労は人類共通。『あなたは足二本で歩いていますね』ってのと一緒。好きにさせてもらう」

 ハハッ。鼻で笑い飛ばした。すると奴の手が遅くもないスピードで俺の掌に接近してきたため、間一髪で上に回避。

「手洗って来い」

 耳の付け根を掻きながら、俺は冷徹に答えた。

「じゃ、トイレ案内して」

「了解」

 承諾とともに俺はルウの手首を引いて早歩きで便所に向かった。人前で連れ込むリスクはどっちでもいい。リスクよりリズム。支障はゼロ。石鹸のストックが切れていない限り。







 日本の長所を一つ挙げるなら、便所の清潔さ。イギリスあたりの映画だと、こういう所の便器には蓋もなく、水洗機能が壊れていて便座の隅から隅まで糞の大海原なんてことはザラにある。せいぜい便器からはみ出したゲロが擦られている程度。
駅中でさえ所々に糞尿の臭いが混じっている新宿だが、ここの便所はやむを得ない傷や焦げ痕を除けば完璧なクリンネスを保持している。

「そういえばさ、退学になっちゃった」

 クシャクシャのフライヤーに囲まれた黒い壁に寄り掛かって座った途端の告白。

「何かやらかしたのか」

「別に。休みすぎだと思う」

「家に帰る理由がなくなっただけか。良かったな」

 無駄話を受け流してするりと唇に顔を近づけた俺の視界を、ルウの右手が遮った。

「その手」

「正解。まだ洗ってません」

「早くしろ」

「了解です、でしたら、イイの見つけて」

 背中を向け、洋式の便座に膝立ち。少女という形容すら与えられない貧相な尻。またか。今までは面白いから乗ってやったが、甘やかしすぎたようだ。

「外の客を泥酔させてくるのが手っ取り早い。世の中で最も臭いシンプルな物体が手に入る」

「個体がいいの」

「じゃあ自分で探せ。俺はもう疲れた」
こいつが何でもなく退学になる理由が分かる。好き嫌いにうるさい奴が淘汰されるのは世界共通だ。

「うーん」ルウは再び前を向き、便座にしゃがんだ。

「気持ち悪いものってこう、妖怪みたいなイメージだったから難しくて」

「ブスの舌でも切り取ってこい」

「これとかでいいのかも」

 奴は俺の腕を離し、便器の蓋をクインクインといじくりはじめた。なるほど便器なら少々大きいがここでは適切。後ろのタンクを開ければホースや何やら、宝の山だ。

「時間稼ぎか」

「セックスよりもアドベンチャーゲームがしたい年頃なの」

 あざとさにおいては正直な女だ。俺はさすがに嘆息した。初めて身体の関係を持ってから数週間、俺達は当たり前のように数度、肛門の関わりのない性行為に及んでいた。ルールのないゲームには負けたが精神的には優位に立ったと思い込んでいたのが俺の過失。むしろルウの掌中だったというわけ。まさかこのタイミングで拒まれるとは。マンコってやつはいつの時代も落とし穴だ。だが、そう簡単に収まるほど俺の睾丸は礼儀正しくない。

「名誉毀損だ。ルールブックなんて要らない、しかるべき罰は受けてもらう」

「はーい」

 一時休戦。さて、人生初の便器解体に取り掛かろうか。所持品は財布のみ。時計も控室に置いてきた。あと何分で出ればいいかは分からないが、なるべく早く済ませて本業に戻りたい。

「手伝おうか」ルウが二cmほど顔を前に出した。

「必要ない」

 ふーん。と、尻丸出しの女は地べたに座り込み、眠るように俯いた。尻女に尻女の役割がある。とは言え、この解体は難解なミッションだ。下手にいじれば出禁でさえあり得る。蓋から外すか。しかし蓋など入りやしない。ならば最上部の蛇口の取り外しから始めるか。

「壊しちゃえばいいのに」

「怒られるだろうが」ぼそっと呟いた。

「あ、そっか、クフフフッ」

「何だ」

 蛇口は蛇行しているので恐らくこいつが満足する前に頭打ちになる。カエシがかかっているから取り出しにも時間がかかる。

「事が済んでせっせと片付けるトコ想像しちゃった」

「終わりの話は始まるまで取っておけ」

 ならばだ。ハイリスクハイリターンで中身を取り出そう。少なくとも在庫は充実しているだろう。俺は蓋を外して床に置いた。暗闇に手を伸ばす。心臓が高鳴るのを感じる。器具なんかパソコン以外ロクにいじったことないから当然。

 ヌルヌルする。こんなところまで洗うような上品な場所は東京にだってない。嫌悪感はない。ルウの肛門だってこんなもんだった。全体がタバコ臭い分異臭もそこまで感じないが、真夏の老人に似た、やけに清々しい酸味のある臭いがやや鼻につく。この汚さならどれでもルウに及第点をもらえるはずだが、簡単に解体はできない。慎重に水の中を掻き分け、目ぼしいものを探す。黒い物体。白い物体。黒。白。黒。白。どれか外さねば何も取れない。当たり前だ。

「ん」

「どうしたの」

「奥に何か挟まっている」

 両端が他の管や壁と接続されていないのが暗がりでも見える。つまりは取っても問題ないと解釈できる。ありがたい。最低でも水浸しを覚悟する必要はなくなる。

「これで、どうだ」

 俺は大物を釣るようにして、その長い物体を引き上げた。二の腕に少しだけ水がかかったが気にはならない。

「それいい! 何それ」

 感触・太さから鑑みるに、清掃用のホースだ。カビまみれで原色を留めていない。おまけにコケか何かの黒い汚れが一mはある管の半分以上を覆っている。

「ずいぶんと前に誰かがぶち込んだんだろう」

 こんなの突っ込んだら中の水がめちゃめちゃに汚染されちまう。この水がウォシュレット用だったらとは想像もしたくない。

 表面を優しく撫でると、ホースとは思えない、トカゲのようなゴツゴツした感触。元凶は黒いデロデロだ。腋臭の年寄りのような、生臭い異臭までする。口呼吸をしても勝手に鼻の奥まで入ってきやがる。これからはゴム手袋をポケットに隠し持っておかないといけない。もし臭いが取れなかったら、トイレットクリーナーで手を拭くことも辞せない。そうは言っても、あらゆる汚れは尻女で遊べたからこそと考えれば、愛らしくもある。神様になるには尻が汚すぎるから無理だろうな。

「口」

 ルウは蛇口付きのタンクの蓋を指差した。

「下に置くから」

「ぶら下げたってかまわないぜ。フックを汚すのは得意だろう」

「ハンガーの話? フックは挿れてないでしょ。ていうか引きずりすぎ」

「いつまでも他人の鼻に拘っているのは誰だ」

「あたし」

 そういうことだ。と、まだ何か言いたげな口に蛇口を突っ込んで塞いだ。少々乱暴だったので唇が切れたかもしれない。上手いこと会話が切れたのだから許されるだろう。シチュエーションは様々だが、最近はこいつとのコミュニケーションがスルスルと進む。セックスに及んだからだろうか。体液にも記憶があると聞いたことがある。ルウが俺に似てきたのと同じく、俺もルウ化が進んでいるってことか。この世のほとんどがどうでもよくなれて案外幸せに死ねそうだ。胸が膨らむのだけは御免だがね。

 蛇口のフェラは長くは持たず、ルウは口周りを唾液でベトベトにしながら言った。

「ツバでも入れる?」

 耳たぶを指で挟む。

「却下。アドベンチャーゲームなら一人でクリアしろ」

「じゃあ、そのデロデロ」 

 トロンと垂れた両目はホースを見ていた。試しに爪で剥いでみる。まるでかさぶただ。面白いように取れる。

「量はこっちの方があるな」

「もうプロね」

「バカにするな。ジアタマの問題だ」

 俺はもう一度、その頭を掴んで蛇口に押しつけた。だが奴は懲りずにモゴモゴともがいている。無理に抑えつけても楽しくはならないので、もう一度腕を離した。ルウは視線を落としたままつぶやく。

「全部の穴を埋めて。ゲロゲロにさ。口も鼻も、耳も目も」
「死ぬぞ」
「いいよ」
「死ぬな」
「いいよ」
「どっちなんだ」

「リズム悪いよ、生きるとか死ぬとか」

 ルウは嘲笑とともに顔を上げ、頭を壁にもたげた。

「だから考えたことない。リズムの悪いことを考えるのってもったいないなって」

「分かる気がしなくもない」

「でもブレイクコアはうるさいから苦手」

 こいつも大概だ。面倒事は根こそぎ消したがる。ただし、殴りかかられない程度の気遣いは学んでいるようだけども。

「真面目さが似てきて困る」

「うふ、真面目だったら退学なんてしないよ」

 笑って少し開いた鼻の穴に、黒いデロデロをぶち込んだ。続いて耳、そして最後は口に指を入れる。絵具を塗るイメージで、舌の奥から唇まで一直線にドローイングする。

「まずい」

 至極当然の感想を口にしたルウの顔は、完全に別の民族。苦みを我慢する唇はS字にひん曲がり、耳と鼻からは黒い液体がダラリと垂れている。写真はメッセージ性が強すぎるため滅多に撮らないが、こんな顔なら撮ってみてもいい気がしなくもない。

「吐きたきゃいいんだぞ」

「ダメ。まだ一つ残ってる」

 ルウは謎の男気を発揮して下着を脱ぎ、黒いデロデロを浴びた白ワンピースの裾を上げた。こいつは否定するが確かに真面目だ。自分に対しては。今までも情熱の欠けたデカダン気取りがこうして一方的な誠実さだけを大事に抱え、自爆していったんだろう。俺だって同じ穴のムジナ。自殺で寿命を決めない分少し不真面目かもわからない。俺はルウのリズムに服従された感覚があったが、よくよく考えりゃそんなことを見切る特殊能力はない。一五歳を嗅ぎわけられるってだけ。ルウだって誰かに、何かによって好きに動いていると思わされているかもしれないじゃないか。そう、ルウとルウの肛門は別物だ。アナリズム講義。不意にあのゲイビデオのタイトルを思い出す。音でなくてもリズムはある。コレにも、きっと。

「お前はどんなリズムを刻むんだ」

「私ジャンルとかよく知らないの」彼女は首をかしげて頬を床に張り付けた。

「お前の尻穴に訊きたい」

 二フットの肛門は、ルウを媒介に別の姿に変容しただろう。何年か先、その道のプロみたいな奴が現れて、こいつの肛門に更なる調教を加えるかもしれない。けどもきっと理解されないだろう。俺にも分かるまい。ルウのような乱調気味ならむしろ放っときゃいい。ところが、肛門ってやつは甘えっ子なくせに無口だから、こちら側から対話を試みなきゃならない。死ぬまで。無論そこまで付き合ってやる度胸はないが、少なくともここにいる尻女はそういった混沌を抱えるんだろう。

「ロックじゃん。きっと」

「ジャンルじゃなく」

「話は通じるでしょ」

 俺が膝を上げると、ルウはさっきまでトイレの床にへばりついていた指を咥え、前歯で爪を削っていた。こっちも面倒だ。自然と鼻からため息が漏れる。ここずっと、こいつに踊らされてばかりだ。

「じゃ、どうしてロックなんだ」

「嘘をつかないから。肛門以外、すべて嘘かもね」

 肛門以外すべて嘘。初めて聞いた。『尻怪獣アスラ』でもこんな宗教じみた格言は言えないだろう。

「じゃあ俺も痩せていて嘘をつかないからロックかな」

「へえ、意外」

「何が」

 上唇を上げてせせら笑うこの女の顔を見て思わずケンカ腰になった。チンピラもデブと並んで大嫌いな種類の人間なのだがね。

「肛門と同類になってもいいのね」

「もう同類かもしれない。お前のケツもガリガリだしな」

 事実、うちのハンガーやシャワー、台所の蛇口諸々とは、挿入口は違えど肉体的には穴兄弟の契りを交わしてしまっている。

 一時の無言のうちに、外の音楽が止まった。ハードコアテクノの音漏れで彩られた便所が、ただの少しタバコ臭い便所に戻る。ああそういえば、インドネシアの次は俺の出番だったかな。時計がないから分からない。かえって気楽だ。灰色の男たちに誘拐されたことにしておけばいい。他の奴らだって咎めまい。その分自分の回す時間が増えるんだから。

「ねえ」

 静寂でも聞きとりづらいほどの小さな声で、ルウが告げた。

「誰かいる」

 お構いなしだ。そう言ってやろうと思ったが、振り返ったルウの逼迫した面持ちに口を閉ざした。

「ずっとか」

「うん。ドアが開く音聞こえなかったと思う。音楽切れるまで気づけなかった」

 不可解だ。一階に上がればすぐにもう一つ便所が見つかる。化粧直しにしては時間が早い。俺はホースを手放し、ルウの手に握らせた。

「まだ抜かなくていい」

 トイレットペーパーで手を拭いている間、耳を澄ませて物音を聞いた。人かどうかはわからないが、靴のような物が擦れる音は確かに聞こえる。どん詰まり。もう出るしかない。

 まず一cmほどドアを開けて確認。人がいる。どころじゃない。視線を感じる。腹をくくって堂々と全開にすると、真正面から目が合った。奏だ。

「もうゲロかい。案外弱いね」

 返答はなく、奏は俺達の姿を交互に見やる。ルウの太ももの間から尻尾がはみ出しているのを確認すると、俺の目を抉り取らんばかりに睨んだ。

「行き着く先は一緒だね、あんたも私も」

 俺が言葉を選ぶのを待たずして、筋肉女はルウの前に進み出た。互いの表情がこわばる。ルウは両手を真後ろに回した。間に入るか迷ったが、様子見は五秒とかからなかった。奏は無言のままその横を通過し個室へ向かう。入り際、血管が切れるような音とともに、ルウの肛門からホースが引き抜かれた。無音で肛門に別れを告げたデロデロの管は奏の腕力の勢いによりバチリと床に打ちつけられる。アナボコで溢れた黒い床に、ルウの粘液がベトリ。やっと分かった、ホースがあんなところに隠されていた理由。常連、か。

「腹の中のモノ全部出してから使えよ。汚くて素手じゃ触れやしない」

 奏は答えない。もちろん、ホースの汚れが糞ではないことは分かっている。ちょっとした嫌がらせだ。こっちだって、まさかこんな所で縁が繋がるなんて望んじゃいない。

「こっちの代わりか?」

 俺はその獅子っ鼻の眼前で、中指をクイクイと動かした。やはり返事はなかったが、顔色が無になっていくのが分かる。

「あんたは一生、そこに縛られて生きてくんだね」

「俺とあんたが同じなのは終着点だけか? もっとも俺は終わっちゃいないがね。ほら、音楽が鳴るまでは見ててやるぜ」

 奏の目に動揺が浮かんでいるのが分かった。次に、フルパワーの殺気を込めてルウに眼光を向ける。俺はその小さい身体を背中に隠した。若干、奏は表情を緩め、後ろを向いて巨大な下着をズボンごと下ろした。脂肪で固まったゲイビデオの男たちの尻とは一線を画す、引き締まった筋肉。あの男たちだってこの尻と比べれば女性的だ。今回、ルウは見てない。けども俺は目を反らす気は毛頭なかった。

 奏は個室の中でなく、清掃具入れに目を向けた。ホースは強く握られたまま。俺はその正面に移動した。ちょうど背後に入口のドアがあったが、押さえはしない。筋肉女は蛇口に右手をかけ、白い台に片足をかける。左手でホースを蛇口に接続すると、その手を股の間に当てがり、高速で擦った。顔は紅潮しないが息が荒い。指先一杯にまとわり付いた愛液を肛門に塗布。自給自足型ローションか。生産している女が不細工だからか、余計に先進的に見える。間髪入れず、汗ばんだ腕でホースを突き挿した。ルウとは逆側の先端。不安定な体勢からでも入れられる所を見ると流石は熟練者。そして、右手で栓を捻る。

 瞬間、奏は顔を上げた。鬼。元のモンゴロイド顔に加えて、荒い鼻息に膨張する鼻孔。目の下がゴシックメイクのようにぼんやり黒く光る。涙かもしれない。感情の老廃物を人前に晒すなんて、本当にもう死ぬんだなと思った。でかい人間は何をやろうと必死で、ミジメで、コメディになる。うんざりだ。水流の音と呼応して、奏に興味が湧かない所以、全部教えてくれるとは。やはり口うるさい奴ほど気が利く。気持ちの低下に共鳴してか、四つ打ちのビートが外で流れはじめた。
 
 ルウがひょっこりと頭を出す。俺達はしばらく、瞳潤ます鬼の姿をしばらく見つめていた。不意に思ったよ、もしもこの二人の容姿が逆だったらって。ルウの顔をした奏がどんなに気がつく奴で、どんなに人のリズムに合わせてくれようとも、俺はルウを選ぶだろうね。訳はこいつの今の顔を見れば分かる。ニヤニヤしてやがるんだ。人の背中に額張り付けてさ。こんな一五歳を捕まえられるなんて、俺は恵まれてるよ。










「あれ、バッグない」

 やっとのことで多摩川が見えてきた頃に、ルウが気付く。

「トイレに置いてきちゃったかな」

「じゃあもう見つからん」

 せっかく買ってもらったのに。ルウがごねた。

「あなたの私物も入ってるし」

「クソの臭いにまみれた時点で勘当した」

 結局俺はタイムテーブルを無視した挙句一曲も流さずクラブを出た。もちろん電車など出ていない。かと言ってタクシーにバカ高い金を支払うのも財政上厳しいので、新宿から二〇〇〇円分の距離を移動して今に至る。運転手は元運動部といった体格の中年で、俺は痩せているため酔っ払いのオヤジのごとく説教され、ついでにルウを警察に突き出そうとしていたが何とか説得した。覚悟の上だから怒りはしない。むしろ、臭いという概念そのものとしか言えない異臭を発しているガキを密閉空間に入れてくれただけで十分寛容だ。

 かなり近くまで来たものの、まだ一〇kmはある。時計の表示は午前四時五〇分。異物挿入による躁効果も切れたようで、ルウも疲労困憊の表情を露にしていた。

「また、挿れるか」

 河原に着いて休憩しているときに、ふと思いついた。ピッタリの石ころが腐るほど転がっている。こいつにとっちゃディズニーランドみたいなものだ。

「効かない、と思う」

 ルウは草むらに寝転んだ。耳からこぼれる黒いデロデロが葉を捕え、くの字に曲げる。

「二回目だと慣れちゃってるから、効果薄いの。モノとお尻が馴れ合ってる感じ」

 そう言いつつもこちらに転がってこようとするので、俺は露骨に立ちあがって距離を置いた。オールナイトの上に余計な疲労が溜まっているので今すぐに寝たい。だが眠気にひれ伏すつもりはなかった。寝ている間に隣の臭いガキに何か移されたら困る。

 ルウが何も言わないので、俺は間を繋ぐために会話を続けた。

「じゃあ何か違う遊びでもするか」

「いい」

 即答。最も面倒なパターン。

「珍しいな」

「さっきね、悔しかった」

 平たく低調な声でつぶやいた。

「私にはあの状態で前を向く度胸ないから。あの人はそれを見せたかったんだって思ったよ」

 プライドが高い。若いからだろう。まさか自分を美人だとは思っていないだろうが、射精をさせて喜ぶぐらいのナルシシズムは持っていると見た。

「お前も嫉妬なんかするんだな」

「肛門の同類さんは違うの」

「違わない」

 もちろんそう。嫉妬みたいなリズムを乱す要素がなけりゃ、俺の悪ふざけもいくらか軽減されているはず。そもそもルウを連れてさえいなかったろう。

「けどもだな、そう思い詰めずとも、空の下に出てきたお前の勝ちだよ。もうすぐ、どでかいミラーボールが上がってくる」

「どういうこと」

「日の出だ。」

「日の出―」

「お前の好きなようにしてやる。明け方だし人は来ない。何なら、太陽と宇宙をまたがったアナルファックでもするか」

 自分の言葉が思った以上に熱っぽくて、俺は気持ち悪いというよりちょっとした惨めさを覚えた。アッハハハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハ。ルウのニアデスハピネス笑いが多少の救い。

「きっと、ものすごく熱いよね」

 もちろん冗談だった。虫メガネ一つあれば肛門を焚き火にできるんだがそうはいかない。冗談だ。しかしできなくもないように思う。

 ルウは本気だった。遠くの街並みの底に沈んでいる紫色の光を見つめ、思案に耽っている。時折身体を転がしてはブツブツと何か言う。この動きだけで、一体いくつの植物がデロデロになって枯れるのだろう。最終的に見飽きたうつ伏せに尻を突き出した形で留まり、草をチュルチュルと舐めていた。苦ければ臭ければ、何でもいいのか。ある意味、スキモノさじゃ俺の知ってる女ではトップだ。連れが俺でなけりゃ格好のヒト型オナホールになっていたと容易に想像がつく。ただ、こいつのスキモノさは表面的なものじゃない。今の格好と同じ。尻丸出し、裸のスキモノだ。こいつにとってホースなんて、そう大した価値はないんだ。分かるか奏。

「あ、出てきた」

 その時、川辺に並ぶ家々の間から、太い光線が向けられた。足元にぼうっと影が濃さを増すと同時に、多摩川の流れと交差して光の粒をばらまき、一本の架け橋が浮かび上がった。ロマンチックになったわけじゃない。架け橋の形、見ただけで何をすることになるのか、パッと思いついた。ルウを見ると、既に寝転がってはいなかった。

「パンツも置いてきてたんだ」

 尻をポンポンと叩きながら、川の縁へと歩く。

「用意周到じゃないか」

 俺は後につく。本日三度目の、ノーギャラ業務の始まりだ。眠くて考える気はないからやり方は何でも。できるだけ、絵になるように。

「どうする。光は肛門に入ってくれない」

「うん」

「虫メガネでも買うか」

「物を入れるのと光を入れるってさ、全然別問題だよね」

 背骨が見えるまでにワンピースをたくし上げたルウは、尻を川に向けてクネクネと差し出した。俺の正面には奴の性器。蹴りあげたくなるぐらい不整だけども、つい欲情してしまったアレ。今日は俺の一物も川の流れと共鳴して鎮まっている。薄暗くて助かった。この川辺で裸を見るのは初めてじゃない、という理由もある。多摩川は汚いおっさんの全裸スポットであり、時間無制限のラブホテル。人間ってやつは水を見ると裸になりたがる性分らしい。

 紫色の空の下、奴は膝を曲げて歴戦の尻を見せつける。背骨は川を渡る光線の延長線。しゃがんで真正面に見ると、遠近法で、太陽が肛門に半分取り込まれている。真上からルウの背中を見下ろすと、まだ一mほど距離がある。

「もっと近づけよ」

 俺は額をそっと押した。太陽に尻を向けた女は、満面の笑みを浮かべながら一歩、二歩と後退する。水玉模様のピンナップガール・シューズがピチャリと音を立てる。

「日焼け、すごそう」

「下手すると、ボラギノールじゃ済まないだろうな」

「溶けるかな」

「さあ」

 五〇〇mほど離れた橋の下に人影が見える。おそらく男。こっち来なよと無性に叫びたくなる。まあどっちでもいいか。幕も舞台もないんだから。

「海まで一直線かな、全部溶けたらさ」

「代わりに肛門を失う。いくら太陽にだって、そこまで侮辱される筋合いはないんじゃないか」

「何なら許せる?」

「宇宙。強いて言うなら。お前にとっちゃチッポケだろうが」

「……私」

 ルウが主導権を戻した。

「私」

「なんだ」

「イケる気がする。全部。宇宙とか地球とか、天国とか地獄とか。互いに憎み合うって言ってたよね。そういうのをたっぷりあたしが飲み込むの」

 眠いからか、まったく噛み合わない。寝ぼけているのかいないのか。今なら夜明けを言い訳にできるから、全部完全にアリだ。
「もうほとんど入っているさ。そのままボロボロの頭を突き割って、スカスカの髄液を喉から腸まで流して全部、全部引っ掻き回してやれ」 

「……」

 返事がない。

「おい」

 ご就寝。昼寝するワニみたく、奴は目を閉じていた。笑えるぐらい太いイビキをかいて。前にもこんなことがあったな。俺が一五歳の匂いについて話した日。タヌキ寝入りだったんだろうって今なら思える。ルウが嘘まみれだってことを学んでいるから。
 肛門を突き出して眠りこける姿はまるで彫像。神と呼ぶには不格好だが、重力に負けて頭に垂れたワンピースはまさしくローブのフード。ウェディングベールといかないのは陽光で黒いシミが際立っているから。黒髪じゃなけりゃ乞食のコスプレになっていたに違いない。それに臭すぎる。もう何時間、この異臭と一緒にいるだろう。さすがに嗅覚にも慣性がついてきて、あまり気にしなくなった。しかし、こいつみたくだらしないイビキをかけるほど我慢は効かない。しばらく静観していようじゃないか。もしかしたら太陽が気まぐれで、剥きだしの肛門に首を突っ込んでくるかもしれない。太陽とウンコを一緒くたにしてしまえるなら、ルウは誰に付いていく必要もなくなる。あんまりに情けなくて口に出せやしないけども、隠しきれない。俺はこの女が、いや、この女の痩せぎすのケツにポコッと空いた肛門が、たまらなく羨ましい。

 あらゆるメランコリーは夜がいたずらに作った産物という説を信じているので、俺は何とかして眠りたかった。けれども寝られない。そりゃ今日は一段と、ルウが臭いから。

 一段と臭い、から。早送りで大量のゴキブリが蠢く映像が脳味噌に叩きこまれたような感覚。未知の違和感は眠気どころか動悸を連れてきやがった。構わない。むしろナイス。今やっと気づいた。眠る必要なんかないってことに。

「おい」

 パサパサに乾燥したルウの頭に指を二本起き、軽く揺り動かした。

「お前、今日誕生日だったろう」

 バチリ。目が開いた。ほとんど行き倒れの死体だった顔色に色が増していくのが見てとれる。沈黙。沈黙。ルウは俺の目を見やる。涙袋を震わせている。俺は自分の鼻をツンツンと指で突く。

「鼻がよすぎるのも、考えものだね」

 ふふっ。

 黒く染まった唇から、歯を見せる。上唇を引き上げ、ふて腐れたようなテイストで。俺の口からも自然に笑みが漏れる。後光を差すように、尻の真後ろで照る太陽。お節介な演出だ。明転した舞台にスポットライトは要らない。俺はポケットをから千円札を二枚取り出すと、一六歳になった女の尻に捻じ込んだ。

「ハッピー・バースデイ」

 ピシャリ。掌で尻を一発。キレのいい幕切れ音。俺はハンドタオルで汚れを落とすと、自分のカバンを拾い上げ、中にシーツが入っているのを確認すると河原を後にした。ルウは付いてこない。以来、俺の部屋に来ることもなくなった。













 あれから一年近く。俺は今でも一五歳の女が鼻で判別できるけども、やはりロリコン気質ではないんで自宅に入れた人数はゼロ。奴を除いて。

 ルウが今どうしているか、俺は一片も知らない。道端ですれ違ったとしてももう挨拶もしないだろう。一六、七歳になったあいつを見ても、俺の鼻は分別できない。よしんば目の前に立ちふさがったとしても他人の空似と判断させていただく。結局、身体の関係を持ったのはたったの三回。それ以外にちょいと指を入れてやろうとしたことは何回かあったけども、奴の肛門にはたいてい何らかの異物が入っていたのでマンコは連動して収縮してしまい上手く入らなかった。加えて、もらいものは一つもない。そういうことで、あいつと俺の間にはもう何もないってわけ。

 もう死んでいるかもしれないし、どこか知らないところで生きているかもしれない。そんなことを考えるのは奴の言うようにリズミカルじゃないから一々考えなくなった。するとあんまりトントン拍子で思考が進むものだから、あいつとの記憶はもうかなり薄れている。ここまで書いたこともどこまでが真実なのやら。あのウンコ臭いバッグが消えた原因は奏だと思っている。持ち帰ったんならどこかで見つけられるかもしれないな。したらお前と縁が切れたあの川にでも流しといてやるよ。

 何も残してやらない。忘れてもやらないけども。あちらの気が向いて勝手に頭から出ていくのを待つさ。流れモノには流れモノのリズムがあって、そいつのリズムに合わせてやるのが善人ってやつだろう。未練がましさは詐欺に遭う前にトイレに流しちまうのが最適。

 ただ、一つ残った事実。俺は勧められていた肛門異物挿入を今でもやっている。これは本当に疲労に効く。最初は包丁の柄程度のものがオススメだ。レッドブルやモンスターにかまける前に一回試してみるといい。肛門以外は嘘っぱち。あながち間違ってないと思うんだがね。

この小説について

タイトル 裸のスキモノ―
初版 2013年10月26日
改訂 2013年10月26日
小説ID 4545
閲覧数 783
合計★ 0
amebicamebicの写真
駆け出し
作家名 ★amebicamebic
作家ID 844
投稿数 3
★の数 0
活動度 298

コメント (0)

名前 全角10文字以内
コメント 全角3000文字以内 書式タグは利用できません
[必須]

※このボタンを押すと確認画面へ進みます。