不器用な団欒者たち


 転校して三日目。俺は何事もなく無事に水曜日を迎えることができた。もっと正確になおかつ詳しく言い直すと、病気一つせず身体も健康そのもので三日目を迎えることができた。
 どうしてこんな厭味ったらしい言い方したのか。それは昨日、漆田に頼まれて幽霊退治(みたいなもの)に出かけ、そのせいで多大なる精神的ダメージを食らって家に帰宅したからだ。この精神的ダメージは幽霊を見たから負った傷ではない。北沢さんの前で情けない姿を晒してしまったゆえの精神的ダメージだった。
 いくら身体は健康そのものでも、心はボロボロもいいところだ。何が悲しくて女の子の前で、あのような醜態をさらけ出さなければいけないのだろうか。
できれば俺だって北沢さんを後ろに乗せて自転車を漕いでみたかったさ。
重かった?と聞かれてそんなことはないよと、かっこよく言ってみたかったさ。まさか自分が北沢さんに「重かった?」と尋ね、真顔で「いえ、そんなことはありません」と言われるなんて。
 こんな悲しいやり取りを一体誰が予想できただろう。今の俺なら、お風呂の湯に浸かりながら、かわいい宇宙人がいきなり全裸で降って来てほしいと願っても別に罰は当たらないはずだ。
 そして、この散々な経験から俺が学んだことは一つ。
 部長のように言えばこうだろか。
 かっこつける前に、まずは我が身を振り返れ。話はそれからだ。


「なぁ、金田一はこの学校の幽霊の噂を知っているか?」
 水曜日の放課後。
 嫌いな科目である物理、化学、数学が午前中の内に立て続けに待っていてくれているという、思わず頭を抱えたくなるシチュエーションをなんとか乗り切った。そしてついでに転校して三日目にもかかわらず教室の掃除当番に指名された俺は、両手に持った箒を小さく振りながら、例の幽霊話を隣に立つ金田一に訊いていた。
「あぁ、あれな。聞いたことあるぞ。詳しくは知らないけど。図書室に現れる幽霊だっけ?」
 金田一は面倒臭そうに箒を左右に振りながら、その口調も気だるそうに答える。
「そうか……やっぱ聞いたことあるのか」
 俺は一体、何を期待して尋ねたのだろう。軽い口調で聞いたことないぞ、とでも言ってほしかったのだろうか。我ながら意味のない質問をしたと思う。
 俺がどんよりした表情を浮かべている傍らで、金田一はピタリと手を動かすのを止める。彼は訝しげな眼差しをこちらに向けた。
「……何でお前そんな噂知っているんだ? それもかなり昔の話を」
「いや……まぁ……何と言うか」
 答える気分でもなかったため、適当に言葉を濁した。
 金田一は俺の気まずそうな顔をじっと眺めてから、小さく肩をすくめると一人納得した様につぶやいた。
「まぁ、不思議でもないか。もしかして新聞部でその話題を扱うのか?」
 さすが新聞部の内部情報を熟知しているだけある。
「そんなところかな」
 そして俺も肩をすくめる。
 そういえば今回あのような目にあったのも、新聞部に入部したからだと言えなくもない。別に漆田を責めるつもりなんて毛頭ないし、そもそも俺がはっきり断っておけばよかったのだが。
 再び箒を振り始めた金田一が、横でふっと微笑を漏らした。
「あの部長らしいな。あの人、本当に変わっているよな」
「部長のこと知っているのか?」
 金田一は顔をこちらに向け、口元におかしそうな笑みを浮かべた。
「そりゃあ知ってるさ。この学校であの人のことを知らない生徒なんていない。というか、この辺りの高校でも知らない人はいないんじゃないか?」
 その事実に面を食らった。あの方は他校にまでその名を知られるほど有名だったのか。
 金田一は俺の驚いた表情を目に入れると、小さく微笑んだ。
「知っての通り、あの人かなりの変わり者だから。それにあのルックスだろ? 嫌でも周りから浮いてしまうさ」
 たとえ自分が望んでいなくても、周りがそれを許さない。彼が置かれている状況はつまりはそういうことなのだろう。嫌でも周囲からの好奇の視線を受けなければならない。それがどんな気持ちなのか、俺には想像つかなかった。
「そうか……そうだったんだ……」
 ただの傍若無人な男だとばかり思っていたが、あの人なりに悩んだりしているのかもしれない。まぁ彼が北沢さんにしたことは許すつもりはなく、彼が自分の行動を冷静に振り返れば、そういった好奇の目も半分くらいは収まると思うが。
「聞いた話だと、この学校だけじゃなく他校にも隠し撮りした写真とか出回っているらしい。だから普段から隠し撮りとか絶えないってさ」
 そこまでいくと、さすがに同情せざるを得ない。俺にはきっと……というか絶対に縁のない話だが想像しただけで気分が悪くなる。知らない場所で自分の写真見て誰かが話をしているなんて、俺だったら耐えられない。
「そういえばさ、あの話聞いたぞ」
 金田一がふいに話題を変える。俺はその言葉に眉根をわずかに寄せた。
 なんだろう、あの話って。その笑いが含まれた声音から、絶対に良い話ではないことは容易に想像できるが。
「一体何を聞いたんだ?」
 そして俺は憮然とした表情で尋ねる。
 金田一はニヤリと唇を緩ませて、心底愉快そうな声で言う。
「惚けるなって、清水のことだよ」
「惚けるもなにも知らないものは知らな……」
 そこで言葉を途絶えさせた俺の頭に突如、閃くものがあった。
 あぁ、あれか。
 どうせあっちのタマも小さいんでしょ、事件のことね。
 俺は一息こぼすと、箒の柄を握り、少し投げやりにも見える手つきで箒を振り始めた。
「もうそんなに噂が広まっているのか。暇な奴らもいるもんだな」
 確かにあれは清水さんにも言い過ぎた面はあるかもしれない。だがあえて言わせてもらうとしたら、あの二人組が常識ある対応を俺たちにしていれば、何も起こらなかったんだ。清水さんだってあんな……あっちのタマも小さい……とか言わなくて済んだものを。それなのにこんな風におもしろおかしく噂になるのは不愉快極まりない。
「あれ? 何か怒ってる?」
 金田一が窺うように、俺の顔を覗きこむ。
 俺は箒の柄をさらに強く握る。そして顔を上げると、真っすぐに金田一を見据えた。
「お前はどっちかと言えば、新聞部の味方だと思っていたよ」
 これは俺のあまりにも身勝手な感想だが……何だか裏切られた気分だった。こいつだけは新聞部を好奇の目で見ない。そう信じていた。
 金田一は、わずかに怒りの色を浮かべる俺の眼差しをキョトンとした顔で見つめていたが、しばらくしてふっと苦笑をこぼした。
「悪かった。別にからかうつもりなんてなかったさ。それに俺がおもしろがったのは、清水の方じゃなくて、言われた二人組の方だよ。それはもう無様な姿だったんだろうなって」
「そう、か……ならいいんだ」
 俺はふいと視線を外した。急に恥ずかしさが込み上げてきたのだ。何を一人で熱くなっていたのだろう。
「でもよかった」
 脈絡のない金田一の言葉に、俺は怪訝そうに眉を寄せる。
「何がよかったんだ?」
 金田一は俺に視線をよこすと、嬉しそうに目を細めた。
「お前が新聞部の人たちと同じ目線に立てる男で良かったってこと」
「……どういう意味だ?」
 さっぱり分からない。この場合、俺の頭の回転が遅いから見当がつかないだけなのだろうか。訊いてみたいと思ったが、すでに金田一は何もなかったような態度で掃除を開始していた。
 まぁいいや。
 これといって気になることではなかったからな。金田一が新聞部の味方だという事実が再確認できただけで十分だ。これも身勝手な解釈だけど。
 そこでふと、ある疑問が胸に浮かび上がった。
「……そいうえばお前さ、清水さんとどういう関係なわけ?」
 ただの知り合いにしては、二人のやり取りはなんだか殺伐としていた気がする。どちらかと言えば、清水さんの方が。
 すると金田一は俺に顔を向け、にっと口端をつり上げた。
「内緒」
 そうかい。
 この話もこれといって気になる内容ではない。そうだな、例えるならどうして空は青いんだろうとか、その程度の疑問だ。……あれ、そういえば何で空って青いんだろう。
 まぁ、別に理由なんて何でもいいか。俺は小さく息を吐き出すと、隣にいる金田一を真似て、箒を左右に振り始めた。

 教室の掃除を終えた俺は、サッカー部の部活動が待っている金田一と別れて東側校舎の一番端にある教室へと向かう。教室の前の廊下は生徒で溢れていたのに、階段を昇り、東校舎の端に突き進んでいくにつれて生徒の姿もまばらになっていく。 そして新聞部が使用する教室の前まで行くと、ついには人の気配すら感じなくなった。
 俺はドアに手をかけ一息。さて今日は一体何をやるのだろうか。

 教室のドアを開けると、四人の視線が一斉に俺に集まった。すでに全員揃っていて、みんな定位置の席に座っている。どうやら俺がビリ最後のようだ。
「こんにちは。もしかして掃除当番ですか?」
 ドアから見て、テーブルの対側に座っている北沢さんが一番に口を開いた。
「あぁ、転校生なのにな」
 渋い顔で不満を唱えながら、近くにあった椅子を引いて腰を下した。
「それで今日は何をやるんですか?」
 カバンをテーブルに置いた俺は、前に座る部長にさっそく尋ねた。
 部長はしかめっ面を一切緩めることなく、威厳たっぷりの口調で話を始める。
「今日も図書室に行って本の配置を確かめる」
「まだその話題に食いつく気ですか?」
 俺は呆れた表情で部長の整った顔を見つめた。
 部長は腕を組むと、不機嫌そうに言う。
「そうだ。俺は諦めん。必ず謎を明かしてみせる」
 そのやる気に満ち溢れた様子に、俺はもしかして、と一抹の不安を覚えた。隣に座る漆田に身体を寄せると、声を落として尋ねる。
「もしかしてお前、昨日のこと言ったのか?」
 すると漆田は不思議そうに目をしばたかせた。
「はい……言いました。何か問題でも?」
 やっぱり。予感的中であった。
 俺は心の中でこっそりと溜息を吐く。だから部長はあんなにやる気満々なのか。
「あんたも昨日、一緒に見たんでしょ? どうだったの?」
 テーブルの対側にいる清水さんが、わずかに身を乗り出した。意外なことに清水さんも興味を示した。
 こうなってしまったら、一人だけ知らんぷりもできない。俺は諦めた風に小さく肩を下げた。
「見たよ。だけど顔までは見なかった。というか暗くてよく見えなかった」
 清水さんはあまり期待していなかったのか。特に残念そうな様子も見せず、つまらなそうに「あっそ」とだけつぶやいた。
「でも分かったことはあります」
 北沢さんの淡々とした、でもはっきりとしたよく通る声が室内に響き渡る。
「何が分かったの?」
 彼女の隣に座る清水さんが、小首を傾げる。
「新谷君と漆田君は、職員室前の窓から二手に分かれて図書室まで向かったそうです。その途中、二人は誰も目撃しなかった。となれば、学校の構造上、その侵入者は秘密の出入り口から逃げたとしか考えられません」
「それじゃあ、その侵入者は秘密の出入り口を知る人物だということか」
「たぶんそうなりますね」
 北沢さんは部長に顔を向けると、小さく頷いてみせた。
「そこで部長、一つ聞きたいことがあります」
 今度は部長が、北沢さんに視線をやる。
「部長のお姉さまは、いつあの窓を見つけたと言っていましたか?」
 その質問に部長は怪訝そうに眉を寄せる。そして考え込むような仕草で時間を置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「確かあいつが高校三年生のころだったから……七年前かな……」
 よほど自信がないのだろう。言い終えた後も、彼はずっと首を捻っている。
 この部長のお姉さんだ。きっとかなりの美人さんなのだろうな、と俺がくだらない妄想を繰り広げている前で、北沢さんが真剣な顔でつぶやいた。
「そうですか……分かりました」
 何が分かったのだろう。質問したい衝動に駆られたが、彼女のことだ。きっと確信が持てない間は口を割らないに違いない。
「でも、僕も知らなかったのに……なんで部長のお姉さんは知っていたんでしょうか」
 漆田はまだ引きずっている様子で。えらく不満そうな口ぶりで言う。
 部長は漆田のむくれた表情を一瞥してから前を見据えると、偉そうな態度で言い放った。
「あの窓は図書委員だった姉が壊したんだ。だからあいつは知っていた」
 それは……もうちょっと申し訳なさそうに言った方がいいのではないだろうか。腕組をしながら偉そうに告白する内容とはとても思えない。
「その事実を彼女は誰かに言ったんですか?」
 つかさず、北沢さんが質問を挟めてきた。
「誰にも言わなかったと言っていたな。いや……言う相手がいなかったと言った方が正しいのか……」
 もう本当に止めてあげてください。
 こんなところで友達が少なかった高校生活を知られる羽目になってしまった部長のお姉様が気の毒で仕方がなくなった。俺ならこんな弟は嫌だ。
 北沢さん以外の三人が気まずそうに視線を逸らすなか、部長は構わずに続けた。
「でも本人は何度か活用したと言っていたな。あいつはクールに見えてかなり抜けた性格でな。教科書や空の弁当箱をよく忘れることがあったから、真夜中にこっそりとあの窓を使っていたらしい」
「それじゃあ、誰にも言わなかったと?」
「だからそうだと言っているだろう」
 しつこい様にも見える北沢さんの問いかけに、部長は少々うっとうしそうに顔をしかめた。
「だったら……本当におかしいですね。去年から図書委員で、それもほぼ毎日と言っていいくらい準備室に通っている僕だって気づかなかったんです。他の生徒がそう簡単に見つけられるとは思えません」
「何が言いたいの?」
 清水さんが頬杖をつきながら、怪訝そうな声音で漆田に尋ねる。
「あの窓が壊れている事実を、知ることができた人が果たしてどれくらいいたんですかね? 少なくとも、今の図書委員の中で僕以外、あの準備室を使っている生徒はいません。可能性は低いような気がします……」
 漆田はそこで言葉を切ると、瞳の奥にぐっと力を入れ、張り上げた声で言った。
「だから、もしかしたら本当に幽霊かもしれませんね!」
 俺はがくっと肩を落とした。どうしても彼はそこに話を持っていきたいようだ。
「懐中電灯を使う幽霊なんて見たことないぞ」
 俺は数日前、北沢さんに突っ込まれた台詞を借りさせてもらった。
「でも、それ以外考えられませんけど……」
 漆田がぶつぶつと不満を口に中で唱える。
 まったく。俺は隣に座る漆田にばれないように、こっそり溜め息を吐く。彼が話を運び出すと、話の内容がどうも非科学的になってしまう。
 この際である。たまには北沢さんにも漆田にばしっと言ってもらおう。俺がそう思った矢先、教室のドアが突如、音を立てた。視線を向けると、立っていたのは気だるそうな表情を浮かべている五日市先生だった。
「どうしたんです、先生」
 いつのまにかテーブルから身を起こしていた清水さんが、目を丸くしながら尋ねる。
 背筋をピンと伸ばしたまま、五日市先生は切れ長の目を俺たちに向けた。
「いきなりで悪いが、お前たちに頼みがある」
「頼み、ですか?」
 漆田の顔に不安そうな色がのぞく。きっと今まで頼みごとをされて、良い思い出がないのかもしれない。
「一体何ですか。俺たちは今、大事な会議中なんですが」
 先生に対しても、部長は強気な態度を崩さずに言い放った。ここまでくると、一種の尊敬の念を抱いてしまいそうになる。
 先生は俺たちの顔を一人一人眺めてから、毅然とした口調で問いかけた。
「お前たち、暇だな?」
 何だろう、と緊張しながら身構えていたが、なんだか無駄な労力に終わった気がする。はぁと脱力してから、俺は新聞部の面々を見つめた。
 ……誰も口を開かない。
 あの部長でさえ、何も言い返さなかった。ついさっきまで先生に対してもあれほど強気な態度で向かっていったのにもかかわらず、彼は真顔で腕組みをしたまま微動だにしない。じっとテーブルの一点を凝視していた。こういう時こそ恐れず端然と言い返すのが彼の役割のはずだ。なんて役に立たない部長様なのだろう。しかも他の部員も先生から逃げるように視線を逸らしている。
 人間、図星をつかれると咄嗟には反論できないという、とても良い見本だった。
「まぁ少しは暇ですかね。一体何ですか?」
 このままみんなで仲良く黙りこむわけにもいかないため、俺は話を促した。
「実は二階の西校舎に、物置きになっている小さな教室があるんだ。その教室を生徒たちが使えるよう職員会議で掃除するように新聞部が頼まれた。物は用務員さんがほとんど運んでくれているらしい。だから本当に掃除をするだけだ」
 俺は首を回し、四人の無表情を一通り眺めてから、訝しげな視線を五日市先生に向けた。
「……何でまた、俺たちに白羽の矢が立ったんですか?」
「一番暇そうだから」
 俺は再び首を回し、四人の顔を見つめた。四人は真面目な表情を浮かべつつ、だけどやはり口を開かない。なるほど。みんな嘘が吐けない性格のようだ。
「新聞部って、周りからそんな風に思われているんですね……」
「みたいだな」
 五日市先生が、小さく肩をすくめる。俺は他人ごとのように言う彼女の振舞いに、むっとした表情を作る。
「先生も周りの先生に一言、言ってやってくださいよ。新聞部は……そこまで暇ではないんだぞって」
 暇ではないと断言できないところが悲しいかな。
 すると五日市先生は弱弱しく息を吐出した。そして俺たちに悲哀に満ちた眼差しを向けてから、彼女は小さな声で告げたのだった。
「私も『新聞部は暇ですよね』と他の先生に言われたとき……否定できなかったんだよ」
 あなたもかい。
 どうしてみんな、こんなに正直なんだ。


 そんなこんなで。


 俺たちは五日市先生に連れられて、二階の西校舎の一番端にある教室に向かった。東側校舎から西側校舎まで行くためには渡り廊下を突っ切らなければならない。そのため新聞部全員が、しかも何故か一列になって渡り廊下を歩くという奇妙な光景を演出してしまい、結果として、俺たちはすれ違う生徒から不審そうな眼差しをもらう羽目になってしまった。変人部のイメージをさらに濃くしたのは言うまでもない。
 目的の教室まで辿りつくと、ドアの前に並んでいる掃除用具の一式が目に入った。
「用意がいいですね……」
 さぁさぁ掃除をやってくれたまえ、と言われているようだった。実際そうだけど。
 俺が気乗りしない眼差しでその掃除用具を見下ろしていると、ズカズカと足音を立てながら部長が目の前へやって来た。彼は俺たちに向き直り、腕を組んで叱咤激励を送った。
「早く終わらせるぞ。こんなことをやっている暇が俺たちにあると思うか」
 本当に暇だからこそ、俺たちはここにこうして来ているのでしょう。
「早く終わらせる、という部分だけは同意です」
 北沢さんが皮肉めいた言葉を返しながら、バケツの縁に雑に掛けられている雑巾を手に持った。そして彼女を皮切りにして、他の部員もやる気のなさそうな顔を作りつつもどうにかこうにか動き始める。
 俺は小さく嘆息すると、彼女に倣ってバケツの取っ手を手に握った。

「私、ほこりアレルギーのよね。もう目とか痒いし喉もいがいがするし……」
 水で絞った雑巾でほこりをかぶるスチール棚を一段ずつ丁寧に拭きながら、清水さんが不満を口にした。たぶんアレルギー云々ではなく、不条理に掃除を押し付けられたことに対して不満があるのだろう。
 ちょうど隣の棚を拭いていた漆田が、清水さんの不満をなだめるように言う。
「まぁまぁ。いいじゃないですか。そんなことより、僕はこの部屋と新聞部の部屋をぜひ交換してほしいですね。なにせ、こんなに広いんですから」
 それは俺も同感だ。
 てっきりこの部屋も新聞部が使用している部屋と同じような広さだと思っていたのだが、開けてびっくり。新聞部が使用する部屋の二倍の面積を有していたのだ
同じ物置きとして使用していたのなら、最初からこっちの部屋を明け渡してくれたらよかったのに。
「どうにかならないんですか? せっかく自分たちで掃除しているんですから」
 俺は窓ガラスに窓ふき洗剤を吹きかけている五日市先生に疑問を投げた。
「無理だろうな。ま、一応聞いてみるよ」
 先生の口調は、やる気が全く感じられなかった。この調子だと、明け渡してもらえそうにないだろう。
 俺は溜息を吐く。雑巾を握っていた手も自然と止まっていた。元々低空飛行していたモチベーションの高度がさらに下がっていくようだった。
「おいっ! もっとしっかりと拭け! 何なんだ、そのやる気のない動作は」
 真横から聞こえた部長の怒鳴り声に、俺は肩をビクッと跳ね上げた。そんな、少し手を止めただけなのに。俺は表情を凍らせながら、恐る恐る声の方向へと顔を向けた。ところが、部長は俺に対して怒鳴り声を張り上げたようではなかったらしい。
「一言言わせてもらいますが、私は別にやる気がないわけではありません。部長が邪魔なだけです」
 部長が目くじらを立てていた相手はなんと北沢さんだった。彼女は雑巾で棚板を拭きながらめずらしく少し苛立った口調で反論していた。
「お前が違う棚に行けばいいだろう!」
 しかし部長も、負けじと言い返す。
 二人の子どものような口論を眺めながら俺は思う。
 そりゃあ、二人とも同じ棚を拭いていたらお互いに邪魔にもなるだろう、と。
 俺が生温かい眼差しを送っている最中も、二人は互いの身体を押しあいながら無理やり同じ棚を掃除していた。ここまで来ると、ただの意地の張り合いでしかない。薄々感じてはいたが、どうもこの二人は相性が悪いようだ。
 いつもなら無条件に北沢さんに味方する俺だが、今回はどっちもどっちだな、と結論を出した。
「そういえばさ、新谷」
 ふいに清水さんに話しかけられ、今度は反対側に顔を向けた。
「な、なに?」
 思わず声が上ずった。何をビクビクしているんだろう。別に清水さんに、とって食われるわけでもないのに。
 清水さんは、しかし挙動不審の俺には目をくれず、棚板を大ざっぱに雑巾で拭きながら退屈そうに尋ねた。
「あんたさ、昨日の火曜サスペンスドラマ見た?」
「サスペンスドラマ? いや……見ていないけど」
 そもそも、昨日の夜は色々あってテレビを見ることはできなかった。まぁ、たとえ暇でもその手のドラマは見ないが。
 すると清水さんはこちらを見ないまま、残念そうにつぶやいた。
「見てないの? なーんだぁ。あんた、推理物好きそうなのに」
 俺ってそんな風に見えるのか。何を基準にして俺のことを見ているのか分からないが、そんな事実は初めて聞いた。
 もしかしたら適当に思い至っただけなのかな――そんな疑念が頭をかすめたが、せっかくなので話に乗っかる。
「清水さんは見たの? その……火曜サスペンスドラマ」
 確か、番組欄の一番最後に名前が書かれた俳優が犯人の可能性が高いんだっけ。
「清水は推理物が好きなんですよ。私もです」
 まだ部長と同じスチール棚を拭いている北沢さんが、横から口を挟む。
「僕も好きですよ! ですけど昨日は見れなかったんです。ビデオに撮っておけばよかったなぁ」
 そして漆田も清水さんの隣で嬉々とした声を上げた。意外や意外。新聞部部員は推理物を好む人が多いようだ。
「そうだ。せっかくだから昨日の内容を推理してみたら? 私が説明するからさ」
 それはいい暇つぶしになるな。それに推理物に触れられるせっかくの機会だ。なんせ俺は推理物が好きそうな顔をしているらしいから。
「いいですね! ぜひお願いします!」
 よほど嬉しいのだろう。漆田が俺の代わりに活気に溢れた返事をしてくれた。そうか、こいつも昨日は色々あってテレビが見られなかったんだ。
 清水さんはこほん、と空咳をしてから得意げに話を始めた。

「舞台は有名な観光名所がある街の旅館。そこに一人の若い男の探偵が泊まりに行くの。そしてその旅館で事件は起こる」
 まぁ、話の出だしとしてはありきたりだな。
 清水さんは続ける。
「探偵がお風呂から上ったとき、若い女性の悲鳴が聞こえたの。探偵は慌ててその悲鳴が聞こえた部屋へ向かった。ドアを開け、そこで探偵は絶句する。
 なんとそこには一人の女性が倒れていたの。
 探偵はすぐに女性の元へ駆け寄って行ったわ。そしてまだ意識があったから救急車を呼び、その後に警察も連絡した。……これから本格的な話に入るわ」
 いつの間にか清水さんは手を止め、不敵な笑みを俺たちに向けていた。
「警察が調べた結果、その女性は料理に毒を盛られていたことが判明したわ。
 探偵は旅館にいる人たちの中から、怪しい人物を挙げた。
 一、旅館の女将。彼女はその女性の部屋に料理を持っていったの。一番さり気なく毒を盛ることができるわ。しかも彼女は宿泊客からその女性客と口論している場面を目撃されているから、一応動機もある。
 二、板前長。もちろん彼が作ったんだから、毒を盛ることは余裕でできる。彼はドラマの中では女将さんと仲が良いという設定よ。そして彼は女将が被害者に罵られている場面を目撃している。だから動機がある。
 三、被害者の隣の部屋に宿泊する男性。彼も被害者と口論している場面を別の宿泊客に目撃されているわ。彼は毒を盛ることは難しいと思われていたけど、話を聞くと、彼は板前長とは懇意の仲だったの。だからその周辺を歩いていても何も言われない。
 四、被害者の双子の妹。ちなみに一卵性双生児で被害者と外見そっくり。彼女は被害者と一緒に食事をしていたところ突然、目の前で被害者が倒れたらしいわ。この時点で動機は不明。
 五、被害者の女友だち。一緒に泊まりに来ていて部屋も一緒。だけど被害者が倒れていたとき、彼女はお風呂に入ってその場にいなかったの。彼女もこの時点で動機は不明」
 そこまで言って、清水さんは一息吐いた。
 俺はうむむと喉の奥で呻る。口頭で聞いていると訳が分からなくなってくるな。チラリと横にいる北沢さんの様子を窺う。すると彼女は驚くべきことに、黙々と棚を拭いていたのだ。もしかして、彼女はこの会話に参加するつもりがないのだろうか。
 俺が眉を寄せている横で、清水さんは話を続けた。
「この事件の絶対条件を言うわね。
 一、被害者は一卵性双生児だった。事件当時、被害者は瓜二つの双子と一緒に、それも全く同じ内容の料理を食べていた。
 二、厨房では誰もいなくなった時間が五分あった。この間に、三番目の容疑者、女友達も毒を盛ることが可能になるわ。
 三、被害者が女将と口論したのがお風呂前。被害者がお風呂の後に口論したのが三番目の容疑者よ。
 四、被害者が口をつけた料理は二つ。味噌汁とデザートのアイスクリームだけ。
 五、双子はずっと一緒にいた。もちろんお風呂も一緒。そして食事が運ばれた時から、被害者はトイレに行ったりはせず、料理から目を離してはいない……」
 清水さんは雑巾を持っていない方の手を腰に当て、にっと口端を上げる。
「……っとまぁ、だいたいこんな感じね。他に知りたい情報は、各自の質問で補っていっていくこと」
 それではさっそく。
「女将と口論したときは一人だったのか?」
 清水さんは小さくかぶりを振る。
「いいえ、そのときも双子は一緒にいたわ。ちなみにその口論の理由は、旅館のパンフレットにはデザートが出ると書いてあったのに、実際に料理に出されなかったから。主に被害者が怒っていたわ。だから女将は急きょ、夜の料理にデザートを用意することになったわけ。そんで色々とごたごたしたらしいわ」
 ふむ、なるほどな。それにしてもデザートが違っていただけでそこまで怒るとは。短気な被害者だ。
 漆田が誰に向かって言うわけでもなく、独り言のように言う。
「やっぱり一番怪しいのは女将、ですよね。容疑者の中で一番怪しまれずに毒を盛れます」
 それに、と彼は続けた
「仮に料理長が毒を盛ったのだとしましょう。だけど彼は女将がどっちの料理を被害者に渡すかなんて分かりませんよ。同じ料理だったんです。これを被害者に持って行け、なんて女将に言ったら不自然ですよ」
 だろうな。俺もそこは違和感を抱いた。その板前長は容疑者から外してもいいだろう。
「やっぱり、その女将が容疑者なんじゃ……」
 言いながら、俺は段々自分の言葉に自信がなくなってきた。なにしろ物語の展開が簡単過ぎるし単純だ。こんな内容をテレビ放送していたら、視聴者から苦情の嵐だ。
「貴様ら。そんな性急に結論を出すな。一人一人の容疑者はどうなのかを考える方が先だろうが」
 いつの間にか部長が俺たちの背後に来ていた。彼は腕組をし、偉そうに立っている。なんだか無駄にやる気に溢れていた。
「そうですね。じゃあ……三番目の容疑者からいきましょう」
 漆田は部長の言葉に頷くと、話を運び始めた。
「彼も厨房に忍び込むことで毒を盛ることができますよね。それに料理長と女将の共犯という可能性もあります。だから忍び込まなくても料理長にこっそり頼んで毒を持ってもらうんです。そして女将にそれを運んでもらう」
 そう言われればそうだな……。なんだか三番目の容疑者も怪しく見えてきたぞ。
 俺は小首を捻りながら言う。
「だけど……そうなると、板前長も女将と共犯という条件下なら容疑者としてはありだよな」
「んー……そうなりますねぇ」
 漆田も困ったように眉根を寄せ、低く唸る。
「そこは置いておこう。他の二人はどうだ? そう! 双子の妹だ!」
 突然、部長が興奮を抑えきれていない表情で、大きな声を上げた。
 俺と漆田は、ぎょっとして部長を見つめた。なんだなんだ。何が始まるんだ。
「貴様らは女将が一番怪しいと言うが、最も怪しいのはもう一人の双子だろう。なんせ一緒に食事を食べていたんだ。自分の料理にこっそり毒を盛り、味見して見てよ、と言って被害者に食べさせることもできる。そして被害者が倒れたあと、こっそりと被害者の料理にさらに毒を盛ればいい!」
 そう言って、部長はふふんと得意げに鼻を鳴らした。しかし残念なことに。その推理は漆田にあっさりと論破されてしまった。
「それは不自然じゃないですか? だって同じ料理だったんですよ? 味見してみてよ、と勧めるのは変です」
 部長は「確かにな……」と心なしか悲しそうな声音でつぶやいた。よほどその推理に自信があったようだ。
「やっぱり女将か……共犯説か……」
 俺は横にいる清水さんに視線をやる。彼女は俺たちが頭を抱えている姿を楽しそうに眺めていた。作る側の特権ってやつか。きっとテストの最中、泣きそうな顔で問題を解いている生徒の姿を楽しそうに見ている先生のような気分なのだろう。
「ギブアップ? それとももう犯人を言っちゃう?」
 言ってもらおうかな……。なんだか少しずつ考えることに疲れてきた。
 今さら思い出したのだが、俺は頭の回転が遅い上に物事の見方に対する柔軟性に欠けるんだ。だからこのような推理物も苦手だ。推理物が好きそうに見える、という清水さんの言葉に乗せられてここまで来たが、はっきり言ってもう面倒臭い。
 もう犯人は誰でもいいです、と俺が推理物に対し喧嘩を投げかけるような発言をしかけたときだった。
「北沢はどうだ?」
 今まで、窓拭き役に徹していた五日市先生が突然、北沢さんに話を振った。
「北沢はどう推理した?」
 そういえばそうだ。北沢さんの話を俺もぜひとも聞いてみたい。
 そしてその想いは五日市先生も同じのようで、彼女は興味津々といった眼差しを北沢さんに向けていた。
 北沢さんは雑巾を持った手をピタリと止める。
「そうですね……」
 そして彼女は静かな声でそうつぶやいてから、ゆっくりと清水さんに向き直った。
「一つ、質問が」
「なにかしら?」
「被害者が毒を盛られた料理の品は?」
 清水さんの片方の眉がわずかにピクリと動いた。
「……アイスクリームだけよ」
 明かされた事実に、俺は目を丸くする。てっきり全品の料理に毒が盛られていたのだと思い込んでいた。
 北沢さんは清水さんと対峙したまま、質問を続ける。
「そう……だったらもう一つ。双子の片割れさんの料理には毒は盛られていた?」
 俺を含めた男ども三人の視線が、一気に北沢さんに向かう。
 それはどういう意味だ。というか……俺は清水さんに視線を戻した。今まで余裕の態度を見せていた清水さんだったが、いつのまにやら真剣な顔つきに変わっていた。
「この質問は答えられない?」
 清水さんは苦笑気味にかぶりを振った。
「いいえ。質問の答えはイエスよ。ついでに毒が盛られた品はアイスクリームだけだったわ」
 ちょっと待て。頭が混乱して、髪の毛を両手でかきむしりたくなったきた。つまり犯人は被害者の殺害を運にゆだねたということなのか。だが、もし犯人が両方のアイスクリームに毒を盛ったのなら、板前長、そして彼と懇意である三番目の容疑者が一人で犯行に及ぶこともできるということだ。
 徐々に張りつめていく空気。そんな中、北沢さんは口元に拳を軽く当て、考え込む仕草をする。そしてややあってから、おもむろに顔を上げた。
「……分かりました、たぶん」
「犯人が?」
 清水さんが心なしか嬉しそうな口調で尋ねる。
「まぁ。あくまで推論ですけど」
「そう。それじゃあ、犯人が誰だか当ててみて」
 北沢さんは小さく息を吐き出してから、落ち着いた声色で告げた。
「犯人は――女友達です」
「なっ――なぜだ!」
 間髪いれずに、部長が物凄い剣幕で北沢さんに詰め寄った。よほど彼は、双子の片割れを犯人にしたかったようだ。
 北沢さんは、しかし気にせずに彼の怒りを平然と受け流して話に戻る。
「まず女将ですが、彼女が犯行に及んだ場合、片方だけのアイスクリームに毒を盛るだけでいいんです。直に料理を渡している彼女が、わざわざ両方のアイスクリームに毒を盛る必要がありません」
 そりゃそうだ。
「そして三人目の容疑者。板前長のご友人ですが、彼は双子がお風呂から上がったあとに口論となりました。舞台は旅館です。そうなると双子はそのとき、どちらも旅館の用意した同じ浴衣を着ていたのではないでしょうか」
「そう言われれば……そうですよね……」
 漆田が感心するように何度も頷く。
「お風呂前であれば、たとえそっくりな双子であっても服が違うので見分けがつくと思いますが、着ている服まで同じとなってしまうと、きっと判別などできません。そうなれば、彼が板前長や女将に協力してもらい毒を盛るのは無理でしょう。なにしろどっちがどっちなのか分からないんです。口頭では説明できません。ですから、彼は一人で犯行に及んでしまわないといけなくなりますが……」
 北沢さんはそこで一息こぼすと、声調をわずかに緩めた。
「そうなると、彼も両方のアイスクリームに毒を盛る必要がなくなります。彼が殺意を抱いたのは被害者なんです。犯行を運にまかせる行為はあまりにも不自然過ぎます。そして板前長も同じ理由で容疑者から外してもいいでしょう。女将も容疑者から外れています。おのずと共犯の線も消えますからね」
 なんとか話が見えてきた。ここまでくれば頭の回転が遅い俺でも分かる。
 もちろん双子の片割れは犯人ではないだろう。彼女はずっと被害者と一緒にいた。被害者の目を盗んで毒を盛ることは不可能だし、第一自分の料理に毒を盛る必要がない。そして、さきほどの部長の推理も、すでに漆田に却下されている。
 そうなれば……消去法でいくと残りは女友達ということになる。
「本当に女友達が犯人なのだとしたら、仮に誰も居なくなった厨房に行って毒を盛ることができたとしよう。だが、彼女はどうやって被害者が食べる順を予想できたんだ?」
 部長がこの場にいる誰もが抱いていると思われる疑問を口にした。双子に渡るはずだったアイスクリーム。その二つに毒を盛った女友達。もしかしたら、もう片方の双子が一番最初に口にする可能性だってある。
 北沢さんはうろたえるどころか、毅然とした口調で謎を明かしていく。
「それは……友達だからですよ。友達なら、双子が食べる順や癖を知っているでしょう。被害者はきっとデザートから箸をつけるタイプだったんですよ。そして双子の片割れは一番最後……とまでは言わなくても、比較的最後の方にデザートを食べる方だった。たとえ双子でそっくりな外見だとしても、別々の思考や考え、癖が必ずあるはずです。双子だから何もかも同じということは絶対にあり得ません。価値観というのは、その人が本来もっている性質、積み重ねた経験から形成されるものですから」
 それに、と北沢さんは付け加えた。
「被害者は旅館のパンフレットに書いてあったデザートを楽しみにしていたようですからね。女友達ならそれを事前に知ることもできたでしょう」
 なるほどね。俺はゆっくりと表情を緩め、深く頷いた。胸の中に立ちこめていた霧がすっと晴れていくようだった。これで見事にこの推理劇は終了しただろう。
「正解よ。お見事ね」
 清水さんは微笑を浮かべ、お手上げといった様子で言った。どことなく、彼女は北沢さんに対して呆れているようにも見えなくはなかった。
 すると今まで北沢さんの推理劇を大人しく傍観していた漆田が、不満そうな様子で清水さんに詰め寄った。
「でもなんで、そんな大事な情報を最初に言ってくれなかったんですか?」
 清水さんは悪びれもせず、小さく肩をすくめた。
「もう少し経ってから教えようと思ったのよ。だってドラマでも、徐々に事実が明かされていくでしょ? それに最初から全部言っちゃたらつまらないじゃない。今、手元にある少ない情報の中で仮説を立て、それを新たに分かった事実で裏付けして、時には修正していきながら真実に向かっていく。これが推理小説の醍醐味なんだし」
 さいですか。清水さんなりに考えた故での行動だったらしい。彼女らしいと言えばそうなのかもしれないな。
 清水さんは、ちらりと北沢さんに視線をやってから、小さく嘆息する。
「でも私が少しずつ種明かしを始める前に咲がいきなり質問しちゃうんだもの。本当にびっくりしたわ」
 面白くなさそうな口調で言葉を並べる清水さんだったが、特に怒っているわけではなさそうだった。そうだな。たとえるなら、やんちゃな妹に手を焼く姉さんといったところだろうか。
「めでたしめでたしだな。さ、お前ら。早く掃除を終わらせろ」
 気づくと、五日市先生がすぐ傍まで来ていた。その背後には、一点の曇りなく綺麗に磨かれた窓ガラスが見える。
「……もしかして、早く終わらせるために北沢さんに話を振ったんですか?」
「ま、そんなところかな」
 はぁ。思わず溜息が出てしまった。
 でも……俺は心の中で首を傾げた。これは先生も北沢さんの推理力に期待したということなのだろうか。

 五日市先生が新聞部部員の視線を背中に集めながら、部屋のドアを閉める。彼女は後ろを振り返り、どこかほっとした声色で言った。
「これでやっと終わったな。みんな御苦労さま」
 終わった。終わったぞ。俺は心の中で密かに安堵する。
「でも、これどうしますか?」
 横に立つ漆田が、教室のドアの前にぽつんと置いてある大きなゴム製のボールを見ながらつぶやく。たぶんバランスボールだろう。まだ十分使えるみたいだから、用務員さんも捨てるに捨てられなかったのだと推測される。
 五日市先生が嘆息しながら言う。
「……そこに置いていくわけにはいかないな。どこかそれを置ける場所が……」
 そこで言葉を途切らせた彼女は、ふと閃いたように口を開いた。
「そうだ。体育館の用具室に置かせてもらおう。体育の授業かなんかできっと使うだろう」
 バランスボールを使用する授業なんて聞いたことないけど。まぁ、部活前の暇潰しくらいにはなるかもしれないな。……運動部の。
「じゃあ、お前たちの誰かに行ってもらうか。置く前にきちんと山田先生に許可をもらうんだぞ」
 誰だろう、山田先生とは。俺は心の中で密かに首を捻る。
 戸惑った表情を浮かべていると、俺の表情に気がついた五日市先生が言葉を付け足した。
「体育の先生だ。彼が用具室の管理を任されているんだ」
 そう言って彼女は、他の部員に視線をくれた。
「さぁ、誰が行くんだ?」
 自分は行かない前提で五日市先生は話を進める。一人一人丁寧に視線をくれる先生だったが、誰も目を合わせようとしない。
 俺は考える。掃除までさせられて、挙句ボールを体育館の用具室まで運べと言われたら、そりゃあ嫌だろう、と。
「……俺が行きましょうか?」
 ここは一つ、男をみせるか。……というのは嘘で、どうせもう帰るから、そのついでである。
 すると五日市先生は、俺の申し出に、意外そうに目を見開いた。
「そうか。だったら新谷に頼むか。お前も物好きだな」
 最後の台詞に俺は首を傾げる。物好きって、一体どういう意味だ。なんだか嫌な予感が沸々と胸中に湧き上がってくる。俺が焦ったように首を回すと、北沢さんとパチリと目が合った。そして彼女は、なぜか感心したように目を見開いていた。
「私はあの先生のことが苦手ですから、極力関わらないようにしています。それなのに自ら手を挙げるなんて。新谷さんはすごいんですね」
 すごいもなにも、俺はその先生のことを一切知らない。顔も目にしたことがない。見当違いも甚だしい。
「私も苦手。少しうざいから」
 清水さんが北沢さんの傍らで、露骨に顔を歪めながら言う。よほど嫌いなんだな、とよく分かるような表情だ。
「私もだ。昔からあの先生だけはどうも生理的に受けつけない」
 そして俺の隣に立つ五日市先生がうんざりした顔でつぶやく。たぶんこの場で、一番そういうことを言ってはいけない人だろう。
 そんなに敬遠されている先生なのか。俺が早くも後悔の念を抱き始めていると、急に肩にポンと手を置かれた。
「ということだ。頼んだぞ、新谷」
 顔を向けると、部長が真剣な眼差しで俺を見つめていた。なるほど。彼もその先生のことが苦手なのだろう。
 ……マジでか。



 結局、自分自身で墓穴を掘ってしまった俺は、バランスボールを大人しく山田先生の元へ一度、運ぶ羽目になった。あの雰囲気で「やっぱ行かない」などという空気の読めない発言はさすがの俺でも言い出せず。その場の空気を一字一句読んでいくと、あぁ――やっぱり俺が行かなくちゃいけないんだな、と現実を改めて突き付けられ、一同が温かく見守るなか俺はそのバランスボールを優しく両腕で包みこんだ。
 俺がボールを持ち上げたのを合図に「んじゃ、あとはよろしくね」と、まるでこれから飲みに繰り出すOLのような清水さんの言葉で、その場は解散となった。というか、転校生である俺がまだ会ったこともなければ顔も知らない先生の元へ行くのはどうなんだろうか。せめて誰か着いて来てくれれば心強いのだが。俺は最後の期待をその瞳に注ぎ込み漆田を見つめたのだが、彼は人の良さそうな笑顔を俺に向け「体育館は一階ですよ」と、君は私を馬鹿にしているのか、そして反対に一階でなければどの階に体育館があるのだと聞き返したくなる極めてどうでもいい情報を俺に与えて去って行った。漆田君、そうではないんダヨ。
 まぁ、とゴム製の丸い物体に顎を乗せながら俺は考える。
 女性たちから散々な物言いを受ける山田先生。あの部長からも敬遠される男。彼は一体何をしたのか。そして何者なのか。興味がないわけではない。
 人にぶつからないよう注意深い足取りで廊下を歩いていた俺の背中に、野太い声が投げかけられた。
「おうっ! なんだそのボールは!」
 立ち止り、俺は後ろを振り返る。視線を軽く上げると、ボールの丸い輪郭の上に一人の中年男性の顔があった。角刈り頭に、脂ぎった額をてかてかと光らせているその中年男性は、ぼさぼさの太い眉を、わずかに寄せながら問うた。
「これは一体何なんだ? こんな物をどこに運ぶつもりだ」
 その耳をつんざく様な野太い声に胸のうちで顔をしかめた。無駄に声が大きい。
「あの……用具室に……」
「えっ? なんだって?」
 男性が眉をひそめながら身をこちらにぐいと近づける。普通に喋ったつもりなのだが聞こえなかったのだろうか。俺はさきほどよりやや声量を上げて言う。
「だから用具室に運んでいるんです」
 わずかに苛立ちながら答えると、彼はまじまじと俺の姿を見下ろし聞き返す。
「用具室に運んでいるのか?」
 だからさっきから何度も、そう言っているだろう。俺は咄嗟に喉から出かかった言葉を胃の中に押し込んだ。
 男性はボール越しから放たれる俺の冷え切った視線に気づいているのか、はたまた気がついていないのか。彼は腰に手を当てると、白い歯をにっと見せつけた。
「そうかそうか。それは御苦労さまだったな。だったら用具室の一番奥にでも適当に置いておいてくれ」
 そう言って、彼は俺の肩を力強く何度も叩いた。
 思わぬ剛力が肩に圧し掛かる。腕から落としそうなったボールをなんとか抱え直して、そして迷惑そうな顔を隠しもしないで、俺は剣の含んだ口調で言った。
「でも五日市先生に、念のため山田先生という人に許可を貰えと言われました」
「俺がその山田だ」
 ……あなたが山田先生か。なんて巡り合わせなのだろう。物凄い迷惑そうな顔で言ってしまった。
「そうなんですか。それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきますね」
 そして俺は一礼し、さっさとその場から退散しようと踵を返した。一刻も早く、俺の顔を忘れてほしい。
「おうおう待て待て。そんなに急ぐこともないだろ」
 しかしながら。俺の願いも儚く散り、今から中学生相手に喝上する三秒前である高校生のような台詞で、彼は俺を引き止めた。
 諦めたように小さく息をこぼしてから、再び後ろを振り返る。
「……何でしょう?」
 早く帰りたいんだけどな。その言葉が顔に現われていないことを願うばかりだ。
「お前、もしかして新聞部か!」
 山田先生が唾でも飛ばしそうな勢いで尋ねてきた。実際、何か生温かい水滴が顔に飛んだような感じがする。気のせいだと信じたい。
「はい。新聞部です」
 言い終えてから、まだ仮入部期間であったことを思い出した。だが、さして言い添える内容でもないだろう。
 彼は俺が新聞部部員であるという事実を知るや、嬉々とした声音を上げた。
「そうかそうか! じゃあ、五日市が顧問をしている部活の部員ってわけか。どうだ? あいつ最近の様子は? ちゃんと先生やってるか?」
「えぇ、まぁ。はい……やっているんじゃないですかね?」
 何と言ったらいいのか分からず、返答に戸惑う。本当のことを正直に申せば、あまり真面目にやっていない気がする。本人も教師という職業にそこまで情熱をささげているわけでもないからな。
 しかし山田先生は俺の言葉をごくんと丸呑みして、嬉しそうに目じりにしわを刻んだ。
「そりゃあ良かったな! あいつは高校のときから適当な部分があるんで、今もそうなんじゃないかと思ったぞ! それに何に対してもやる気がなかったから部活も帰宅部で委員会にすら所属していなかったからな」
 帰宅部か。そういえば、あの壁新聞にもそんな感じの記事が載っていたような気がする。何と言うか、いかにも彼女らしいな。それに山田先生も自分でそこまで分かっているなら、わざわざ俺に確認するまでもないだろうに。
 心の中でそう静かにつぶやいたところで、ん?と胸のあたりで何かが引っかかった。
「先生……今、高校の時からって言いませんでしたか?」
 俺が怪訝そうな口ぶりで確認すると、山田先生は光沢を放つ額をわずかに横に傾け、悩ましげに眉をよせた。
「そうなんだよー、あいつは高校のときから適当に流すところがあってな……」
 いえ、そこではなくて。
「先生は、高校時代の五日市先生のことを知っているんですか?」
 山田先生は、俺の驚愕の表情を見下ろしながら言う。
「知ってるもなにも、あいつは俺の教え子だ。俺はこの学校に赴任してから十年目になるからな」
「そう、なんですか……」
 俺はしみじみとした感嘆の声を上げた。教え子が教師になって自分の前に現れるのはどういう気持ちになるのだろうか。こういった巡りあわせもあるのだな。
「数学なんてあいつにピッタリの分野だな! 五日市は、なんか頭が堅そうなイメージだから!」
 そんなこといったら、五日市先生に窓ふき洗剤をそのてかてかした額に吹きかけられますよ。磨きがいのありそうな額だし、それに彼女なら本気でやりかねない。 でも彼女も自分の担任の先生に向かって生理的に無理、とかなんとか言っていたから、これでおあいこか。
「……先生、一つ聞いてもいいですか?」
 去り際に一つだけ、彼に質問しておきたいことがあった。
「おう! 何だ! 何でも聞いてくれ!」
 乾いた唇をわずかに湿らせ、俺は口を動かした。
「先生は、この学校の図書室にいる幽霊の噂を聞いたことはありますか?」
 山田先生は目をぱしぱしさせてから、ゆっくりと口を開いた。
「あー、あの噂か。確か……八年前? 七年前? いつの話だったか分からんが、その噂は覚えているぞ。なんせ他校にまでその噂が出回ったくらいだ。当時の教頭……今の校長だが、話の収拾がつかなくなって近所の神社に除霊を頼んだんだ」
 よく覚えているぞ、と山田先生はうんうんとしきりに頷いた。
 俺は腕のなかにすっぽりと納まっているボールを、さらにぎゅっと胸に押し当てる。
「……い、今でもいると思いますか?」
 視線を横に逸らし、恐る恐るといった具合で俺は尋ねた。
 山田先生は恐怖に揺れる俺の心情に気づかないまま、風呂あがりのようなさっぱりとした口調で言い放つ。
「いないだろ。もう除霊したんだしな。それに除霊したあと、そんな噂は聞かんぞ」
「そう……ですか」
 俺は心の中で盛大に息を吐き、ついでに緊張で強張っていた全身の筋肉も弛緩させた。長年この高校にいる彼が言うのだから、間違いないだろう。やはり昨夜、目にした人影は、実態のある人間だったのだ。
「何だ? それが聞きたかったのか?」
 どこか拍子抜けした様子で、山田先生が尋ねる。
「はい。色々とありがとうございました」
 ほっとした声色でお礼を述べる。
 その言葉が聞けただけで十分だった。

 日は暮れ、放課後の時間になった。部活動もなかった俺は玄関に向かう。下駄箱には夕陽が映る茜色と影になっている部分が綺麗に分かれていた。影になっている自分の下駄箱から外履きを取り出す。
 外履きを下に放り投げ、砂利と靴が擦れる音が誰もいない玄関に響いた。ところどころ泥まみれになり薄汚れた靴を見下ろし、小さく息を吐く。
「そろそろ買い換えなきゃな……」
 ポツリと小さなつぶやきを漏らしたとき、視界の隅に真新しい黒い革靴が映った。
「何を買い替えるって?」
 聞き覚えのある声に、俺は顔を上げた。そこに立っていたのは、猫のような大きな目にそこから覗く雀色が印象的な少女――清水さんであった。彼女は腰に片手を当て、モデルのようなすらりとした体型を惜しげもなく見せつけていた。
「いや、何でもないよ。ただ靴を買い替えようかなって思っただけ」
 そう言って、俺は自分の薄汚い靴につま先を入れた。
 彼女は俺の外履きをじっと見つめたあと、視線を上げながら言う。
「……確かにね。その靴は、そろそろ変え時かもしれないわ」
 俺が放ったどうでもいいような話にも、彼女は真面目に答えてくれた。なんだ、案外良い子ではないか。
「どっか良い店知らない? この辺りの店、まだ全然知らなくてさ」
 清水さんは俺の質問に、どういうわけか沈黙で応えた。雀色の瞳が、正面から俺の視線を捉える。何だろう。俺の顔に変な物でもついているのだろうか。もしかして山田先生の唾液がまだ――。
 思考がぐるぐると回り考えが定まらないなか、清水さんはぐいと顔をさらに近づけてきた。何か言われるのではないかと身構えていると、
「新谷さ、何か疲れている?」
 ふいにかけられた思いがけない言葉に、俺は怪訝そうに眉根をきゅっと寄せる。
「えっ、……そう見える?」
 そんなに疲れた顔をしていただろうか。確かに何となく疲れたな、と心の隅で感じていたのは事実であるが、傍目から見て指摘されるほど、ありありと見せつけていたつもりは全くない。
 清水さんは小さく笑うと、静かに身を引いた。
「いいえ、ただ何となくそう思ったの。気持ちはちょっと分かるけどね。私も似たような経験あるし……」
「清水さんも転校したことがあるの?」
 意外そうな表情で尋ねたが、彼女は肩をすくめるだけで、曖昧に流されてしまった。あまり話したくないのか、それともただ単に説明するのが面倒なだけなのか。
 俺は玄関の外へ視線を伸ばす。橙色に染まった空が広がり、目を焼く夕日が彼方に浮かんでいた。遠い眼差しでその風景を見つめながら言った。
「別に疲れてないけど、慣れるまで、やっぱり時間はかかるかもしれない。東京が恋しいとかそういうわけじゃないけど、でもやっぱり新しい土地って色々大変だよね」
 そう言って、今度は俺が小さく笑った。
 誰もいない静まり返った学校の玄関。時折こだまする運動部の掛け声、そして茜色に沈む世界が、どこか自分を感傷的な気分にさせてしまったのだろうか。
 清水さんは俺の言葉を茶化したりすることはせず、ただ黙って耳を傾けていた。彼女は同じように玄関の外に視線を投げかけてから、遠慮がちに俺の顔を覗きこんだ。
「寂しい?」
 俺は顔を横に向ける。そこには、どこか憂いを含んだ雀色の瞳があった。
「別に寂しいってわけじゃないよ。別れがあれば出会いもある。それだけの話だよ」
 もちろん前に通っていた高校にも何人か友達もいた。そこには慣れ親しんだ街並みがあった。だけど、それが永遠に続くものではないことくらい分かっていたし、そして子どもは大人になることを避けられないことが当り前の事実のように、いつかは別れが訪れることも分かっていた。俺は周りの人よりも少しだけそれが早まっただけ。だからそこまで悲しくはない。
 すると清水さんは、その薄い唇におかしそうな笑みを含んだ。
「何か新谷って、どことなくだけど咲に似ている気がする」
「お、俺が?」
 またしても思いもよらぬ言葉を言われて戸惑った。どこをどう見たら、俺と北沢さんが似ている、などという考えに至るのだろうか。自分で宣言するのもあれだが、全然似ていないはずだ。
 返答に困っている傍らで、清水さんは懐かしそうな口調で語り始めた。
「私と咲は中学校からの付き合いなんだけど……あの子もさ、あんたと同じようにどこか一線を引いて物事を見ているのよね。それはおかしいことではないし、反対にそういう人って意外と多いと思う。だけど普通なら、その一線を越えて輪の中に入ろうとすると思うのよ。高校生とか中学生とかは特にそうじゃない? みんなと違うことは怖いから、一人でいると変な目で見られるから、輪の中に入ろうと頑張る。だけどあの子は昔から違った。絶対に自分からはその輪に入ろうとしなかったの」
 それは何となく分かる。彼女は他人と自分との間にどこか一線を引いている。本来であれば、たとえその一線を引いていても他人には見せない様にするものだが、彼女の場合それをわざと見せつけている気がする。
 あの納屋のように。
 そこまでしなくてもいいのに、彼女は俺たちが引っ越してくることを知るや、逃げるようにしてあの納屋にねぐらを移した。まるで人との関わりを避けるかの様に。だから清水さんが言った北沢さんが輪の中に入ろうとしない、という言い方は当たっているのかもしれない。
 ……俺も清水さんの目にはそんな風に映っているのだろうか。自分ではそんな風に行動しているつもりは全然ないのだけれど。
「あんたは……何て言ったらいいのかしら。輪の中に入るのが苦手な感じがするわ。変に物事を達観して見ているから、余計にそうなってしまうんじゃない?」
 そうなのだろうか。自分ではいまいちピンとこなかったが、占い師のように相手に同意を得ながら話を進められると、本当にそうなのではないかと思い込んでしまう。
 だけど……。俺は恐る恐る、彼女の猫のような大きな瞳を覗き込む。何というか、彼女は本当に人のことをよく見ているのだな。俺ならこんな風に他人や世間を見たりはしない。
「もう少し詳しく突っ込むと、あなたと咲は世渡りが下手なのね。賢いくせに変に相手の気持ちを深読みし過ぎて相手に遠慮しちゃうから、いつも損ばかりしちゃう」
 追い打ちをかけるような指摘に、俺は苦虫を噛み潰したような顔になる。何か色々と言われたい放題だな。けなされているのか褒められているのかも分からなくなってきた。
 清水さんは目じりを緩め、柔和な眼差しを俺に向けた。いつも尖ったような印象を受ける彼女が、少しだけ柔らかな雰囲気を纏う。
「でも私、そういう人間は嫌いではないわ。器用に世渡りしていく人間よりも、そっちの方が人間臭くてずっと良いと思うもの」
 あくまでも私の持論だけどね、と清水さんは最後にそのように言い添えた。
 彼女に真っ向からそう言われ、なんだか照れ臭くなってしまい、俺は逃げるように視線を外してしまった。
「……清水さんは北沢さんと仲いいんだね」
 どうにかして話題を変えよう。焦燥感に駆られた俺は、どうしたものか。なぜかそんな内容を口走っていた。
「まぁ、中学の頃からの付き合いだからね。あの子は昔から変わっていたのよ」
 それは清水さんにも少しだけ言えることだな。思春期真っ盛りの高校男児に向かってあそこのタマも小さい、とは口が裂けても中々言えることではない。
「……思ったんだけど、新聞部のみんなも、それに五日市先生も結構、北沢さんに頼っているよね。今回の本の配置事件もそうだけど」
 五日市先生がドラマの謎解きを真っ先に北沢さんに振った件といい、本の配置事件といい。みんな、なぜか北沢さんの推理力に期待しているようだった。
 清水さんは「あぁ」と納得したようにつぶやくと、今夜の晩御飯のメニューに悩む母親のような顔で首を捻った。
「そうねぇ……一年生の頃にちょっとした事件があってさ。その事件にたまたま巻き込まれた咲が、その事件を見事に解決したのよ。一番の理由はそれかもしれないわね。それもあって、いつの間にかみんな咲に頼っているのかも」
 だけど、と清水さんは心なしか得意げに話を続けた。
「咲なら――あの子なら何か謎を解いてくれそうな気がしない? 私は不思議とそう思うのよ。おかしな魅力よね」
 なるほど。北沢さんの謎解きを目にした人物は、その魅力にとりつかれてしまうということか。加えて、ミステリアスな雰囲気も漂わせているから、余計にそう見えてしまうのだろう。ただ、少し無口なだけだと思うが。
「生まれ持った才能ってやつなのかな。少し羨ましいわ」
 名探偵の素質か。俺は推理物には全然興味がないからよく分からないが、彼女の洞察力は目を見張るものがあるのは素人の俺にもはっきりと分かる。
 清水さんの猫目をぼんやりと見つめていた俺は、あることに気づいた。
「そういえば、清水さんはここでなにをやってたの?」
 もうとっくの昔に帰っていてもいいはずなのに。
 清水さんは小さく息を吐くと、少し呆れた色を交えながら言った。
「咲を待っているのよ。あの子、今日も漆田と部長と一緒に図書館に行って写真を撮っているの。真面目というか律儀というか……」
「今日も行っているの?」
 俺は少し……いや、かなり面を食らった。本の配置が移動している事実はすでに判明しているのに、彼女は他になにを確かめているのだろう。そういえば部長が、部活が始まる前に今日も図書室に行って確かめるとかなんとか話していたっけ。
「あの子がそうするからには、何かちゃんとした理由があるからだと思うけどね」
 随分と彼女を信頼しているのだな。正反対にも見える清水さんと北沢さんだが、だからこそ友情が続いているのかもしれない。
「結局、その本の配置事件を今月号の記事にするの?」
 もう記事に対しては文句を言うまい。どうせ俺が苦言を呈しても、あの傍若無人な部長様の心には一ミリも届かないだろう。というか、届ける前に俺の方が先に挫折する自信がある。
 清水さんは呆れるわけでもなく、かといって渋い顔をするわけでもなく。記事の内容に対しては特に気にしていない様子で頷いた。
「そうなるでしょうね。真実が明かされなくても、おもしろいネタだとは思うし」
 前向きだな。俺が清水さんのような考え方ができるようになるまでは、もう少し時間がかかりそうだ。
「ま、そうかもしれないね。生徒の興味を引くネタにはなるだろうね」
 俺は苦笑交じりにそう告げると、清水さんに小さな笑みを向けた。「じゃあ、俺はそろそろ帰るね」
 彼女はふっと微笑を吐き出すと、普段通りの素っ気ない口調で言った。
「あっそ。ならまた明日」
 たぶん、この調子で今の言葉を初対面のときに言われていたら、俺は彼女をなんて愛想のない女の子だろう、と渋い感情を抱いたと思う。だけど今は全然そんな風には感じない。これが彼女なのだとそう思っている。印象というものは日が経つにつれて大きく変わるものだ。俺はそれをしみじみと実感する。
 泥をかぶった薄汚れた靴を履き、俺は清水さんの横を通り過ぎる。しかし玄関の入り口まで差しかかったところで、俺はピタリと足を止める。おもむろに後ろを振り返り、清水さんの背に向かって言葉を投げかけた。
「……そういえばさ、一つ聞きたいことがあるんだけど」
 清水さんは少しばかり驚いた表情でこちらを振り向く。
 赤みの強いオレンジ色の夕陽を全身に浴びながら、俺は尋ねる。
「ドラマの犯人は、どうして自分の友達を毒殺しようと思ったの?」
 唐突にして突然の質問に、清水さんは遠目から分かるほどに眉をひそめる。真夏にダウンジャケットを羽織り、その首にはマフラーをぐるぐると巻き付けた通行人を街で見かけたときのような顔だった。今の俺は、彼女の目にはさぞや不可思議な人間に映っているだろう。
「何……新谷はそれが気になるの?」
「ちょっとね」
 自分でもおかしなところを突いた質問であることは自覚しているため、彼女の表情はさほど気にならなかった。
 普通なら犯人さえ知り得てしまえば、その動機など流してしまう視聴者がほとんだと思う。だからその動機にこだわる態度を見せている俺に対する彼女の反応は、尋常であり正常なものだ。
 清水さんは依然、疑念に満ちた眼差しを俺に向けながら、しぶしぶといった口ぶりで言った。
「……そう。えっとね、確か……自分の彼氏を被害者にとられたから、だったわ。ま、ありふれた動機よね」
 そう言って清水さんは、小さく肩をすくめる。
 なんてことはない。男女の三角関係がこじれてしまっただけだった。なんて単純で、そして後味の悪い結末なのだろう。残ったものは、自分の醜い感情だけ。
 そこまで考えて、俺はふと首を傾げる。
「ねぇ、もしかしてさ……」
 これは本当に、もしかして、だけど。
「犯人は、本当に被害者だけを狙ったの?」
「どういう意味かしら?」
 清水さんが、その唇に意地の悪い笑みを浮かべながら聞き返す。
「これはあくまで仮説だけど……犯人は、どっちでも良かったってことはなかったのかなって」
 双子の食べる順を想定して、両方のアイスクリームに毒を盛った犯人。それは二人のことをよく知っていたからこそできたことだ。だけど……。
「俺なら、これは本当に俺の場合だけどさ……どっちでもいいやってなると思う」
 被害者への嫉妬と憎悪に身を焼かれ、善悪の区別も判断できない状態で、果たしてそこまで完璧な結果を求めるだろうか。一卵性双生児で姿が瓜二つの双子。罪を犯してしまうほど追い詰められていたとしたら。
 もし俺だったら、たとえ理性では冷静な思考回路を保っていてもその心の中では自暴自棄になって、この際だからどっちでもいいや、と思ってしまう気がするのだ。
 証拠も確証もない。本当にただの推論だけど。
 清水さんは、なぜか苦い笑みを漏らしながら、静かに語り始めた。
「そういえば、ドラマの最後、探偵に追い詰められた犯人が疲れた顔でそんなこと言っていたわね」
「何て言っていたの?」
 彼女はふっと微笑を吐き出して、切なそうな目で俺を見据えた。
「どっちがどっちだか、もう分からなくなっていった、って」
 その言葉を聞いた途端、胸の中に何ともいえない、やりきれない感情が込み上げてきた。
「はっきりとそうだとは明言していなかったけど、その言葉から考えると、自暴自棄になっていた可能性もあるかもしれないわ」
 それは……俺の根拠のない推論が当たったということだろうか。
 しかしまぁ。
「本当のことは、犯人しか分からないけどね」
 その通り。
 清水さんが、俺が思ったことを見事に言葉にして並べてくれた。
「ありがとう、教えてくれて」
 礼を述べた俺に、清水さんはどこか寂しそうに小さく微笑んだ。
「変に勘が鋭いのね……やっぱり似てるわ、あなたたち」
 彼女はそう言うと、くるりと踵を返した。
 俺は顔を横に向け、グラウンドに目をやる。清水さんの言葉の意味を尋ねようか迷っていると、風にまぎれた吹奏楽部の演奏が耳に届いてきた。
 その演奏に聴き惚れているうちに、清水さんはいつの間にか視界からいなくなり、耳に残ったのは、どこからか聞こえてくる運動部の掛け声だけだった。



この小説について

タイトル 不器用な団欒者たち
初版 2014年12月30日
改訂 2014年12月30日
小説ID 4621
閲覧数 350
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雪奈の写真
駆け出し
作家名 ★雪奈
作家ID 899
投稿数 5
★の数 0
活動度 475

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