破壊された都市

 彼は耳をそばだてる。長い間聞くことのなかった音楽のように錯覚を起こす。今は望みという望みはほんの少ししか叶えられない。たった1日のうちにすっかり変わってしまった。戦争は彼から日常を奪っていく。
 瓦礫の山からひっそりと響くのはカンパネラだった。いつ誰がつけたともわからない。大きな羽の音を轟かせて虫たちのようにやってきた『報復者』に攻撃されてからは、誰もが色々なものを失ってしまったのだ。目がゴロゴロと地を転がり、指の一部が飛び散り、家の屋根や、黒くたなびく電線まで倒れ掛かってきた。
 すでに失われた都市になっていた。家屋は半分から上がなくなり月がよく見えた。きっと真っ二つにされた馬鈴薯もそんな気分だったに違いないと思いながらサトルはよく煮込んだそれを食べる。
 都市の機能は完全に失われてしまっている。電気もガスも水道も通らず、破裂した水道管からはたくさんの水が溢れ出していた。子供がいればきゃあきゃあとはしゃいで踊るようにあたりを走り回るかもしれない。しかし子供の声はせずに唸り声のような水の音がこだましている。
 サトルはよく耳を凝らす。カンパネラはまるで壊れた蓄音機のように同じ箇所を繰り返している。崩れたブロックの上に座ると夜空を見上げる。街があった頃には星はほとんど見れることはなかったが、文明がなくなった今はまるで滝のように星が連なっている。こんなにも多くの明かりに見守られながら生活していたことには、ついぞ気がついたことはなかったとサトルは思った。
 特別な感情が現われることはない。悲しみは消えていってしまい喜びもなかった。皮肉にも深い感動のようなゆらめきが彼の内奥に襲っていた。おそらくこの街のほとんどの人間が死に絶えてしまったのにも関わらず、テレビで毎日報道されるはずの大惨事の最中にいるのにも関わらず、憤りや感傷は蚊帳の外にあった。
 テレビはコードに繋がれている。瓦礫の散乱した地面を這うように伸びていき、粉々になった画面でその役目を終えている。何も映すことはなく、ただブロック塊だけが隕石のように突き刺さっている。新聞紙には『第三次世界大戦』『日本参戦』の文字が踊っている。たまに吹きつける風に乗り宙を舞うと記事は宛てもなく飛んで行ってしまう。
 夜も深まり冷え込んできた。サトルは寝袋に身を横たえるとろうそくの炎を消す。あたり一面に深い暗闇が訪れ、海の底のように沈む。カンパネラは鳴り続けているが最初よりは音は小さくなっているなと、サトルは思った。やがて意識も落ちていく。

 気がつくとあたりは白やんでいた。てっきり電灯をつけたまま寝てしまったのかと思ったが、天井には何もなくただ青い空だけがのぞいている。正午近くだろうか。遠くの方でジープの走る音が聞こえる。自衛隊が偵察に来たのかもしれないと思ったが、そのまま走り去ってしまった。
 背伸びをすると周囲を見渡す。何も状況は変わってなどいなかった。サトルは歩き回り、死体を避けながら食べ物を探す。気がつくと壊れた冷蔵庫から黒い液体が漏れ出しているのが見えた。開けて中身を確認すると醤油のペットボトルが潰れている。冷凍庫からは溶けたスパゲッティが流れてくる。サトルは使えそうなものをバッグに詰め込むと元の領地へと戻っていく。
 カンパネラは鳴り続けていた。電池のなくなろうとする音はたまにうめき声のように唸る。サトルは瓦礫を一つ一つ丁寧にどけていき音のありかを探す。重くて持ち上がらないものは、角材の破片をてこにして少しずつずらしていく。一度などは激しい轟音とともに瓦礫が崩れ、足先を潰されかねなかった。「なぜ危険を冒してまで音を探してるんだろう」と思いながらも、彼は仕事を続ける。
 夕暮れも近づいた頃、ようやく一つのCDラジカセを見つける。手で粉塵を払いのけるとCDの状態を確認する。『La Campanella Fujiko Hemming』の文字と共に、奏でられる音に浸るピアニストのイラストがあった。サトルはバッグから電池を取り出し入れ替える。丁寧に、まるで死にゆく生き物に触れるように慎重に扱う。
 再び音楽は鳴り始める。軽快に、まるで生き返ったかのようにキュルキュルと音を立てている。サトルは疲れたように地に座り込むと音の行方を見守る。とても穏やかだ。夜を迎えようとする空には点々と星が、まるで夜露のように現われはじめる。サトルは重い腰を上げ夕飯の用意をはじめる。
 鍋に水を浸すとガスコンロの火にかける。揺らめく青い炎があたりを明るく照らす。
「死体はこのまま腐っていくんだろうか」サトルは思った。缶詰を湯煎し、鍋フタの上に既に溶けた冷凍スパゲッティを乗せる。
「明日弔ってやろう。俺の手で。海まで運んでやるんだ。そして海のさざ波に身をゆだねさせる。死者もきっと、そのまま腐敗するより喜ぶはずだ」

この小説について

タイトル 破壊された都市
初版 2015年2月5日
改訂 2015年2月5日
小説ID 4638
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ぬし
作家名 ★堀田 実
作家ID 778
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