渋谷には魔術師が住んでいる。

 渋谷には魔術師が住んでいると知ったのは3年前のことだった。
 当時は僕はあまりにも世間知らずだったし、それにもまして臆病だった。人付き合いに苦しんでいた僕はほとんどの外出を控えるようになり、同窓会や数少ない友人からの誘いも断わるようになっていた。
 そんな中僕と世間を繋ぐものはネットしかなかった。パソコンと向き合っている間は色々な苦痛を忘れることができたし、あらゆる未知の世界が広がっていてそれが僕を魅了した。
 その一つがスピリチュアルと言われるものだった。丁度その頃、テレビでは佐伯眞人という霊能力者が毎週水曜日夜10時から不思議な能力を使いながら見えない世界を説き示していた。守護霊の話しもよくしていた。その言葉には不思議な威厳があって番組の人気も高く、半ば社会現象にもなっていた。
 彼はよく言っていた。「見えない世界というのはカーテンの裏側に存在している本当の世界です。私は物質というカーテンを開いて外の景色伝えているだけなのです」
 僕も佐伯眞人の番組を見るようになってから、ネットで色々なことを調べるようになっていた。一つの情報はまた一つの情報に結びついて、知識が増えるたびにどんどんと知らない世界が広がっていった。
 僕はその中の一つの情報に飛びついた。それは【開花】という言葉だった。僕はその言葉の意味を全く知らなかったけれど、その儀式を受けると未知なる能力が覚醒するということだった。僕は僕の無能さを今までずいぶんと思い知らされていたし、それを克服するために何をすればいいかも知らなかった。努力はまるでチェーンの外れた自転車のように空回りしていて、年齢を重ねるたびに一歩一歩進むどころか少しずつ退化しているようにも思えていた。
 自分を変えたいという願望が強かった。僕はアルバイトで稼いだなけなしのお金をその【開花】を受けるためにつぎ込んだ。これは僕にとって大きな賭けだったし、世間という暗闇の中に見出したたった一つの希望だった。
 
 僕はその日はじめて渋谷を訪れた。名称は何度も聞いたことがあったけど、人付き合いのほとんどなかった僕にとってずっと縁のない場所だった。
 溢れる人ごみを掻き分けて進むとやっとBunkamuraまで出ることが出来た。大通りから小道に入ると怪しげな店が多くなっていた。占いの看板や古いレコード店、落書きが塗れたシャッター、麻薬を売っていそうな外国人たち。余裕を持って1時間前に渋谷についたはずなのに、約束の時間である午後2時まであと20分になっていた。

 そこに現われたのはただの一軒家だった。看板のようなものは何もなく表札に小さく「魔術師の住む家」と書いてあるだけだった。僕は戸惑いながらもチャイムを押すと女性の声がし、門を開けてくれた。
 家の門をくぐるとそこには一見何の変哲もない夫婦が出迎えてくれた。30代前半で本当にこの人たちが【開花】を施すのだろうかと思ったが、その瞳を覗くとまるで別の世界に吸い込まれそうになってうろたえた。僕の心臓は期待に高鳴っていた。
「渋谷は聖なる土地になろうとしています」
僕はあっけにとられてしまった。【開花】には人が必要なのだということ。魂は生まれてからずっと落下傾向にあるから重力があるということ。【開花】を受ければ重力の影響がなくなりやがて空を飛ぶことができるようになること。渋谷には今まさに人間の花が咲こうとしていて、それこそがこの宇宙から抜け出すことができる唯一の道だということを教わった。
 僕はここに書くことができないほど多くの未知のことを教わったけれどそのほとんどは頭の中で整理できないまま消えてしまった。メモも書いたけれどそれはまるで夢のように支離滅裂で何を書こうとしていたのかわからなかった。

 実際に【開花】の儀式を受けてみてどうだったかと言えば、何も変わったようには思えなかった。僕は少しだけ空を飛ぶことができることを期待してみたけれどふわりと浮遊感を味わうこともできなかった。外に出るとにぎわいがあってアーティスティックで、外国人がいて、そしてどこか怪しげな変わらない渋谷の景色があった。
 しかし僕はその時ふと気がついた。憂鬱にうつむいていた顔を起こすと、なんとそこには頭の上に【花】を咲かせた人々が歩いているのだ。それは丁度葦の茂みからニョキっと一輪の花が顔を出すように、髪の茂みから【花】は伸びていた。
 僕は思わず「わぁ!」と声を上げてしまった。何度目を擦ってもそこには花人間たちが歩いている。どうやら僕は別の世界に迷い込んでしまったらしい。それか僕の目の方がおかしくなってしまったらしかった。
「あぁ、本当だ。本当に人間の花が咲こうとしているんだ。あの夫婦が、魔術師たちが言っていたように、この渋谷の土地に人間の花が咲こうとしているんだ」
僕は妙に納得した。

この小説について

タイトル 渋谷には魔術師が住んでいる。
初版 2015年3月1日
改訂 2015年3月1日
小説ID 4646
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ぬし
作家名 ★堀田 実
作家ID 778
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コメント (1)

JIANBIN0901 2017年9月1日 15時25分48秒
paro.guttari.inasf
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