飛行船αの上空紀行 - 次死なないために必要なこと

 朝日は昇り、あのことを踏まえた上で飛行船はいつも通りの日常を送っている___筈だった。
「超ーやばい」
「え?」
「だから、超ーやばい」
 そういうことを聞いているんじゃないと思いつつも、天然パーマの黒髪をいつも以上にぐしゃぐしゃとするレジ・アスファルの向かいに私、ライラ・ベナフシュは腰掛けた。ここは飛行船の中のカフェテラス。なんだかんだ言って自分の部屋よりも滞在時間が長い気がする。
 少しだけ開けた窓から、朝のまだ冷たい空気が入り込んでいた。
「レジさん……一体何がどうし」
「死ぬかも」
「え?」
「俺たち死ぬかも」
「……え」
 死ぬってどういうことですか?え?先ずその死ぬかもしれない感じの問題をやばいで済ますのって、どうなんですか?と、私は事情も聞かずに焦って、心の中で八つ当たりのようになっていた。
「おい、手前等」
「あ、モントさん……おはようございます」
「はよ」
 寝癖の目立つ薄茶の髪を掻き上げながらモント・ブルスクーロが現れ、私の隣に腰掛けた。彼も今のレジの話を聞いていたようである。
「まぁでも……あいつらの面倒見てる間はモンストロとも遭遇しなかったしな、仕方ねぇんじゃねぇの」
「えっ」
 何でだ。
「そうなんだけどな?」
「おっ、お二人共!」
 私は物凄い勢いで立ち上がり、
「しっ、死んでも良いと思ってるんですかっ!命を粗末にしちゃ駄目ですっ」
と、二人に向かって叫んでしまった。が。
「あー、大丈夫大丈夫。よくあることだから」
「ライラちゃんはそんな大声出るなら、普段からそうやって話せばいいじゃねぇか」
 当の本人達はあっけらかんとしているし、モントに至っては私の声の大きさのことを気にしているではないか。私は恥ずかしいのなんので、これ以上何かを言うこともできずに、いつも通り顔から火が出そうだった。
「て言うか……うん、そうだよなぁ。取り敢えずスターノさんに言わないと。また降りないといけないのか……うーん」
 渋い顔をするレジにモントは、彼より更に面倒臭そうな顔で髪を掻き毟ったりして、全体的に心底面倒臭そうにしている。
 でも、私には全然分からないのだ。何がどうして死にそうで、彼らをこんな表情にさせているのかとか。
「あの、えっと……」
 恐る恐る口を開く。そうすると、モントが察したようにあぁ、と言って、ライラちゃんは初めてなのか、と頷きながら教えてくれた。
「俺達は今日か明日に丸一日街に滞在して、金を稼ぐんだよ」
「……お金、ですか?」
 私がキョトンと不思議そうな顔をしていると、レジがいつものように何の前触れもなく横から現れて、全身を震わせたままの私に向かってこう言った。
「バイトだよ」
 その言葉を聞いたモントは深くて長いため息をついてから、いつものように軽く舌を打ったのだった。
 どうやら、いつもと一味違う一日が始まるようである。





 説明が得意でない人は、この世に五万といる。レジ・アスファルもその中の一人であり、しかも全くと言っていいほどそれが出来ないのだ。頑張れ、というレベルではない。やめてくれ、といった感じである。というわけで、今回のそのバイトのことは、モントが説明をしてくれた。その間にレジはスターノに言ってくると言ってカフェテラスを後にした。
「ある程度の間依頼がなかったり、モンストロの大群が現れねぇと……あぁ、飛行船はモンストロのセムで動いてんだけどな?だから、金とセムが無くなっちまったら飛行船は必然的に落ちる。俺たちは死ぬ。そうなる前に近くの村からセムを分けてもらったり、バイトしたりすんだよ。……面倒くせぇ」
 へぇ、と私は小さく呟いた。ワクワクしていると自分でも感じた。そうか、アルバイトか……皆、どんなことをするのだろう。私もなにかするのだろうか。初めての報酬の出る仕事である。やる気の出方が違った。
「ライラちゃん、楽しみなのかよ。超ニヤけてんじゃねぇか」
「えっ、あっ、えと」
 私は自分の口元に触れた。うわぁ、本当にニヤけているじゃないか。かなり口角が上がっている。恥ずかしくて自分の両手で顔を覆った。
 そんな私を見てモントは呆れたような笑っているような顔をして
「まぁ、良いんじゃねぇの。やる気があるってのは素晴らしいことだろ」
と言った。そんな嬉しいことを言われてもやはり恥ずかしい。私は苦笑いをしてそのまま顔を伏せた。情けない。
「たっだーいまー」
「ん、どうだった」
 顔を上げて振り返ると、カフェテラスの入口にレジが立っていた。もさもさの黒髪とフードに隠れて表情は見えないが、どことなく嬉しそうだ。軽い足取りでこちらに寄ってくる。
「はっはー、次の街に着陸だっ!」
 レジは八重歯を覗かせて元気にそう言い放った。今なら髪の下の表情が良く見える。とっても素敵な輝かしい笑顔だ。
「レジお前……下に降りたくねぇんじゃなかったのかよ。全く、どいつもこいつも……表情筋どうかしちまってんじゃねぇか?」
 モントはレジと私を交互に見比べ、はぁ、と肩をすくめた。しかし、不思議である。あれだけ降りて働くのが嫌だ嫌だと言っていたレジが、どうしてそんなに嬉しそうなのだろう。そう考えながら私は長いことレジを見つめていたらしく、視線に気づいた彼の金色の瞳が私の目を捉えた。18歳で、私より五歳も年上の彼が持つ瞳の、無邪気な光に吸い込まれてしまいそうだ。どうしたらそんなに綺麗な光を纏っていられるのだろうか。いつもいつも、不思議でならない。
「ライラ」
「?」
 レジが大きな瞳を細めて私を呼んだ。目をずっと見ていたこともあって、ものすごく恥ずかしくなる。あぁ、本当に顔から火が出そうだ。
 そんな私にレジは
「“塵の都”って知ってるか?」
と尋ねた。
 ちりのみやこ。聞いたことがある。王国β南部の国境付近に位置する、ごく小さな街だ。小さな割に人口が多く、しかし、未だ発展が進んでいない『埃を被った町』、『塵が積もるほど忘れ去られた都』として有名な場所だった。“塵の都”は、言わば蔑称である。本当の名は、街ξ。嘗ては隣国のΣと盛んに取引が行われていたらしいが___
「そうそう、今となっては、埃を被った“塵の都”……でも、最近は新しい名物が発見されて、ちょっとだけ注目が集まってきてんだ」
「注目ですか」
「そうなんだよ!」
 レジは興奮が抑えきれないとばかりに、たった今座ったばかりの椅子から身を乗り出した。振動でテーブルが揺れる。
 私は太陽を直視した時のように彼が眩しすぎて、咄嗟にモントの方へ目を逸らした。
 危ない危ない。本当に目が潰れてしまうところだったな。レジは無邪気な天才といった感じだけれど……ある意味、危険人物だ。その好奇心と無邪気さが、もう既に危険物である。
 それに対してモントはいつでも冷静というか何というか、クールというか、熱くないというか。何にしろ、彼の周りにはいつも涼しい風が吹いている。レジが熱くて輝かしい光だとするならば、モントは冷たくて柔らかい光。私の二人に対するイメージは、そんな風になっていた。
「…あー……モ、モントさんは聞いたことありますか」
「塵の都?」
「はい」
 モントは、首をかしげながら
「分かんねぇな」
と言った。
「でも、レジが興奮することと言ったら、新種の機械か古代文明」
「そうっ!!」
 モントが気怠げに発した“古代文明”という言葉に、レジはその目を余計輝かせて反応した。
 古代文明の話は、前の街ηに降りる際に聞いた。確か、レジが「古代文明だ!」と叫びながら走り回って、迷子になったとかいう話だった気がする。聞いた時はそうでもなかったけれど、今なら彼が走り回っている様子が、安易に想像出来てしまった。
「ふはっ、あの時のことは多分一生忘れねぇよ。あー、腹痛ぇ……」
「モントさん……本当この話好きだよな?ほら、またそうやって直ぐに笑い出す……俺だってあの時はまだ若かったんだよ!」
 顔を真っ赤にして否定するレジ。
「それって、いつのことだったんですか」
「二ヶ月前」
 に、二ヶ月前か。そうか。昔というのか、それは?私には二ヶ月前というのが、レジにとってどれほど昔に捉えられているのか、そちらが気になった。そこが問題ではないとは分かっているけれど、やはり気になった。
 ふとモントに目をやると、彼は小刻みに肩を震わせながら、慣れろと言うかのように首を横に振った。どうやら、この無邪気な天才には、凡人の時の感覚は通用しないらしい。彼が昔と言えば昔、今と言えば今なのである。


パンパンッ

「やっ、皆」
「リックさん!」
 カフェテラス入口の方から手を叩く音が聞こえたと思えば、そこにはたった今目覚めたところであろう、リック・ウェリデが立っていた。手に白い紙を持っている。
「リック……大丈夫なのかよ、動いても」
 モントがリックの方を向いて、興味無さそうに尋ねた。こういうところを見ていると、優しいなぁ、と勝手に和んでしまう。モントは本当は、リックが心配でならないのだ。隠しきれていないところが彼らしい。
「あぁ、うん、大丈夫だよ。ありがとう、モント!」
「いや、良いなら良いんだけどよ……つーか、てめぇが礼言うとか気持ち悪ィな」
「えー、そう?お前が俺の心配するのも、相当だけどね」
「仕方ねぇだろ、あんなもん見せられたんだからな」
 “あんなもん”。あの夢の、記憶のことだ。おぞましく美しく、咲き誇る花の刺のような、愛しい枷。
 誰もがその話を口にすることを躊躇った。だが、モントは気兼ねすることなく話題としてそれを選んだ。適切な判断だったと思う。私は彼を尊敬した。
 いくら遠ざけようとしても、仲間の中に悪魔の血が流れていて、責任が彼らに絡み付いているのは、変えようのない事実なのだ。誰も責めることはできない。全ては“そういうもの”。避ける必要なんてどこにもなかったのだ。
「はいはい、悪かったよ!俺とスターノがラブラブだからって、焼餅妬かないでよね」
「妬いてねぇよ!!!!」
 私は、心の中でそっと胸を撫で下ろした。良かった。いつも通りの飛行船だ。新しい日常を受け入れた、いつも通りの飛行船α___
「で、さぁ!!!!」
「ひっ」
 突然、大人しくしていると思った目の前の黒髪が大きく揺れたと思うと、不機嫌そうな黄金の瞳でぐるりとあたりを見回した。
「そんなことよりっ!塵の都、の、古代文明っ!!」
「塵の都?古代文明ねぇ……あぁ、最近発掘されたやつでしょ?」
「!!!!!!!!知ってるのか、リックさん!!」
「知ってるよ。だから俺がスターノに言って、お前の“アルバイト”を探索向きにしたんでしょうが」
「バ、イト……?」
「そんな、初めて聞きました、みたいな顔しない」
 リックは先程からその手に握られていた、白い紙を軽く振った。きっと、そこに誰が何をするかが書いてあるのだろう。
 見せろよ、と身を乗り出して紙に手をやろうとするモントだったが、相手は腕を高く掲げて、背の低い彼に届かぬようにした。
「……っく、てめぇ……」
「まぁまぁ、そう焦らないでさ?読んであげるから……まずは」


 





塵の都


『まずは、ライラちゃん。頑張って郵便を配達してね』
 私は飛行船を降りてから、リックの言葉通り街の郵便局に向かった。局員に渡された、マークの入った腕章と帽子をつけて、各家に広告を配りに行く仕事だ。端から端まで、郵便受けに紙を入れて行けばいいだけの簡単な仕事だと思ったが、空き家が何軒もあるので、その認識は間違いかもしれなかった。
 塵の都は、随分と質素で植物も実っていなかった。近くに火山πという有名な活火山があって、その影響を色濃く受けているのだろう。だから、馬車で三日ほどかかる隣町からの積荷は、保存のきく野菜が中心だ。
 面積も大して広くないから、家畜を飼うこともできず、狩猟を主としているようだった。

コンコン

「お、おはようございます…っ、お知らせですっ……」

ガチャ

「……あぁ、はい……」

 家主は扉を開けて私と広告を不思議そうに見比べながら紙を手に取り、すぐに引っ込んでしまった。それもそうだろう。見たことのない子供が、いつもの郵便を届けに来たのだから。何にせよ、確実に一人配達は終わった。我ながらよくやったと思う。
 乾燥して土埃の舞う道を歩きながら、街人達に元気がないことに気がついた。栄養失調とか、そういう話ではないと思う。何だか本当に、“元気”がない感じだ。そう、まるで植物も生えていない、この道のように___
「きゃっ」
「大丈夫?お嬢さん……うちの店で休んで行きなよ、ね?」
「……は、はい……!!!!」
 今、私の目の前で華奢な女の人が転んだのだが、その道に面して建っていた喫茶店からすぐに人が出てきて、直後客引きを成功させた。顔を確認しなくても分かるほど、その言葉と仕草は特徴的で……
『俺は喫茶店だって。すごくぴったりじゃない!?適任だよ!』
 そんなことを言って、お前がやったら喫茶店が水商売の店みたくなる、と散々言われていた。
「リックさん」
「あれ、ライラちゃん。お疲れ様」
 リック・ウェリデは、白いワイシャツの上を2、3個開け腕を捲り、そこにサロンエプロンを着た、如何にもな格好で喫茶店の店員をしていた。彼の鍛えられた体が、シャツ越しにもよく分かり、それがまた色っぽい。男の色気とかいうやつである。黒いエプロンは腰から巻かれているのだが、それが余計彼の長い脚を長く見せていた。
 彼は­­、女性を店内に促してから、ライラに向き直った。
「どう、なかなか様になってるでしょ?正直に言ってくれていいんだよ?」
「……つ……した」
「え、なーに?」
「い、いえ、少しむかつきました、って」
「わぁ、正直!!でも、分かるよ〜、俺のこのナイスバディが羨ましいんでしょ……って、やめて!?『駄目だこいつ』みたいな目で俺を見ないでっ、お兄さん悲しいから!」
 だって、そうなのだ。きっと私は、彼のように綺麗なスタイルにはなれないと思ったから、羨ましくてむかついたのである。
 しかし、リックはそう言いながらも、楽しそうに帽子の上から私の頭を撫でた。
「うんうん、大分慣れてきたよね。いつまでもおろおろ遠慮がちなライラちゃんじゃなくて良かったよ。安心した」
 あぁ、そうか、と私は思う。人見知りでよくどもるライラ・ベナフシュを、彼はそんな風に見ていたのだと初めて気づいた。リックだけではない。他の乗組員もそうだ。私は、知らず知らずの内に心配をかけていたし、それを心配してくれる人々にも恵まれた。なんて幸せ者なんだろうか。残り5ヶ月もなかったとしても、私はこの人たちを仲間だと思っていいのだろうか。否、思いたい。そう、たった5ヶ月だったとしても___
「…………」
「ライラちゃん?」
「……い、いえ、何でもない、です……お、お仕事頑張ってください……」
 そう言って私は、今行こうとしていた道を歩き出した。
 契約当初は早く終わればいいと思っていた“5ヶ月”が、皆と過ごすことで惜しく感じるようになっている。もっとこの時間が続けばいいと、私は今思っている。その事実は、決して驚くべきものではなかった。私が今まで、たった13年間生きてきただけだが、その中で最も充実した楽しい時間だったから。そう思うのは不思議なことではないだろう。けれど、それは良いことなのだろうか。忘れられない思い出を作って、後から悲しむのは誰なのか。私はそれを、十分に考えなくてはならないと思った。塵の都から見上げた空は、雨を降らせる素振りもなくからっと晴れて、下界を乾かし続ける。

ドンッ

「あっ」

バサバサ

「あぁ……」
「うわ、ごめん!俺だよな、当たったの……って、ライラ」
「レジさんですか?」
 誰かと衝突してぶちまけた郵便物を慌てて拾っていると、上から大きな黄金の目が覗いた。間違いない、レジ・アスファルである。
 襟が大きく広がった黒いTシャツに、薄汚れた灰色のだぼだぼのズボン、その裾をしまうように履いた頑丈そうな靴、白いタオルとヘルメットをを首にかけている。更に軍手をしてシャベルを持っている様子は、まさに工事現場。もしかして、レジのバイトは工事現場の手伝いなのでは?
「ごめんな、今俺がそれ拾うと、泥だらけになるから」
 自分で拾ってくれ、と言いながら、彼はすまなそうにシャベルを立てて隣から見ていた。確かに、彼の軍手には泥がたくさん付いている。作業を少し済ませてきたということだろうか。
「ふーん、郵便かぁ……大丈夫なのかよ、人見知りなのに」
「あ、はは……あまり大丈夫とは言えません…」
「だよなぁ?スターノさんも酷いことするぜ。しかも当の本人は、腰が痛くて動けないって言うんだから……でもまぁ、明日セムの交渉に行ってくれるらしいし、乗組員としては構わないんだけどさ」
 古代文明の調査もできる、とレジは見たところ興奮している。彼の言う通り、スターノは今日朝からずっと腰が痛くて、自室で大人しくしている。何でも、スターノに嬉しいこと___「お前は、弱くなんてない」というやつ___を言われ舞い上がったリックが、本人が止めるのも聞かず、リック曰く“マッサージ”を行ったようである。果たして、それが本当にちゃんとした“マッサージ”であるか定かではない。適当な場所を力任せに押す行為を、彼が“マッサージ”と呼んでいる可能性は大いにある。
「ところで、ライラ」
「は、な、何でしょう」
「今、暇?」
「いや、いえ、流石に、暇ではないです……仕事中ですし……」
「ふーん、じゃ、ちょっと来いよ。俺らの頼れる年長者を見直す会」
「えっ」
 “俺らの頼れる年長者を見直す会”とは何だ、初めて聞いたぞ。しかも、仕事中だと言っているのに、一体どこに行こうというんだ。私は、土埃のついた広告を、大切に抱えながら、仕方なく歩き出すレジについて行った。
 すると、とある木の前で彼は突然歩みを止めた。何がレジの足を止めたのか___その理由は、彼の背中から出なくてもよく分かった。

『くっくっ、モントはまた路上演奏だって……評判いいらしいじゃん。だからいつもこれなんだろうけどさ』

 干からびた木の下でボロンとリュートを鳴らし、甘美な歌声を響かせていたのは、紛れもなくモント・ブルスクーロだった。




彷徨う白き夢 悠久の時を越えて
流れ着く記憶の欠片 彼の人の面影は見えぬ
朝露の麗しき光 常闇を照らし
絡みつく旋律 甘く儚き貴女との誓い


遠い指先を側へ
貴女のその温もりを
安らぎと平穏を
自由に羽ばたく為の翼を


傷ついたこの掌に
輝ける瞳のその奥に




 モントの歌声は、木を中心として円状に人々を寄せ付けていた。男の声帯から発せられているとは思えないほど難なく出される透き通った高音と、しなやかに響く低音。
「……綺麗……」
 他に何の表しようもないくらい、綺麗だった。枯れかけた木さえ、生気を取り戻していくようである。
 いつも私が見ているモント・ブルスクーロは、強気で短気、背の小さいことを気にしている男だが、今そこでリュートを奏でているのは、そうではない。ただ純粋に音楽を愛する、一人の音楽家であった。
「なぁ、そうだろ、綺麗だろ。あれが、モントさんの本当の……いや、もう一つの顔だぜ」
「はい、とても。とても、美しいです」
 彼の小さな体から発せられる音の一つ一つが、空気を伝わって心地よく全身に染み渡っていく。潤っていく。


 パチパチパチパチ!!!!


「素晴らしい!!」
「今度、うちの店でも演奏してくれないかしら」
「いや、うちの店だ!報酬も弾むぞ!」
「おにいちゃんちっちゃいのにすごーい!!!!もっとお歌うたって〜!」
 演奏が終わったあとの彼の周りは、当然拍手喝采。そこらを飛び交う拝聴料。予め用意してあった袋から溢れんばかりに、次々と金貨が投げ込まれる。
「ご清聴ありがとうございました」
 彼がそう一言言うと、もう一度割れるような拍手があたりを包んだ。と言うか、それは一体どこから持ってきたのか…と訊きたくなるほどのモントの笑みが、私の背筋を凍らせた。
 人の山が次第にはけていき、ようやくモントの全身が見えるようになった頃、私とレジは彼に駆け寄った。
「モントさん、相変わらずだなぁ?その笑顔」
「…ん?あぁ、手前等か。良いんだよ、俺はこの顔慣れてっから…でもまぁ、長くやってると何処かの誰かさん達みてぇに、表情筋がどうにかなっちまいそうだけどな」
「はっはー、流石宮廷楽士ってやつか!」
「元、だ」
 モントは不機嫌に手を振った。何か昔のことを思い出すように、視線は何も捉えていない。
 彼が“元”宮廷楽士なのは、先日聞いたばかりだ。なんでも、とても幼い頃から宮廷に引き取られて、踊りや音楽の教育を受けてきたのだという。だが、私が知っているのはそれだけだ。彼が歩いてきた道を私はまだ知らない。
「___それより、見たか?通りのケーキ屋」
 突然モントがはっとしたように顔を上げて、この先の通りにある可愛らしいケーキ屋を指した。珍しく若々しい気がそのあたりを漂っている気がする。つまり、キャピキャピしているのだ。
「あそこ……ケーキ美味しいんですか」
「俺が知るかよ、そんなの。まぁ……後で食べる」
「モントさん甘いもの好きだもんなぁ」
「うっせ」
 恥ずかしがることでもなかろうに、モントは真っ赤になってレジの背中を叩いた。
 そのケーキ屋は、桃色と白を基調としていて、外から見ているだけでも甘い匂いが漂ってきそうだ。ケーキのことでないとするならば、あそこに何があるのだろうか?
「で、そうそう。あそこで、フェリー君がバイトしてるんだと」


『ケーキ屋!!いいねぇ、フェリー君らしいじゃない。頑張ってね』


 そう言えば、そんなことを言っていたと今更ながら思い出した。きっと今彼は、あの桃色の建物の中で桃色のエプロンを着けて、持ち前の笑顔と愛想の良さで客を捌いているのだろう。私も仕事を片付けたら、休憩がてらケーキ屋に寄ろうかな。
「ケーキ屋かぁ……俺が行ってもフェリー怒らないかな」
 怒らないと思う。
「男で、しかも泥だらけってんだからな!ま、怒らねぇだろ、こっちは客なんだ」
 なるほど、そういうことか。まぁ、モントの言う通り、店として客を追い払うようなことはしないだろう___と、この時はまだ、思っていた。
 レジとモントと別れてからの私は、とても忙しかった。一番最初に手をつけた、広告を配る仕事を終え郵便局に戻ると、バイトのライラには任せられないような重要な仕事が大量に来ていて、そちらに回された人材の分の仕事を、ライラ含む残った何人かでやることになったのだ。その重要な仕事も昼前には片付いて、午後からは皆、元の自分の仕事にかかった。
 そしてようやく。
「すみませんっ、……お、お待たせしました……!!」
「お、来たな」
 ようやく休憩時間を取れた昼下がり、私はレジと待ち合わせをして、例のケーキ屋“クリームリボン”に向かった。
 まったく、“クリームリボン”とは如何にもな名前である。それはもう、もう少し捻るなり、何なりするべきじゃなかったのかと聞きたくなるほどには。建物の見た目からして、甘い可愛らしい感じはしていたが、真逆名前までとは。きっとメニューも、クリームたっぷりの可愛らしい見た目なのだろう。
「なぁ、ライラー」
「へっ?…は、はい」
「お前今、不安か?」
 え?

「飛行船にいて、不安になるのか?」

 急に何だと言うんだ。私は、動揺を隠せなかった。それに気が付いても、レジはただ前を向いて歩いていた。しばらくすると口を開いて
「フェリーがさ」
と、遠くに見える白と桃色の建物を見据えながら言った。
「最近やたらと『不安じゃないのか』って、訊いてくんだ……まぁ、最近色んなことが分かって、こう……ぐらぐら?するのは分からなくもない、けど」
 そんなに不安になるものなのか?と彼は続ける。
「俺、分かんないんだ。……もしかしたら、俺だけが鈍感で何も感じないだけかもしれない。フェリーが敏感なだけかもしれない。全部分かろうなんて、神様でもできることじゃねぇもん……けど……」
 レジは突然足を止めて、大きな黄金の瞳で自分の泥だらけの手を見つめた。握りしめた拳に、汗が滴り落ちる。
「けど、分からないんだったら俺は、分かる努力くらいはしたい。俺の考えが足りないなら、いくらでも頑張る。だからライラ、俺にお前の考えを教えてくれ」
 頼む、と彼は私の目をじっと見つめ返してきた。
 相変わらず、太陽がそこにあった。
 何の翳りも迷いもないそれは、私を戸惑わせた。
 どうしてそんなに___自分の欲さえ感じさせない程、他人のことを想えるのだろうか。
 私は口をぱくぱくと開けながら、何を言えばいいものかと悩んだ。
 自分には何も言えない。そんな気がしてならなかった。
 私だって、そんなのは分からない。分からないのだ。
「……ゆっくり…」
 そう、ゆっくりと。
「ゆっくり…考えていけば、いいと、思います……」
 これは、彼に言ったのではない。自分に言ったのだ。自分が潰れてしまわぬように、猶予を与えた。限られた時間の中で得られる猶予なんて、たかが知れている。でも。
「そうかー…そうだよなぁ」
 ゆっくり考えることがお前の考えなんだな、とレジは言った。そうだ。そうなんだ。考えることは山ほどある。少しくらいゆっくりだって、それもまたいいんじゃないのか。
 そんなことを考えていると、鼻のあたりに甘ったるい香りが漂ってきた。匂いの先に、白と桃色の砦。
 “クリームリボン”である。
「おっ、やっと着いたぜっ!」
「この通り、意外と長かったです、ね…」
「そうだな、ま、ここで暫く休も……ぶっ!?」
レジが言い終わらない内に、通りの反対側から女の人が数名駆けて来て、彼を押しつぶした。しかも彼女らは興奮気味で、レジに全く気づいていない。微塵も。
「きゃ、可愛いっ!噂通りね!」
「あの子、ずっとここで働けばいいのに……」
「駄目よ、あの子にもやらなきゃいけないことがあるんだから……でも、あれが男なんて、言わなかったら誰も気付かないわよね!」
クリームリボンの小洒落た窓枠に顎をのせて、女達は熱心に誰かを見ているようだった。
まぁいい、彼女達は放っておこう。取り敢えず、何とか踵の下から抜け出したレジと、涼やかな店内に入る。一番最初に目に入った、ケーキと建物と店員に対する感想は。
その1、甘そう。
「よっ、フェリー!遊びに来た、ぞ……?」
その2。
「……え?」
「…………!?」
「……………………お客様、お帰りください」
その2、驚愕。
「フェ、フェリー?それは、一体……」
振り返る店員と、奪われるレジのシャベル。汚いものを飲食店に持ち込むな、と注意されるのかと思いきや。




「………っさっさと、お帰りっ、くださぁぁあぁぁい!!!!」




ゴッッ




ゴィーンイーンィーン……



 甘い香りと鈍い金属音が、私の鼻と耳を劈いた。
 沈黙に包まれる店内と、響き渡る金属音の震える余韻。泡を吹いて倒れたレジと、シャベルをフルスイングした後のメイド店員。超が付くほど、静まり返っている___
「………って、レッ、レジさん!!!!」
 ピクピクと痙攣しながら白目を向き倒れているレジに駆け寄り、ペチペチと額を叩く。そこではたと気がついて、恐る恐る隣に立っている狂気のメイドの顔を見上げた。そこでやっと気が付いた、私は馬鹿かと思うのである。
「は、へ、フェ、フェリー君、です、か……?」
「ライラちゃんだ……もうやだ……その阿呆連れて帰ってください………」
「な、何言ってるんですか、わ、私一人で18歳の男一人連れて行くなんて、無理にき、決まってます」
 誰がこんなことにしたと思ってるんだ、と私は彼を軽く叱った。ごめんなさいと素直に謝る彼のその格好。黒い、フリルと大きなリボンが胸元にあるワンピースに、ふりふりの白エプロン。そして、白いニーハイソックス。何で?何故メイド服?
 周りを見ても、フェリー以外の店員は全員ピンクのエプロンをつけているだけだ。いじめなのか、新手のいじめか?と、そんなことを思っていると。
「やぁ、お嬢ちゃん。君もしかして、フェリー君の知り合いかい?」
「え、は、はい…」
 後ろからぽん、と肩を叩かれたので振り返ると、そこにはピンクのエプロンをつけた男が立っていた。見た目の年齢からして……店長あたりだろうか。
 彼は、レジの隣の床に座り込んでいた私に手を差し伸べて、立ち上がらせてくれた。その後、驚くほど軽々とレジを“お姫様抱っこ”して、バックヤードに連れて行く。その後ろを私と、レジの様子を見て今にも笑いだしそうなフェリーがついて行って、扉を閉めた。
「よっこいしょ。彼はもっと太った方がいいね」
 店長(仮)はにっこりと笑いながら、ソファの上にレジを寝かせた。
「あの、て、店長……僕…」
 店長だったらしい。
「あぁ、君ね、フェリー君。クビ」
「えっ、いや…でも……はい、すみませんでした…」
「首に生クリームが」
「ふぁ!?」
 フェリーは何かと勘違いしたらしく、赤面しながら何故か首筋に付着した生クリームを拭った。
「で、そこの君ね」
「っ!?……わ、私ですか……」
「そう、君。君可愛いね、うちで働かない?君たちのギルドに報酬は三倍出すよ」
 なんて美味しい話!と私が返事をしようとする。が。突然フェリーがガタンと音を立ててこちらに寄ってきた。
「っ、店長……この子だけは、許してください……!」
 突然何だと言うんだ。フェリーが深刻な顔をして私の肩を抱いたので、丁度店長に背を向ける形になる。
「ふふ、駄目だよ。可愛いものはちゃーんと活用しなきゃ、ね?」
 バックヤードの鏡越しに見えた店長の顔が、とてもあくどい。今ここで何かが起きている?
「どうか……!」
 もしかして今、かなり大変な状況なんじゃないのか。
「この子だけは……!」
ここにいるのは私とフェリー、泡を吹いているレジ。勿論、レジは戦力にならない。フェリーも戦っているところを見たことがないし、私だって回復を少ししかできない。
「店長……!!!!」
 私が思考回路を必死に回している間にも、店長は側にあるクローゼットを漁っている。クローゼットはかなりのサイズがあった。何だ、何が出てくる。爆弾か、銃か、ナイフか。
___店長が、クローゼットから腕を引き抜いた。
「…………っっ!!!!」
「えっ、そっち……?」
 ……何も起こらない。しかも、そっちとは何だろう。何か意表を突かれたのは間違いない。恐る恐る目を開けると___








飛行船α 内部


「くっくっ、それでライラちゃんが猫耳を!」
「メイド服は一着しかなかったそうです」
 それなら猫耳の方が良かった、と飛行船で夕食を摂りながらフェリーは口を尖らせた。その隣で、リックはいつも通りの笑い声を上げている。
 そうなのである。私が爆弾や銃かもしれないと警戒していた店長の出したものは、白い猫耳だったのである。全く、心配して損をした。
 その後、猫耳をつけてウェイトレスをしたのはかなり恥ずかしかったが、それは元々の私の性格も相まっているので、メイド服を朝からずっと着せられていたフェリーはどんなに恥ずかしかったことだろう。第一、彼は男なのだ。いくら女の子らしい部分の方が多かったとしても、仮にも男なのである。その尊厳とやらが如何程のものかは知らないが、ぎったぎたのぎっちょんぎっちょんになっていることは、フェリーの顔を見れば一目瞭然である。
「はっはっはー!俺達が店に入った時、意外とノリノリだっただろ。生き生きとした笑顔だったぜ!」
「いいもん。レジなんか自分が“お姫様抱っこ”されたことさえ覚えてないくせに」
「“お姫様抱っこ”?何だそれ」
 レジは首をかしげて不思議そうに頭を掻いた。本人にその記憶がないのは当たり前である。
 私たちは、ひたすら今日の出来事を語った。バイトが終わったあと、街長が明日から旅行に出かけるという情報を手にしたリックが、慌てて腰の抜けたスターノを支えてセムの交渉に行ったことや、その時、目隠しのような黒い布を目の周りに巻いて、着物を羽織った奇怪な服装の男を見たこと。モントが木下で休んでいたところ、大事な商売道具であるリュートを子供たちにベタベタ触られたこと、私が同じ広告を何枚も何枚も同じ家に届けてしまったこと。こんな他愛もない話をしているだけで、幸せになった。思い出を共有することは、何とも言えない幸福感に包まれる。家にいても親が働きに出ていて、誰にも何も伝えることが出来なかった私にとっては、これ以上ない幸せだった。
「ん、そういえばさ、レジ」
「にゃんだよ」
 ヒノデウリの、濃いオレンジ色をした湯気を放つスープを飲み込んだレジが、変な声のままリックに向く。
「どうだったの、古代文明は?」
 そう言えば、レジが工事現場でバイトをしていたのは、工事現場から古代文明の何かが発見できるかもしれないとリックが踏んだからであった。丁度工事の内容も、結構な範囲を掘り下げるものだったらしいから、それなりに期待できるのではないかと思う。
「あん?古代文明ぃ?駄目駄目だ。全っ然、駄目!」
「えぇー…?折角レジのために、お兄ちゃんがバイト探したのにー」
「リックさんだってどうせ見つかると思ってなかったろ。お陰で、違うもんばっかり掘り出して……」
「な、何か掘り出したの……?」
 レジの予想外の発言に、皆の視線が集中する。レジはそんな皆の様子を気にするでもなく、スープを口に運びながら
「おんひぇん」
と。何て言ったのだろうか。スープのお陰で分かりにくい。
「温泉」
「「「「「温泉!?」」」」」
「温泉……何個も何個も、俺は求めてないってのにさぁ……掘るとこ掘るとこ出てきやがる」
「何個も、って……レジ、何個掘り当てたの?」
「5個?」
「「「「「5個!?」」」」」
 流石自他ともに認める天才。ありとあらゆる才能に恵まれすぎである。
 しかしそれ以前に、塵の都が活火山πの麓に存在していたことが大きいだろう。それだけ温泉が掘り出せたのならば、塵の都が“塵の都”でなくなる日は、そう遠くないかもしれない。
 温泉の湯によって街もその名も洗われ、いつかきっと“湯の都”と呼ばれる日が来るのではなかろうか。こんな有り来たりな名前では呼ばれないかな。
 私は、この街の人々に元気がなかったのは、全体に輝きがなかったからだと思う。そばに特別輝いているものがなかったから、街人たちもそうなれなかった。
 でも、レジが掘り当てた温泉を売り出して各地から観光客が来るようになれば、この街、ξも活気を取り戻していくことだろう。
いつか。いつか、そんな日が来るのならば。







___5ヶ月という長く短いこの旅の帰りに、再び訪れるのも、悪くない。

後書き

お久し振りです、七宮です。すみません。また遅れました。大変申し訳ないです。

今回の話は、本編とはあまり関係ないんですが、飛行船の雰囲気を感じてもらえたらな、と思います。

コメント、感想、アドバイス、辛口でも何でも、お待ちしております!

この小説について

タイトル 次死なないために必要なこと
初版 2016年7月15日
改訂 2016年7月15日
小説ID 4804
閲覧数 488
合計★ 7
七宮 睦月の写真
熟練
作家名 ★七宮 睦月
作家ID 981
投稿数 10
★の数 51
活動度 1093
拙い文章ですが、楽しんでいただけると嬉しいです

コメント (4)

ポンダン 2016年7月15日 10時57分18秒
相まって7たやいるので…(以下省略)
とは、どういう意味ですか?
★七宮 睦月 コメントのみ 2016年7月15日 13時41分43秒
<<ポンダン様

すみません、ご指摘と評価ありがとうございます。
7たやはいりません。直しました。
匿名 2016年8月13日 1時17分47秒
★七宮 睦月 コメントのみ 2016年8月15日 23時18分54秒
評価、ありがとうございます!!!!
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