星屑と眼窓 - 追憶より闇 1


一昨日まで降り続けた雨の所為なのか。寒さが執拗に身体を締め付ける。秋が終わるようだ。濡れた馬車道にはぽつんと浮浪人が座り込んでいるだけで裏道は余計に暗く不気味に感じた。悲鳴すらも飲み込む闇に身を固くする。冬の訪れとはこんなにも暗いものだったか。デトワールは小さな迷い猫の依頼を済ませ帰路についていた。腑抜けた頼み事も生活のためならこなす。亡兄の後を追って探偵をやっているが、食べるのも苦しい毎日だ。錆びて朽ちた自宅に帰ったのは日付が変わった頃で蝶番がカタついたドアを開ける。部屋に入るなり床についた。
『今日も夕食はないな。』
枕元に置いてある殆ど空のウイスキーの瓶を眺めながら虚無感に浸った。圧迫感すら感じる湿った木造部屋に小窓から差し込む月明かりが物語の主人公の優越感を思わせた。

浅い眠りについて数時間だった。夜明けにはまだ早い。電話のベルに目が醒める。
『こんな時間に誰だ。』
受話器の向こうの声に耳を澄ませると若い男の声で息が荒い。明らかに急を要している。
『デトワール氏の番号で合っていますか。すぐに依頼したいことがあります。』
息もつかず早口で話す男に苛立ちを感ぜざるを得なかった。
『助けてください。お願いします。』
『事件でしたらまずは警察に、、』
『警察には行けないんです。事情は後で話しますから。』
男の声が急を要している様子に圧倒され寝起きで思考も回らないこともあってか二つ返事で了承してしまった。
『わかりました。お話をお聞きしたいので場所を教えてください。』
約束した辺りにくると後ろから声がした。
『デトワールさんですか。』
今時の雰囲気と若さに満ち溢れた青年がそこにいた。髪はお洒落に整えられ背が高く、澄んだ目でこちらを見ている。
『ああ、よかった。早くて。』
『失礼ですがお名前は』
『これは申し訳ない。チエーロといいます。』
チエーロは凍える寒さの中1人汗をかいていた。
『では、さっそくお話をお聞きしましょう。』
『数時間に妻が目の前で失踪しました。いえ、攫われたと言ったほうが良いかもしれません。』
『と言いますと、やはり警察に通報した方がよろしいかと。』
『私もそう思いました。しかし攫ったのは影でした。影が妻を攫ったのです。』
ふと空を見ると月が沈み始めていた。この男は錯乱しているのか。いや、夢現つなのか。しかし男はあくまでも真剣な目でこちらを見ていた。夜明けの寒さに体中が悲鳴をあげている。憔悴し、寝不足の人間にとっては耐え難く、影の話より暖をとりたかった。
『お時間は平気でしょうか。』
尋ねると男は平静を取り戻したのか大人しく頷いた。
『そうしましたら、改めてここにいらしてください。明日、いえもう今日と言いますか、午前中にでも。』
事務所の場所を書いた紙を渡した。男は軽く頭を下げ朝焼けの中に消えていった。

自宅アパートにある小部屋を家主に無理を言って借りている。自室よりも朽ちた木造部屋。そこを事務所と称していた。天井には蜘蛛の巣が張り巡らされ、部屋にいると網にかかった獲物のような感覚を覚える。何かに狙われたそんな心地がしてしまう。
『ここがデトワールさんの、、』
男は少年のような目で部屋を見渡している。
『どうぞ、お掛け下さい。お飲み物を用意しましょう。コーヒーでよろしいですか。』
『いただきます。』
表情が顔に出やすいのかどこか落ち着かない。斜めに傾いた脚の悪いテーブルに珈琲カップを置き自分も腰をかける。
『では、改めて。先ほどの話の続きを』
『私と妻は夕食を済ませ家に帰るところでした。他愛もない話をしながら歩いていると妻の気配がないと感じました。私が振り返ると影のような浮いた塊がありました。それは妻の身体を覆っていたのです。思わず叫びましたが彼女に反応はなかったので意識はなかったと思います。それから文字通り、一瞬にして目の前から消えていなくなってしまったのです。』
仕事用に使っている手帳に端的にまとめる。一呼吸置くと近くの階段からは昇り降りする音が聞こえてきた。木造な故に軋む音が激しい。休日明けのせいかアパートの住民たちが忙しない。
『なるほど。しかし、情報が少なすぎます。場所はどの辺りでしたか。』
『場所ですか。そうですね。オークス通りを入ってすぐ横の裏路地といいますか。小さな商店がある辺りでした。』
壊れかけのブリキの玩具が並ぶ店のことを言っているのか。かつて一度、商品が盗まれたと騒ぎ立てた厄介の老婆のやっている店だ。
『大体はわかります。一度依頼をお受けしていますから。と、なりますと、あの辺は通りの中でも比較的明るい場所です。人通りも時間にもよりますがちらほらあるはずですが。』
『確かに、そんなに夜更けではなかったので人も明るさもありました。でも妻が攫われたときはどこか違う場所のように感じたのです。』

それから小一時間経っただろうか。男の寓話のような摩訶不思議な話が好奇心を擽る。もう遅い朝食の時間だ。
『では、早急に取り掛かりたいと思います。皮肉にも時間はたっぷりありますから。ええ。』
『ぜひ。お願い致します。』
そう言って男は馬車の往来する人混みのなかに消えていった。影がこちらまで伸びている。
『影か。』
どこか腑に落ちない。探偵の勘なのだろうか。あの男の話は何より情報が少なすぎるし非現実的すぎる。
朝食を簡単に済ませ、埃をかぶったコートと帽子を身につける。外出時に必ず持ち歩く兄の懐中時計を手に例の場所へ向かう。寒さに身を悶えたが今日は日差しがとても暖かい。こんな日は本でもゆっくりも読んでいたい。そんなことを考えている間に目的地に着いた。通りに並ぶ商店はあらゆるものが安く仕入れることができる。だがどこか盛り上がりに欠けるのは土地柄か。どうも寂しい感じがする。都会の方はもっと喧騒としているのだろう。こんな田舎町が賑わうのは年一回の祭りぐらいだけだ。男が言っていた商店のある路地裏は余計に静まりかえっている。町でも大きな部類に入る通りだけあって裏と言っても明るいし街灯もある。通行人とすれ違う度に身体を反らなさなければならいぐらいに狭い。独特的な雰囲気がどこか神秘的な何かを感じさせる。依頼人の話から彼の妻が抵抗した様子は伺えない。何か手がかりになるものはないか。下を向きながらゆっくりと歩く。朝露で湿った煉瓦でできた道は滑りやすく途中何度か足を取られた。少しすると商店の扉が空いた。
『あら、デトワールさんじゃないか。』
陽気な声で話しかけてきたのはいつかの老婆だ。甲高い声が頭に響く。そういえば夜の電話から殆ど寝ていない。
『これは、これは。お久しぶりです。お元気でしたか。』
『ええ、おかげさまで。それより今日はどうしたというんだね。また探偵”ごっこ”かい。お兄さんならもっと、こう、なんと言うか、探偵っぽさが出てたわよ。』
以前受けたこの老婆の依頼に初歩的なミスを犯し犯人を取り逃してしまった。それを皮肉っているのだろう。非常に勘にさわる話し方だ。
『ええ。おば様の言うとおりで。今日も今日とて探偵”ごっこ”です。』
『そうかい。そうかい。そりゃあご苦労さん。』
高笑いしながら店の奥へ入っていった。気を取り直して裏路地を歩く。
聞き込みなども含めて数時間経ったが結局何も掴めず、もう既に昼時になっていた。身体が重く怠さを感じる。少し休息を取ろうと表通りにでてみると朝よりもさらに人で溢れていた。どうやら農村の方から野菜売りが来たらしい。人集りを脇目に小さな店に入る。昔からの好であるマスターが営む小洒落た店だ。客も少ないがここのエスプレッソは格別に美味しい。
『おや、デトワール。来たのかい。丁度いい。地方から新しい豆が入った。飲んでいってくれ。』
マスターは優しい目で笑顔を見せ、奥のカウンターへ手招きした。
店の隅に先客が居たようだ。正反対の椅子に腰をかけた。
『その新しい豆はどこのですか。』
『ブラジルだよ。しかもなかなか手に入らない一級品さ。常連さんにしか出さないからね。封を開けたばかりだ。タイミングのいいやつだ。』
ここでよく見かける奴が1人いる。
『つまりは、あいつが来たということですか。』
『来てるも何も。そこにいるじゃないか。』
端の方に目をやるとオクルスがいた。
『親友に気付かないなんて。相変わらず君はひどいなあ。』
彼はゆったりとした眠くなる話し方をする。語尾が下がり調子に伸びるのでどこかもどかしい。
『申し訳ない。しかし、見ないうちに老けたな。気付かなかったよ。』
『それは、お互いさまさ。やけに疲れてるようだねえ。厄介な依頼かな。』
彼とは幼い頃からの顔見知りな上に、洞察力に長けているため常人の気づかないところを突いてくる。
『まあ、そんなところだ。君はどうなんだ。こんな昼間からとは珍しいな。研究はどうした。』
その性格を生かしてたのか研究職に従事し、主に病理解剖を扱う。見た目では想像もつかない裏の顔を持っている。実際はボサボサで天然の癖のある髪に頭垢まみれ。身なりもお世辞には綺麗とは言えない。
『僕も依頼されていた司法解剖が終わったからねえ。3ヶ月ぶりに外に出たよ。こういうときはこの店に来たくなるのさ』
確かにオクルスは瘦せこけていまにも倒れそうだが、驚きはない。会うときはだいたい研究終わりだ。毎度この調子である。
『お待たせ。さあ飲んでみてくれ。』
黒く輝いた液体が目の前に現れた。ふと香る酸味の入った匂いに酔う。マスターはいつも淹れたてを出すのでカップにまでその熱が伝わっている。熱いものが得意でない自分は少し置いてから一口いただいた。うん。格別だ。芳ばしさと奥深さが絶妙に口の中で広がる。その辺で売られているものとは違う珈琲だと素人でもわかるだろう。
『マスター。とても美味しいよ。』
『そうかい。よかったよかった。』
レコードから流される心地よいジャズと共に時間は流れた。

この小説について

タイトル 追憶より闇 1
初版 2016年11月23日
改訂 2016年11月23日
小説ID 4841
閲覧数 229
合計★ 4
ゆーやの写真
常連
作家名 ★ゆーや
作家ID 1063
投稿数 5
★の数 4
活動度 517
ど素人ですが温かく見守って頂ければ。

コメント (2)

弓射り 2016年11月24日 9時10分13秒
雰囲気とても良いですね。読みやすくて。
探偵と街の感じから、安易にホームズを連想するのですが。

初動の段階で、依頼者からの状況説明と探偵の追求がもう少しリアルだったら良かったなぁと思いました。奥さんの容姿や依頼主の素性を聞いたり、失踪(誘拐?)時の現場検分とか、本当の探偵がやりそうなことが、ちょっともやっとしてる気がします。
霞をつかむような訳のわからない依頼の雰囲気は感じます。どう書いていかれるか、楽しみにしております。
★ゆーや コメントのみ 2016年11月24日 14時30分22秒
弓射り様、コメントありがとうございます。

僕自身、ホームズ好きというのもあって
だいぶ影響されてるかと思います。

ご指摘ありがとうございます。
まさしく言われている通りで拙い腕のせいで
上手く表現できませんでした。
弓射り様のアドバイスを参考にさせていただきます。

この物語は完結しているのもので、
別サイト閉鎖のため引越しという形で投稿させていただいていますので、加筆修正は難しいかと思われます。
続編を書いておりますのでそちらの方で生かせれば
と思います。今後もどうかよろしくお願いします。
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