網の中 - 1



”ー近年、日本社会における私刑問題は激化しており日本人に新たな価値観を与え、日本社会の根底が大きく変わろうとしていますー”


『またこの話題かよ。飽きねえな。』
瀬川実はタバコの灰を落としながら呟く。今日は非番なので朝から勢いで吸い続けてこれで5本目だ。

西暦が2200年代を超えついにインターネットの普及率は100%に達し一家に一台、いや1人に一台のパソコンが当たり前となった。先進国と言われるアメリカなども100%近い数値を叩き出しており、世界中がネットと言われる網の中に覆われる時代へ突入していた。そして、西暦2250年、次の100年まで半分となった今、私刑、言うなれば”ネット私刑”が激化し、日本政府と警察組織は社会の流れに肖り、《個人が個人を罰する》制度ー私人間制裁法が出来上がった。逮捕特権そのものは移譲されてはいないが密告、通告が簡単になった。
そもそもネット私刑とは、所謂、炎上や第三者からの過度な批判が〈加害者〉を自らの手で制裁を加えるのだ。方法は様々だが、最も多いのが住所を含めた個人情報を晒すという行為である。そもそも、SNSと言われる個人間における情報通信網の発達と比例して横行するようになったこの現象は時代を経て日本人の1つの価値観として考えられ大きな社会を形成した。
この法律による大きな弊害の1つが、個人間のトラブルが増え暴力行為、終いには殺人が頻繁化した。考えてみれば悉く当たり前のことではあるが世論ありきの政府側は臭い物に蓋をする精神は昔から変わらないことを露呈している。話を戻すと、これにより警察内部には新たな組織が確率された。
それがサイバー犯罪特殊捜査班である。現在、瀬川を含めた5人の人間による少数精鋭部隊だ。警察庁直属で国内唯一の組織、要はエリート集団である。彼はそのブレインとしてネット解析やプログラミング、被疑者逮捕までの作戦などを担当している。

『非番だとやることねえな。』
ぼやき癖は幼い頃から治らず、常に独り言を話しては木霊する自分の声に恥じらいを覚える。眼鏡を掛け直し、電子パットに送られてきた今朝の朝刊をザッと読む。新聞も今では完全な電子的なものになり、一昔前の新聞”紙”は絶滅危惧種の1つだ。マニアの間で取引され、レア物になれば数百万はくだらない。
大抵、新聞には社説や有識者のコメントが小さく掲載されるが、専ら、私刑論争がここ数年毎日繰り返されている。
『今日の馬鹿晒しは誰だろうな。おっ、清水さんか、これは面白そうだ。』
清水さんこと、清水一氏はインターネット論者の第一人者で政界へのコンタクトも持つ大物だ。こういう大物や裏を疑われやすい人間ほど一般人から私刑の標的になり易い。清水氏の場合も過去にも何度か被害に遭っている。

ー制裁法によって日本人の価値観、倫理観は大きく変わりました。人を思いやるのではなく、陥れるという感覚が当たり前になりましたが、実はこれは日本人の本当の姿とも言えるのですー

『なるほど。このおっさん割りと容認派だったか。次の改正案の閣議だいぶ変わるだろうな。くそ、仕事が増えるぜ。こっちは万年人手不足さ。』
ぼやきを終えタバコを潰し、身支度を整え外へ出る。昼には少し早いがたまには散歩がてら外で食べようと思い立った。

日本の都道府県制はそのままに市町村が全て廃止され数字による区画化が行われた。瀬川の住むのは東京5区、住宅が比較的多い地域だ。その区割りもインタネットによる完全な管理が敷かれている。交通網もほぼ全て全自動となったが、数百年前と変わらず歩行という営みだけは残されている。但し、6割が電動平行二輪車を使うので歩道も歩行者用に区別されている状態だ。つまりは日本中のあらゆるものが”区別”化されていて、一個人が確立された社会となった。
数百メートル歩くといつものカフェに着いた。平日の昼間だけあって昼休み中の会社員らで賑わっていた。
『いらっしゃいませ。あ、瀬川さん、お久しぶりです。お休みですか』
年齢は聞いたことないが20代前半だろう。この若く明るい女性こそがこの店のオーナーである。清楚感あるショートカットの茶髪が金色のイヤリングを余計に目立たせる。笑うと右笑くぼができるのが何とも可愛らしい。どうやらこの女性目当てに来る人も少なくないらしい。そんな愛らしい顔がこちらを覗き込む。
『いつものでいいですか』
『うん、ありがとう。このカウンター空いてるかな。』
『はい、大丈夫です、少々お待ちくださいね。』
従業員が少ないので忙しそうに働く彼女の姿を横目にウェブニュースを読み漁る。仕事柄欠かせない作業の1つだ。十分経たないうちにBLTサンドとコーヒーが目の前に置かれた。
『今日の朝一で採れたトマトなんです。どうぞごゆっくり。』
彼女は笑顔をこちらに向け、すぐにまた業務に戻った。少し話せればよかったのだが仕方がないので我慢した。


昼時のため外にも列が出来ていたので長居することなく店を後にした。数ヶ月振りの休みで何をすれば良いのかわからず手持ち無沙汰になってしまった。とりあえず噴水のある公園をふらふらする。犬を散歩する老人がちらほらいてなんとも和やかな日だろうか。ベンチに腰をかけずっと読めていなかったホームズの小説を開く。ところが3ページ読まないうちにケータイが鳴った。こっちは仕事用のものだ。
『おれは非番だぞ。仕事は御免だ。』
煩く響く呼び出し音に応答する。
『はい、只今お休み満喫中の瀬川ですが』
『なにが満喫中だよ。うちの班の人手不足状況わかってるだろ。早く来い。厄介ごとだぞ。とりあえず10分だ。走れば何とでもなる。』
低く重たい声、体育会系の筋肉質のこの男の声は案の定、神谷真一だった。そもそもここから仕事場まで車でも30分かかる。それを知ってて言っているからタチの悪い嫌がらせとしか思えない。瀬川は愚痴をぼやきながら小走りで家に帰り、仕事の準備をしてから向かった。

着いたのは電話がきてから30分後だった。普通なら早い方のはずだが特殊隊の部屋に着くなり怒声が鳴る。
『実、俺は10分って言ったぞ。お前が来たのは30分後だ。これだから頭がいい奴は…』
『うるさいな。これだから脳みそ筋肉野郎は…』
『なんだと。もう一回言ってみやがれ』
『まぁまぁ、2人とも幼馴染なんだから仲良くしろって。課長ももうすぐ来るし。』
仲介に入ったこの女性こそチームリーダーの逢沢神奈である。才色兼備を体現化し、身長170僂8等身。口調が男っぽいが、黙っていればまさに絵に描いた女性で、警察庁1、美人とも噂されるが一緒に仕事をしているとただのお節介おばさんと何ら変わらない。
『お前たち2人はほんと合わないよな。なんでだ。確かにお互い真逆のタイプだが。』
『それはそうだ。こんな頭でっかちの堅物野郎と幼馴染ってだけで虫唾が走るぜ。』
神谷は悠然と自分の席に座る瀬川を指差しながら大声で話す。ドア前に課長がいるとも知らず。幸運にも先に気づいた瀬川は猫を被ったように黙々と資料に目を通していた。
『そんなに瀬川君が嫌いなら一課に戻してあげようかい。』
落ち着いた深みのある声が喧騒を一気に沈める。稲塚 靖樹課長はいるだけでその場の空気を変えてしまう。過去には捜査一課の特殊犯罪の課長も経験し、数々の犯罪者を捕らえてきたまさにレジェンド的存在。そんな方がこんな駆け出しの班にいることすら異例なのだ。どうやら自ら買って出たと言われているが真偽は不明である。
『課長、おはようございます』
一斉に敬礼する。
『おはよう。いつも言ってるだろ堅いのは嫌いだ。敬礼はいらん』
気さくなことを言うのだが、やはり雲の上の存在、なかなかそうはいかない。
『課長。あとの佐藤と貫田は資料の準備に出ています。うちの課のパソコンだとアクセス出来ないものがあるようで。』
『そうか。はぐれ者扱いはいつになれば終わるのか』
課長はコーヒーメーカーを使いながら小声で呟いていた。
『そういえば瀬川君。君は非番だろ。いいのかい』
『ええ、勿論です。真一の話ですとどうやら人員が必要のようで』
『とりあえずあの2人が戻ってきたら会議始めるからそれまで待機ね』
チームリーダーの指示は時に課長以上の権力がある。彼自身、大事以外は完全に彼女に委ねている。

『お待たせしました。』
勢いそのままに新人2人組が資料をたんまり抱えてきた。アクセス制限や情報の漏洩防止でこの時代でも紙という旧式が採用されている。
『みなさん、おはようございます。』
綺麗な敬礼をし、全員が合わせて
『おはよう』
と言うのがお決まりの流れだ。
2人が資料を配り終え、会議が始まる。
『では、今回の事件に関して概略を簡単に説明します。各自メモ等お願いします。』

ー5月13日、私人間制裁法を逸脱した暴力行為による殺人事件が発生。被害者と思しき人物が生き埋めの状態で遺体として発見。その際、現場周辺を散歩中の一般人による通報があった模様。死亡推定時刻は不明。遺体の損傷度が高く顔面の8割が抉られ身元確認できず。DNA鑑定の結果、該当者なしー

『DNA鑑定をして該当者がいないってどういうことだよ。政府の国民個別管理システムに穴があるのか。』
国民個別管理システムとは、2450年を境に普及し、今では完全完璧なものとして存在する謂わば国民の個体識別管理のことである。国民全員に番号が与えられ氏名、性別を含むありとあらゆる情報が一括管理されている。これに伴いDNAの完全把握を謳い、防衛、医療、警察、といった分野での個人判別が絶対化した。結果、裁判において冤罪による不当な判決を受ける者は居なくなった。しかし、プログラミングなどのIT分野に長けた者による個人情報へのハッキングが増え、現代の分野別犯罪はサイバー犯罪が大半を占めている。よってデータの改竄が出来ないように管理主のみがアクセス可能な範囲に限定されている。そのため新人2人は毎日、庁内を走り回らなければならないのだ。
『ハッキングの被害はここ数年出ていないし、あったとしても未遂が殆どだったはずだ。どう思う実』
『確かに引っかかる。だが一昨日の落雷による大停電で一部システムが損傷したからな。逢沢、その辺の話は聞いているか。』
『いいや。1つ聞いたのは政府管轄の電気システムに異常が見つかったらしいが影響はないようだ。』
『茨城4区のところか。』
『あら、方向音痴の神谷君にしては珍しいじゃない。』
彼はその言葉が癇に障ったのか反論をしようとしたが課長の咳払いで我に返っていた。
『それとこの不審死、どうやら初じゃないみたい。去年のこの時期にも身元不明の遺体があったようなの。』
『その時のデータはあるか。』
『どうなの新人組』
『もちろんご用意しました。別資料にあります』
『用意がいいじゃん。これはポイント高いな』
逢沢は佐藤と貫田に向かってウインクを決める。大抵の男はこれで瞬殺だ。
別資料には2、3ページの薄いものだった。これだけで難事件さが増す。普通の事件資料ならば10ページ以上は当たり前なのだ。やはり情報に不明点が多いのは読まなくてもわかる。一通りめを通すが昨年起こった事件も今回とほぼ変わらなかった。

『今日はここまでにしよう。ひとまず逢沢と神谷は2人で現場確認に行ってこい。瀬川はいつものようにデータ調査。ついでに不正アクセスがないか調べてくれ。佐藤と貫田は担当の鑑識と臨床士に事実確認と詳しいのを聞き出せ。』
全員が同時に敬礼し各々行動を開始した。
こういう時だけは不思議と息が合うのだ。

この小説について

タイトル 1
初版 2016年11月29日
改訂 2016年11月29日
小説ID 4846
閲覧数 91
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ゆーやの写真
常連
作家名 ★ゆーや
作家ID 1063
投稿数 5
★の数 4
活動度 517
ど素人ですが温かく見守って頂ければ。

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